2019-07-10 (Wed)

本日のキーワード : 革新主義
革新主義(かくしんしゅぎ、英: Progressivism)とはイデオロギー、主義の類型のひとつ。市場を信頼せず、計画経済や統制経済などの公的介入によって経済格差などの社会問題や社会的不平等を是正や、政治機構の改革などを主張する左派思想のこと。広義には、改革主義、急進主義、共産主義、社会主義、社会民主主義、進歩主義などを含む。

(明治時代)
日本においては、明治維新の殖産興業により産業革命が進行するのに伴い、社会問題が発生し、労働運動などが展開されるようになる。
明治30年、高野房太郎と片山潜らによって労働組合期成会が結成され、翌明治31年(1898年)に幸徳秋水と片山らによって社会主義研究会が結成された。
さらに明治34年には、安部磯雄、片山潜、木下尚江、幸徳秋水、西川光二郎、河上清らが日本で最初の社会主義政党である社会民主党を結成したが直後に禁止された。
明治44年に大逆事件が起こり、幸徳を筆頭に24名が死刑判決を受けた。これにより社会主義運動は下火になる。
(大正時代)
大正デモクラシーの時代に、黎明会、新人会、民人同盟会、友愛会や 日本労働総同盟、日本農民組合、新婦人協会、全国水平社、日本共産党など諸団体が結成され、河上肇による「貧乏物語」(大阪朝日新聞)の連載など革新主義が台頭した。
麻生久、佐野学、棚橋小虎、野坂参三らによって木曜会が開催され、これらの人々の後援により、大正7年(1918年)2月に赤松克麿を中心に東京帝国大学学生らによる新人会が発足し、これには石浜知行、嘉治隆一、門田武雄、児島健爾、佐々弘雄、荘原達、新明正道、平貞蔵、石渡春雄、波多野鼎、早坂二郎、細野三千雄、宮崎龍介、三輪寿荘、山崎一雄、松沢兼人、蝋山政道らが参加した。
翌大正8年(1919年)2月には早稲田大学でも北沢新次郎、大山郁夫教授のもとにロシア革命を公然と賛美する民人同盟会が結成され、浅沼稲次郎、荒井邦之助、稲村隆一、川合義虎、川崎悦行、佐野学、浦田武雄、高野実、高津正道、平田晋作、八幡博堂、渡辺政之輔らが参加する。また、早稲田には建設者同盟が組織され、これには、浅沼稲次郎、稲村隆一、田所輝明、平野力三などが所属していた。高津のグループは明治以来の古い社会主義者とも交流があった。
以上のさまざまな社会主義者たちの大同団結として、大正9年に日本社会主義研究会が結成されるが、翌年の5月に解散する。
大正9年(1920年)4月ごろに、堺利彦を委員長に、片山潜、近藤栄蔵、橋浦時雄、山川均、荒畑寒村らが日本共産党準備会(コミンテルン日本支部準備会)を結成した。また民人同盟会の高津らは暁民会を結成したが、これは大正10年12月に一斉検挙にあい解消した(「暁民共産党事件」)。同年8月には、稲村隆一、田所輝明、徳田球一、山川均、渡辺政之輔らが水曜会を組織する。
大正11年7月には日本共産党(第一次共産党)が結成される。党員は、堺、荒畑、徳田、山川、野坂、佐野学、鍋山貞親、猪俣津南雄らである。同年11月にペトログラード、モスクワで開催されたコミンテルン第4回大会で正式に承認され、コミンテルン日本支部=日本共産党となる。コミンテルン作成の綱領(テーゼ)を審議するため、同年12月に千葉県市川で第2回党大会、翌大正12年の3月に臨時党大会を開くが綱領の審議は未了のまま、6月に一斉検挙にあい、荒畑を除く指導部全員の意見として解答してしまう。
(昭和時代)
昭和には、陸軍内部に、北一輝の思想に共鳴して「昭和維新」を唱えて、後に二・二六事件を引き起こした皇道派と、総力戦に備えて、国力を最も有効に発揮するために、人的・物的資源の動員・再配置を、政府と軍部が計画的に行うべきだとする統制派が存在し、官僚機構では、満州事変以後、統制経済の進展を背景に政治に進出して、政治家以上の発言権を持ち、国防国家体制への移行を目指した内務官僚を中心とする新官僚(後藤文夫など)や、日中戦争の全面化とともに、企画院において経済統制・総動員計画などを立案・推進し、国家総動員法の制定などでも活躍した経済官僚を中心とする革新官僚(星野直樹、岸信介など)が存在した。外務省にも牛場信彦、白鳥敏夫などの革新官僚が多数いた。
本日の書物 : 『経済で読み解く日本史② 安土桃山時代』 上念司 飛鳥新社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 ここで【「貨幣量の増加は生産の増加をもたらす」】という経済の掟を思い出してください。


