
本日のキーワード : 功利主義、自由
功利主義(こうりしゅぎ)またはユーティリタリアニズム(英: utilitarianism)は、行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする考え方である。帰結主義の1つ。「功利主義」という日本語の語感がもたらす誤解を避けるため、「公益主義」や「大福主義」といった訳語を用いることが提案されている。
本日の書物 : 『歴史の教訓 ― 「失敗の本質」と国家戦略』 兼原 信克 新潮社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 80年代に入ると【スターリン、毛沢東、ポルポトなどの暴虐】が西側にも広く知られ始め、【共産主義】は【イデオロギーとしての輝きを失っていく】。
【共産主義体制】は【全体主義体制であり】、【政府は国民を代表せず】、【逆に国民の思想の自由、良心の自由までも奪う】。
<報道ステーション>日本学術会議のあり方 見直すべき64% 見直すべきと思わない13% 「見直すべきと思わない」が多いようなグラフだと見まがうと話題に~ネットの反応「セコイww」 https://t.co/TdQG0H66P5
— アノニマス ポスト ニュースとネットの反応 (@anonymous_post2) October 19, 2020
門田隆祥「日本学術会議は政治的に偏った人達が集まってスタートした組織で、当時の学術会議は昭和25年に“元号廃止申入れ”や“昭和天皇が亡くなれば天皇主権から人民主権に変れば元号は民主国家に相応しくない”と決議をしてる」
— Dappi (@dappi2019) October 26, 2020
共産党と同じで天皇・元号廃止を主張。
学術会議はこういうルーツの団体 pic.twitter.com/O2ovpkgb7W
ほとんどの学者は、どうせ推薦されるはずなく、まして会員なんて雲の上。どんなプロセスで推薦されているか知らない。かつては選挙で、学者はIDがあるので今でもネットを使えば選挙も簡単のはず https://t.co/HdkM5DFU4r
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) October 31, 2020
【人間やその思想を「改造」出来ると信じたイデオロギー的独裁体制】は、【ソ連、中国、カンボジアを始めとして、多くの国で何千万もの命を飲み込んだ】。もとより【犠牲になったのは】戦闘員ではなく、【無辜(むこ)の民】である。【人道に対する罪】、【ジェノサイド】もあった。毛沢東の大躍進は千万単位の餓死者を生んだ。ポルポトは、知識人というだけで市民を虐殺した。…
また97年のソ連によるアフガニスタン侵攻は、ソ連が地政学的な拡張を図る膨張勢力であるとの印象を世界中に広げた。レーガン米大統領、サッチャー英首相が登場してソ連に強烈に対抗するようになり、新冷戦と呼ばれる米ソ対決最後の十年間に入る。中曽根総理はこの時、日本は「西側の一員である」と断言して、その立ち位置を明確にした。…
竹田恒泰「ひたすら周辺を侵すのが中国の本能で理性で歯止めが効かない。誰のものとか歴史は関係なく、既成事実を作って侵す。だから東シナ・南シナ・ブータン・チベット・ウイグル・内モンゴルなどを侵すなど節操がない」
— Dappi (@dappi2019) November 2, 2020
過去最多の尖閣侵入してる中国は他国侵略をためらう国ではない認識すべき pic.twitter.com/GUu63vVzwU
長い停滞に苦しんでいた【ソ連の内側】から【自由を求める声】が噴出し、1991年、ほとんど立ち枯れていた【ソ連邦はあっけなく崩壊】した。』

ニュー・エコノミクスとネオ・リベラリズム
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、平成25年(2013年)に、戦後初めて、「国家戦略」を策定する仕組みが誕生した我が国の歴史を、明治から昭和にかけて振り返りつつ、「国家戦略」というものが一体どういったものであるべきか、また、それが如何に重要であるかを解説されている良書で、大日本帝国が滅亡した理由も、「国家戦略」というものが存在していなかったからだということが明らかにされる、お薦めの書物になります

それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。
(死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)
※( )内は前回の数値

☆Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE
アメリカ : 231,227(230,811)÷9,247,036(9,170,430)=0.0250・・・(0.0251) 「2.50%(2.51%)」

