FC2ブログ

    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  古来よりインドの影響力が、支那(シナ)よりも遥かに勝っていた「インドシナ半島」

    古来よりインドの影響力が、支那(シナ)よりも遥かに勝っていた「インドシナ半島」

    インドシナ

    本日のキーワード : 支那、中国共産党(CCP)



    インドシナ半島(インドシナはんとう、フランス語: la Péninsule indochinoise、漢字表記:印度支那半島)は、支那の南インド亜大陸の東にある東南アジアの半島である

    インドシナ半島

    本日の書物 : 『米中ソに翻弄されたアジア史 カンボジアで考えた日本の対アジア戦略』 江崎 道朗、福島 香織、宮脇 淳子 扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 「東南アジア」という呼称広く用いられるようになったきっかけは、1942年に連合国が「東南アジア司令部」を設置したときである。日本軍の作戦区域である、イギリス領ビルマおよびマラヤ、フランス領インドシナ、オランダ領東インド、アメリカ領フィリピンの四植民地およびタイ王国を包括するような概念がなかったからだという。



     ともかく、東南アジアと呼ばれる地域は、大陸部では西からミャンマー(旧ビルマ)タイラオスカンボジアベトナム5か国島嶼(とうしょ)部ではマレーシアシンガポールブルネイフィリピンインドネシア東ティモール6か国である。



     東南アジア諸国連合(ASEAN)結成時、1967年の加盟国は、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアの5か国だったが、1984年にブルネイ、1995年にベトナム、1997年にミャンマーとラオス、1999年にカンボジアが加わって、現在は10か国である



     本章では歴史概説を行うが、東南アジアのなかでも大陸部に話を絞ることにする。カンボジアの起源であるクメール史にはジャワ島が出てくることもあるし、マレー半島との関係ももちろんあるが、それよりも、【東南アジア大陸部にとって重要】なのは古くから【インドと中国】(国家としての中国は1912年の中華民国までないが、戦後の日本ではチャイナの翻訳語として中国が使われるので、それにならう。本章ではこのあと19世紀までをシナと呼ぶことにする)の存在だった。そもそも、この土地を【インドシナ半島】と呼ぶようになったのはフランスが始まりだが、この言葉は、今でも立派に通用している。



     戦後の日本で【「支那」】と書いた【「シナ」】は、英語の【チャイナ(China)】、フランス語の【シーヌ(Chine)】と同じく、紀元前221年に初めて統一国家を建てた【「秦」】に由来する。だから【今の中国は、漢字の「支那」には文句をつける】けれども【インドシナ半島だけでなく、東シナ海も南シナ海も、世界中でそのまま通用している】わけである。』

    日の丸

    “自由” V.S. 中国共産党(CCP)


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、いわゆる東南アジアの大陸側の近現代史に焦点をあてた書物で、特にカンボジアを中心に、その周辺地域を含めた「インドシナ」における歴史の大まかな流れを理解することができ、また、今回のアメリカ大統領選挙の混乱からも分かるようにソ連・コミンテルンとその下部組織である中国共産党(CCP)がこの地域において如何に水面下で暗躍していたのか理解できるお勧めの良書となります。

    読書 3-55

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    blmhell.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 255,177(253,769)÷11,994,057(11,833,644)=0.0212・・・(0.0214) 「2.12%(2.14%)」
    blmhell1.jpg

    イタリア : 49,261(48,569)÷1,380,531(1,345,767)=0.0356・・・(0.0360) 「3.56%(3.60%)」
    blmhell2.jpg

    日本 : 1,932(1,930)÷130,866(128,262)=0.0147・・・(0.0150) 「1.47%(1.50%)」
    blmhell3.jpg


























    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    例えば、デヴィッド・ハーヴェイマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、

    官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?


    以前にも書かせて頂きましたが(→「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」「マルクス主義」から生じているものであり(→日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うとレフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

    女性 ポイント ひとつ

    で、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない本来の「新自由主義」について、次の論文を読み進めることで確認して参りたいと思います。

    egdhusydrfk.jpg
    『マネタリズムと新自由主義』山田久

    それでは早速、昨日の続きを見て参りましょう。

    『 「マネタリズム」と「新自由主義」との出会い

     立教大学近代経済学研究会(学生サークル誕生前の西山先生を中心とするもの)は、1962 年 11月 24 日から翌 1963 年 6 月 29 日までの期間に、同大学の学生を主要な対象として、第一期理論経済学セミナーを開催しました。このセミナーの目的は、近代経済学のひととおりの内容を、初心者のためにできるだけ平易に解説することでした。その成果は、講義の速記録に手を加えたうえで編集され、安井琢磨・熊谷尚夫・西山千明『近代経済学講義』として出版されました。

     いまこの本を手にしてみるとその企画力や執筆陣、内容のすごさがよくわかります。当時はまだ近代経済学を体系的に解説する日本語の教科書はほとんどありませんでした。ポール・サムエルソン(Paul Samuelson、 1915-2009 年、1970 年にノーベル経済学賞受賞)が Economics: An Introductory Analysis を出版したのが 1948 年で、正式な日本語版は 1966 年に都留重人訳『経済学―入門的分析(上・下)』として出版されました。その後、都留重人訳のサムエルソン『経済学』が日本の標準的教科書になっていきました。サムエルソンの Economics は米国のみならず世界中で出版され、世界の標準的教科書になりました。


