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    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  世界史 >  「日本学術会議」の欲望 ~ “へ”の自由( freedom to )という「積極的自由」

    「日本学術会議」の欲望 ~ “へ”の自由( freedom to )という「積極的自由」

    バルバロッサ作戦

    本日のキーワード : バルバロッサ作戦、言論の自由



    バルバロッサ作戦(バルバロッサさくせん、ドイツ語: Unternehmen Barbarossa ウンターネーメン・バルバロッサ、英語: Operation Barbarossa)は、第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始されたドイツ国によるソビエト連邦奇襲攻撃作戦の秘匿名称である。今日では独ソ戦序盤の戦闘の総称とされる場合もある。枢軸国以外にも、親枢軸のスペインやフランス国(ヴィシー政権)が派兵している。



    本日の書物 : 『ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史』 山内智恵子 ワニブックス



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 ドイツでもNKVDから新たに送り込まれた機関員がグダグダでしたが、経済省やドイツ軍情報部に食い込んでいた地元ドイツの工作員たちは、駐在所再開翌年の1941年【ヒトラーのバルバロッサ作戦計画】掴みます【ソ連に対する奇襲計画】です。

     世界各地でソ連の諜報網が掴んだドイツのソ連攻撃計画に関する警戒情報は、のちにKGBの歴史家が集計したところ、1941年1月1日からドイツの奇襲攻撃前日の6月21日までの間に100件以上あったそうです。【日本からも赤軍情報部非合法諜報員のゾルゲが正確な報告をしています】

    ゾルゲ事件

    大粛清を行い、自国民への殺戮を行ったヨシフ・スターリン
    大粛清を行い、自国民への殺戮を行ったヨシフ・スターリン

     ところが【スターリン】【正しい情報を上げてきた人たちを誹謗中傷するばかり】で、【頑として受け入れようとしません】でした。

    女性 ポイント これ

    【こんな状態が続けば、下は上が喜ぶ情報しか上げなくなるので、どんなに優秀な諜報員や工作員がいても意味がありません】。ソ連解体前の最後のKGB第一総局長によると、上が喜ぶように阿(おもね)った情報ではなく率直な報告ができるようになったのはなんとゴルバチョフが「グラスノスチ」を導入してからだそうです。

    驚き 2

     【言論の自由が尊重されない社会では、どんなに強力な諜報組織も機能しなくなるのです】【全体主義国家の宿命】だと思います。

    ポイント

     【スターリン】は、あくまでも【イギリスを警戒】し、「ドイツがソ連を攻撃する」という情報【すべてチャーチルの偽情報作戦だと信じて疑いませんでした】

     【ドイツ】【スターリンの思い込みを利用】し、【「ドイツがソ連を攻撃しようとしているという噂はイギリスの偽情報作戦だ」と宣伝】しました。』

    日の丸

    [ freedom from ] or [ freedom to ]


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、現在進められている現代史の見直しのうえで欠かせない全体主義国家の旧ソ連の対外工作を解明する、重要な史料のひとつである「ミトロヒン文書」について、その内容を分かりやすく平易な文体で紹介して下さる良書であるとともに、ソ連と同様現代の全体主義国家の中華人民共和国を支配する中国共産党の対外工作をイメージすることができる御薦めの書物となります。

    読書 10-123

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

    jkbfsvx.jpg
    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 222,663(220,649)÷8,378,377(8,243,223)=0.0265・・・(0.0267) 「2.65%(2.67%)」
    jkbfsvx1.jpg

    イタリア : 36,968(36,705)÷465,726(434,449)=0.0793・・・(0.0844) 「7.93%(8.44%)」
    jkbfsvx2.jpg

    日本 : 1,697(1,679)÷95,125(93,890)=0.0178・・・(0.0178) 「1.78%(1.78%)」
    jkbfsvx3.jpg















    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、昨日の続きになりますが、これまでのところで(→社会の平和度を高めるために必要なものは?)、今回の「武漢肺炎(COVID-19)禍」の騒動をきっかけとして、根拠の無い妄想を繰り広げる「おパヨク」を例に挙げながら、他方で、キリスト教世界である西洋社会の根底にある、1000年以上の歴史を誇る「反ユダヤ主義」の伝統を受け継いだ2人の正真正銘の「反ユダヤ主義者」「社会主義者」でもあった、ヒトラーマルクスについて触れさせて頂いたうえで、

