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    親子チョコ💗(400冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国史 >  神仏習合と神仏分離 ~ 宗教を知らないマルキスト

    神仏習合と神仏分離 ~ 宗教を知らないマルキスト

    『大山石尊良辧瀧之図』  歌川国芳

    本日のキーワード : 神仏習合、神仏分離



    神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象

    本日の書物 : 『聖徳太子 本当は何がすごいのか』 田中 英道  扶桑社



    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 聖徳太子の「聖」の一字が共通している【聖武天皇】は、【自らも太子の思想を体現】して、太子が法隆寺や七大寺を建てられたように、【東大寺を建て、大仏を造立】しました。この頃から【仏教に国家鎮護の役割を演じさせる】という【国家観】が生まれるようになりました。

    東大寺 大仏殿
    東大寺 大仏殿

     【仏教】【本来、個人宗教として入り、人々に仏陀の教えを学ばせることを目的】としましたが、【奈良時代】になると、【個人を超えて国家を鎮護するという役割を演じる】ようになるのです。それがはっきりと表れているのが、天平十三年(七四一年)聖武天皇の詔によって各地に建立された【国分寺】【国分尼寺(こくぶんにじ)】です。これにより、【仏教と国家がストレートに結びつく】ことになりました。

    備中国分寺
    備中国分寺

     太子が評価した法華経には、寺院や仏像、経典を大事にするという考え方があります。それがさまざまな形で寺社建築や仏像の創造につながっていくのです。聖徳太子仏という存在「ホト」(=仏陀)「ケ」(=仏像)分けて仏像を大事にすること法隆寺で実行されました。具体的には止利仏師(とりぶっし)がそれを司ったわけですが、そういう太子の考えが、それ以後の天皇と寺の関係にしっかり出てきます

     この動き平安時代まで続きました【鎌倉時代】になると【浄土宗】が現れて、【仏教は再び個人宗教的な側面が強く出てくる】ようになりました。【法然(ほうねん)】【親鸞(しんらん)】といった【鎌倉仏教の祖】の中にも聖徳太子に対する信仰は見えますが、【鎮護国家的な思想は必ずしも受け継がれたわけではありません】

     このことが【仏教思想の衰退】につうじていきました仏教思想の衰退は、民衆の信仰が廃れることではなく、【仏教そのものが全体の中での大きな役割を失っていく】ことによって起こったのです。そして、仏教の衰退は仏像の衰退にも結びついていきました。

    女性 ポイント ひとつ

     それ以前は、聖徳太子が救世観音(ぐぜかんのん)になり変わったり、釈迦三尊像になり変わったりしました。それは【人間が自ら釈迦になりうるという考え方】を人々に与えました。そういう【自力本願】として成り立っていったのが【法相宗(ほっそうしゅう)】です。

    興福寺
    興福寺

    薬師寺
    薬師寺

    しかし【浄土教】【他力本願】ですから、どうしても【聖徳太子の思想とは離れていきます】

    ポイント 22

     たしかに、室町以後も、仏像のかわりに聖徳太子の三歳像、十六歳像、二十六歳像といった、それぞれの時代の聖徳太子像がつくられています。それは江戸時代まで続きましたが、一方で仏像自体の表現力、あるいは仏像自体の実性というものが失われ、非常に装飾的になりました。これも仏教衰退の一つの現象と見ることができます。』

    日の丸

    江戸時代までの神仏習合、明治時代からの神仏分離


    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、実在が明らかである我が国の偉人の存在を、未だに“非科学的・非論理的な珍説”を唱えその間違った事実に基づく勘違いや根拠の無い思い込みを、「なんちゃって研究」「なんちゃって論文」という形で(そこら辺の週刊誌の如く)センセーショナルに発表生計を立てる無能な学者ら具体的に名指しやり玉にあげることで、我が国の歴史学界の本性を明らかにして下さる良書で、また、それらの似非(エセ)学者どもが、如何に文部科学省の官僚どもと癒着しているのか理解できる書物になります。

    読書 女性 3-9

    それでは、本日もまず、いつものように、直近の「致死率」を確認しておきましょう。

    (死亡症例数)÷(感染症例数)=(致死率)

    ※(  )内は前回の数値

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    Coronavirus COVID-19 Global Cases by Johns Hopkins CSSE

    アメリカ : 18,693(16,672)÷500,399(465,329)=0.03735・・・(0.03582) 「3.73%(3.58%)」
    ehdjsued2.jpg

    イタリア : 18,849(18,279)÷147,577(143,626)=0.12772・・・(0.12726) 「12.7%(12.7%)」
    ehdjsued3.jpg

    日本 : 99(99)÷5,530(4,979)=0.01790・・・(0.01988) 「1.79%(1.98%)」
    ehdjsued4.jpg

    さて、季節性インフルエンザとは明らかに“致死率”が異なる(我が国でのインフルエンザの致死率は0.1%程度)のが「武漢肺炎(COVIT-19)」なのですが(→「日中友好」という言葉の“中”は、実は「中国共産党」のことなんです!!!)、それを同じレベルのものであるとする“珍説”掲げられているのが、「無知なるマルキストのewkefc」大先生(?)になりますwww まあ、単なる「おバカ」ですが(笑)

    「無知なるマルキストのewkefc」

    この「無知なるマルキストのewkefc」は、どうやら誰かに常に構って欲しい寂しがり屋さん(世間から疎外されているのでしょうね💗)のようであちらこちらのブログに「おバカ」なコメントを残しては、それで自己満足しているようで、例えるのであれば、「自慰行為にふける猿」みたいなものでしょう(笑) 

    で、今回もツッコミどころ満載「おバカ」コメントを、その「猿知恵」を振り絞って書き残しているのですが、いつも通りの「無知ぶり」遺憾なく発揮されておられます!

