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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  本当は誰にも分からなかったのに、「トランプの負け」と“断定”したことで、自ら醜態を晒し都合が悪くなってしまった保守を名乗る方々(笑)

    本当は誰にも分からなかったのに、「トランプの負け」と“断定”したことで、自ら醜態を晒し都合が悪くなってしまった保守を名乗る方々(笑)

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    本日のキーワード : 都合



    都合(つごう) :

    ① 何かをするときにほかの物事に影響を及ぼす事情。わけ。「一身上の都合により退職いたします」

    ② ぐあいがよいか悪いかということ。「今日はちょっと都合が悪い」

    ③ やりくりをすること。繰りあわせること。

     ㋐ 予定を調整すること。「なんとか都合をつけて出席しましょう」

     ㋑ 金銭を融通すること。「期日までに資金を都合する」

    ④ (副詞的に用いて)すべて合わせて。合計。「都合5人が参加する」



    美人ホワイトハウス報道官 ~ 「朝日新聞グループ」は自社に都合が悪いことは報道しないんです!!!


    本日の書物 : 『米中ソに翻弄されたアジア史 カンボジアで考えた日本の対アジア戦略』 江崎 道朗、福島 香織、宮脇 淳子 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 1977年12月31日、【カンボジア】【ベトナムとの国交断絶】を発表した。この両国の対立は【中ソ両国の介入を招き入れた】。前掲の山田寛氏は、その経緯をこう描く。

    《 七八年後半に中国の実力者として完全復活を遂げる鄧小平副首相は、ポル・ポト政権によい感情は持っていない。(中略)だが、【ベトナム】

    「カンボジアの断交発表は、中国の完全な同意を得て行われたものだ。中国が本格的に介入してくる可能性が高まった

    と判断した。そこで、【中国と対決する道を選んだ】 》(『ポル・ポト〈革命〉史』)

    ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 

     以後、山田氏の取材を踏まえて経緯を記そう。

     【ベトナム】は1978年3月、【国内の華僑への弾圧を開始】し、30万人近い華僑が脱出した。反発した【中国】は、ベトナムのインドシナ連邦支配を許すことは中国にとってマイナスだと判断し、「対ベトナム紛争に直接介入はせず、【ポル・ポト政権の自力闘争】に任せるが【最大限の援助・兵器供与を行う】ことを決定したという。

     【「カンボジア・中国」対「ベトナム」という構図】だ。

     当時、ニクソン外交によって【中国はアメリカと組み、ソ連と対立していた】。敵の敵は味方だとして【ベトナム】は同年11月3日、【ソ連と友好協力条約を結び、中国を牽制する体制を整えた】。その1か月後の12月2日、ポル・ポト政権打倒を目指す「カンプチア救国民族統一戦線」(ヘン・サムリン議長)が東部国境地帯で結成された。

     【「カンボジア・中国」対「ベトナム・ソ連」という構図】だ。

     そして12月25日、【ベトナム軍】【カンボジアに侵攻】し、翌1979年1月7日には、【ポル・ポト政権を打倒】し、以後、【10年におよぶベトナム軍のカンボジア占領が始まった】。』

    日の丸

    「個人」という言葉の意味


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、いわゆる東南アジアの大陸側の近現代史に焦点をあてた書物で、特にカンボジアを中心に、その周辺地域を含めた「インドシナ」における歴史の大まかな流れを理解することができ、また、今回のアメリカ大統領選挙の混乱からも分かるようにソ連・コミンテルンとその下部組織である中国共産党(CCP)がこの地域において如何に水面下で暗躍していたのか理解できるお勧めの良書となります。

    読書 10-090

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 266,594(265,938)÷13,340,663(13,220,516)=0.0199・・・(0.0201) 「1.99%(2.01%)」
    egdusidbxvcz1.jpg

    イタリア : 54,904(54,363)÷1,585,178(1,564,532)=0.0346・・・(0.0347) 「3.46%(3.47%)」
    egdusidbxvcz2.jpg

    日本 : 2,057(2,042)÷147,498(145,440)=0.0139・・・(0.0140) 「1.39%(1.40%)」
    egdusidbxvcz3.jpg

















    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    例えば、デヴィッド・ハーヴェイマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、

    官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?



