2019-07-19 (Fri)

本日のキーワード : 教科書、革新、おカネ
教科用図書(きょうかようとしょ)は、日本の学校教育法に基づいて、初等教育・中等教育において主たる教材として使用される図書のことである。「教科書」とも呼ばれるが、「教科書」には「教科書に準ずるもの」として「地図」が含まれること(この場合の「地図」は、「教科書」として法令上みなされている)、また、一部に「教科書以外の教科用図書」(この場合の図書は「教科書」とはされていない)が使用されていることに留意を要する。
本日の書物 : 『経済で読み解く日本史⑤ 大正・昭和時代』 上念司 飛鳥新社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 現在、わが国の【歴史教科書】には【「なぜ日本が大東亜戦争へと向かったのか」】について、【本当の理由】が【書いてありません】。

【大東亜戦争の発端】は【日露戦争の戦後処理】にありました。あれだけ【戦争に協力してくれた英米との約束を反故(ほご)】にして、【満洲の権益を日本が独占しようとしたから】です。なぜそんな愚かなことをしたのか?…

もちろん、【この間違いを挽回するチャンスは何度もありました】。ところが、【そのチャンスは悉(ことごと)く潰されました】。

そして、【「世界中の国を敵に回して戦争する」という“悪手”を打つ】ように、【敷かれたレールの上を走らされた】のです。…引き返すチャンスは何度もあったのに、悉くそれは潰され、【日本はそのレールの上を敗北に向かって全力疾走】しました。
【そのレールを敷いたのは、誰】でしょう?

一言でいえば、彼らは【日本を滅ぼしたい人々】でした。彼らは【「国粋主義者(こくすいしゅぎしゃ)」になりすまし】、政府や論壇のなかに紛(まぎ)れ込みました。…

私たちが二度と同じ間違いを繰り返さないために、「なぜ戦前の日本が誤った方向に導かれたのか」、そして「【日本を滅ぼしたい人々】がどのような手段を用いて世論形成をしたのか」ということをよく知っておく必要があります。いや、そもそも【「日本を滅ぼしたい人々」とは誰だったのか】ハッキリさせなければいけません。…

ところが【学校の歴史教科書】において、【戦争は単純に“悪”だとされ、非難される対象でしかありません】。…

【本来語るべき】は、【「日本がなぜ対米開戦へまっしぐらに進まざるを得なかったのか」という点】ではないでしょうか。

当時の人々は【誤った情報】に振り回され、冷静な判断ができませんでした。なぜ冷静になれなかったかというと、【度重なる経済失策】によって【生活が不安定】で、【精神的に追い詰められていた】からです。…
【歴史教科書】のように、単に国際関係だけを追っても【真実は見えてきません】。ある政策の背後にあった世の中の「空気」、そしてその空気を形成する人々の気持ちに大きな影響を与えていた【「経済情勢」を知らなければ、本当の原因を知ることはできない】のです。』

戦前の革新官僚に連なる現代の財務省の低能官僚
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本の歴史を、経済・金融の面を切り口としてみた場合、これまで学校の授業でお勉強させられ、「訳の分からない歴史」でしかなかったものが、普段の日常感覚で国史の流れをスッと、いとも簡単に理解できる、という良書で、また、多くの方々が勘違いしていると思われる「おカネ」というものについて、非常に正しい認識ができるようになる、お薦めの書物の第5巻になります。

さて、本文中に「日本を滅ぼしたい人々」が「国粋主義者(こくすいしゅぎしゃ)になりすまし」と書かれていましたが、それが「革新右翼」と呼ばれる「本物の共産主義が偽装転向した人々」でした。本来は、「極左」であるはずの連中が、右翼に混じり込んで、「極右」を装いながら暴れまわった、ということです。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆極左・共産主義者の“転向”と「革新右翼」

さて、昨日に引き続きまして、江戸時代に幾種類も存在していた「おカネ」が、試行錯誤の末に、現在、私たち日本人が我が国の「おカネ」として利用している「日本円」に統一されていく過程を確認しておきましょう。