    ヒトラーとマルクス

    ヘーゲルを誤解・曲解した挙句それまでに培われてきた西欧民主主義を否定・断絶する形「マルクス主義」を生み出し、やがて生じる「プロレタリアート」なる架空の階層による「暴力的革命」正当化する理論的根拠(←もちろん、デタラメな理論でしかないのですがw)を与えた重罪人であるカール・マルクスに、その後も連綿と連なり現代に至る大まかな流れについて、論文のご紹介を交えながら書かせて頂きました



    で、今どきマルクス主義を強調するような「おバカ」な国家主席居ちゃったりする有様なので、



    マルクスと同じく「反ユダヤ主義」著名ドイツの哲学者ナチス党員でもあったマルティン・ハイデッガーその弟子たち(“ポリコレの父”であるフランクフルト学派のマルクーゼを含む)の「危険な哲学」、すなわち左翼リベラル(自称リベラルで中身はコミュニタリアン)が大好きな「共同体主義(コミュニタリアリズム)」という幻想についても確認してきました。

    ハイデガーとナチズム 

    ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ 

    そして、以上のことを踏まえた上で、マルクス主義の“致命的な間違い・勘違い”がどこにあったのか(すでに過去の遺物でしかないために過去形で表現させて頂いておりますw)を御理解頂くために、次の論文をご紹介させて頂いているところになります。

    これ 女性

    マルクス主義と希少性
    『マルクス主義と稀少性』堀川哲



    それでは、昨日の続きを見て参りましょう。

    社会の平和度

    社会の平和度2

    1875年のマルクス
    1875年のマルクス

    『 政治の領分

     近代資本主義社会批判するのが本質的に難しい社会である。財の分配身分や政治的暴力にもとづいてなされるようなシステム批判することは(近代思想の観点からは)容易である封建貴族の大きな富にたいしてそれは不正であるそれは我々の正義感覚に反していると言うことはできるしかし資本家や起業家の獲得した大いなる富(たとえばビル・ゲイツの富)にたいしてそれは不正であるというのは難しい。ビル・ゲイツが市場競争において不正行為をしていたのであればともかく、そうでなければ彼の富は公正な競争の結果である。彼の才能と勤勉と幸運が彼に富を選んだのである。我々はおなじゲームの規則で競争しているだからその結果として所得と権力の不等が生まれるとしても勝者の富を「不正だ」と非難することはできないおなじ規則で野球をするかぎり勝者を非難することはできないのとおなじである。




     政治権力についても近代の政治権力を「不正である、正義に反する」と非難することは不可能である。我々を支配する政治権力我々の合意で選ばれたものである誰が・どのように我々を支配するかそれを決めたのは我々自身であるしかし中国共産党や朝鮮労働党の政治権力にたいしては「それは不正だ」ということは容易である彼らの権力は民衆の合意を媒介にしていないからである。


     こうして近代資本主義のシステムは、経済的にも政治的にもゲームの規則からみれば非難不可能なものとしてある。しかし、ある状態が不正でないと言えるのは、それが規則にしたがった行動の結果であるからである。「不正ではない」とは、「規則にしたがっている」という意味である。では、規則それ自体の正・不正はなにによって判定されるのかと問えば、それは我々の共同主観(社会常識)であるというほかはない。貴族の富が「不正である」と我々が言うとき、そう言えるのは我々がある種のゲームの規則(近代的な正義観)を共有しているからである。そしてこの場合、我々が共有しているゲームの規則自体の当否を問うことは、ゲームの規則の守備範囲を超える問題である規則は規則自体の正当性を保証しないからである。

     したがって、ある種のゲームの規則を遵守した結果として好ましくない(とみなが同意できる)社会状態( x )が生まれるとすればその状態 x (たとえば貧富の大きな格差)を放置できないという共通感覚が生まれ我々はゲームの規則を修正することになろう。我々がゲームの規則を作り直す作業をはじめるこれが政治の仕事であり、政治の存在理由はまさにここにある。経済は法の内部で運動するが法の枠組みを決めるのは政治の仕事である。』




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    アイザイア・バーリン
    アイザイア・バーリン

