2020-03-10 (Tue)

本日のキーワード : 社会主義、粛清
粛清(しゅくせい)とは、原義では「厳しく取り締まって、不純・不正なものを除き、整え清めること」、または「不正者・反対者などを厳しく取り締まること」。政治的には、政党や政治結社において、理論上あるいは政策上の対立を、一方が他方を組織から排除、追放して政治的に抹殺し組織の純化をはかること。英語ではパージ(英: purge)、フランス語ではエピュラシオン(仏: épuration)、ロシア語ではチーストカ(露: чистка)と呼ばれる。しばしば同音異義語の「粛正」と混同されるが、こちらは「綱紀粛正」などに見られるように、厳しく取り締まって、不正を正すことを意味する。
狭義の「粛清」は、独裁国家や社会主義国家などにおいて多くみられ、その場合には物理的暴力や殺戮を伴うことが多い。
粛清は、革命や反革命、クーデター、弾圧の一場面として行われる事も多い。共産主義・独裁国家においては、体制を保つために必ずと言って良いほど発生する。
本日の書物 : 『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』 鯨岡 仁 朝日新聞出版
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 出所した岸は公職追放の身ではあったが、少しずつ政治活動を再開した。…
52年、【サンフランシスコ講和条約が発効】し、【追放解除】が決まると、文化団体【「日本再建連盟」】が立ち上がる。旧民政党出身の三好英之が理事長となり、岸のほか、重光葵(まもる)、渋沢敬三、正力松太郎などが顧問をつとめていた。三輪にも参加を呼びかけたが、断られている。

三輪 寿壮(みわ じゅそう)
三輪は、弁護士の活動から再開した。46年春には、有楽町に事務所を構えている。【日本社会党に入党】したのは【1950年10月】である。
【日本社会党】は敗戦直後、統一された【無産政党】として発足した。1947年の総選挙では、143人の当選者を出し、【書記長の片山哲を首相とする連立政権が発足】している。

片山 哲(かたやま てつ)
ところが、この政権は【わずか1年で崩壊】してしまう。党内の左右両派の対立が根幹にはあった。【日本社会党は「二本社会党」と揶揄されるほど、左右の対立が激化していく】。

三輪が入党したのは、右派と左派がおたがいに分かれて行動するようになった時期である。【分裂の発端】は、【サンフランシスコ講和条約への対応】であった。【ソ連抜きの条約に反対する左派】と、【講和条約に賛成する右派】に分かれていたのだ。

52年8月、吉田茂首相は衆院を「抜き打ち解散」した。岸は「日本再建連盟」としての初の総選挙であり、社会党は左右の分裂選挙を展開することになる。
岸はこの選挙に自ら出馬しなかったが、再建連盟を政治団体へと衣替えし、十数人の候補者を立てた。ところが、当選したのはたった1人、惨敗であった。
一方、【三輪】は【右派社会党】の選挙対策副委員長として候補者選定や政治資金の工面などの仕事を引き受けた。…結果、57議席を獲得し、【左派を上回って第三党の立場を確保】した。
【岸】はこの後、三輪に【「社会党に入れてくれないか」と打診】している。意外に思われるかもしれないが、【岸が戦前つくった官僚主導の「統制経済」の理論】は、【北一輝の国家社会主義】や【マルクス主義】が【土台になっていた】。【社会党】には、戦前、岸と行動を共にしていた【革新官僚出身者】がおり、【社会党やのちの民社党の指導的立場になったものも多かった】のである。』

朝日新聞流のやり方 = そんな事実はなかったことにするw
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、これまでとは違った視点でご紹介させて頂く「本」になりますが、どのように違っているのか、ということにつきましては、これから当面書かせて頂くことになる、その内容の解説から御理解頂けると思います。一言で申しますと、「朝日新聞流の“虚構の作り方”」が良く理解できる典型的な、「本」であるということになります💗

さて、昨日のところで書かせて頂きましたように、国際連盟からの脱退を迫られた翌年の1934(昭和九)年10月、日本の陸軍省新聞班が『国防の本義と其(その)強化の提唱』というパンフレットを発行しました。


そこでは、総力戦を戦うための国家総動員体制の構築と、そのために議会政治や政党政治を停止し、資本主義を排して社会主義的な統制経済を実現することなどが提唱されていて、その作成に携わった中心人物が池田純久(いけだすみひさ)なのですが、この「本」では何故かは知りませんが、一言も触れてはいません。

池田純久(いけだすみひさ)
このように、最初から結論ありきでストーリを創り上げ、その材料となる“都合の良いネタ”だけを活用する、という手法こそが、いわゆる「朝日新聞流の“虚構の作り方”」のエッセンスになります。

そして、同じことが、昨日の本文中の最後に登場している「昭和研究会」の記述にも言えるのですが、その解説の前に、まずは基本的なところから整理しておきましょう。
第一次世界大戦が終結したのは1918年(大正七年)ですが、昭和時代を迎える1926年(大正十五年・昭和元年)の前年の1925年(大正十四年)に、「ラジオ放送」が始まり、「普通選挙法」が公布され、同時に「治安維持法」が制定されます。

