2019-06-12 (Wed)
本日のキーワード : 大杉栄
『エロス+虐殺』(えろすプラスぎゃくさつ)は、1970年3月14日に公開された吉田喜重監督の映画作品である。現代映画社製作、日本アート・シアター・ギルド配給、白黒シネマスコープ。
吉田喜重の代表作であり、フィクションであるが、実在の出来事を題材にしている。他の主なものはモデルの実名だが、神近市子をモデルとしたと推測される役柄は、正岡逸子の仮名が当てられていた。神近市子はこの映画の公開にあたり、自身の名誉権とプライバシー権の侵害を理由に上映の差し止めを求めて提訴したが、「周知の事実」として棄却された。
本日の書物 : 『日本人として知っておきたい世界史の教訓』 中西輝政 扶桑社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 日本国内に浸透した【共産主義の脅威】といえば、【その極めつけ】はなんといっても【ソ連スパイ・ゾルゲ諜報団の中心メンバー】で、同時に【近衛内閣のブレーン】だった、前節で扱った【尾崎秀実(おざきほつみ)】です。
尾崎秀実
そこで、先述した通り、尾崎は、ソ連(赤軍の諜報部門である参謀本部第四局=GRU)のスパイ、リヒャルト・ゾルゲとそのグループを通じて【日本の軍事・外交の機密情報をソ連に流した】として昭和16年10月に逮捕され、19年に【ゾルゲとともに死刑】に処されています。
リヒャルト・ゾルゲ
ところで、尾崎らがゾルゲを通じて【ソ連に通報した日本の機密】の中でも【最も「重要」】だったのは、昭和16年夏にドイツ軍のソ連侵攻に呼応して日本軍が【「北進」】、つまり北方でのソ連軍との戦いに赴くのではなく、英米蘭との衝突も覚悟した【「南進」】を選択した、という情報だとされてきました。…ソ連はこれで極東方面に配置していた大量の赤軍部隊を、1941年後半の決定的なタイミングで欧州の対独戦に回すことができ、その後の対独戦の展開に大きな影響を与えたことは間違いありません。
しかし、尾崎が【共産主義者(もちろん、逮捕されるまで自らが共産主義者であることを隠していました)】としてやった【日本に対する国家反逆行為】は、単なる機密漏洩にとどまるものではありませんでした。むしろ、それは【尾崎の「歴史的役割」】としては副次的なものにすぎません。
【元朝日新聞記者】で、広くその名を知られた「中国通」としての立場を利用した【世論操作のための言論活動(主として日中戦争の拡大を煽る言論活動)】や、【近衛内閣中枢における政策決定過程への数々の秘密工作】によって、【日中戦争の拡大と泥沼化】、ひいては【日米戦争と敗戦による日本の共産主義革命に向けて、意図的に日本の国策を誘導する】という一大工作にも手を染めていたのです。…
日本と中国を疲弊させ、とくに尾崎の視野の中では、…国民党によって【壊滅寸前にまで追い込まれていた中国共産党の窮状を救い、日中両国を赤化することも目的】でした。
【動画】福島原発の朝日新聞の報道で「所長命令に違反して9割が逃げた」とする、世紀の大誤報「吉田調書」をやらかしたのは鮫島浩氏だったことが判明
☆朝日新聞・鮫島浩「今はちょっとでも社会が公正になるようにやっていこうと…」⇒安部敏樹「じゃあ新聞の軽減税率やめれば?」⇒上念司「御社のビルも国から払下げでしょ?」⇒鮫島「…」~ネットの反応「鮫島は少しでも誰かに論戦に勝てる算段があって出てきたのか」
さらに軍事戦略的にも、【日本軍を中国内に釘付けにする】ことで【ソ連を防衛する】という目的も彼の重要な使命として存在しました。
☆立憲民主党、自民の参院選公約を批判「北朝鮮にさらなる制裁の検討を行う」との部分は「無条件での日朝首脳会談」と矛盾~ネットの反応「『対話と圧力』はい論破」
さらに言えば、日中戦争が泥沼化してゆけば、必然的に日米間の対立が深刻化し、やがては日米戦争へとつながる。このことは、【尾崎らの考える「日本の敗戦革命」というシナリオ】を支える中心的な構想であり、現に後で見る通り、【尾崎自身、逮捕後の取調べで素直にそう語っています】。』
日本の極右が支援した孫文と「中国共産党」が支援した妻・宋慶齢
