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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  科学・数学 >  リベラルの「自由主義」 V.S. 左翼リベラル(自称リベラル)の「全体主義」

    リベラルの「自由主義」 V.S. 左翼リベラル(自称リベラル)の「全体主義」

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    本日のキーワード : 寛容、リベラル、リベラリズム



    寛容(かんよう、英: toleration)とは自分と異なる意見・宗教を持っていたり異なる民族の人々に対して一定の理解を示し許容する態度のこと

    日本語の「寛容」は明治になって翻訳された語で、英語"Tolerance"の語源はendurancefortitude で、もともとは「耐える」「我慢する」という意味をもつ言葉である。次第に「相手を受け入れる」の意味をも含むようになったが無条件に相手を受け入れるというより自分の機軸にあったものだけを許す、という意味あいが強い

    現在使われている「寛容」(Tolerance)が最初に使用されたのは15世紀で近世ヨーロッパ社会において産み出された概念である

    本日の書物 : 『賢い人ほど騙される 心と脳に仕掛けられた「落とし穴」のすべて』 ロブ・ブラザートン  ダイヤモンド社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 ホーフスタッターが、【陰謀論者】を、【終末論的な妄想をする社会の周辺部にいる変人の小さな集団】としてはっきりと描いたことに刺激されて、その後、実際に陰謀論に魅力を感じる人に妄想癖の傾向があるかどうかを知るために、多くの社会科学の研究が始まった


    リチャード・ホフスタッター
    リチャード・ホフスタッター

    アメリカの反知性主義 



     ホーフスタッターの主張を最初に調べた研究者の1人は、ニュージャージー州のラトガース大学の社会学教授テッド・ゲーツェルだった。1992年、ゲーツェルと研究者のチームはランダムに何百人ものニュージャージー州の住民に電話をして、当時人気のあったいくつかの陰謀論についてどう思うか尋ねた。それから、妄想にふける人の考え方の1つの要素、不信感を評価するための質問をした。友人、家族、近所の人、警察のような権力者をどれだけ信じるかを尋ねた。結果は明らかだった。【自分の周りの人を信じない人ほど、陰謀論を受け入れる傾向】があった。
     
     ほかの科学者も同様の質問をして、同じ傾向があるのを明らかにした。研究者は、妄想にふけることに関連するほかの指標も発見した。【陰謀論を強く信じる人】は、陰謀論を受け入れない人よりも【友好的でなく】【斜に構えていて】【権力に対して反抗的で】【心配性で】【気難しい】。…


    調査結果に疑いの余地がないわけではない。…けれども、【全体として、その傾向はかなり一貫性がある】【概して、陰謀論を信じる人は、陰謀論を疑う人よりも妄想癖を持つ傾向がある】。』

    日の丸

    本当のリベラリズムの考え方


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、「この世界は噓八百」「世界は嘘塗(まみ)れ」「真実(過去・現在・未来)を追求する」などと言って、「おバカ」丸出しの妄想SNS上で繰り広げるような陰謀論者らについて、そんな陰謀論にハマってしまう仕組みとその手口を、最新の科学的知見に基づいて明らかにしている書物で、

    無知なewkefc116

    過去が分かれば自動的に現在が分かりさらには未来まで分かるなどという短絡的な思考(縄文時代が分かれば昭和や令和の時代が分かるし、さらに数千年後の未来も分かるのだそうでw)しか持ちえない「おバカ」な陰謀論者らが、必死になって主にネットでかき集めた情報(?)に基づき無い知恵を絞りに絞って考え出した“陰謀の真相”とやらが、実は本人の意識とは無関係にその脳ミソが勝手に作用することで生み出される“幻想”に過ぎないものであるということが理解できる良書になります。

    読書 10-048

    それでは本日も、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 189,456(189,095)÷6,318,978(6,292,206)=0.0299・・・(0.0300) 「2.99%(3.00%)」
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    イタリア : 35,563(35,553)÷280,153(278,784)=0.1269・・・(0.1275) 「12.69%(12.75%)」
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    日本 : 1,397(1,376)÷72,724(72,211)=0.0192・・・(0.0190) 「1.92%(1.90%)」
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    目に見えぬ侵略 中国のオーストラリア支配計画 

    さて、ここからは昨日の続きになりますが、今回の「武漢肺炎(COVID-19)禍」の騒動の最中に、“ワクチン陰謀論”“ワクチン有害説”などの類の「疑似科学(pseudoscience)」

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    あるいは、「マルクス主義の背後にいるのはユダヤ人」などという珍説を、恥ずかしげもなく主張あるいは妄信する「おバカ(=“デュープス(Dupes)”)」について書かせて頂いているところになります。