1925年のラジオ番組表
で、「治安維持法」は国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定されたものですが、そんな「治安維持法」の制定の必要性をもたらした、非常に重要な理由がありました。その理由が、1925年(大正十四年)1月に、「日ソ基本条約」が締結され、我が国と社会主義国家・ソビエト連邦の国交が樹立されたことになります。つまり、ソ連による共産主義者の扇動を警戒するために、当然に必要とされる法律であったわけです。国交が樹立され、領事館や大使館が置かれると、そこはスパイの拠点となります。
現在でも、それは同じで、中華人民共和国のスパイは、我が国に非常に多く滞在しています。あの北朝鮮だって、堂々と病院を開業しているような有様なのですが(笑)

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆西新井病院 ~ 北朝鮮の対日有害活動の拠点の一つ

そして、そのようなソ連の共産主義の脅威と向き合わざるを得ない状況の中で、我が国は昭和という時代迎えるわけで、それが1926年(大正十五年・昭和元年)になります。
やがて、1937年(昭和十二年)になると、日本だけではなく世界的に見て大変重要な出来事が勃発するようになります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「治安維持法」は、なぜ必要だったのでしょうか?

その頃のソ連では、「大粛清(Great Purge)」と呼ばれる、ソビエト連邦の最高指導者ヨシフ・スターリンによって行われた、ソビエト連邦および衛星国のモンゴル人民共和国等における大規模な政治弾圧の“最盛期”にありました。

しかも、その政治弾圧は、幹部政治家の粛清に留まらず、一般党員や民衆にまで及ぶもので、世界でも悪名高い出来事として知られる「一般常識」です(教科書には書かれていませんし教えられもしませんがw)。
ご参考までに書かせて頂きますと、1937年(昭和十二年)から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られたと、ロシア連邦国立文書館にある統計資料には記載されています(笑)


三輪 寿壮(みわ じゅそう)
で、三輪が初当選し、政治家デビューを果たすのも、1937年(昭和十二年)4月でした。

池田純久(いけだすみひさ)
一方、池田純久(いけだすみひさ)が、企画院調査官として国家総動員体制を指導する、いわゆる新革新官僚グループの代表的存在となったのも同じく1937年(昭和十二年)です。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆公式 : “革新”官僚=“確信”官僚 ~ いわゆるパヨクの特徴は「無謬(むびゅう)」なんです(笑)

で、現代で例えるならば「第一次鳩山由紀夫内閣」と表現できる、「宇宙人」の近衛文麿の最初の内閣が組閣されるのも、同じく1937年(昭和十二年)6月です。

近衛文麿
そして、1937年(昭和十二年)7月7日、「盧溝橋事件」を切っ掛けとして、「支那事変」が勃発します。

その翌年の1938年(昭和十三年)に、三輪が出入りしていたのが「昭和研究会」になります💗

で、その「昭和研究会」というのは、こんな感じでした💗

『 昭和研究会は近衛側近のブレーン集団で、近年はソ連のスパイのたまり場だと評されることも多いのですが、そんな単純な人たちではありません。
「国策研究」が叫ばれていた昭和八年、後藤隆之介事務所に政策研究のために設置され、設置の2ヶ月後に正式名称が決まり発足しました。…
設立趣旨は専門家を招いての研究会で、内容は国防・外交、教育、行政、金融などの多岐に渡ります。これを取りまとめて、研究大綱を作成する幹事となったのが蝋山政道(ろうやままさみち)です。
後藤隆之介は一高文学科の出身で、京大に進んだことから近衛と知り合います。…後藤は、後に大政翼賛会組織局長となっています。
昭和研究会の幹事である蝋山政道は、行政学の創始者といわれる政治学者です。東京大学法学部を卒業して教授となり、イギリス留学を経て、東大の行政学講座の初代担当となりました。はっきり言いますが、戦前・戦後を通じて、日本の政治学をダメにした人です。
蝋山は、後の大東亜共栄圏につながる東亜共同体論や、大政翼賛会につながる新体制運動を、昭和研究会の頃から主張しています。
他にはジャーナリストの佐々弘雄(さっさひろお)がいました。…1928(昭和三)年に、第一回普通選挙での共産党の地下活動に巻き込まれた学生が検挙され、各地の帝国大学で左傾教授の処分がされた時に、依願退職の形で辞めさせられています。ちなみにこの時、京大でも河上肇(かわかみはじめ)が処分されました。佐々の処分は、大学内の内紛のとばっちりだとも言われていて、実際に血盟団や、五・十五事件に関わった青年将校、皇道派の軍人と懇意で、右翼国粋主義者の人脈です。大学を辞めた後は、朝日新聞社の論説主幹から熊本日日新聞の社長となり、昭和研究会に参加しました。
マスコミ業界からは、ゾルゲ事件で有名な朝日新聞記者の尾崎秀美(おざきほつみ)も参加しています。…』

尾崎秀美

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆左翼の全体主義者と戦争 ~ ナチズム=ボリシェビズム

と、このように、朝日新聞関係者であり、極めて重要な人物であるはずの「佐々弘雄(さっさひろお)」や「尾崎秀美(おざきほつみ)」について、この「本」では何故かは知りませんが、一言も書かれてはいないんです。
唯一、笠信太郎(りゅうしんたろう)という朝日新聞関係者には触れていますが(笑) そんなに都合が悪いのかな?

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「朝飯会」と「朝日新聞」 ~ 尾崎秀実、牛場友彦、風見章

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