2019-05-26 (Sun)

本日のキーワード : バフチサライ
バフチサライ(クリミア・タタール語: Bağçasaray、トルコ語: Bahçesaray)は、クリミア半島の都市。人口は33,800人。「バフチサライ」とは、クリミア・タタール語で「庭園の宮殿」(ペルシア語の Bāghche Sarāy に由来)の意味。1532年から1783年までクリミア・ハン国の首都であった。

本日の書物 : 『知ってはいけない現代史の正体』 馬渕睦夫 SBクリエイティブ
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【ロシア革命】は、歴史教科書にあるような、時の皇帝ニコライ二世の圧政に苦しむ【ロシア人が蜂起して帝政ロシアを転覆させた、という革命ではありません】。

国外に亡命していた【ユダヤ人】がイギリスのシティやアメリカ・ニューヨークの【ユダヤ系国際金融勢力の支援を仰ぎ、ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために起こした事件】です。

このことは【当時のイギリスやヨーロッパ諸国ではほぼ常識的な認識】でした。フランス出身のイギリスの歴史家【ヒレア・ベロック】は、1922年発刊の自著『The Jews』(邦題『ユダヤ人 なぜ、摩擦が生まれるのか』渡部昇一・監修、中山理・訳 祥伝社)の中ですでに、【ロシア革命はユダヤ革命(ジュイッシュ・レボリューション)】である、と指摘しています。…

ヒレア・ベロック
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆ヒレア・ベロック ユダヤ人 なぜ、摩擦が生まれるのか

【欧米のユダヤ人金融資本家】は、ロシア革命を推進した【レーニン】や【トロツキー】を【資金的に支援】しました。

前章で触れた、日露戦争の資金調達に奔走する高橋是清に助力した【ヤコブ・シフ】もまた、【ロシア革命に資金供給したユダヤ人の一人】です。

ジェイコブ・ヘンリー・シフ
金融資本家たちの【ロシア革命への投資】は【成功】しました。レーニン率いるボルシェビキ(多数派という意味)が武装闘争によって権力を奪取します。【ボルシェビキ革命政府の指導部の8割はユダヤ人】で占められていました。…革命は成し遂げられ、ロマノフ王朝は打倒されました。ロシア革命政府は、王朝が保有していた莫大な資金の多くを欧米の投資家に利益還元しました。

ボリシェヴィキの党員集会 着席の人物は(左端から)、エヌキーゼ、カリーニン、ブハーリン、トムスキー、ラシェヴィッチ、カーメネフ、プレオブラジェンスキー、セレブリャコフ、レーニン、ルイコフ
投資家の手に渡ったのは、ロマノフ王朝の財産だけではありませんでした。同じく【ユダヤ系のトロツキー】は【アメリカ在住のユダヤ人を引き連れ、アメリカ政府のパスポートを使ってロシアに入国して革命に従事】します。


レフ・ダヴィードヴィチ・トロツキー
トロツキーがまず行ったのは、【共産主義の私有財産禁止の思想】のもと、【ロシアの民衆が保有していた金を没収】することでした。ゴールドの金です。これらは、革命家たちの投資家への負債の返済にあてられました。

そして、【ロシア革命を分水嶺】として【その歴史を大きく変えた国こそがアメリカ】です。』

「スレイマンのヘキサグラム(六芒星)」と「ダビデの星」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)から現代に至るまでの、「教科書的に描かれた世界史の通説」に対して、まったく違った見方を提示されている良書で、何が本当で何がウソなのか、私たち日本人一人ひとりが考える切っ掛けとなる書物になります。

さて、昨日のところで、イギリスとロシアとの間で繰り広げられた「グレート・ゲーム」において、「バルカン半島」、「中央アジア」、そして「東アジア」という大きく3つの衝突エリアについて触れさせて頂きましたが、

1848年頃の世界地図
幕末の私たちの日本は、そこに巻き込まれていくようになります。

まず、1853年に、ロシア帝国とオスマン帝国との間に「クリミア戦争」(1853年10月~1856年3月)が勃発し、

スィノプ海戦
オスマン帝国の最大の債権国であるフランス帝国が加勢し、スィノプ海戦(1854年11月)を切っ掛けにイギリスが参戦します。
1855年9月、1年以上にわたる戦闘の末、ロシア黒海艦隊が立てこもるセヴァストポリをイギリス・フランス・トルコ連合軍が陥落させ、黒海の制海権を確保します。その一方で、南コーカサスの要衝であったカルス要塞がロシア軍の前に降伏します。

この「クリミア戦争」の最中に、カムチャッカ半島にロシアが勝手に造っていた港湾要塞であるペトロパブロフスク・カムチャツキーをイギリス・フランスの連合艦隊が砲撃を行ったりしていましたが、

ペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦

時を同じくして、「日米和親条約」(1854年)、「日英和親条約」(1854年)、「日露和親条約」(1855年)などが次々と結ばれていったのは、当時の世界の状況をよく理解していたからに他なりません。
で、このあとロシア帝国はどうしたのかと申しますと、大陸の西側での南下を阻まれたため、今度は、東の端から南下を目論みます。
ロシア帝国は、それまでネルチンスク条約(1689年)で定めていた、満洲人の国家である清との国境線を破って、アムール川左岸を侵略します。

右側の薄い赤が外満洲、外満州の北側がネルチンスク条約による清・ロシアの国境、外満州の南側がアイグン条約と北京条約による清・ロシアの国境
このロシア帝国の動きを見たイギリスは、アロー号事件(1856年)をこれ幸いとばかりに、

アロー号を拿捕する辮髪(べんぱつ)の清国官憲
満洲人の国である清に、フランスとの連合によって攻撃を始めます。

英仏軍の円明園の略奪(1860年)

八里橋へ侵攻するフランス軍(1860年)
さて、ここまでの流れを見て、果たして「侵略者」って誰なのでしょうか?

