2019-06-24 (Mon)

本日のキーワード : ヤリマン
アレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイ(Алекса́ндра Миха́йловна Коллонта́й、Alexandra Mikhailovna Kollontai、旧姓は、ドモントーヴィチ、Домонто́вич、Domontovich、ユリウス暦1872年3月19日(グレゴリオ暦3月31日) - 1952年3月9日)は、ロシアの女性革命家、共産主義者。当初、メンシェヴィキに所属するが、1914年にボリシェヴィキに転ずる。ソビエト政権樹立後は、1919年に政治家としてヨーロッパ最初の女性閣僚(人民委員)となった。レーニン没後、スターリンが権力を掌握すると、メキシコ、スウェーデンおよびノルウェーに外交官として派遣されるが、一方でこれは実質的にはソ連国内を追放されたに等しかった。
本日の書物 : 『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』 倉山満 宝島社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 最初にお断りしておきます。本書は【不愉快な本】です。本書では、【どのようにして日本人の頭が悪くなったのかを検証】します。だから、読んでいて気持ちよくなる本ではありません。…
なぜ戦前の日本はアメリカ相手に、負けるに決まっている戦いをしてしまったのか。

日本近代史を勉強していると、【必ず一度は突き当たる疑問】だと思います。私もそうでした。【しかし、なぜ負けるに決まっているのでしょうか?】

確かに【経済力】は圧倒的でした。…また、【アメリカの本土は広く】、日本から【遠い】ので、日本はアメリカを占領することはできません。研究者の道を進む前の私は、この【もっともらしい説明】で納得していました。
しかし、よくよく考えれば、【この二つくらいしかアメリカが日本に勝っている要素は無い】のです。もしこの二つの要素だけが決定的ならば、【ベトナムはなぜアメリカに勝てたのか?】…

そこで専門外なりに研究して気付いた、【ベトナムが大日本帝国より優っていた点】は【二つ】。一つは、アメリカと張り合う【ソ連の後ろ盾があった】ことです。…
反面、【大日本帝国】は東アジアにおける大国である【米英ソのすべてを敵に回しました】。ヨーロッパの大国であるドイツとの同盟は、まったく機能しません。そして4年に及ぶ【支那事変が泥沼化】する中、【米英に宣戦布告するという意味不明な国策を断行】してしまいました。【これでは勝てる訳がありません】。

もう一つは、【プロパガンダ】です。ベトナムは、「アメリカの残虐行為」を映像に撮り、全世界にばら撒きました。…
【大日本帝国のインテリジェンス】はどうだったでしょうか。【『ヴェノナ文書』】の公開で、【ソ連が世界中にスパイを放ち、外国政府の情報をキャッチし、その国策をコントロールしていた】ことが明らかになってきています。…
最初、【日本の主敵はソ連】でした。【ソ連は共産主義を掲げる国】です。【共産主義】とは、「世界中の政府を暴力で転覆し、世界中の金持ちを皆殺しにすれば、全人類が幸せになれる」とする【幼稚極まりない、且つ危険極まりない思想】です。…

ところが、「ソ連と本格的に戦う前に支那(中華民国)を叩き、後顧の憂いを無くすべきである」とする【「対支一撃論」】から【支那事変に突入】し、中国大陸全土で終わる見込みの無い泥沼の抗争を繰り広げました。そして、「支那(中華民国)が音を上げないのは、背後からイギリスが支援しているからだ。支那事変を解決するにはイギリスを叩かねばならないが、イギリスを叩くと必ずアメリカが出てくる。だから、アメリカとも戦わねばならぬ」という【理屈になっていない理由】で、【対米開戦】に至りました。言うなれば、【「ソ連の片手間の、中国の片手間の、イギリスの片手間に、アメリカと戦争をした」】のです。

あげくの果てに、【ソ連のスパイ機関に情報を抜かれ、いいようにコントロールされてしまいました】。【インテリジェンスとしては最低】と言っても良いでしょう。
なぜ、最低なのか。
満洲事変が起きた昭和六(1931)年、大日本帝国は無敵の陸海軍を誇っていました。アメリカが何を言おうが、ソ連が何を言おうが、イギリスが何を言おうが、無視できるだけの力を持っていました。

大日本帝国 最大行政統治・軍事勢力圏
西太平洋から東アジアにおいて、誰も手出しができない大帝国でした。ところが、【15年もたたないうちに大日本帝国は、地球の地図から消えてしまいました】。

【我々日本人が真に反省すべき】は、負けるに決まっている戦争をしたことではなく、【負けるはずがないのに滅びてしまったこと】です。【力が強いのに滅んだということは、頭が悪かったということ】です。…

【強かったのに、頭が悪かったから負けた】。【この現実を見据えなければ、歴史を語ったことにはならない】でしょう。』

「動物的本能のままに・・」(=自我・小我)というのがパヨクの特徴
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、ここ100年ほどの我が国の歴史を振り返りながら、強かったはずの我が国が、途中から頭が悪くなり、何故か我が国が負ける方向へと突き進んでいった史実を確認することで、そこに「ツィンマーヴァルト決議」の「革命的祖国敗北主義」の存在を容易に想定することができ、第一目的である「祖国敗戦」を達成し、さらなる第二目的である「祖国の共産主義化」を目指した残存勢力が、未だに現代の我が国に存在している事実、そして、それが誰であるのか、その識別能力を高めるための「基本的な入門書」で、広く国民のみなさまにご覧頂きたい良書になります。