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、学校の授業で覚えさせられる世界史とは違って、主に第一次世界大戦の前までの大英帝国の覇権、そして第一次世界大戦の最中に勃発した1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)後のソ連を中心とした社会主義・共産主義勢力、そして2つの大戦間に確立した現在に至るアメリカの覇権を軸に、ここ100年ほどの世界の流れを大きく読み解く能力が身につく良書となります。
さて、昨日のところで、今から100年前の1919年(大正八年)という年は、
① 欧州大戦が終結した。
② レーニン中心の極左・共産主義者が「コミンテルン(第三インターナショナル)」として集結した。
③ 支那で「五四運動」という排日(≠反日)ナショナリズム運動が起こった。
という状況にあって、
大戦中は味方同士であった英米と日本は、「① 欧州大戦が終結した」ことで、「国家社会主義」を信仰する「極右勢力」らの主張や活動が、英米にとっては好ましくないものとなり、当初、特に米国キリスト教(プロテスタント)主導で行われた「③ 支那で「五四運動」という排日(≠反日)ナショナリズム運動」へと繋がっていくことになり、他方で、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)の成功によって、ソ連を中心とした社会主義・共産主義勢力が「② レーニン中心の極さ・共産主義者が「コミンテルン(第三インターナショナル)」として集結し」、その「コミンテルン」の指揮の下で、ほぼ壊滅状態であった「社会主義」を信仰する「左翼・極左勢力」が息を吹き返し、これら「極右」と「極左」どもが、私たちの日本を混乱に貶めてゆくようになります、と書かせて頂きましたが、そこで「五四運動」(1919年5月4日)という排日運動から「反日運動」に至る過程について、さらにその実態がどのようなものであったのかを次の書物を参考にして確認しておきたいと思います。
『 長野朗(ながのあきら)…戦前を代表する秀れたシナ通、中国通で…GHQに焚書された本は18冊もあり…没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。…1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。…洞察力も鋭いし、シナという国に愛情を持ちつつも知的に冷徹にこの民族の本性を見抜いています。しかも、扱う事象の幅が広い。』
『 国民政府になってからは、政府自ら排日教科書を編纂し、童謡に童話に児童劇に、皆排日を盛るに至った。排日運動を初めから眺めていると、英米人の煽動は実に目に余るものがあった。公吏(英米系の公共団体の職員)が自ら乗り出してやっているし、運動費を出す。それも一度に出すとパッと焚(も)えて後は火の消えたやうになるから、毎月に出すし(お金を小分けにして与えた)、外字新聞(英米人経営の英語新聞)が排日煽動の音頭取りをやるし、それに自分の新聞だけで足らずに、支那紙(支那語の新聞)を買収して盛んにやったものである。各地の学生会でも、英米人経営の学校がすべて中心になっている。宣教師どもが排日運動に大童(おおわらわ)で活動する。英国は未だに日英同盟が存在していたので、表面には出ないで、アメリカを表に出して裏で盛んに活動した。彼等の最も恐れたのは日支の結合である。日支が結合すれば、世界何物も之を冒すことは出来ない。それでは彼等の野望が達せられないので、先ず日支を離間する(日本と支那の仲を引き裂く)ことに全力を注ぎ、次に之を衝突させ相闘はしめやうとした。この深謀遠慮は、二十年のたゆみ無き努力により、蒋介石の長期抗戦となって現はれた。』
汪兆銘
「国民政府になってから」とありますが、これは1925年以降のことを言っていて、1925年~26年は広東(広州)にあり、当時の主席は汪兆銘(おうちょうめい)で、孫文の信頼が厚かった人物で、「中国同盟会」結成時の機関紙『民報』の編集スタッフでもありました。これまでにも書かせて頂いたように、「中国同盟会」というのは「アジア主義」を掲げ「アジア革命運動」を扇動していた「国家社会主義」を信仰する「極右勢力」が支援した組織です。
1925年の支那軍閥
さて、ここで問題なのですが、日本の「極右」が支援した革命組織「中華同盟会」のメンバーで、孫文の信頼も厚かった汪兆銘を主席とする「国民政府」が、どうして「政府自ら排日(≠反日)教科書を編纂」したのでしょうか?