実は、銀の流入と明の手工業製品の生産量の増加の間にはある種の正のフィードバックがありました。「お金が入るから生産を増やす」→「生産が増えるから貨幣需要が増える」…。支那沿岸部の手工業品の生産量増加は元はといえば日本から持ち込まれる大量の銀によってもたらされたものだったのです。

かつては【明朝から通貨を輸入していた日本】ですが、【銀貨の流通によって立場が逆転】し、【明朝に貨幣を供給する立場になっていた】のでした。

明では、この時期に【「銀貨優位」】が確定しました。これは【支那経済にとって画期的なこと】でした。なぜなら、明は1368年に成立した直後から、【銅山の枯渇による「銅銭不足」】が如何ともしがたい状況だったからです。【慢性的な銅銭の不足は、経済の停滞を招きます】。

当初、明朝は銅をかき集めて銅銭を鋳造しましたが、旺盛な貨幣需要に応えることはできません。そこで、前王朝の元朝をまねて、1374年に【「大明宝鈔(だいみんほうしょう)」】という【紙幣】を発行しました。

大明宝鈔
この紙幣はいわゆる【不換紙幣(ふかんしへい)】で、【金、銀、銅との兌換(だかん)ができません】。【政府の信用だけで流通しているお金】という点で、【現代的な意味での紙幣とまったく変わらないもの】でした。これは【貨幣史的にも画期的な政策】だと思います。

ところが、明朝は当初設定した【鈔(しょう)の名目価値】にこだわり、【経済成長に合わせて鈔の発行量を増やすという適切な金融政策を行えませんでした】。



その結果、【経済はデフレ基調】になって15世紀は【景気が低迷】して【国防力が低下】し、1449年には「土木の変(どぼくのへん)」で正統帝がオイラート族の捕虜になるという大失態まで演じます。もはや明朝の経済は終わりか――と思われたそのとき! 前述の通り、【日本からの銀が大量に流入した】のです!!

明軍とオイラート軍の進路
不足する銅銭、硬直的な金融引締めによって不足した「大明鈔」より、巷(ちまた)にあふれる「銀」のほうが貨幣として圧倒的に利便性が高く、安定していました。特に、日本からの銀が大量に流入する沿岸部の密貿易地域には貨幣として流通するのに必要なストックが生じました。そして、それが瞬く間に支那全土に広がったのです。
その結果、支那の沿岸部を中心に手工業が盛んになり、生産量が増大して空前の好況がやってきたというわけです。』

「革新官僚」の「増税ファシズム(増税全体主義)」と「財務省官僚」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本の歴史を、経済・金融の面を切り口としてみた場合、これまで学校の授業でお勉強させられ、「訳の分からない歴史」でしかなかったものが、普段の日常感覚で国史の流れをスッと、いとも簡単に理解できる、という良書で、また、多くの方々が勘違いしていると思われる「おカネ」というものについて、非常に正しい認識ができるようになる、お薦めの書物の第2巻になります。

さて、本文中には非常に重要なこととして、「現代的な意味での紙幣とまったく変わらない」不換紙幣が登場していたにもかかわらず、「明朝は当初設定した鈔(しょう)の名目価値にこだわり、経済成長に合わせて鈔の発行量を増やすという適切な金融政策を行え」なかったために失敗した、という歴史上の教訓が書かれています。

「おカネ」の名目価値を維持するというのは、

「モノの価格」が「おカネ」に換算して「1.5」である状態(→これを言い換えますと、「おカネ」はモノ「1」に対して「0.66」の価値ということになります)であったとして、

モノの生産量の増加があっても「おカネ」の供給を絞ることで、上図のように、「モノの価格」が「おカネ」に換算して「1」の状態(→これを言い換えますと、「おカネ」はモノ「1」に対して「1」の価値ということになります)へとモノの価格が下落方向へと変化する圧力を加えることとなり(→相対的に「おカネ」の価値が上昇します)、これをさらに続けますと、

「モノの価格」が「おカネ」に換算して「0.75」の状態(→これを言い換えますと、「おカネ」はモノ「1」に対して「1.33」の価値ということになります)になり、さらに続けますと、

「モノの価格」が「おカネ」に換算して「0.6」の状態(→これを言い換えますと、「おカネ」はモノ「1」に対して「1.66」の価値ということになります)になります。
ここまで、「モノの価格」は、「1.5」→「1.0」→「0.75」→「0.6」へと継続的な下落を示していますが、これを「デフレ/デフレーション」(=物価が持続的に下落していく経済現象)と呼びます。
逆に、「おカネの価値」は、「0.66」→「1」→「1.33」→「1.66」と、その名目価値が上昇していることが理解できます。

で、そんな明朝と同様の失策をやり続けているのが戦前の「革新官僚」由来の「増税ファシズム(増税全体主義)」を墨守する「財務省官僚」どもです。

分かりやすい直近の事例が、今回の参院選の最大の焦点となっている「消費税増税」という愚策になります。


☆首相、党首討論で「消費増税後10年は上げず」 : 選挙・世論調査 : 読売新聞オンライン
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆小室直樹 消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―