さて、「我が国が負ける方向へと突き進んでいった史実」を本書でご確認頂くことで、「ツィンマーヴァルト決議」の「革命的祖国敗北主義」の存在を容易に想定できると書かせて頂きましたが、先日も書かせて頂きましたように、欧州大戦(第一次世界大戦)の勃発により、当時の社会主義者らの国際組織・「第二インターナショナル」は空中分解に至る(1914年)わけですが、自国の戦争を支持し政府に協力する「城内平和(じょうないへいわ)」・「ブルクフリーデン」の路線を選択する社会主義者が多数派を占める中、この方針に反対する連中、つまり「極左の共産主義者」が決定したテーゼ(綱領)が「ツィンマーヴァルト決議」(1915年9月11日)で、本当の革命を起こすために、「必ず祖国を敗北に導くように共産主義者は行動しなければならない」という「革命的祖国敗北主義」の方針が決定されます。
つまり、「極左の共産主義者」の方針に沿った行動を取っていたことが、「我が国が負ける方向へと突き進んでいった史実」から容易に確認できるということになります。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆アメリカへと渡った極悪人の片山潜 ~ 在米日本人社会主義者団の中心人物

で、我が国が負ける方向、つまり、極左の共産主義者らの唱える「革命的祖国敗北主義」を、当時の日本国政府の内部で誘導していったのが「革新官僚」の「一大巣窟(そうくつ)」である「企画院」で、陸軍統制派の理論的支柱としても知られる池田純久(いけだすみひさ)が「主犯格」となります。

池田純久
ちなみに、そんな「革新官僚」がぬくぬくと生きのびて、「戦後利得者」として、財務省(旧大蔵省)の官僚として、経済産業省(旧通産省)の官僚として、内閣府(旧経済企画庁等)の官僚として、それら省庁を主たる拠点に、戦後の我が国の諸政策において、さらに、その「無謬性(むびゅうせい)」を強めてゆくようになり、現在に至る(現在の消費税率引き上げという愚策がその典型例)、というのが前回までのお話になります。


で、「マルクス教(=共産主義)」の使徒で、レーニンやスターリンに匹敵する極悪人の「片山潜(かたやません)」は、1914(大正八)年にアメリカへ亡命するのですが、

片山潜
アメリカに渡った片山潜は、オランダ人マルクス主義者であるセバルト・J・リュトヘルス(Sebald Justinus Rutgers)が主宰していた機関誌『クラス・ストラグル』を中心に、

S・ J・ リュトヘルス
同じく亡命者であった「レフ・トロツキー(本名はレフ・ダヴィードヴィチ・ブロンシュテイン)」や、

トロツキー。娘のニーナと。(1915年)
アレクサンドラ・コロンタイやニコライ・ブハーリンらと交流する中で、その思想が漸進的(ぜんしんてき)なものから急進的なものへと変化するようになります。まるで、「ボリシェビキ」のように。

アレクサンドラ・コロンタイ

ニコライ・ブハーリン
ここで補足しておきますと、レフ・トロツキーはロシアに広大な土地を持っていた富農なユダヤ系の両親に育てられています。また、アレクサンドラ・コロンタイは13世紀にまで遡ることができるロシアの名門貴族の家系で非常に裕福な家庭で育ちました。ニコライ・ブハーリンは、ロシアの数学者の家庭で生まれ育っています。ウラジーミル・レーニンの父親も、物理学者としての活躍を評価され貴族に列せられた名士でした。
すべて「良い家柄」で生まれ育っていますね💗

「ロシア・マルクス主義の父」とされるゲオルギー・プレハーノフとの関係から、アメリカのロシア移民に親しまれていた片山潜は、

ゲオルギー・プレハーノフ
アメリカにおいて、日本政府に対する大々的な示威運動のために、日本人社会主義者の組織化を進め、「在米日本人社会主義者団」を結成します(1918年8月)。
詳しくはこちらをご参照💗
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☆ボリシェビキとニューヨークと片山潜

すでに、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)の成功を見て熱狂する片山潜は、1919年3月、国際的な共産主義運動を指揮する司令塔としての「第三インターナショナル」、正式名称は英語で「Communist International」、日本語で「共産主義インターナショナル」、略称「コミンテルン(Com+Intern)」が設置されると、連携して活動を始めるようになります。

第二インターナショナル コペンハーゲン大会(1910年)

少し脱線いたしますが、上の写真で、アレクサンドラ・コロンタイ(左側)と握手を交わしているのがクララ・ツェトキン(右側)で、後方に写っているのがローザ・ルクセンブルクです。
詳しくはこちらをご参照💗
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☆三国協商を潰すためのドイツの道具 = レーニン

アレクサンドラ・コロンタイは、21歳で結婚し子どもも儲けるのですが、26歳のとき、その家族を捨てて、大学で「サタニズム(悪魔崇拝)」である「マルクス教(マルクス主義)」のお勉強に夢中になります。
また、アレクサンドラ・コロンタイは、現代風に言うところの「ヤリマン」としても知られ、

ロシア革命直後のレーニンら主要メンバー(1918年)

向かって一番左側のアレクサンドル・シュリャープニコフが元カレで、中央のハゲがウラジーミル・レーニンで、レーニンの隣の女性がアレクサンドラ・コロンタイで、その後ろの大柄な男性が立っていますが、これが旦那のパーヴェル・ドゥイベンコになります。
で、その壁際にもう一人立っている小僧っぽいのがいるのですが、それがヨシフ・スターリンになります。

ヨシフ・スターリン(1915年)
お嬢様育ちのアレクサンドラ・コロンタイのような「ヤリマン」が、どうもパヨク(社会主義者・共産主義者・進歩主義者等々)のなかに非常に多く見られるのですが、ひょっとして、「自由」という言葉を「好き勝手に何でもやっても良い」と勘違いした阿呆な男連中を引き寄せる役割を果たしていたのではないでしょうか?
詳しくはこちらをご参照💗
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☆「エロス+虐殺」 ~ 日本共産党の創設メンバーと極左・朝鮮人と「繋がりの始まり」

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