2019-07-16 (Tue)

本日のキーワード : 金本位制
金本位制(きんほんいせい、英語: gold standard)とは、一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という 。大不況 (1873年-1896年) 期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行とブレトンウッズ体制の礎となった。
本日の書物 : 『経済で読み解く日本史④ 明治時代』 上念司 飛鳥新社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【金本位制】とは【慢性的な通貨供給不足を招きやすく】、【デフレ期待を醸成しやすい】という欠陥がありました。

【この制度のせい】で、【世界経済は数年おきに大恐慌】に見舞われ、そのたびに国内に【過激思想が台頭】します。最悪の場合、その【過激思想を信じる人々が政権を取り、戦争を始める】場合もあります。
【二度の世界大戦の理由はまさにそこ】にありました。

つまり、【金本位制がデフレを誘発】し、デフレによって景気が悪化、人々の生活基盤が破壊され、【経済的に困窮した人々が過激思想に走る】。【これこそが、人類を滅亡に導きかねない世界大戦の真の原因だった】のです。

このような【金本位制の欠陥】さえ知っていれば、歴史教科書を読まなくても、【いつ、何回デフレの悪影響が世界を襲ったのかを類推することができる】のではないでしょうか。大規模な景気の後退は、多くの失業を生み、そのたびに人々の心が乱れ、社会が混乱します。これまで【相手にされていなかった極端な考え】が、まるで【救世主のように人々にもてはやされる】のもこの時期です。そして、【民主主義国家が民意に基づいて戦争に突入していく】わけです。次のグラフ(図1)を見るだけで多くの歴史的な事象が説明できそうに思えます。

1840年代から1850年代半ばまでの間に大幅に増加した【金(ゴールド)の生産量】は、その後微減しながら1890年代半ばまで横ばいとなります。このグラフの示唆するところは、【19世紀の前半は景気が良く、1850年代後半あたりからデフレに陥って世界的に景気が悪くなります】。
実際に歴史的事実を確かめてみると、確かに19世紀後半にイギリスを中心とする大不況が襲っていました。いわゆる【「ヴィクトリア均衡」】と呼ばれている【イギリスの経済停滞期】です。イギリスでは、1873年から1896年までの間に、【物価が32%も下落する大デフレ】が起こっていたのです。』

経済学を理解していなかった白川方明
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本の歴史を、経済・金融の面を切り口としてみた場合、これまで学校の授業でお勉強させられ、「訳の分からない歴史」でしかなかったものが、普段の日常感覚で国史の流れをスッと、いとも簡単に理解できる、という良書で、また、多くの方々が勘違いしていると思われる「おカネ」というものについて、非常に正しい認識ができるようになる、お薦めの書物の第4巻になります。

さて、1837年、わずか18歳にしてイギリス・ハノーヴァー朝の第6代女王に即位したのが、アレクサンドリナ・ヴィクトリアで、1901年に亡くなるまで60年以上も女王として君臨し、世界に冠たる「大英帝国」を築き上げた人物ですが、

戴冠式の際のヴィクトリア女王を描いたジョージ・ハイターの肖像画。1838年
本文中に書かれていましたように、「ヴィクトリア均衡」と呼ばれるイギリスの経済停滞期(1873年~1896年)に、「物価が32%も下落する大デフレ」が生じていました。
下表からも確認できますが、実質経済成長率(→インフレ率を加味して算出)は、同期間のイギリスで1.9%であり、他国との比較、またそれ以前との比較で低迷していることが理解できますが、それが大不況であったとは言いにくい状況です。

☆『19世紀のデフレーションはなぜ始まり、なぜ終わったのか』 内閣府経済社会総合研究所
しかしながら、そもそも実質GDPは、
実質GDP = 名目GDP ÷ GDPデフレーター × 100
として求められるものですので、いま仮に、基準となる時点の名目GDPを「100」、インフレ率「ゼロ%」(=物価変動なし)、つまりGDPデフレータ―が「100%」とすると、実質GDPも「100」となりますが、
100 = 100 ÷ 100 × 100
デフレであった場合、例えば、GDPデフレータ―が「98.3%」であれば、
101.729・・・ = 100 ÷ 98.3 × 100
実質GDPは「101.729・・・」となるため、まるで成長しているように見えます。表2で示されているように、1873年から1896年までの期間において、表中のすべての国の生計費上昇率はマイナスになっています。つまり、物価がマイナス、長期デフレの状態にあったということです。これこそが大問題で、例えば、同期間のイギリスの物価下落率は年平均で「-1.7%」となっていますが、当初の価格を「100」として、毎年毎年、前年から物価が「-1.7%」ずつ下落すると23年目には「67.411」になり、著者が書かれているように、「物価が32%も下落する大デフレ」となります。
で、その「ヴィクトリア均衡」の時代に、貨幣量を示すマネーサプライは増加していて、そのことから、