財務省が明朝と同じ失策を採り続ける理由は、上記のところで示しました通り、「おカネ」の供給を絞り続けることで、すでに「おカネ」をたくさん保持している人ほど有利な立場になり、また、「おカネ」の配分を決める権利を有している「財務省」の権力が強くなるからです。

岡本薫明(おかもと しげあき)
つまり、低所得者や働き盛りの子育て世代の方々の「可処分所得」を減少させ、他方、勤め先企業の収益を悪化させ、経済活動を縮小均衡の方へと導き、それが税収の減少をもたらし、ますます「財源ガー」「国の借金ガー」「年金ガー」と喧伝する材料を得ることとなり、「おカネ」の配分を決める権利を有している「財務省」の権力が、さらに輪をかけて強くなることを目論んでいるわけです。

その証拠がこちら(↓)になります。


詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆財政再建には名目成長率引き上げが不可欠なのに、消費増税で名目成長率を引き下げるという愚かな行為

マクロ経済学上の原則として、良く知られているのが「三面等価の原則」で、生産面からみても分配(所得)面から見ても支出面から見ても国内総生産(GDP)は同じ値(金額)になることを示しています。

つまり、「モノの生産性」が上昇し、一度にたくさんの量が造れるようになったとしても、「おカネ」の供給が絞られたままだと、「モノの価格」は下落方向の圧力が掛けられることになり、それは同時に「分配(所得)」にも「支出」にも下落方向の圧力が掛けられることになる、ということです。

さて、私たち日本国民は、どうすれば良いのでしょうか?
それでは、昨日の続きになりますが、バリバリの社会主義者であり経済学者でもあったこの(↓)要注意人物のお話になります。

都留重人
ちなみに、「三面等価の原則」を考案・命名した人物こそ、都留重人その人です。

子泣き爺
『 近衛の死も木戸に伝わった。木戸は近衛の死について、極めて事務的な言辞を一行だけ残して巣鴨へ向かった。
「近衛公今暁(こんぎょう)自殺云々(うんぬん)を報ず。甚(はなは)だ残念なり」
学習院初等科以来の友人の死への言葉は、「甚だ残念なり」だけだった。

木戸幸一
「戦争犯罪人として、米国の法廷に於いて裁判を受けることは、堪え難いことである」
遺書でそう言い残してみまかった近衛は、自決後も内外から非難を浴びせられ、今日に至っている。国民に対してとは別に、公卿(くぎょう)華族としての近衛は藩屏(はんぺい、皇室を護るもの)、御盾の責も負っていた。武家新華族の木戸も同様である。

近衛文麿
東條は天皇の軍隊に全責任を負っていた。この責を近衛は巣鴨への出頭を拒絶し、自決によって清算した。東條は極東国際軍事裁判には端然として臨み、「宣誓供述書」において天皇を守り、巣鴨の露となった。

東條英機
残るもう一人の藩屏・木戸は終身禁固刑を言い渡されたが、昭和三十年十二月十六日、巣鴨から仮釈放された。近衛の祥月命日(しょうつきめいにち)であったことをかつての盟友は知っていたであろうか。…天皇の知らないところで木戸は共産主義者と手を結び、近衛を陥れた。迫り来る共産主義の脅威を述べた近衛上奏文を入手した木戸は、その場で都留に電話を掛けて相談し、直ちに梅津参謀総長に連絡したのだ。

梅津美治郎
梅津はさっそく四方諒二憲兵隊長とともに吉田(茂)グループ逮捕の証拠固めに奔走し、間もなくスパイの手で吉田宅からも上奏文の写しが押収された。都留のシナリオどおりに吉田グループは逮捕されたが、憲兵隊もさすがに公爵・近衛の逮捕にまでは踏み切れず、監視を続けるに留まったのだった。木戸・和田兄弟の家に仮寓していた都留重人(つるしげと)は、いわば木戸ファミリーの婿養子に入ったようなものである。都留の行動に対して、木戸一家が総力を挙げて支援していたと考えるのが常識だろう。ということは、天皇を取り巻く環境に共産主義者の計画的な陰謀が迫っていた事実を証明するものである。
戦後から今日に至るおおかたの近衛批判は、先に紹介したノーマンの「覚書」をそっくりなぞったものに過ぎない。

☆「ノーマンは共産主義者」英断定 GHQ幹部 MI5、35年の留学時 - 産経ニュース

エドガートン・ハーバート・ノーマン
近衛の二男・通隆氏(平成二十四年没)は、筆者に最後にこう語っている。
「そうなのです、父は木戸に殺(や)られたのだと思っています」
日本を売った「赤いユダ」が天皇の側近とその親族にいたという事実は、あまりにも深刻で身震いがする歴史である。』
詳しくはこちらをご参照💗
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