2019-06-20 (Thu)

本日のキーワード : 片山潜、在米日本人社会主義者団
在米日本人社会主義者団(ざいべいにほんじんしゃかいしゅぎしゃだん)は、1918年(大正7年)8月、片山潜を中心に在米日本人の若手社会主義者たちが結成した団体である。
アメリカにあって、コミンテルンと日本国内の社会主義者との中継機関としての役割を果たし(いわゆるコミンテルンから日本への「西回りルート」)、日本共産党(第一次共産党)の結成に大きく貢献したことから、今日では日本共産党の源流の一つと見なされている。
本日の書物 : 『経済で読み解く日本史① 室町・戦国時代』 上念司 飛鳥新社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【禅宗(ぜんしゅう)】の【臨済宗(りんざいしゅう)】を支那から日本に伝えたのは【栄西(えいさい/「ようさい」ともいう)】です。

明菴栄西
栄西は1167年に九州に赴き、宇佐(うさ)や阿蘇山で修行した後、翌年2月に博多の「唐房(とうぼう)」に行きました。唐房とは、当時のチャイナタウンのことです。栄西はそこで2か月間の語学研修を受けたのち、4月に宋に向けて旅立ちました。

1142年金と周辺国
第1章で述べた通り、日本の鎌倉時代、支那の宋の時代にはすでに東アジア地域の交易は活発になっており、九州各地にこのようなチャイナタウンはたくさんあったそうです。…

☆中世の貿易の玄関 博多
ちなみに、当時のチャイナタウン(唐房)は現在の姪浜(めいのはま)や下山門(しもやまと)辺りに存在したことが発掘調査などで明らかになっています。おそらく栄西が語学研修を受けたのはこの辺りだったのではないでしょうか。

聖福寺位置
栄西は一度帰国した後、1187年に再び宋に渡り4年の修行を経て1191年に帰国しました。そして、主に九州の筑前、肥後地方を中心に布教活動を始めます。ところが、ここでひとつ【大きなトラブル】が発生しました。なんと、【栄西は激しい妨害に遭遇】してしまうのです。
栄西を妨害したのは筑前箱崎(はこざき)の良弁(りょうべん)という僧侶です。臨済宗のホームページなどによれば、良弁は栄西の禅が広まることを妬み、【比叡山延暦寺の宗徒を誘って栄西を徹底的に妨害した】とのことです。
ご存じの通り【比叡山延暦寺(天台宗)】は【日本の仏教の総本山】と言ってもいい存在であり、【奈良時代から続く巨大寺院】です。これに対して【栄西の臨済宗】はまだ立教したばかりの【新興宗教】であり、政治的なパワーもほとんどありませんでした。…
最大の法難を自らの雄弁によって乗り切った栄西は、翌年、博多の外国船船着き場の近くに【聖福寺(しょうふくじ)】を開きます。その時の経緯について、聖福寺のホームページには次のように書かれています。
「 聖福寺(しょうふくじ)は建久(けんきゅう)6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝(みなもとよりとも)公よりこの地を賜り、栄西禅師(ようさいぜんじ)を開山(かいさん)として創建された日本最初の禅寺(ぜんてら)です。山号を安国山(あんこくざん)、寺号を聖福至仁禅寺(しょうふくしぜんじ)といいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇(後上皇)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」の勅額を賜りました。」
☆聖福寺の歴史
臨済宗は、取り消されたとはいえ、前の年に【朝廷から布教禁止を言い渡された新興宗教】です。それなのに、【なぜ時の将軍から直々(じきじき)に土地を下賜(かし)されたのか】。

この部分に引っかかった人はかなり鋭いです。【「禅僧の宗教活動に将軍自らなぜこれほどの便宜を図ったのか?」】――、これこそが、【寺社勢力という謎を解く鍵】だからです。

栄西が伝えた【臨済宗】は、この【鎌倉時代から室町時代(応仁の乱まで)】にかけて【日本経済を牛耳る巨大マフィアへと成長】していきます。

☆中世の貿易の玄関 博多
聖福寺の場所が、なぜこんなに外国船ターミナルに近いのか? その秘密は、【経済という視点から見ると極めて簡単】に解けます。そして、【良弁と比叡山宗徒がなぜ栄西を執拗に妨害したのか】、その理由も極めてはっきりしています。』

コミンテルンと在米日本人社会主義者団と日本共産党を結ぶ線
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本の歴史を、経済・金融の面を切り口としてみた場合、これまで学校の授業でお勉強させられ、「訳の分からない歴史」でしかなかったものが、普段の日常感覚で国史の流れをスッと、いとも簡単に理解できる、という良書で、また、多くの方々が勘違いしていると思われる「おカネ」というものについて、非常に正しい認識ができるようになる、お薦めの書物になります。

さて、このあと、臨済宗は「日本経済を牛耳る巨大マフィアへと成長」してゆくことになるのですが、その辺りの詳細については本書をご覧頂きたいのですが、日本の坊主が何をやって来たのか、ということが非常によく理解できると思います。
もちろん、「日本の仏教の総本山」とも言われる「比叡山延暦寺(天台宗)」も、同様の巨大マフィアなんですが(笑)