イタリア : 39,059(38,826)÷731,588(709,335)=0.0533・・・(0.0547) 「5.33%(5.47%)」

日本 : 1,787(1,775)÷102,427(101,941)=0.0174・・・(0.0174) 「1.74%(1.74%)」

竹田恒泰氏「バイデンは幼女趣味のエロ爺。つくづく民主主義の限界を感じた。米国は3億人いて、他に人はいなかったのか?」
— take5 (@akasayiigaremus) November 2, 2020
田北真樹子氏「C国だってそう。13億人いてアレですよ」
竹田氏「C国は選挙で選ばれてないが、米国は選挙で選び、それで渾身の一滴があのクソ爺だから、米国どうなってるの?」 pic.twitter.com/lG6DEnGkV6
選挙間近のワシントンDC
— 我那覇真子 (@ganaha_masako) November 2, 2020
ホワイトハウス裏の通りはBLMstreetとなっておりフェンスは写真や抗議のプラカードで一杯です。 pic.twitter.com/JuEdbfSRJZ

さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスのユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら、現代においても“辛うじて”生き残っていますが、
イギリス労働党は反ユダヤ主義を理由にコービン氏の党員資格停止。メディアの皆さんが昨年、次に英首相になるのはコービンだと言い続けてきたことを私は忘れない。なおコービンはハマスとヒズボラを「友達」と呼び、両者に篤く支援されてきた親イスラム過激派でもある。https://t.co/c6NUmm42Xe
— 飯山陽 Dr. Akari IIYAMA (@IiyamaAkari) October 30, 2020

デヴィッド・ハーヴェイ

例えば、デヴィッド・ハーヴェイはマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、
☆官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?
以前にも書かせて頂きましたが(→☆「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした、自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが、「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイが定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」は「マルクス主義」から生じているものであり(→☆日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うと、レフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→☆“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→☆現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

そこで、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない、本来の「新自由主義」を考える場合に、よく比較対象にされる「ケインズ主義」について、現在次の論文で、「ケインズ主義」の変遷を確認しているところになります。

☆『ケインズ主義政策戦略の変転』 野口 旭
また、参考書として、次の書物もお勧めさせて頂きます。


それでは早速、続きを見て参りましょう。
『 3.財政主導ケインズ主義の歴史的意義と問題点
(3)財政主導ケインズ主義の黄昏
マクロ経済安定化の手段を財政政策に求める財政主導ケインズ主義が現実の政策世界においてその黄金期を迎えたのは、1960年代のことである。1961年に誕生した民主党ケネディ政権では、ジェームズ・トービンやロバート・ソローといった、当時のケインズ派を先導する経済学者たちが、政策アドバイザーとして活躍した。彼らが主導した政策プログラムは、その政策目標が「完全雇用の達成」に置かれていた点で、まさにケインズ主義そのものであった。そして、その目標達成のための主要な手段として位置付けられていたのは、当然ながら財政政策であった。こうした経済政策論は当時、「ニュー・エコノミクス」と呼ばれていた。
Kamala Harris again vows to get rid of Trump's tax cuts if elected https://t.co/1hHWlsUuH0 pic.twitter.com/jPn9e3WeNP
— New York Post (@nypost) November 2, 2020
ちなみに、ケネディ政権が実際に用いた財政政策の手段は所得税減税であった。これが、ケネディ政権によって準備され、ケネディ死後の1964年に成立した、いわゆるケネディ減税である。実は、ケネディ政権の政策アドバイザーであったケインズ派経済学者の多くは、景気回復のためには減税よりも財政出動の方が望ましいとケネディに助言していた。しかし、最高税率が91%にも達していた当時のアメリカの所得税率は高すぎると考えていたケネディが実際に選択したのは、減税政策の方だったのである。
面白いw「あなたが私を選ぶなら、あなたの税金は減税されるのではなく、引き上げられるでしょう。」 https://t.co/MkKcQZ2wYM
— 渡邉哲也 (@daitojimari) November 1, 2020
マクロ安定化の手段をもっぱら財政政策に求めるこのケインズ主義の政策戦略は、この時期を最後に、政策世界から急速に姿を消していくことになる。それは直接的には、反ケインズ主義としてのマネタリズムが、先進国経済に進行した1960年代末からの高インフレと1970年代以降のスタグフレーションを背景として、ケインズ主義を駆逐しつつ学界および政策世界に浸透していったことによる。1980年前後には、イギリスにサッチャー政権が、そしてアメリカにレーガン政権が相次いで誕生した。それは、マクロの領域におけるマネタリズムとミクロの領域におけるネオ・リベラリズムが現実の政策世界にまで浸透したという意味で、経済政策の歴史における一大転換点といえるものあった。』

ここで、漸(ようや)く、「ネオ・リベラリズム」、すなわち「新自由主義」が登場してきましたが、財政主導ケインズ主義政策の下で、「既得権益」として恩恵を享受していた連中のなかで、“自由主義再生の潮流”である「新自由主義」を掲げて、さまざまな「規制改革」、「既得権益の打破」を推進するサッチャー政権・レーガン政権の動きにうまく乗れなかった輩が、それまでの「全体主義的・社会主義的」な古き良き時代を(尤も、彼らにとっての、ですがw)擁護するべく、「新自由主義は弱者切り捨てダーッ!、新自由主義ガーッ!、ハイエクガーッ!」って、虚偽の解釈によるレッテル貼りをしたのが、

