2019-05-25 (Sat)

1917年12月9日、イギリス軍に対して白旗を掲げるエルサレム市長
本日のキーワード : バルフォア宣言
バルフォア宣言(バルフォアせんげん、英:Balfour Declaration)とは、第一次世界大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員である第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。この宣言をシオニスト連盟に伝えるようロスチャイルド卿に依頼した。
1915年から、シオニストの指導者で親英派のゼエヴ・ジャボチンスキーは、イギリスに対して、シオニストによる義勇軍を結成するよう迫った。独立の戦闘部隊を結成することは人数面や偏見などから困難となり、イギリスは最終的に輜重部隊である「シオン騾馬隊」の結成を受け入れた。彼らはガリポリの戦いで補給などに活躍する。
デビッド・ロイド・ジョージが首相となると、イギリスはエドムンド・アレンビー将軍の指揮によるシナイ・パレスチナ作戦を立ち上げることになった。この時にはイギリスは複数の大隊からなるユダヤ軍団(Jewish Legion)の創設を認め、シナイ・パレスチナ作戦に参加させた。この軍団にはロシアや東欧やアメリカ合衆国などから多数のユダヤ人が参加して、イギリス側で戦っている。同時期、トーマス・エドワード・ロレンスらはフサイン・イブン・アリーとともにアラブの反乱を立ち上げ、アラビアでゲリラ戦を行った後にシナイ・パレスチナ作戦に参加している。
この戦いで、オスマン軍はイギリス軍に敗れ、パレスチナ及びシリアはイギリス軍により占領され、戦中から戦後にかけて軍政が続いた。
本日の書物 : 『知ってはいけない現代史の正体』 馬渕睦夫 SBクリエイティブ
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【ウィルソン大統領】は1902年から10年までプリンストン大学の総長を務めていたことがあります。その時代にウィルソンはある婦人と不倫関係にありました。【不倫相手だった婦人の代理人弁護士】がある日、【大統領となったウィルソンを訪ねてきます】。

1902年のウィルソン
婦人の息子が25万ドルの負債を作った、それを処理するのであなたが婦人に宛てて出した手紙を買い取ってほしい、というのです。ウィルソンにそんな大金はありません。もちろんそれを見越したうえでの【政治的な取り引きが弁護士の目的】です。

サミュエル・ウンターマイヤー 1932年
弁護士の名は【サミュエル・ウンターマイヤー】といいました。当時の【ウォール街の最も有力な法律事務所】のひとつ、【グッゲンハイム・ウンターマイヤー・マーシャル】を共同経営する腕利き弁護士です。ウンターマイヤーは、次回、【合衆国最高裁判所陪席判事】に空席ができた時には【ウンターマイヤーが推薦する人物を判事に指名するということを条件】にして、手紙の件を取り下げます。

1916年に空席ができます。ウンターマイヤーは【ルイス・ブランダイス】という弁護士を推薦し、ブランダイスは議会の承認を得て就任しました。

ルイス・デンビッツ・ブランダイス
【ブランダイス】は【ヤコブ・シフ商会の顧問弁護士】を務めていた人物です。ヤコブ・シフは、日露戦争の戦費調達に奔走する高橋是清に助力した銀行投資家として、日本でもよく知られています。

ジェイコブ・ヘンリー・シフ
重要なのは、【ブランダイス】が、【アメリカ史上最初のユダヤ系最高裁判事】だったということです。そしてこの【ブランダイス】は【アメリカを】、1914年から始まっていた【第一次世界大戦参戦に導きます】。

形勢不利だった【イギリス】は【アメリカ参戦を望んでいました】。イギリスは、ロスチャイルド系をはじめとする【英米の金融勢力との取り引き】に入ります。金融勢力は、【パレスチナにユダヤ国家を造る】ということにイギリスが同意すればアメリカを参戦させる、という戦略を立てていました。【この戦略活動の先頭に立っていたのがブランダイス】です。

1919年のパリ講和会議で世界シオニスト機構が主張したパレスチナ
1917年の4月にアメリカは大戦に参戦します。同年の11月、イギリスの外務大臣【アーサー・バルフォア】が、パレスチナ国家建設運動を展開していた【ユダヤ系貴族院議員の第2代ロスチャイルド男爵ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド】に対して【運動を支持・支援する旨の書簡】を送って約束を果たします。

