2020-11-11 (Wed)

本日のキーワード : 個人主義、カント、ルソー
個人主義(こじんしゅぎ、英: individualism、仏: individualisme)とは、国家や社会の権威を否定して個人の権利と自由を尊重する立場。あるいは共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。ラテン語のindividuus(不可分なもの)に由来する。
個人が至高の価値を有するという道徳原理の起源は、キリスト教の伝統に求めることができる。その考え方は、たとえばマタイによる福音書25:40に示されている(ユダヤ教は、神の関心が一民族にのみ向けられていたので、異なる)。ルネサンス期の人文主義者の「人間の尊厳」も、宗教改革も、このようなキリスト教的伝統のうちに理解されるべきものである。カントやマクタガードが美しい表現でそれを著述している。また、ルソーの思想の中心をなすものである。
本日の書物 : 『税金下げろ、規制をなくせ 日本経済復活の処方箋』 渡瀬 裕哉 光文社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 この国では【「リベラル」】は、【政府による】ほぼすべての種類の【規制や管理】に対する【支持を意味する】ようになった。そのせいで【自由を本気で信じている多くの人の頭が混乱してしまった】のだろう、【この言葉】は【左派の格好の隠れ蓑】となっている。……それどころか、左派を非難して「リベラル」と呼び始め、【この言葉の誤用に拍車をかけた】……。【この誤用の結果】、【真のリベラル】が【自分たちを保守と名乗らざるを得ない羽目に陥った】のだから、まことに嘆かわしい。

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク
【新自由主義の代表的思想家】、ノーベル経済学賞受賞者【フリードリヒ・ハイエク】(1899〜1992)の代表的著作【『隷従への道』】(日経BP社、2016年)アメリカ・ペーパーバック版序文の言葉です。【「この国」とはアメリカのこと】ですが、【日本にも見事に当てはまります】。

「みんなのため」「弱者を保護するため」などと、もっともらしい【耳触りのいい言葉をつらね】て、その実、行われていることは【利権確保】であり、【官僚による統制】であることが多い。【利権屋】は【与党政治家】と【官僚】ばかりではなく、【野党も同じ】です。
本書で、そのことがよくわかっていただけたと思います。【本来は僕らこそが真の改革派です】。【自由を求めるリベラル( liberal はラテン語 liber 「自由な」が語源)です】。意味が逆転してしまった昨今は使いにくいですが。』

自由主義的個人主義の信条
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、我が国で現在行われている「官僚の、官僚による、官僚のための政治」の実態を具体的に知るための入門書として最適な書物で、そのような弊害を無くすために、一人ひとりが何をどのようにすればよいのかという解決方法も提示されており、ぜひ、ご覧頂きたい良書となります。

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 233,116(231,754)÷9,428,319(9,309,298)=0.0247・・・(0.0248) 「2.47%(2.48%)」

イタリア : 39,764(39,412)÷790,377(759,829)=0.0503・・・(0.0518) 「5.03%(5.18%)」

日本 : 1,798(1,794)÷103,917(103,293)=0.0173・・・(0.0173) 「1.73%(1.73%)」


さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスのユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら、現代においても“辛うじて”生き残っていますが、
イギリス労働党は反ユダヤ主義を理由にコービン氏の党員資格停止。メディアの皆さんが昨年、次に英首相になるのはコービンだと言い続けてきたことを私は忘れない。なおコービンはハマスとヒズボラを「友達」と呼び、両者に篤く支援されてきた親イスラム過激派でもある。https://t.co/c6NUmm42Xe
— 飯山陽 Dr. Akari IIYAMA (@IiyamaAkari) October 30, 2020

デヴィッド・ハーヴェイ

例えば、デヴィッド・ハーヴェイはマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、
☆官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?
以前にも書かせて頂きましたが(→☆「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした、自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが、「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイが定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」は「マルクス主義」から生じているものであり(→☆日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うと、レフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→☆“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→☆現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

そこで、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない、本来の「新自由主義」を考える場合に、よく比較対象にされる「ケインズ主義」について、現在次の論文で、「ケインズ主義」の変遷を確認しているところになります。