太政官札
『 当面の財政問題を解決するため、勇断をもって発行された4800万両にも上る太政官札(だじょうかんさつ)だが、発行当初から受難の道を歩むことになる。それは、当時、人々は各藩で発行し藩内でのみ流通する藩札を使い慣れていても、全国通用の「紙のカネ」の使用など全く未経験であったからだ。とくに、国政の中心地である江戸の商人にとって、太政官札の価値などわかるはずもなかった。
そもそも、太政官札発行の目的は三つあった。ひとつは、財政難に悩む諸藩や府県に貸し付け、農業や商業の振興を図るための資金としての役割、二つ目は、一般の農工業者に貸し付けて、通商を活発化させる勧業資金としての役割、そして結果的には最大の資金源となってしまった政府の歳入不足の補填である。一万石の石高に対して一万両の札を割り当てた藩府県への貸付資金は、…当時各藩が参加した戊辰戦争への出兵費用として使われてしまったようだ…次の産業資金としての貸与であるが、これも効果を挙げたとは思えない。この貸付の実務は、小野、島田、三井、鴻池らの豪商に委任した。商品や不動産を担保として貸し出したが、政府が富豪から現金を借りたときの証書を担保とする例もあった。これは、戊辰戦争時に東征軍が必要とした現金を調達する手段として利用されることが多く、純粋な意味での産業資金とはいえないものだった。結局、第三の目的である政府予算の補填、つまり歳入不足を補うために、この太政官札4800万両のおよそ半分以上の2500万両が明治元年の政府歳出額に組み込まれる結果となった。こうして、本来は国内の産業振興のための紙幣として活用されるはずの太政官札だったが、結局は政府の歳出補填に使われる結果になった…
日本各地の諸藩や商人に引き受けさせた太政官札は、紙幣としての役割を果たすどころか、日本各地で価値の低い紙切れとしてさまよい始めていたのである…政府発行の金銀ではない紙切れのカネが信用されるはずもなかった。結果は、当然、値崩れである。額面1両の太政官札が1両として全く認められない事態が生じたのであった。その頃、次のような落首(らくしゅ)が市中に現れたという。
「 日本はいかに神国なればとて金(カネ)までかみ(紙)になりにけるかな 」 』

『 太政官札の発行当時の値下がりに頭を抱えた政府だが、強制的な布告を連発して国内の流通促進を図った効果が次第に上がってきた。とりわけ、庶民感覚では、箱館戦争終結後…に出された布告が決定的なものだったろう。それは…巷に溢れる太政官札をすべて、このあと発行されるであろう大阪造幣寮の金銀貨幣と引き換えるというものだ。政府の政策を信頼して勝手に安値で売り飛ばさないほうが得だと、人々は思った。「お上を信用して紙のカネを大事にしよう」という機運が盛り上がったに違いない。だが、その裏で、政府は次の秘策を考えていた。国交を結んでいる西欧諸国のいずれも、金銀貨幣とは別に紙のカネ、つまり紙幣を印刷し発行している。国が保有する金銀の量には限りがある。それらの金銀は、これからますます増大する輸入物品の決済にあてたいと思うのは当然であった…時は今から140年ほど昔、ヨチヨチ歩きで国際社会に歩み出した日本にとって、金銀はこの上なく貴重なものだった。したがって、ようやく国際基準に則した通貨円が生まれるこの時期、何とかして国内のみで流通させる通貨に、国が保有している金銀を使いたくなかった。流通していた小判や分金は回収して円通貨に利用できるが、太政官札はただの紙切れに等しい。それも4800万両という巨額のカネである。国民が国内で日常的に使うカネに、保有している金銀が使えるかどうか、思案のしどころであった…当時の大蔵省の幹部は…太政官札の値下がりに悩みつつ、円の誕生を心待ちにしていた。太政官札が値上がりした状況を見て、彼らは次の策をひねり出した。つまり、…太政官札を…新貨幣と交換するという布告を出しているにもかかわらず、一年も待たずに「正貨ではなく不換紙幣である新紙幣と交換する」として、先の布告を反古(ほご)にしたのである。』

