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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  「ロシア疑惑」も「ドミニオン」も、陰謀論ではなく、米民主党によるホンモノの陰謀です!

    「ロシア疑惑」も「ドミニオン」も、陰謀論ではなく、米民主党によるホンモノの陰謀です!

    ベトミンの旗。後にベトナム民主共和国の国旗となった。

    本日のキーワード : ベトミン、コミンテルン、インドシナ共産党、ベトナム共産党



    ベトミン(ベトナム語:Việt Minh/越盟)、正式名称ベトナム独立同盟会(ベトナム語:Việt Nam Ðộc Lập Ðồng Minh Hội/越南獨立同盟會)は、1941年5月19日に正式に結成され、フランス植民地からの独立を求め第一次インドシナ戦争を戦ったベトナムの独立運動組織であるホー・チ・ミンが結成して主席となりヴォー・グエン・ザップおよびファム・ヴァン・ドンがともに指導した

    本日の書物 : 『米中ソに翻弄されたアジア史 カンボジアで考えた日本の対アジア戦略』 江崎 道朗、福島 香織、宮脇 淳子 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 のちに【ホー・チ・ミン(胡志明)】の名で有名になった【革命家グェン・アイ・クォック(阮愛国)】は、1890年、ゲアン省に生まれた。ここはファン・ボイ・チャウの出身地でもある。ホー・チ・ミンの父は、苦学の末科挙の試験に合格したベトナムの伝統的知識人だったが、息子のグェンは1911年21歳で故国を離れ、長い放浪生活を送ったのち、パリに定住する。

    ホー・チ・ミン 1921年
    ホー・チ・ミン 1921年

     1919年、グェンは【ベトナム人として初めてフランス社会党に入党】し、1920年、ツールで開かれたフランス社会党大会で、【インドシナ代表として植民地住民の解放を要求】した。このあと、彼は【フランス共産党に入党】し、1924年の選挙では、【共産党から国民議会議員に立候補し当選】した。しかし【フランス国籍を持たなかったため当選が無効になる】と、モスクワに赴いて、【コミンテルン第五回大会に出席】し、コミンテルンに対して【植民地問題と取り組むように要請】した。彼はその後広東に赴き、ここで【「ベトナム青年革命同志会」の結成】に指導的役割を演じる

     【「同志会」】北部と中央に【分裂】し、さらに【もう一派が名乗りをあげ】【共産主義運動が三派に分裂】すると、【コミンテルン】は、当時、東北タイ在住のベトナム人の組織活動に従事していた【グェンを呼び戻した】1930年2月香港で三派代表の会議が開かれ【三派を統一して「ベトナム共産党」が成立】した。【同党】は10月【コミンテルンの指示で「インドシナ共産党」と改称】し、翌1931年4月【コミンテルンの正式支部となる】

     【インドシナ共産党の目標】として、【フランス帝国主義打倒・民族独立】と、【地主の土地再配分】という二つのスローガンが設定されたが、延べ50万人が参加したといわれる労働者・農民のストライキ、デモは、フランス側の軍隊によって徹底的に弾圧され、共産党指導部の大部分は逮捕され、流刑に処された。1932年までに逮捕された政治犯の合計は1万人におよび、そのうち83人が死刑の宣告を受けた。当時香港で【コミンテルンの仕事に関わっていたグェンもイギリス官憲に捕らえられ、以後長く消息を絶った】。…

     【日本軍の仏印進駐】を知ったあとの1941年2月、【グェン・アイ・クォック】は江西省からひそかに国境を越えて【ベトナム領に入った】30年ぶりの故国である。カオパン省の北辺から山岳地帯に住む少数民族の協力を得て洞窟に隠れ住んだグェンは、厚い森林におおわれたパクポの洞窟に同志を招集して第八回中央委員会を開催し、ここに【「ベトミン(越盟)」つまり「ベトナム独立同盟会」が正式に発足した】

     1945年3月9日、【仏印進駐日本軍】【フランスをクーデターによって追放】し、インドシナを単独で支配する体制を固め、【バオ・ダイ(保大)帝を擁立して独立宣言を行わせた】これ以降【インドシナ共産党のスローガン】【「日本ファシストを追い出せ」に変わる】。8月13日、日本軍無条件降伏のニュースを知った共産党は全国蜂起委員会を設置し、同日夜、一斉蜂起命令を発した。8月19日ハノイ全市で蜂起が発生し、21日解放軍主力がハノイに入城、中部のフエでも8月23日デモ隊が官庁を接収し、月末にバオ・ダイ帝が退位を宣言した。9月2日、ハノイのバディン広場の50万の民衆を前に、【ホー・チ・ミン】は臨時政府を代表して【ベトナムの独立】【ベトナム民主共和国】【成立を宣言した】のである。』

    日の丸

    自由主義者のつもりの全体主義者


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、いわゆる東南アジアの大陸側の近現代史に焦点をあてた書物で、特にカンボジアを中心に、その周辺地域を含めた「インドシナ」における歴史の大まかな流れを理解することができ、また、今回のアメリカ大統領選挙の混乱からも分かるようにソ連・コミンテルンとその下部組織である中国共産党(CCP)がこの地域において如何に水面下で暗躍していたのか理解できるお勧めの良書となります。

    読書 女性 7

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 260,869(258,827)÷12,662,851(12,501,643)=0.0206・・・(0.0207) 「2.06%(2.07%)」
    jehdgsirt1.jpg

    イタリア : 52,028(51,306)÷1,480,874(1,455,022)=0.0351・・・(0.0352) 「3.51%(3.52%)」
    jehdgsirt2.jpg

    日本 : 1,983(1,963)÷137,708(135,776)=0.0144・・・(0.0144) 「1.44%(1.44%)」
    jehdgsirt3.jpg




    トランプ大統領が恩赦なされたマイケル・フリン氏のお話はについてはこちらをご参照ください💗

    アメリカの「FBI」と「メディア」による人権侵害 ~ 日本で言えば、ズブズブの「検察官」と「朝日新聞」による人権侵害!?