☆『ケインズ主義政策戦略の変転』 野口 旭
また、参考書として、次の書物もお勧めさせて頂きます。


それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 4.マネタリズム反革命からケインズ主義Ⅱへ
(1)古典的自由主義のサブ・プログラムとしてのマネタリズム
ケインズ主義Ⅰが支配していた戦後の政策世界において、それと対峙する反ケインズ主義の政策プログラムであるマネタリズムを生み出したのは、ネオ・リベラリズムの拠点としてのシカゴ学派の創始者の一人でもあったミルトン・フリードマンである。ネオ・リベラリズムとは本来、古典的自由主義の復興を試みようとする、現代におけるそのサブ・プログラムである。それは、とりわけ1980年代以降、経済的規制の緩和や公的企業の民営化などを推進させていくような、世界的な政策潮流を生み出した。』

ミルトン・フリードマン
☆ミルトン・フリードマンを“シカト”する日本の「御用経済学者」・「ガラパゴス経済学者」たち
ネオ・リベラリズムがこのように、主に市場というミクロ的領域における制度改革を主要な政策課題にしていたのに対して、マクロ経済政策という領域において古典的自由主義に基づく政策戦略を構築しようとしたのがマネタリズムである。実際、マネタリズムとネオ・リベラリズムは、政府の役割はできるだけ限定されるべきであるという古典的自由主義の中核にある価値判断と政策志向を共有している。そして、その立場は当然、古典的自由主義への批判の上に築かれたケインズ主義への反批判をも共有する。マネタリズムがしばしばケインズ革命に対する「反革命」の試みとされるのは、まさしくそのためである。』


それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)と「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。


アイザイア・バーリン

『 二つの自由概念
内なる砦への退却
・・・カントのいう自由なる個人とは、自然的因果の世界をこえた超越的存在である。けれども、その経験的な形態 ―― そこでは人間はふつうの日常的生活の次元で考えられる ―― においてこの学説は、道徳的ならびに政治的な自由主義的ヒューマニズムの核心をなすものであった。』

イマヌエル・カント
『自由主義的ヒューマニズムには18世紀のカントおよびルソーが深く影響しているのである。これのア・プリオリ〔 a priori / 演繹的証明の必要のない自明的な事柄の意 〕な変形は、ある形態の世俗化されたプロテスタント的個人主義である。ここでは神の位置は合理的生活という概念によって占められ、神との合一を目ざす個人の霊魂の位置は、理性を与えられた個人 ―― 理性によって、理性にのみによって支配されるように努め、自分の非理性的本性にかかわることによって自分を逸脱させ迷わせるかもしれぬようなものには一切依存しないように努める個人 ―― という概念によってとってかわられる。他律ではなく自律、働きかけられることではなく自発的に行為すること。情念への隷従という観念は ―― こうした用語で考えるひとびとにとっては ―― 暗喩(メタファー)以上のものなのだ。恐怖とか情愛とか順応の欲求とかから免れることは、自分の制御することのできないあるものの専制から自らを解放することである。ケファロス〔 Cephalus / プラトン『国家』の登場人物。ソクラテスと老年について対話する。〕についてプラトンは、老齢のみがかれを愛の情念から ―― 残酷なるこの支配者の軛(くびき)から ―― 解放したといっているが、このケファロスは人間の暴君ないし奴隷所有者からの解放と同じく真実の経験を伝えているわけなのだ。自分がある「低劣」な衝動にかられ、自分の好まぬ動因に動かされて行為をするのを見、またまさにそれをする瞬間には嫌悪を感じるかもしれないようなことをするのを見、あとになってあのとき自分は「自分でなかった」のだとか、「自分をしっかり統御していなかった」のだとか反省する心理的経験は、こうした考え方・言い方に属しているものである。自分というものを自分のなかの批判的・理性的な要素と同一視するのである。自分の行為の生みだすさまざまな結果は問題とはなりえない。なぜなら、それは自分の統制下にはないものだから。ただ自分の動機だけが統御できるものなのだ。これは世間を無視し、人間や事物をつなぐ鎖から離脱した孤立的な思想家の信条である。このような形においては、この学説はまず第一義的に倫理的信条であって、政治的信条ではぜんぜんないと見られるかもしれない。ところが、それの政治との連関は明々白々なのであって、自由主義的個人主義の伝統のなかには、少なくとも自由の「消極的」概念と同じくらいに、深く浸透しているのである。』
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
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