明治通宝一圓紙幣
『 当時、紙のカネは、太政官札や民部省札、それに藩札、さらに額面が「円」と表記された大蔵省兌換証券や開拓使兌換証券など、数多く出回っていた。それらに加え、明治二年に、政府は国内商業の振興を図るために、現在の銀行に似た業務を行う為替会社という機関を全国7都市に設けた。東京、横浜、新潟、神戸、京都、大津、敦賀の7都市で開業していた為替会社だが、横浜を除いて、全ての店が営業不振に陥り、発行した紙幣の回収は、政府にとって緊急の課題でもあった…政府は、こうして紙のカネのすべてを一種類の同じ紙のカネ、つまり「新紙幣」に吸い上げる政策を打ち出していったのである…
大隈重信を中心とする政府大蔵省が、新紙幣発行の布告をしたのは、明治4年12月27日である。今までの太政官札や民部省札が粗製乱造で贋札が多いこと、さらに広く流通している藩札は地域札であり全国紙幣ではないことが不便であるとし、新貨条例の趣旨に基づいた円・銭・厘呼称の新しい紙幣を製造発行すると、布告は述べている…明治通宝札、俗にゲルマン紙幣とも呼ばれた新紙幣は、大坂の造幣寮で次々と鋳造された円・銭・厘の貨幣とともに、旧幕府の貨幣制度を根底から変えるものとして日本中に行き渡ることとなったのである。』
『 巷に溢れた政府紙幣や藩札が明治通宝札に統一されていった背景には、ドイツで制作された紙幣の図柄が華麗で緻密であったことがある…それまで誰も眼にしたことのない斬新さがあったのである…いずれにしても、造幣寮からの金銀銅の貨幣と紙幣寮で制作された紙幣が明治期の人々の暮らしに次第に根を下ろしていった。政府は、こうして金兌換の公約を反古にしながらも、国民からの厳しい批判を受けることなく、明治通宝札の発行でひとまず財政基盤の構築をほぼ成し遂げたといえるだろう。お金の歴史を辿る上で触れなければならないのが、…第一国立銀行など多くの国立銀行が明治十二年までに発行した銀行紙幣のうつり変わりである。現在、私たちが何気なく使っている紙幣、つまり日本銀行券の原型である銀行紙幣が生まれたのは、明治六年のことであり、以来、さまざまな変遷を経て現在に至った。太政官札や民部省札、藩札などの旧紙幣をゲルマン紙幣と呼ばれる明治通宝札に引き換える作業が進行している最中、政府は新しい法律「国立銀行条例」を公布し、また別の紙幣、いわゆる銀行紙幣の発行を許可した…民間でありながら「国立」と冠したのは、「国法に基づくもの」という意味であり、さらに「銀行」という現在なら当たり前の言葉は、この条例で初めて世に流布した。銀行という言葉は、当時の中国で会社のことを「商行」または「洋行」としていたことから、日本では「金行」か「銀行」がよいだろうという意見がでたからだという。これを最初に言い出したのは、この「国立銀行条例」を起案した渋沢栄一とされている。』

と、ここまでご覧頂きますと、当時の世界で「金銀」といった単なる貴金属が、如何に貴重であったのか、がご理解頂けると思いますし、本書シリーズで繰り返し指摘されているように、「金本位制」の足かせによって、「貨幣供給量」の拡大が妨げられ、その結果、「デフレ」が生じることになり、世の中が混乱し、過激な思想を妄信した「革新右翼(その中身は共産主義者)」らが世界中を戦争に巻き込んでゆくようになるという、ここ100年ほどの正しい歴史の流れが、より鮮明に理解できるようになると思います。
また、最後のところに、「民間の銀行」が「別の紙幣」を発行できるようになった、とありましたが、現在で言えば、「三菱銀行券」だとか「三井住友銀行券」、あるいは「みずほ銀行券」といった「紙キレ」が自由に発行できた時代があったということになりますが、皆さんは、具体的にイメージできますでしょうか?