    また、上の動画に登場する主流メディアに「ロシアスパイ」と名指しされたスヴェトラナ・ラコバ氏との共著もあるクリストファー・アンドリュー氏が書いたのが、『ミトロヒン文書』になります💗

    山内 智恵子  ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史

    で、その動画の中に登場している重要人物ステファン・ハルパー書いた本が、これ(↓)です。

    北京コンセンサス――中国流が世界を動かす? 

    ステファン・A・ハルパー
    ステファン・A・ハルパー

    このステファン・ハルパーにつきましては、また別の機会に書かせて頂きたいと思いますが、要チェックな輩に属しています(笑)

























    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    例えば、デヴィッド・ハーヴェイマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、

    官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?



    以前にも書かせて頂きましたが(→「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」「マルクス主義」から生じているものであり(→日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うとレフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

    女性 ポイント ひとつ

    で、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない本来の「新自由主義」について、次の論文を読み進めることで確認して参りたいと思います。

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    『マネタリズムと新自由主義』山田久

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 シカゴ大学

     フリードマンの新貨幣数量説やマネタリズム勉強するために留学しましたが、まずは経済学の勉強です。筆者の入学する前年の 1972 年が、シカゴ大学のファカルティ・メンバー(faculty: 米国では教授または教授陣を指す)が最高レベルにあったとされていますが、1973 年の陣容も素晴らしいものでした。

     1973-1974 年の秋学期はミクロ経済学に相当する Price Theory Ⅰ、マクロ経済学に相当する Demand and Supply for Money and Other Financial Assets、それと統計学、Elements of Statistical Inference の 3 科目を履修しました。シカゴ大学はクォータ学期制を採用しているので、秋学期、冬学期、春学期、夏学期となります。秋、冬、春学期は 10 週間の授業と 11 週目に試験があります。経済学部(大学院)は夏学期の授業はありませんが、ビジネス・スクールは 9 週間の授業と 10 週目の試験でした。3 科目の履修ですが、1 科目は 90 分授業が週 2 回で合計 6 回の授業があります。授業スタイルで共通しているのは、その週の 2 回目の授業の終わりに課題が出されて、その解答を次の授業で提出するというものです。その間、友人たちとスタディーグループを作って勉強することが奨励されます。シカゴ大学は大学院が中心の大学で、授業などは大体午前中に終わりますので、午後から夜は図書館で猛勉強ということになります。

     1973 年のファカルティ・メンバーも豪華絢爛でした。1 年目の授業の担当教授だけでも、のちのノーベル経済学賞受賞者が 3 人もいました。Friedman(1976 年)、Becker(1992 年)、Heckman(2000 年 ) の 3 人 で す。 ヘ ッ ク マ ン(James Heckman)先生は 1973 年に准教授として採用され 1973 年秋学期が初めての授業担当でした。筆者は Heckman 先生の最初の統計学の授業の生徒だったことを誇りにしています。シカゴ大学での生活や勉強は大変過酷なものでした。それは筆者が病気にかかったことからもおわかりいただけるでしょう。

     病気のほうは何とか寛解状態になりましたが、ついにドクターストップがかかって、シカゴの冬の寒さを避けて温暖な地方へ移ることを勧められま し た。 ベ ッ カ ー 先 生 は、「University of California at Los Angeles(UCLA)Duke Universityどちらかを選びなさい。転校したほうが良い結果を得られることがあるのは経験済みだ。好きなほうに行かせてあげる」と言われました。UCLA はしばしばシカゴ大学西海岸出張所といわれていました。シカゴ大学から UCLA に転校というのはよくあるケースなので、あまり気乗りしませんでした。それに米国の大都会は好きになれませんでした。Duke はノースキャロライナ州ダーラム市にある落ち着いた雰囲気のある大学です。とにかく Duke ではルイス先生が教鞭をとっておられました。それにブロンフェンブレンナー先生が 1972 年にカーネギー・メロン大学から移ってきておられました。筆者は Duke を選びますとベッカー先生に申し上げました。』


    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    サラストロの神殿

     ・・・なにによってこのような奇妙な転倒 ―― 結局は、やはりカントの弟子であると自称する思想家たちによってカントの厳格な個人主義がほとんど純粋な全体主義的学説に近いものへと変形させられたこと ―― がもたらされえたのであろうか。これはたんに歴史的関心をそそる問題たるにとどまらない。というのは、今日の自由主義者でこれと同じ特異な進展過程を辿ったものは少なくないからである。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。










    続きは次回に♥




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