    自由論【新装版】 

    それでは本日の最後になりますが、昨日に続きまして、アイザイア・バーリンが提唱した「消極的自由」(~からの自由)「積極的自由」(~への自由)について語った、1958年10月31日にオックスフォード大学での就任講演の内容を御紹介させて頂きたいと思います。

    『 二つの自由概念

    「消極的」自由の概念

    ふつうには、他人によって自分の活動が干渉されない程度に応じてわたくしは自由だといわれる。この意味における政治的自由とは、たんにあるひとがそのひとのしたいことをすることのできる範囲のことである。もしわたくしが自分のしたいことを他人に妨げられればその程度にわたくしは自由ではないわけだし、またもし自分のしたいことのできる範囲ある最小限程度以上に他人によって狭(せば)められたならばわたくしは強制されている、あるいはおそらく隷従させられている、ということができる。


    フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク
    フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク

    隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 

    しかしながら強制とはすることのできぬ状態[ inability ]のすべてにあてはまる言葉ではない。わたくしは空中に10フィート以上飛び上がることはできないとか盲目だからものを読むことができないとか、あるいはヘーゲルの晦渋(かいじゅう)な文章を理解することができないとかいう場合に、わたくしがその程度にまでは隷従させられているとか強制されているとかいうのは的はずれであろう。』






    『・・・自治制度他の体制よりも全体として市民的自由の護持をよりよく保証するであろうし、実際にそのようなものとして自由主義者たちに擁護されてきたけれども個人の自由デモクラシーによる統治とのあいだにはなにも必然的な連関があるわけではない「だれがわたくしを統治するか」との問いに対する答えは、「政府がどれほどわたくしに干渉するか」という問いとは論理的にはっきりと区別される。』


    現在行われている米大統領選挙で例えるのであれば、「だれがわたくしを統治するか」との問いは、トランプ・共和党を選ぶのかそれとも“変態、ロリコン、髪の毛クンクン野郎のバイデン”・民主党を選ぶのかという問いであり、「政府がどれほどわたくしに干渉するか」という問いは、規制緩和を続けてきたトランプ・共和党、あるいは、増税を掲げ、石油産業を壊滅させる気満々でさらにかつて失敗した政策であるニューディール政策モドキを掲げるバイデン・民主党政府が、如何に個々(それが人であれ企業であれ)の自由な権利に対して干渉をするか、とういう問いになります。



    『結局のところ、消極的自由積極的自由という二つの概念のあいだの大きなコントラストは、この区別のなかにあるのである。というのは、自由の「積極的」な意味は、「わたくしはなにをする自由が、あるいはなんである自由があるか」という問いにではなく「わたくしがだれによって統治されているか」または「わたくしがなんであるべきか、なにをなすべきか、なんであるべきでないか、なにをなすべきでないか、ということをだれがいうことができるのか」という問いに答えようとするときに明らかになってくるものなのだ。』








    デモクラシー〔民主主義〕個人の自由との連関は、その二つを主張する多くのひとたちの考えているよりもはるかにかぼそいものでしかない自分自身によって統治されることを欲する、あるいはとにかく自分の生活が統制される過程に参画したいと願う気持ちは、行動の自由な範囲を求める願望と同じく深い願望であり、そしておそらく歴史的にはそれ以上に古いものであるだろう。しかしそれこれとは同じものを求めているのではない。』


    『実際、その二つのあいだの相違たいへんなものであって、そこからついに今日世界を支配しているイデオロギーの大衝突がもたらされたほどの相違なのである。というのは、「消極的」自由観の信奉者たち時として残忍な圧制のもっとももらしい偽装にすぎぬと主張しているものは、まさしくこれ ―― 自由の積極的概念つまり“から”の自由 [ freedom from ] ではなく“へ”の自由 [ freedom to ] ―― であるのだから。』

    ポイント 女性

    二つの自由の概念の大きな違いが御理解頂けましたでしょうか?

    ちなみに、アメリカ共和党は、“から”の自由 [ freedom from ]の側で、アメリカ民主党は、“へ”の自由 [ freedom to ]の側で、「日本学術会議」も「ナチス・ドイツ」も「スターリン・ソ連」も「中国共産党」も「北朝鮮労働党」も“へ”の自由 [ freedom to ]の側になります(笑)

    女性 ポイント 10

    資本主義・社会主義11

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。






    続きは次回に♥




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