それでは、本日の最後に、「おカネ」というものが“何なの”かを考えるために、昨日に引き続きまして、御覧頂きたい良書をご紹介させて頂きたいと思います。

ミヒャエル・エンデ
『 お金の問題を考えてみるとき、お金が存在しない状態をまず想像する必要があります…お金がない世界でのモノの貸し借りという異なった時点にわたって取引が維持される契約関係を例に考えています。そこでは…(モノをたくさん保持する人は)実は不利な立場に置かれています。それはモノにはそれぞれに特有な減価率があるからです。時の経過のなかで傷んでいくわけです。どのようなモノも、ごく少数の例外を除いて、それぞれに特有な率で劣化していきます…例えば新聞売り子の持つ新聞のように翌日になれば無価値になってしまうような傷みが早いものもあれば、耐久消費財のように息の長いものもありますが、いずれも劣化し傷み、という具合に老化します。これに加えて保管の費用やら、モノの保有にはお金に比べてコストがかかります。ですから、もしこれを借りてくれる人がいれば、モノの減価分に保管費用を足した分を貸し付けた量から控除した量が返済されても、何の損もありません。それはちょうど自分が保有していてもそうなるのですから。

もし、少しでもそれを上回る取引ができれば儲けものというものです。しかしお金が介在してくると、つまり貨幣供給者が登場すると事情は一変します。プラスの利子が成立してしまうのです。

お金はいつまでもっていても減りはしません。お金が金や銀であったころもいまも、金や銀、紙券が錆びついて値打ちが減るということもありませんでした…お金を持っている人間はお金をもちつづけても費用がかかりません…例えば、農民は種をまくのを延期できません。ですから、種をまく資金を借りるのを急かされることになります。これでは、取引をしようにも、立場が違いすぎます。片方は、自分に有利になるまでいつまでも待てるわけですから。もう片方はとにかく急かされています。貨幣供給者が農民に金を貸す場合は、利子を請求します。いやだとは言えません。とにかく資金がいま要るのですから。そうして農民はこの資金の借り入れる際の利子という費用を自分がつくった穀物を売るときに、その価格に乗せなければならなくなります。この穀物をパン屋が仕入れたとすれば、穀物の値段に入っている利息の分は当然、パン屋の売るパンの値段にも入っていきます。結局、貨幣供給者があげる利益は社会が負担することになります。働きもしないのに、貨幣供給者の利益は増えていくのです…貨幣供給者の最たるものは銀行です。bankの語源を尋ねると、ゲゼルが指摘しているのですが、安楽椅子という意味を見いだせます。ふつうの金融経済学者は、bankの語源についてイタリア語のbancoまでしかたどりつきません。banco、つまり記帳台がその語源だというのです。しかし、これをもっとさかのぼりますと、古ゲルマン語のbankiに突きあたるというのです。bankiはゲルマン民族がその住居の周りにめぐらした防塁を指します。それが住人の安寧を保証したのと、その形状の類似から「安楽椅子」という語義が生まれたようです…銀行はお金を扱います。お金は、もっていても劣化しません。取引でお金をもつほうはもちつづける余裕を常にもっています。取引で自分が有利になるまでもちつづけることができます。お金をもつ者は「安楽椅子」に座るがごとく待っていればいいのです。ここにお金の力の根源がありますが、銀行はそれをもっているのでBANKといわれるのです。』
『 英国の中央銀行バンク・オブ・イングランドの総裁であったサー・ジョシア・スタンプはこういっています。
「 銀行業は不正といわれ、罪を負って生まれた。この世は銀行家のものだ。彼らから所有するものを取り去っても、彼らに信用を創造する力を残しておけば、ペンを軽く動かすだけで、彼らはこれを買い戻すに十分な貨幣を創りだしてしまうだろう。彼らからこうした力を取り去れば、どのような高貴な財宝も消え失せ、彼らも消え去っていくはずである。そうすればこの世界は住むべき世界としてもっと幸せで、よいよいものであるであろう。だが、あなたが銀行家の奴隷であることを望み、あなた自身が奴隷制度のコストを負担しようとするなら、銀行家に貨幣と信用をコントロールさせなさい。」 』

さて、そんな「おカネ」の価値を益々高めることになるのが「デフレ」であり、その「デフレ」に後戻りさせようとする日本政府の愚策こそが、今回の消費税率の引き上げで、民意を問うこともなく勝手に強行しようとしていますが、皆さんは、どのようにお考えでございますでしょうか? 日本政府は、戦前の「革新右翼」や「革新官僚」といった共産主義者らの如く、国民に「玉砕せよ!」っていうことなのでしょうか? それに対する日本国民の答えは「NO」ですが。

続きは次回に♥
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