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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  日本 >  ソ連崩壊をトレースしている中国共産党

    ソ連崩壊をトレースしている中国共産党

    トレース

    本日のキーワード : 功利主義、自由



    功利主義(こうりしゅぎ)またはユーティリタリアニズム(英: utilitarianism)は、行為や制度の社会的な望ましさはその結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする考え方である。帰結主義の1つ「功利主義」という日本語の語感がもたらす誤解を避けるため「公益主義」や「大福主義」といった訳語を用いることが提案されている

    本日の書物 : 『歴史の教訓 ― 「失敗の本質」と国家戦略』 兼原 信克 新潮社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 80年代に入ると【スターリン、毛沢東、ポルポトなどの暴虐】西側にも広く知られ始め【共産主義】【イデオロギーとしての輝きを失っていく】



    【共産主義体制】【全体主義体制であり】【政府は国民を代表せず】【逆に国民の思想の自由、良心の自由までも奪う】








    【人間やその思想を「改造」出来ると信じたイデオロギー的独裁体制】は、【ソ連、中国、カンボジアを始めとして、多くの国で何千万もの命を飲み込んだ】。もとより【犠牲になったのは】戦闘員ではなく【無辜(むこ)の民】である【人道に対する罪】【ジェノサイド】もあった毛沢東の大躍進千万単位の餓死者を生んだポルポトは知識人というだけで市民を虐殺した。…

     また97年のソ連によるアフガニスタン侵攻は、ソ連が地政学的な拡張を図る膨張勢力であるとの印象世界中に広げた。レーガン米大統領、サッチャー英首相が登場してソ連に強烈に対抗するようになり、新冷戦と呼ばれる米ソ対決最後の十年間に入る。中曽根総理はこの時、日本は「西側の一員である」と断言して、その立ち位置を明確にした。…


     長い停滞に苦しんでいた【ソ連の内側】から【自由を求める声】が噴出し、1991年、ほとんど立ち枯れていた【ソ連邦はあっけなく崩壊】した。』

    日の丸

    ニュー・エコノミクスとネオ・リベラリズム


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、平成25年(2013年)に、戦後初めて「国家戦略」を策定する仕組みが誕生した我が国歴史を、明治から昭和にかけて振り返りつつ、「国家戦略」というものが一体どういったものであるべきか、また、それが如何に重要であるか解説されている良書で、大日本帝国が滅亡した理由も、「国家戦略」というものが存在していなかったからだということが明らかにされるお薦めの書物になります

    読書 10-142

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    jjhplazzz.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 231,227(230,811)÷9,247,036(9,170,430)=0.0250・・・(0.0251) 「2.50%(2.51%)」
    jjhplazzz1.jpg

    イタリア : 39,059(38,826)÷731,588(709,335)=0.0533・・・(0.0547) 「5.33%(5.47%)」
    jjhplazzz2.jpg

    日本 : 1,787(1,775)÷102,427(101,941)=0.0174・・・(0.0174) 「1.74%(1.74%)」
    jjhplazzz3.jpg




















    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、カール・マルクスユダヤ人に対する偏見・ヘイトから生じたイデオロギーである「マルクス主義」は、その後も表向きの形を変ながら現代においても“辛うじて”生き残っていますが、


    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    例えば、デヴィッド・ハーヴェイマルクス主義の地理学者で、いわゆる「新自由主義」を誤った解釈に基づいて批判した人物で、

    官僚たちが、民間企業の活動をあれこれと指図する「規制」は、本当に必要ですか?


    以前にも書かせて頂きましたが(→「新自由主義」の本質が理解できない人々の主張 → 「弱肉強食」「大きな政府から小さな政府への展開」「ハイエクガー」)、「全体主義の脅威」を目前にした自由主義体制側の“自由主義再生の潮流”こそが「新自由主義」と呼ばれるもので、それは「国家の法的介入」に関心を寄せた自由主義体制側の変革になります。このデヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」「マルクス主義」から生じているものであり(→日本の官僚たちの理想は、「行政国家」です! ~ 「官僚の、官僚による、官僚のための政治の実現」)、より正確に言うとレフ・トロツキーが批判していたものと同じであり(→“自由全体主義” ~ 新自由主義(ネオリベラリズム)のはじまり )、トロツキー以後の西欧の「トロツキー主義左翼(反スターリン主義的マルクス主義者)」がほぼ共有する考え方になります(→現代の“ハルマゲドン” ~ 「おパヨク」 V.S. 「自由」)。