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    『>これは実に日本人に合った解釈だと思います。だから、日本ほど仏教が生きている国はないのです。

    ①仏教は所謂江戸時代になると衰退し、②現在ではすっかり死後の教えになってしまったわけだから、この認識は誤りだよ。』


    まず、「無知なるマルキストのewkefc」は、①仏教は所謂江戸時代になると衰退したと断言しているのですが、

    『江戸高名会亭尽 「浅草雷門前」』 歌川広重
    『江戸高名会亭尽 「浅草雷門前」』 歌川広重

    当時の江戸世界最大級の都市の一つとして有名ですが、1,000を超える仏教寺院が存在していて(→女性でも散策してみたい「江戸」のまち)、しかも庶民の間で流行した、我が国が世界に誇る「芸術」である『浮世絵』には、仏教寺院数々描かれています

    『冨嶽三十六景 「東都浅艸本願寺」』  葛飾北斎
    『冨嶽三十六景 「東都浅艸本願寺」』  葛飾北斎

    『名所江戸百景 浅草金竜山』 歌川広重
    『名所江戸百景 浅草金竜山』 歌川広重

    上の浮世絵は、歌川広重の『名所江戸百景 浅草金竜山』ですが、仏教寺院には「山号(さんごう)」という称号があり、「浅草寺(せんそうじ)」のそれが「金竜山(金龍山)」になります。

    その浅草寺の境内には、仏教寺院としての浅草寺の本堂の真横に、何故か、「鳥居」があります

    浅草寺マップ

    「無知なるマルキストのewkefc」が主張するように、「①仏教は所謂江戸時代になると衰退した」ために、後から神社を付け加えたのでしょうか?

    女性 ポイント これ

    浅草寺の起源は、推古天皇三十六年(628年)で、聖徳太子(574年~622年)がお亡くなりになられた直後、現在の墨田川で、漁をしていたところ、その網に「仏像(観音像)」がかかり、それを崇拝したことが始まりとされています。

    で、その境内にある「浅草神社」は、平安末期から鎌倉初期(12世紀後半)以降創建されたと推察されていますが、『三社祭(さんじゃまつり)』(※三社は、墨田川で網にかかった「仏像(観音像)」に関連する3人の人物を祀ったこと由来)として誰にでも知られているように、正式名称「浅草神社例大祭」主役になります。


    この「浅草神社例大祭」は、江戸時代までは、「浅草寺」と「浅草神社」が一体となっていた祭りで、聖徳太子以来のそれまでの「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」が、明治時代の「神仏分離(しんぶつぶんり)」によって浅草寺と分離し浅草神社単体での祭りとなり発展したものになります。

    つまり、江戸時代までは、聖徳太子以来の「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」当たり前だったわけです。

    日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、江戸時代を切り開いた人物である、徳川家康神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る「神社」ですが、

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    「天台宗」の「門跡寺院」である輪王寺(りんのうじ)に隣接する形で造られています。

    輪王寺(三仏堂)
    輪王寺(三仏堂)

    ここは、やはり、「無知なるマルキストのewkefc」が主張するように、「①仏教は所謂江戸時代になると衰退した」ために、それまでの神社を否定するために、わざわざ隣接して造ったのでしょうか?

    そう違いますね! これも聖徳太子以来の「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」当たり前だった事例の一つになります。

    それがそうでなくなったのは、もっぱら明治元年(1869年)の「神仏分離」によります。

    マルキストサン、キコエテイマスカ?

    「無知なるマルキストのewkefc」

    また、江戸の人口100万人の時代に、年間20万人もの人々が参拝に訪れたのが、有名な「大山詣り」ですが、その対象となったのが、現在の神奈川県伊勢原市にある「大山寺(おおやまでら)」(→但し、これは後に再建されたもの)であり、明治時代の「神仏分離」以降も残された「大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)」でした。

    大山道

    ちなみに、現在の国道246号線は、かつての「大山街道」になります。

    大山寺
    大山寺

    続いて、「無知なるマルキストのewkefc」は、②現在ではすっかり死後の教えになったとも断言しているのですが、これこそ「仏教」を御存じない証拠になります。何故「仏教」が死後の教えになるのでしょうか?

    むしろ、そんな「エセ仏教」があるのであれば教えてもらいたいほどです(笑) なお、本来の仏教は、以前に書かせて頂いておりますので、そちらをご参照ください(→本来の仏教からは、完全に逸脱している「般若心経」)。

    恐らく、「仏教」というものを知らず「キリスト教」か「イスラム教」とかと“ごちゃ混ぜ”にしちゃってるのでしょう!

    これだから、勘違いや思い込みだけで、「おバカ」な主張をするマルキストって話にならないんです。

    「無知なるマルキストのewkefc」

    子供 笑う 女性

    それでは、本日はここまでとさせて頂きますが、今年は中止となった「大山とうふまつり」が毎年行われていて(→「大山とうふまつり」一般社団法人伊勢原市観光協会)、みなさんも、ぜひ、一度、参拝を兼ねて足を運んでみて下さい。かなり、楽しいですよ💗

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    続きは次回に♥




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