ちなみに、孫文が結婚したのは日本亡命中(1913年~1916年の間)と考えられていますが、その妻は「宋家三姉妹」の一人、宋慶齢(そうけいれい)で、
宋家三姉妹
宋慶齢(1920年)
のちの、一党独裁のファシズム政権である中国共産党が支配する「中華人民共和国」において、1949年から1965年まで16年間にわたって副主席を務め、さらに「中華人民共和国名誉主席」の称号を授けられた御仁になります💗
現在の中華人民共和国副主席は王岐山(おうきざん)で、「中華人民共和国副主席」だから、中華人民共和国のナンバー2だと勘違いされている方々も多いのですが、中華人民共和国の上位に位置しているのが「中国共産党」であって、その「中国共産党」という組織における序列によって、あの国ではすべてが力関係によって決定されていますので、「国の副主席」とか「国の名誉主席」といった言葉のニュアンスを正しくご理解頂けますようにお願い致します。「党の●●」ではない、という点にご注意くださいませ。
王岐山(おうきざん)
お話を戻しますと、宋慶齢(そうけいれい)が中国共産党にとって価値のある人物であったことは疑いようがないのですが、簡単に申し上げますと、下図に示すような関係がもともと存在していて、そこに第三極が絡んでくることになります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆ユダヤ人が支那から奪い取ったもの
☆支那伝統の秘密結社「幇(ぱん)」
その第三極というのは、「② レーニン中心の極左・共産主義者が「コミンテルン(第三インターナショナル)」として集結した」ことによって生じたものであり、支那を巡っての関係が複雑になってゆきます。下図には書いておりませんが、孫文を支援していたのは、繰り返しますが、日本の「極右」になります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆安倍外交が最優先で目指していること ~ 北京テルンの完全なる殲滅
1925年の支那軍閥
当時の支那は、戦国大名が活躍した日本の戦国時代のように、軍閥が跳梁跋扈し四分五裂の状況で、だからこそ、各方面からの介入を引き起こしたわけですが、「中華民国」における「中国国民党」の政府が支那全域を統治していたわけではなく、地方に割拠していた軍閥と、支那最強の軍事力を誇る「北洋軍閥」が支配する「北京政府(北洋政府)」が存在していました。
満洲人が支配した支那の清朝の中心は、故郷の満洲に近い北京で、「北洋軍閥」が立地する地域は歴史的な正統性もあり、また軍事力も当然最強でした。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「ロケット・マン」と「ストロング・マン」の軍閥
ですから、支那全土を統治するためには、群雄割拠する軍閥の一掃とともに、北京政府の打倒も必須条件になります。ここにも、支那の歴史のパターンである「南北対立」が見いだされるわけですが、満洲人が支配する清朝において、支配されていた漢人が同じく漢人のネットワークである華僑の支援の下に、支那全土の統一を目指してゆく流れであると御理解頂ければ分かりやすいと思います。
その一方で、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)以降、革命派(赤軍)と反革命派(白軍)との内戦状況にあったロシアのシベリアでは、各国干渉軍による「シベリア出兵」(1918年~1922年)が行われていましたが、のちの日本共産党の創設メンバーら、つまり「社会主義」を信仰する「左翼・極左勢力」らが、極左・朝鮮人と連携していました。
☆ロシア革命と日本の社会運動
「在米日本人社会主義者団を組織」した片山潜(かたやません)と書かれていますが、レーニン以上の極悪人とされる人物で、「レーニンに資金援助」をしていた「アメリカ共産党」、そして、その「アメリカ共産党」をつくった「メキシコ共産党」、その“2つの共産党”の両方の結成にも関与していました。
片山潜(1925年)
『倉山 : アメリカ共産党はレーニンに資金援助をしています。世界で最初にできたのがメキシコ共産党で、メキシコ共産党がアメリカ共産党をつくった。つまりアメリカ共産党は世界で二番目にできた強い共産党です。メキシコやアメリカでは革命が成功しなかったので、1917年にレーニンがドイツへ送り込まれた時に、そこに一点集中したんです。