    以前にも書かせて頂きましたが(→「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」「マルクス主義」から生じているものであり(→日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うとレフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

    女性 ポイント ひとつ

    で、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない本来の「新自由主義」について、次の論文を読み進めることで確認して参りたいと思います。

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    『マネタリズムと新自由主義』山田久

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 デューク大学とマネタリスト的見解

     ・・・筆者は世界経済調査会に所属している間と、バブル経済崩壊前には以下のようなマネタリスト的諸論文を発表しています。

     「1979-84 の米国経済のマクロ・パフォーマンス」では、1979 年から 1984 年の米国経済貨幣的側面から考察しています。この期間は、1979年 10 月 6 日に採用された「新金融調整方式」による「マネタリズムの実験」と呼ばれる 1982 年10 月までの期間と、1981 年 1 月にスタートしたレーガン政権のいわゆる「レーガノミックス」両方を含んでいます「新金融調整方式」と「レーガノミックス」による金融引き締め1981、1982 年の大不況を引き起こし82 年夏ごろの金融緩和が 83、84 年の好景気をもたらしました

    ポイント 女性

    マネーサプライの動きに注目して、この期間のマクロ・パフォーマンスを考察しています。

     「米国経済の動向と連銀の金融政策」では、1989 年当時の米国では、財政政策は「双子の赤字」の一つ財政赤字によってその機動力を弱められているので相対的に金融政策が重要となっていました。アラン・グリーンスパンは、87 年 8月 FRB 議長に就任して以来、実に慎重な金利運営を行ってきましたグリーンスパン議長の目指す政策目標は、疑いもなく「インフレなき成長」です。同議長は短期のフェデラル・ファンド市場の政策金利である FF レートを常に穏やかに誘導して、その時々の景気状態には惑わされずにその政策目標を追求することを示してきました。本稿「米国経済の動向と連銀の金融政策」ではFRB の金融政策を、主として FF レートの誘導という観点から追跡し、グリーンスパン議長の金融政策の軌跡と米経済の今後の動向を探っています。』


    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    地位の追求

     ところで、ここでの問題に対する歴史的に重要なもう一つのアプローチがある。それは、自由対概念である平等と博愛自由と混同することによって同じく自由主義的でない結論に到達するものである。




    十八世紀の末この争点が提出されて以来、「個人」という言葉なにを意味するかという問題がたえず問いかえされ、ますます重要な意義をもつものとなった。わたくしが社会に生きている限り、わたくしのするすべてのことが、他人のすることに影響し、またこれによって影響されることは免(まぬが)れがたいことだ。私的な生活の領域社会的生活の領域とを区別しようとしたミルの精力的な努力でさえ、これをよく検討してみれば、失敗に終わっている

    ジョン・スチュアート・ミル
    ジョン・スチュアート・ミル

    実際に、ミルに対する批判者だれもが指摘してきたことは、自分の行うすべてのことが他の人間の害になる結果をもたらすかもしれないということであった。さらにまた、そういう他人との相互作用というよりももっと深い意味においてわたくしは社会的な存在であるなぜならわたくし現にこういうわたくしであるのはある程度まで他のひとびとがわたくしをそういう人間であると考えたり感じたりしていることによるのではなかろうか。自分は何者であるかとみずからに問うてみて、イギリス人であるとか、中国人であるとか、商人だとか、つまらぬ人間だとか、あるいは百万長者だとか、罪人だとか答えたとする。これを分析してみると、それらの諸属性をもっているということは、自分がある特定の集団なり階級なりに所属しているものとして社会の他のひとびとによって認められていることを必要とする。そしてこの他から認められるということが、自分のあるきわめて個人的かつ永続的な諸特性を示すほとんどすべての言葉の意味の重要部分である、ということがわかる。』

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。








    続きは次回に♥




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