デヴィッド・ハーヴェイが定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」で、繰り返しますが、これは「マルクス主義」から生じているものになります(笑)

デヴィッド・ハーヴェイ

それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)と「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。


アイザイア・バーリン

『 二つの自由概念
内なる砦への退却
・・・もしも人間の本質が人間が自律的存在たるところ ―― 諸価値の作者、目的それ自身の設定者、そしてそれらの価値ないし目的の究極的権威はまさしくそれらが自由な意志によって意志されるという事実に存する ―― にあるとするならば、なによりも悪いことは、人間を自律的存在ではなく、原因として働くさまざまな諸影響によってもてあそばれる自然物として取扱うこと、つまり、外的な刺激のままに動かされ、その選択もかれらの支配者によって ―― 暴力の威嚇によるにせよ褒賞の提供によるにせよ ―― 操作されうるような、そういう被造物 〔 人間 〕 として取扱うことである。人間をこのように扱うということは、あたかも人間が自己決定的なものでないかのごとくに扱うことである。「なんびともわたくしに、そのひとの流儀でわたくしが幸福であることを強いることはできぬ」と、カントは言った。「温情的干渉主義( パターナリズム / paternalism )は想像しうるかぎり最大の専制主義である」。なぜなら、それは人間を自由なものとしてではなく、自分にとっての材料 ―― 人間という材料 [ human material ] ―― であるかのごとく取扱うことであるから。温情に満ちた改革者は、他の人間のではなく、自分自身の自由意志で採用した目的にしたがって、そのひとびとを型にはめようとするのである。』
ここで述べられていることは、著名な「反ユダヤ主義者」であり、同じく「反ユダヤ主義者」で有名なカール・マルクスに影響を与えた人物であるプロイセン王国(ドイツ)の哲学者イマヌエル・カントのようなひとびとが考える「自由」に沿ったものであり、その先には何があるのかということをバーリンが説明しているところになります。
《 カントのようなひとびとが考える「自由」 》
「自由」 ≠ 「欲望の除去」
「自由」 = 「欲望への抵抗」 または 「欲望の支配」 (自律的存在)

イマヌエル・カント
『 ところで、いうまでもなくこれは、まさしく初期の功利主義者たちが勧めたところの政策であった。エルヴェシウス(およびベンタム)は、人間がその情念の奴隷となる傾向性に抵抗するのではなく、これを利用するのがよいと考えた。もしその方法によって「奴隷」が幸福にされうるものならば、褒賞なり懲罰なりを鼻先にぶらさげて誘惑したらよい ―― これは他律性なるもののおよそいちばん極端な形態である ―― としたのである。

クロード=アドリアン・エルヴェシウス

ジェレミ・ベンサム
しかしながら、人間を操作し、社会改革者だけには見えてもそのひとたちには見えない目標へと人間を押しやることは、かれらの人間的本質を否定し、かれらを自分自身の意志をもたぬ対象物として扱うことであり、したがってまたかれらの人間としての品位をけがすことになる。このゆえに、ひとに嘘をつくこと、あるいはひとをだますこと、すなわち、ひとをかれら自身のではなく、わたくしの独立に思い描いた目的のための手段として利用する ―― たとえそれがかれら自身のためであるにしても ―― ことは、事実上、かれらを人間以下のものとして扱うことであり、かれらの目的がわたくしの思い描いた目的よりも究極性・神聖性においてはるかに劣るものであるかのように振る舞うことになるわけである。かれらが意志せず、また同意しなかったことをやらせるように強制することを、わたくしはいったいなにものの名において正当化することができるのだろうか。それは、かれら自身よりも高いところにあるなにかの価値の名においてのみである。』
つまり、「なんびともわたくしに、そのひとの流儀でわたくしが幸福であることを強いることはできぬ」、「温情的干渉主義( パターナリズム / paternalism )は想像しうるかぎり最大の専制主義である」とカントは言ったわけですが、この考え方を一旦認めて先へと進めると、「かれらが意志せず、また同意しなかったことをやらせるように強制すること」をどのように正当化できるか、という疑問が生じることになるとバーリンは語っているわけです。そして、もし、正当化しうるものがあるとするならば、それは「かれら自身よりも高いところにあるなにかの価値の名においてのみ」ということになるのではないか、と言っているわけです。
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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