    女性 ポイント ひとつ

    そこで、「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」ではない本来の「新自由主義」を考える場合に、よく比較対象にされる「ケインズ主義」について、現在次の論文で、「ケインズ主義」の変遷を確認しているところになります。

    kedjhfug.jpg
    『ケインズ主義政策戦略の変転』 野口 旭

    また、参考書として、次の書物もお勧めさせて頂きます。

    世界は危機を克服する:ケインズ主義2・0 2

    世界は危機を克服する:ケインズ主義2・0 

    それでは早速、続きを見て参りましょう。

    『 3.財政主導ケインズ主義の歴史的意義と問題点

    (3)財政主導ケインズ主義の黄昏

     マクロ経済安定化の手段を財政政策に求める財政主導ケインズ主義が現実の政策世界においてその黄金期を迎えたのは、1960年代のことである。1961年に誕生した民主党ケネディ政権では、ジェームズ・トービンやロバート・ソローといった、当時のケインズ派を先導する経済学者たちが政策アドバイザーとして活躍した。彼らが主導した政策プログラムは、その政策目標「完全雇用の達成」に置かれていた点で、まさにケインズ主義そのものであった。そして、その目標達成のための主要な手段として位置付けられていたのは、当然ながら財政政策であった。こうした経済政策論は当時、「ニュー・エコノミクス」と呼ばれていた。



     ちなみにケネディ政権実際に用いた財政政策の手段所得税減税であった。これが、ケネディ政権によって準備され、ケネディ死後の1964年に成立した、いわゆるケネディ減税である。実は、ケネディ政権の政策アドバイザーであったケインズ派経済学者の多くは、景気回復のためには減税よりも財政出動の方が望ましいとケネディに助言していた。しかし、最高税率が91%にも達していた当時のアメリカの所得税率は高すぎると考えていたケネディが実際に選択したのは減税政策の方だったのである。


     マクロ安定化の手段をもっぱら財政政策に求めるこのケインズ主義の政策戦略はこの時期を最後に政策世界から急速に姿を消していくことになる。それは直接的には、反ケインズ主義としてのマネタリズムが先進国経済に進行した1960年代末からの高インフレと1970年代以降のスタグフレーションを背景としてケインズ主義を駆逐しつつ学界および政策世界に浸透していったことによる。1980年前後にはイギリスにサッチャー政権が、そしてアメリカにレーガン政権相次いで誕生した。それは、マクロの領域におけるマネタリズムミクロの領域におけるネオ・リベラリズム現実の政策世界にまで浸透したという意味で、経済政策の歴史における一大転換点といえるものあった。』

    資本主義・社会主義11

    ここで、漸(ようや)く、「ネオ・リベラリズム」、すなわち「新自由主義」が登場してきましたが、財政主導ケインズ主義政策の下で、「既得権益」として恩恵を享受していた連中のなかで、“自由主義再生の潮流”である「新自由主義」を掲げてさまざまな「規制改革」「既得権益の打破」を推進するサッチャー政権・レーガン政権の動きうまく乗れなかった輩が、それまでの「全体主義的・社会主義的」な古き良き時代を(尤も、彼らにとっての、ですがw)擁護するべく「新自由主義は弱者切り捨てダーッ!、新自由主義ガーッ!、ハイエクガーッ!」って虚偽の解釈によるレッテル貼りをしたのが

    サッチャー 3

    デヴィッド・ハーヴェイ定義するところの「デヴィッド・ハーヴェイの新自由主義」で、繰り返しますが、これ「マルクス主義」から生じているものになります(笑)