☆『19世紀のデフレーションはなぜ始まり、なぜ終わったのか』 内閣府経済社会総合研究所
白川方明(しらかわまさあき)は、「19世紀末にかけての英国の大デフレはマネーサプライの増加と共存している」などと言って、自らの日銀総裁時代の数々の政策の過ちを決して認めようとしないのですが、こんな無能な連中(デフレ派)が、いまだに数多く存在しています。


白川方明のような「お馬鹿」の主張、つまり、貨幣の量を増やしてもデフレのままである(デフレから脱却できていない)、という主張がありますが、例えば、表4-(1)のイギリスにおいて、1886年~1896年の期間に、単純な貨幣数量理論で計算される物価上昇率が年率0.8%であるのに対して、実際には表4-(2)に見られるように、-0.7%の下落であった、また、1873年~1886年の期間でも同様に、単純な貨幣数量理論から予測される物価上昇率が年率-1.0%であるのに対して、実際には、-2.4%の下落であった、と解釈しているのですが、そこに抜け落ちているのが、表4-(3)に見られるように、単純な貨幣数量理論による物価上昇率と、実際の物価上昇率との「数値の差」が、ほぼ「正の値」であるという事実になります。

☆『19世紀のデフレーションはなぜ始まり、なぜ終わったのか』 内閣府経済社会総合研究所
このことは、貨幣の供給量が増加すれば、物価も上昇するであろうとは言えるのですが、貨幣の供給を「1」増やせば、物価も「1」上昇するというような「単純に1対1の関係にはない」ということを意味しています。
それでは、なぜ、貨幣の供給量の増大ほどには物価が上昇しないのでしょうか?

その答えは、人々が豊かになるにつれて、「貨幣」そのものを貯め込んだから、です。

そして、1896年にはデフレが終わり、その後物価は緩慢に上昇してゆくのですが、本書でも指摘されておりますように、その理由は、新しい金鉱山の発見と金の抽出量を高める青化法の採用が切っ掛けで、18970年代にほとんどの国が移行した「金本位制」の下で、それまで「金の生産量の上限枠」に縛られていた「物価」が、その呪縛から解き放たれたから、です。
つまり、「デフレ」はマネタリーな要因によって始まり、マネタリーな要因によって終わった、ということが「ヴィクトリア均衡」と呼ばれる歴史上の事実からも明らかで、我が国が参考として経済・金融政策を進めていかなければならない前例になります。




☆『19世紀のデフレーションはなぜ始まり、なぜ終わったのか』 内閣府経済社会総合研究所

それでは、本日の最後に、「おカネ」というものが“何なの”かを考えるために、御覧頂きたい良書をご紹介させて頂きたいと思います。

ミヒャエル・エンデ
『 経済はヒト、モノ、カネが市場や情報を通じて流動する生き物であるとよく言われます。ヒトがモノやカネを動かし雇用が生まれ、私たちの生活もその上に成り立っています。モノは地球上の限られた資源や環境です。ヒトもモノも自然界に所属する有限の存在です。しかし、肝心のカネは、紙に印刷したり、コンピューターで取り引きされる数字として人間が作り出したものです。自然の実在から遠い存在(バーチャル)なので、時間とともに増え、永遠に価値を持つことができるのです。』
『 貨幣はもともと金貨や銀貨のようにそのもの自体に価値がありました。そしてルネッサンス時代にヴェネチアで始まった近代的な意味での銀行をヘて、紙幣の発明まで歴史は流れ、今日ではお金とは抽象的な大きさに過ぎません。紙幣すらだんだんと姿を消し、今日動かされているのはコンピューターの単位、全く抽象的な数字といえるでしょう。しかし本格的な経済の問題は紙幣の発明とともに起こったと思います。紙幣には物的価値はなく、価値のシンボルなのです。紙幣の発明で問題が生じるのは、紙幣が好きなだけつくれるからで、金塊ならば好きなだけ増やすというわけにはいきません。金銀に不足した王様は、軍隊に給金が払えず、弱小化しました。周知のようにローマ帝国の滅亡もこのことが原因です。金はみんなペルシャに払われ、ペルシャ人は金持ちになりましたが、ローマ帝国はついに滅亡しました。しかし、紙幣の発明とともに事情は一変しました。』
『 たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。
どうしてそうなったかというと、ある日、紙幣が導入されたからです。それと一緒に銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのため対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使いこなし、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるをえませんでした。
そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。
これは一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります。』

続きは次回に♥
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