これまでにも何度か書かせて頂いているのですが、本来の仏教とは、「インドの仏教」であって、それが支那を経由することで変質し、それが日本に伝わってから、さらに奇妙な日本の仏教となっています。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆日本の仏教は、日本オリジナルの仏教です
☆本来の仏教からは、完全に逸脱している「般若心経」

☆ユクスキュルの「マダニの環世界」は、聖徳太子の「仏教」を理解する第一歩です

さて、ここからは昨日の続きになりますが、いま何をやっているのかを再確認しておきますと、私たちの日本に巣食う災いをもたらす「元凶」である「パヨク(社会主義者・共産主義者・リベラル・進歩主義者などなど)と呼ばれる阿呆」の大本が、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)という2段階革命、つまり1度目で対象となる国家そのものを弱体化させ、2度目で本来の目的である「共産主義化」を成就するという革命の成功にあり、その首謀者であったレーニン率いるボリシェビキが、「サタニズム(悪魔崇拝)」である「マルクス教(=共産主義)」の布教活動を始めたのが、今から100年前の1919年(大正八年)で、各国へ「マルクス教の宣教師(マルクス主義者)」を派遣し、「布教(=洗脳教化)」し、拠点としての「教会(=共産党)」を作り、そして「信者(=共産党員)」を組織化し、さまざまな「非合法活動」を行ってゆくようになります。すべて、レーニンの指導の下に、レーニン中心の極左・共産主義者が終結した組織である「コミンテルン(第三インターナショナル)」の下に、です。そして、それがどのようにして世界に拡散し、私たちの日本にもやって来たのか、を確認しているところになります。

そして、その中心的な役割を演じた「使徒」としての日本人、レーニンやスターリンに匹敵する極悪人の「片山潜(かたやません)」について、色々と書かせて頂いているところになります。

片山潜(1925年)
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「サタニズム(悪魔崇拝)」の「マルクス教(=共産主義)」の布教活動 ~ 使徒・片山潜

「日露戦争」の最中の1905年、「血の日曜日事件」が勃発、ロシア各地で革命蜂起的な動きが出るようになる(ロシア第一革命)のですが、これは完全なる失敗に終わります。
この失敗によって、その混乱から身を逃した人々の多くがスイスへ亡命、そして主として革命を実行したテロリストの連中がニューヨークへと移民します。
こうして、ニューヨークの移民街は、レーニンやトロツキーらの属した「ボリシェビキ」の巣窟と化していくようになります。
そして、そのニューヨークにおける日本人の社会主義運動の中心となるのが、実は極悪人である老害・片山潜でした。

昨日のところでも書かせて頂きましたように、社会主義者の国際組織としての「第二インターナショナル」(International Socialist Congress)は、第一次世界大戦の開戦で、それぞれ自国政府の戦争を支持する社会主義者が続出して空中分解という形でに瓦解(1914年)するのですが、この時、自国の戦争を支持し政府に協力する「城内平和(じょうないへいわ)」・「ブルクフリーデン」の路線を選択する社会主義者が多数派でした。
(以下は、Wikipediaからの抜粋です)
『 城内平和(じょうないへいわ、独:Burgfrieden / Burgfriedenspolitik)とは、第一次世界大戦中のヨーロッパ各国(特にドイツ)において、社会主義政党を中心とする野党と政府の政争や労働者と資本家の階級対立が一時停止され、戦争遂行のために協力関係が結ばれたこと、あるいはそのような政策を意味する。原語で「ブルクフリーデン」とも呼ばれるほか、日本語では「域内平和」と訳す場合もある。
フランス、オーストリアの社会主義者も同じ行動をとった。』
で、この方針に反対する連中、つまり、第二インターナショナルの中の極左に位置したレーニンやトロツキー、ローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトなど、大戦後にドイツ革命やロシア革命を指導した輩が、1915年9月11日に、スイスで「ツィンマーヴァルト決議」を行います。そこで決定された方針こそが「革命的祖国敗北主義」であり、「必ず祖国を敗北に導くように共産主義者は行動しなければならない」という悪魔の決定がなされたわけです。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「革命的祖国敗北主義」という「極左の共産主義者」の悪魔の理論

1914年4月、第一次世界大戦が始まり、「第二インターナショナル」が分裂の様相を呈します。
ここで、同年8月に開催予定であった第二インターナショナル・ウイーン大会に参加すべく、シベリア鉄道経由で渡欧しようとしていた片山潜は、戦争勃発で大会が中止となったことから、急遽、アメリカへと渡ることにしました。何故ならば、「大逆事件(たいぎゃくじけん)」(1910年)のあと、私たちの日本における「社会主義者、アナキスト(無政府主義者)の根絶」が健全になされていて、片山潜自身は、日本の社会主義運動に絶望していたからで、まず、サンフランシスコに居を構え、生活のために様々な職業に従事しながら、当時のアメリカでの移民問題などに直面します。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆極右と極左の「社会主義」

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