アーサー・ジェイムズ・バルフォア

ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド
これが有名な【「バルフォア宣言」】です。学校で使う歴史教科書には、アメリカの参戦やバルフォア宣言、という事象は出てきますが、【バルフォア宣言がなぜ出されたのか】、ということは【説明されていません】。』

近代ヨーロッパの歴史のパターン 「挟み撃ち」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)から現代に至るまでの、「教科書的に描かれた世界史の通説」に対して、まったく違った見方を提示されている良書で、何が本当で何がウソなのか、私たち日本人一人ひとりが考える切っ掛けとなる書物になります。

さて、先日、アメリカのポンペオ国務長官がロシアのプーチン大統領と会談し、トランプ大統領からの何らかのメッセージが送られたと思われるニュースが流れていました。


☆プーチン氏、対米関係「完全修復」に意欲 モラー報告を称賛
その会談の場所は、ロシア大統領の夏の別荘である「ボチャロフ川(Bocharov Ruchei)」で、黒海に面し、ロシアで最も温暖なソチに位置していて、


安倍総理も訪れたことがあります。




アメリカとロシアとの間で、どういったメッセージが遣り取りされたのかは知る由(よし)もありませんが、表情を拝見する限り、上手く事が運んだのではないでしょうか💗
で、そのプーチン大統領も、1917年の「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)を認識されています。
そこで、現在の世界で起こっている様々な事象を理解するためには、まず、次の基本的な構図を理解しておく必要があると思われるのですが、

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「洪門」とフリーメイソン

支那や朝鮮半島に見られる「南北対立」という歴史のパターンとは異なり、近代のヨーロッパで繰り返されている歴史のパターンは、ヨーロッパの覇権を握ろうとする国が台頭すると、東西から挟み撃ちにあって潰されるという「くるみ割り理論」として知られるものになります。

例えば、ユダヤ人の権利を全面的に認め、一方でキリスト教を徹底的に弾圧した「フランス革命(1789年~1799年)」に対して、反革命の対仏大同盟が結ばれ、その両勢力による戦争が「フランス革命戦争(1792年~1802年)」(→フランスの勝利)と呼ばれるものになりますが、

1811年のヨーロッパ。濃い青はフランス帝国の領土。薄い青はフランスの衛星国
さらにその後の「ナポレオン戦争(1803年~1815年)」(→フランスの完敗)へと至り、新しいヨーロッパの秩序である「ウィーン体制」が確立します。

ウィーン会議の後のヨーロッパ(1815年)
この間、イングランド銀行を通じて対仏大同盟諸国に大量の資金供給を行っていたイギリスと、ナポレオンを追い詰めパリで降伏させたロシアが、このあと二大帝国として対峙するようになります。このようにフランスは左右からの挟み撃ちによって、そのヨーロッパの覇権国家としての地位を失うことになりました。