    デヴィッド・ハーヴェイ
    デヴィッド・ハーヴェイ

    新自由主義―その歴史的展開と現在 

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

    timeline_20201016_192542.jpg

    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    『 二つの自由概念

    内なる砦への退却

     ・・・もしも人間の本質人間が自律的存在たるところ ―― 諸価値の作者、目的それ自身の設定者、そしてそれらの価値ないし目的の究極的権威はまさしくそれらが自由な意志によって意志されるという事実に存する ―― にあるとするならばなによりも悪いことは人間を自律的存在ではなく、原因として働くさまざまな諸影響によってもてあそばれる自然物として取扱うこと、つまり、外的な刺激のままに動かされ、その選択もかれらの支配者によって ―― 暴力の威嚇によるにせよ褒賞の提供によるにせよ ―― 操作されうるようなそういう被造物 〔 人間 〕 として取扱うことである。人間をこのように扱うということは、あたかも人間が自己決定的なものでないかのごとくに扱うことである。「なんびともわたくしに、そのひとの流儀でわたくしが幸福であることを強いることはできぬ」と、カントは言った「温情的干渉主義( パターナリズム / paternalism )は想像しうるかぎり最大の専制主義である」なぜならそれは人間を自由なものとしてではなく自分にとっての材料 ―― 人間という材料 [ human material ] ―― であるかのごとく取扱うことであるから温情に満ちた改革者は他の人間のではなく自分自身の自由意志で採用した目的にしたがってそのひとびとを型にはめようとするのである。』


    ここで述べられていることは、著名な「反ユダヤ主義者」であり同じく「反ユダヤ主義者」で有名なカール・マルクスに影響を与えた人物であるプロイセン王国(ドイツ)の哲学者イマヌエル・カントのようなひとびとが考える「自由」に沿ったものであり、その先には何があるのかということをバーリンが説明しているところになります。

    《 カントのようなひとびとが考える「自由」 》

    「自由」 ≠ 「欲望の除去」

    「自由」 = 「欲望への抵抗」 または 「欲望の支配」 (自律的存在)


    イマヌエル・カント
    イマヌエル・カント

    『 ところで、いうまでもなくこれは、まさしく初期の功利主義者たちが勧めたところの政策であった。エルヴェシウス(およびベンタム)は、人間がその情念の奴隷となる傾向性に抵抗するのではなくこれを利用するのがよいと考えた。もしその方法によって「奴隷」が幸福にされうるものならば、褒賞なり懲罰なりを鼻先にぶらさげて誘惑したらよい ―― これは他律性なるもののおよそいちばん極端な形態である ―― としたのである。

    クロード=アドリアン・エルヴェシウス
    クロード=アドリアン・エルヴェシウス

    ジェレミ・ベンサム
    ジェレミ・ベンサム

    しかしながら、人間を操作し社会改革者だけには見えてもそのひとたちには見えない目標へと人間を押しやることはかれらの人間的本質を否定しかれらを自分自身の意志をもたぬ対象物として扱うことであり、したがってまたかれらの人間としての品位をけがすことになるこのゆえにひとに嘘をつくこと、あるいはひとをだますこと、すなわち、ひとをかれら自身のではなくわたくしの独立に思い描いた目的のための手段として利用する ―― たとえそれがかれら自身のためであるにしても ―― ことは、事実上、かれらを人間以下のものとして扱うことでありかれらの目的がわたくしの思い描いた目的よりも究極性・神聖性においてはるかに劣るものであるかのように振る舞うことになるわけである。かれらが意志せずまた同意しなかったことやらせるように強制することを、わたくしはいったいなにものの名において正当化することができるのだろうかそれはかれら自身よりも高いところにあるなにかの価値の名においてのみである。』

    つまり、「なんびともわたくしに、そのひとの流儀でわたくしが幸福であることを強いることはできぬ」「温情的干渉主義( パターナリズム / paternalism )は想像しうるかぎり最大の専制主義である」カントは言ったわけですが、この考え方を一旦認めて先へと進めると「かれらが意志せず、また同意しなかったことをやらせるように強制すること」をどのように正当化できるかという疑問が生じることになるとバーリンは語っているわけです。そしてもし正当化しうるものがあるとするならばそれは「かれら自身よりも高いところにあるなにかの価値の名においてのみ」ということになるのではないかと言っているわけです。

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。





    続きは次回に♥




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