宮脇 : そして、日本の中国に対する「二十一カ条要求」への反対というのが五・四運動のテーマですが、これも資金はアメリカのお金でした。』
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆メキシコの共産党、アメリカの共産党、そして日本人
また、「上海に渡航し、コミンテルンの在中国代表・ヴォイチンスキー、大韓民国臨時政府国務総理を務める朝鮮人・李東輝と接触」したとあるのが、アナキスト(無政府主義者)である大杉栄(おおすぎさかえ)で、葉山の日陰茶屋事件は有名ですね。舞台となったお店は今も残っています(→☆日本料理 葉山日影茶屋)。
大杉栄
(以下は、Wikipediaからの抜粋です)
『 自由恋愛論者で、居候中に堺利彦の義妹堀保子を強引に犯して結婚する。当時、保子は深尾韶と婚約していたが、これは破棄された。だが、栄は保子と入籍せず、神近市子に続き、伊藤野枝とも愛人関係となって、野枝は長女魔子を身ごもった。女性達からは常に経済的援助を受けていたが、野枝(とその子供)に愛情が移ったのを嫉妬した市子によって刺された日蔭茶屋事件(日影茶屋事件)では大杉は瀕死の重傷を負った。』
神近市子
神近市子(かみちかいちこ)というのは、東京日日新聞(現・毎日新聞)の記者で、戦後に日本社会党から出馬して衆議院議員を5期務めています。
『 その後、保子と離別、市子は入獄したので、野枝と家庭を持つが、依然として入籍はせず、次女エマ、三女エマ、四女ルイズ、長男ネストルをもうけた。次女エマ以外は大杉・伊藤の死後、伊藤の実家に引き取られて、戸籍を届ける時に改名されたものである。』
子どもらにキラキラネームを名付けているのですが、カタカナの名前はすべて実在する極左連中の名前に由来するもので、漢字の名前は、その文字通り、「悪魔の子」の意味なのでしょうね(笑)
また、大杉栄は大逆事件(幸徳事件)後の「社会主義冬の時代」に創られた「売文社」のメンバーでしたが、その代表が居候先の堺利彦でした。その義理の妹を・・・ということになります(笑)
売文社の面々。左から、新居格(白シャツ)、大杉栄、堺利彦、山崎今朝弥、山川均、近藤栄蔵。
お話を元に戻しますと、新しく生じた第三極は、「② レーニン中心の極左・共産主義者が「コミンテルン(第三インターナショナル)」として集結した」ことによるもので、ロシアの内戦が革命派(赤軍)の勝利に終わり(1922年)、ソ連・コミンテルンの「共産主義勢力」が支那や朝鮮、そして日本に組織化されてゆくようになり、やがて、もともと日本に存在していた「社会主義」を信仰する「左翼・極左勢力」と結びつくようになります。
また、支那においては、地方に割拠していた軍閥と、支那最強の軍事力を誇る「北洋軍閥」が支配する「北京政府(北洋政府)」に対抗するために、「中華民国」における「中国国民党」の政府は、ソ連・コミンテルンの支配下にある「中国共産党」と連携するようになります。それが「国共合作」になります。
続きは次回に♥
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Re: No Subject * by みっちゃん
「差別ではなく、日本の秩序を護る為」⇒ その通りだと思います。
また、「差別」ではなく、単なる「分別(ぶんべつ)」と表現する方が良いと思います。
ゴミだって、みなさん「分別(ぶんべつ)」しているはずですが、「在日」をキチンと「分別(ぶんべつ)」することに、何か問題があるのでしょうか?
その「在日」の中でも、「在日アメリカ人」とか「在日イギリス人」とかは「こっち」、「在日朝鮮人」は「あっち」と「分別(ぶんべつ)」するだけでも、かなり危険性は抑制できますね💗
また、「差別」ではなく、単なる「分別(ぶんべつ)」と表現する方が良いと思います。
ゴミだって、みなさん「分別(ぶんべつ)」しているはずですが、「在日」をキチンと「分別(ぶんべつ)」することに、何か問題があるのでしょうか?
その「在日」の中でも、「在日アメリカ人」とか「在日イギリス人」とかは「こっち」、「在日朝鮮人」は「あっち」と「分別(ぶんべつ)」するだけでも、かなり危険性は抑制できますね💗
技術も盗まれています。
スパイ防止法が早く制定、施行されてほしいです。
国家反逆罪も同様に。
それから、純粋日本人と混血や帰化人とを区別すべきと思います。
純粋日本人しか携わってはいけない職業があるからです。
入学、入社、資格取得などの際の戸籍の提出も復活させてほしい。
差別ではなく、日本の秩序を護る為です。