    都留重人
    都留重人

    偉大だった某“大蔵省”官僚 ~ それに比べて、今の“財務省”官僚は・・・

    安倍総理が否定したのは、「社会主義者」で経済学者の都留重人です

    東大の宇沢弘文先生が中心になって編集された、岩波書店の現代経済学シリーズは 1971 年ごろから数年かけて出版されました。この岩波のシリーズが日本の近代経済学黎明期の主要な教科書でした。

    日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」

     『近代経済学講義』のすごさは、1962 年に米国から帰国して立教大学の教授になった西山先生が帰国後すぐに理論経済学セミナーを開催し、出版まで成し遂げていることです。そしてその講師陣が当時としては実に豪華な顔ぶれです。お名前を挙げると、安井琢磨、福岡正夫、熊谷尚夫、荒憲治郎、内田忠夫、篠原三代平、ミルトン・フリードマン、市村真一、嘉治元郎、山田雄三、西山千明(執筆順、敬称略)という陣容です。ミルトン・フリードマン(Milton Friedman、 1912-2006年、1976 年にノーベル経済学賞受賞)の論文は特別プログラムとして講演された、「貨幣理論の現状」という新貨幣数量説を解説したものです。つまりこれがフリードマン自身の講演による「マネタリズム」の日本初上陸でした。マネタリズムに関する論文はすでに日本でも知られていましたが、フリードマン自身が直接日本で新貨幣数量説について講演したことに意義があると思います。』

    西山千明
    西山千明

    フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク
    フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク

    隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 

    資本主義・社会主義11

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

    timeline_20201016_192542.jpg

    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    これ 女性

    『 二つの自由概念

    サラストロの神殿

    ・・・教育はどうしても、「自分がいまやっているのがなんのためなのかという理由はあとになって分る」という仕方で行われざるをえないものだとフィヒテは言っている


    ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ
    ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ

    自分たちが学校へゆかされる理由を理解する、とは子供に期待できないことであるし、また無知なる者 ―― これはさしあたり人類の大多数を占める ―― やがてかれらを理性的にするであろうところの法律にいま従わされる理由を理解しようとも思われない


    「強制もやはり一種の教育である。」 優れたひとに服従することは大きな美徳であることをあなたは学び覚える。もしもあなたが理性的存在としてのあなた自身の利害というものを理解しえないとしたら、わたくしがあなたを理性的にする過程においてあなたに相談したり、あなたの願望にしたがったりすることは思いもよらないことだ。結局においてわたくしは、たとえあなたがそれを欲しないにしても、あなたが天然痘からまもられるように強制せざるをえない。あのミルでさえもこのへんのところは心得ていて、だれかが、橋を渡ろうとしていて、その橋がこわれそうだと警告するひまがなかったとしたら、わたくしは力づくでもそのひとが渡るのを阻むだろう、というのは、そのひとの行為の指示しているものがなんであれ、かれが水に落ちることを望むなどということはありえないことをわたくしは知っているからだ、と言っている。


    フィヒテは、その時代の教育のないドイツ人がおそらく自分で知りうるより以上によく、そのひとがこうありたい、そうしたいと願っていることを知っているのだ。賢者はあなた自身よりもよりよくあなたのことを知っている。なにしろ、あなたは情念のとりこ ―― 他律的な生活をし愚鈍で自分の真の目標を理解することのできない奴隷なのだから


    あなたは人間でありたいと望んでいるあなたの欲望をみたすことそれが国家の目的である


    「強制は、将来の見識を与えるための教育により正当化される。」 わが内なる理性はもしそれが勝利をかちとるべきものであるならばわたくしを一個の奴隷と化すところの「低級」な本能情念欲望などをとり除き抑圧しなければならぬ



    同様にして(この個人的概念から社会的概念への決定的な移行はほとんど感知せられることがない)、社会におけるより高次の要素 ―― よりよき教育を受けた者、より理性的なるひとびと、その時代および民衆について最高の見識を持っているひとたち ―― 社会の非理性的な部分を理性的ならしめるために強制を加えても差支えないなぜなら ―― と、ヘーゲルやブラッドレやボーザンケットはしばしば確信した ―― 理性的なるひとに服従することはわれわれがわれわれ自身に服従することなのだから



    もちろん、これは現にあるがままのわれわれ自身 ―― 無知と情念うちに沈淪(ちんりん)し、治癒者を必要とする病気にかかった病人であり、保護者を必要とする被保護者であるわれわれ ―― ではない。そうではなくて、もしも理性的であるならば、そうありうるであろうようなわれわれ自身、またたった今でも、もしも人間の名に価するあらゆる人間のなかに ―― “仮定により”当然 ―― 存在しているところの理性的要素に耳を傾けるならば、そうありうるであろうようなわれわれ自身である。』


    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。







    続きは次回に♥




    ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
    ↓↓↓↓↓↓↓

    にほんブログ村 本ブログへ
    にほんブログ村


    人気ブログランキング



    PVアクセスランキング にほんブログ村

    関連記事

    コメント






    管理者にだけ表示を許可する