    無知なewkefc114

    「無知なるマルキストのewkefc」
    「おバカ」な「おパヨク」という“塵芥”と、ヒトラーの「青写真」

    ポイント

    キリスト教世界である西洋社会の根底には、1000年以上の歴史を誇る「反ユダヤ主義」の伝統があるわけですが、あのマルクス正真正銘の「反ユダヤ主義者」で、その意味で、ヒトラーと同類でした。

    ヒトラーとマルクス

    そんなマルクスは、ヘーゲルの目指していたものを全く理解できず誤解・曲解した挙句それまでに培われてきた西欧民主主義を否定・断絶する形で、

    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
    ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

    「プロレタリアート」なる架空の階層による「暴力的革命」正当化する理論的根拠(←もちろん、デタラメな理論でしかないのですがw)を与えることになるわけですが、それにも関わらず

    これ 女性

    『 マルクス主義の背後にいるのはユダヤ人 』  by ewkefc

    などと戯(たわ)けた珍説を唱える「おバカ」が実在していたり、今どきマルクス主義を強調するような「おバカ」な国家主席が居ちゃったりします(笑)



    で、マルクスと同じく「反ユダヤ主義」著名ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーは、ナチスとの関わりが深かった(ハイデッガー自身がナチス党員でしたw)ことで知られますが、

    マルティン・ハイデッガー
    マルティン・ハイデッガー

    ハイデガーとナチズム 

    そのハイデッガーとその弟子たちの「危険な哲学」について、それが現代にまで脈々と受け継がれているある種の病気(伝染病みたいなモノ)である、ということを御理解頂くために、次の論文をご紹介させて頂いているところになります。

    これ 女性

    『 共同は善である、分離は悪である、と考えるこれ多くの哲学者がかかる病気の徴候である。とりわけ左派系の哲学者はこういう病気にかかりやすい。マルクス主義者とはいえないアーレントやハーパーマスにしてもそうした傾向と無縁ではない。そのあたりの心理の一端をのぞいてみよう。』

    『連帯の甘き幻想 ~ マルクーゼからコミュタリアンへ』 堀川 哲
    『連帯の甘き幻想 ~ マルクーゼからコミュニタリアンへ』 堀川 哲

    それでは昨日の続きを見て参りましょう。

    『 社会は(国家権力は)「無条件に禁止されるべきことがら」と「個人の自由にゆだねてよいことがら」を分ける分けるという行為はすでに価値判断である。たとえば、ある社会にとっては「無条件に禁止されるべきことがら」とは(殺人・窃盗など自明のものを別とすれば)「売春、安楽死、マリファナ、中絶、ポルノ、同性愛」などである。別の社会別の価値判断をもち、ポルノや同性愛を「個人の自由にゆだねてよいことがら」に入れるだろう。どちらの社会が正しいか決定不能である。それは自由文化中心主義的にしか引くことのできない境界線である。リベラルな社会とは相対的に多くのことがらが「個人の自由にゆだねてよいことがら」に分類される。』






    『 リベラルな社会では人々「個人の自由にゆだねてよいことがら」について自分の好み・思想信条に基づいて選択肢判断する。現代の多元的な社会では当然にも人々の判断は異なるxとyとは異なった人生・異なった価値を選択する。同性愛、宗教、中絶、安楽死など、個人の人生にとって決定的に重要な価値に関して異なった選択をするだろう。』



    『 リベラリズムの哲学によれば、xとyの選択は等価であるxの人生とyの人生に関してどちらが価値的に優れているかそれを決定する原理・視点は存在しない。xが福祉ボランティアに熱心であり、yがギャンブルにあけくれた人生であっても、xの人生のほうが価値が高い、と言える視点は存在しない。いったい「誰が」それを判定するというのか?』




    『 xとyの両名に要求されることは、自分の人生(善)を他者に強要しないことである。他者が自分とは異なる人生を遂行することを認めることである(もちろん賛成する必要はない)。

    ポイント 000

    これがあれば人々は(理解しあうことはなくても)ともに同じ国に暮らすことはできる。スミス風に言えば、「慈愛がなくても社会はやっていける」。もしあなたが寛容の原理を認めないのであれば我々はあなたと同じ社会で暮らすことができなくなる我々は戦うことになろうリベラリストはあなたを我々の社会から追い出すために戦うであろうこれがローティのリベラリズムである。』



    リチャード・マッケイ・ローティ
    リチャード・マッケイ・ローティ

    連帯と自由の哲学  二元論の幻想を超えて 

    ということで、本日はここまでとさせて頂きます。









    続きは次回に♥




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