それは扨置(さてお)くと致しまして、昨日のところで、ロシアで最も温暖なソチにある、黒海に面したロシア大統領の夏の別荘である「ボチャロフ川(Bocharov Ruchei)」について触れさせて頂きましたが、その黒海とカスピ海に挟まれた部分、いわゆる「コーカサス」に、東西に横たわった「コーカサス山脈(カフカス山脈)」があります。


カフカス山脈

南コーカサス周辺の衛星写真と国境

ハザール・カガン国の版図(650年頃が赤、750年頃が橙、850年頃が薄い橙)

ハザール・カガン国の遺跡(サルケル遺跡Sarkel、830年代に建設。写真は1930年代のもの)
そのカフカス山脈の南側の要衝が、さきほどのカルス要塞でしたが、カフカス山脈の北側に、私たちの日本で言えば、「大化の改新」(645年~650年)の頃に、「ハザール(ハザール・カガン国)」という遊牧民族の国家が歴史上に登場します。その国が、ある時、「ユダヤ教」に改宗したために、民族的には異民族であるユダヤ人が誕生することになります。ちなみに、カスピ海のことを現代のペルシア語では一般に「ハザール海」と呼んでいます。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆本物のシルクロードは、中国人とは無関係だった!!

その「ユダヤ教徒のハザール人」は、のちにヨーロッパに紛れ込んでいくことになります。

13世紀、ユーラシア大陸に巨大な「モンゴル帝国」が勃興することになりますが、

チンギス・ハーン在世中の諸遠征とモンゴル帝国の拡大
チンギス・ハーンは生前に子供たちと弟たちに、それぞれ遊牧領地を分封していて、長男のジョチがロシア方面を所領として与えられました。私たち日本人が学校の授業で教え込まれている嘘に、
【ウソ】 元朝 = モンゴル帝国
というものや、
【ウソ】 元朝滅亡(1368年) = モンゴル帝国滅亡
というものがありますが、「支那」はモンゴルの植民地の一部に過ぎず、


詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆東京書籍のワイロ、ロシアの賄賂
☆モンゴル人が失ったのは、植民地でしかなかった「支那」だけです

チンギス・ハーンの長男のジョチの国である「ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)」は、

ジョチ・ウルスの領域(1300年ごろ)
首都サライを中心に繁栄を続けていてましたが、やがて四分五裂の状態となり、

1389年、ティムールとの戦い以前のジョチ・ウルス。星印が首都サライ(新サライ)
1441年頃には、クリミア・ハン国がジョチ・ウルスの後継国家のひとつとして成立します。


1600年のヨーロッパ
その首都バフチサライには、宮殿「ハンサライ」が建造されましたが、


1736年にロシア軍によって破壊され、クリミア・ハン国自体は1783年にロシアに占領され滅亡します。
(以下はWikipediaからの抜粋です)
『 1768年に始まる露土戦争の後、ロシアは1774年のキュチュク・カイナルジ条約によって、クリミア・ハン国をオスマン帝国から独立させ、300年続いたオスマン帝国の保護から切り離した。これ以降、クリミアに対するロシアの影響力は急速に強まり、1783年4月8日、ロシアのエカチェリーナ2世は条約を破ってクリミア・ハン国をロシア帝国に併合した。このクリミア・ハン国の消滅をもって、13世紀以来続いたジョチ・ウルスは完全に滅亡したとみなされる場合が多い。』
もう一度同じ質問をさせて頂きますが、さて、果たして「侵略者」って誰なのでしょうか?

最後に余談となりますが、宮殿「ハンサライ」は、ヨーロッパで最もよく知られているイスラム教徒の宮殿の一つで、ハーン(遊牧民の有力者・君主の称号)の家族や高官専用のモスクがあって、その南側の壁にはミフラーブと呼ばれるキブラ壁に設置された窪み状の設備があります。キブラ壁は、カアバ(カアバ神殿)の方向を示している礼拝堂内部正面の壁のことですが、ミフラーブはメッカにあるモスク「マスジド・ハラーム」を例外として、モスクには必ずあるもの、逆に、ミフラーブがあればモスクということになります。
で、その宮殿「ハンサライ」にあるハーンのモスクのミフラーブが、こちらになります。


昨日のところで書かせて頂いた系図に描かれたモノと似ていますね💗

これは「スレイマンのヘキサグラム(六芒星)」と呼ばれるもので、そのスレイマン(Süleyman)は、ユダヤ教やキリスト教と共にイスラム教でも聖典とされる旧約聖書に記録された古代イスラエルの王、「ソロモン王」のアラビア語形である「スライマーン」(アラビア語: سليمان, Sulaymān)のトルコ語発音になります。
続きは次回に♥
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詳細は
【痛いニュース】
中国政府、Google、Facebook、YouTube等だけでなく全言語のWikipediaをブロックをカチッとね!
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詳細は
http://www.aixin.jp/gktj/sgg/sgg.cgi
【語学街の掲示板】
今日の支那が情報通信技術の普及していく時にこの様な対策しか採用できない
事が共産主義の限界を証明している。
居住民が支那共産党の管理体制に対する不満の抗議活動に支那共産党が柔軟
に対処できない事が支那共産党体制の崩壊がカウントダウンを開始した訳である。
アメリカ・トランプ大統領の支那の封じ込めで共産主義の自然崩壊をさせる作戦が
大勝利に向けて展開中である。
詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
愛信情報市場(アメブロ版)
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