パリに入城するロシア軍
余談ですが、そのナポレオン戦争で大きな財を成した、ドイツの銀行家としてマイアー・アムシェル・ロートシルトが有名ですが、

マイアー・ロートシルト
(以下は、Wikipediaからの抜粋です)
『 1806年10月にナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がプロイセン王国侵攻のついでにヘッセン選帝侯国にも侵攻してきた(マイアーが暮らすフランクフルトもこの侵攻の際にフランス軍によって占領された)。ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世(ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世。1803年にヘッセン選帝侯となっていた)は11月1日にもシュレースヴィヒ公国に国外亡命することを余儀なくされた。ナポレオンはヘッセン選帝侯家を君主の座から追う旨と、その財産はフランス大蔵省が法的継承人になる旨を布告した。
選帝侯から財産管理の秘密代理人に指定されたのはビュデルスだったが、彼は大手銀行に任せるとフランス当局に見つかる恐れが高いと考え、ロートシルト家に任せることを決めた。以降、マイアーと息子たちはフランス当局の目を盗んで各地を駆け回り、選帝侯の諸侯への債権の回収し、選帝侯へ送り届けた。しかし送り届けるのは一部だけだった。マイアーが選帝侯のもとを訪れて「フランス当局の監視を潜り抜けて殿下のもとまで送り届けるのはますます難しくなっている」と説得し、ロートシルト家に投資信託させたのである。
一方でロートシルト家はフランス側とのコネクションも深めていき、フランス当局やフランス傀儡国家ライン同盟盟主でフランクフルト大公であるカール・テオドール・フォン・ダールベルク、フランクフルトの郵便制度を独占しているカール・アレクサンダー・フォン・トゥーン・ウント・タクシス侯などと親密な関係を築いた。これによりヨーロッパ大陸に独自の通商路を確保し、また情報面で優位に立ち、大きな成功に繋げていった。
折しもナポレオンの大陸封鎖令のせいで大陸諸国ではイギリスやその植民地からの輸入に頼っていた綿製品、毛糸、煙草、コーヒー、砂糖、染料などが品不足になっており、価格の高騰を招いていた。他方イギリスではこれらの商品の価格が市場の喪失により暴落した。そこでロンドンのネイサンは選帝侯から預かっている巨額の資金を元手にこれらの品を安く大量に買って大陸へ密輸し、マイアーと4人の息子が大陸内で確立しているロートシルト家の通商ルートを使って各地で売りさばくようになった。これによってロートシルト家は莫大な利益を上げられた上、物資不足にあえいでいた現地民からも大変に感謝された。
またマイアーはフランクフルト・ユダヤ人の市民権獲得を求め、「あらゆる人民の法の前での平等と宗教的信仰の自由な実践」を謳ったナポレオン法典を一般市民法としてフランクフルトに導入させるためのダールベルク大公との交渉に尽力し、ダールベルク大公に44万グルデンを支払って実現に漕ぎつけた。しかし、ナポレオンは1808年5月にユダヤ人同権化法の例外として時限立法をなし、民族の人権を商業・職業選択・住居移転に限ることとした。そして1815年にフランクフルトが自由都市の地位を取り戻し、ユダヤ人の市民権自体を取り消してしまった。』
その三男が、ナータン・マイアー・ロートシルトで、英語でネイサン・メイアー・ロスチャイルドと呼ばれるロンドン・ロスチャイルド家の祖でした。

ネイサン・メイアー・ロスチャイルド
そのネイサンは、1806年にイギリスのユダヤ人であるレヴィ・ベアレント・コーエンの娘ハナを妻として迎えますが、ハナの伯父ザロモン・ダヴィド・ベアレント・コーエンは、カール・マルクスの母方の曾祖父にあたります。

レヴィ・ベアレント・コーエン
面倒なので、系図を下記に示させて頂きますが、本文中にあった「バルフォア宣言」(1917年)へと続く流れも確認できると思います。そして、その「バルフォア宣言」も「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」(→教科書の記載では「ロシア革命」)も、アメリカの第一次世界大戦への参戦も、すべて1917年であったということが重要です。

ここでお話を戻しますと、「ナポレオン戦争(1803年~1815年)」(→フランスの完敗)のあと、新しいヨーロッパの秩序である「ウィーン体制」が確立し、ヨーロッパにおいて勢力が均衡する状況が生まれます。「ヨーロッパのコンサート(Concert of Europe)」、つまり「欧州協調」の時代です。
ところが、間もなく、「諸国民の春(Spring of Nations, People's Spring, Springtime of the Peoples)」(1848年~1849年)と呼ばれる暴動が、ヨーロッパを覆うことになります。いわゆる「1848年革命」です。

『(パリの)スルロ通りのバリケード』 オラース・ヴェルネ


さきほど、「ヨーロッパのコンサート(Concert of Europe)」、つまり「欧州協調」の時代と書かせて頂きましたが、誤解しないで頂きたい点は、この時点での世界の五大大国である「イギリス」「ロシア」「プロイセン」「オーストリア」「(王政復古後の)フランス」が、仲良しにしていたのではない、お互いに睨み合っていただけ、という点です。

勢力が均衡している状況で、虎視眈々と、相手の喉元を食いちぎるチャンスを待っている状態、これを「平和」と呼ぶのですが、どうも私たちの日本に棲みつくパヨク(左翼)は勝手に勘違いしていて、「みんな仲良しでみんなハッピー」みたいな妄想をするのですが、全然違います(笑)

で、ヨーロッパの中での勢力均衡が続いている間、ヨーロッパの外では、盛んな勢力争いが続けられていました。アメリカを巡る動きは以前にも書かせて頂いておりますので省略をさせて頂きますが、
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆アメリカの内戦「南北戦争」と、イギリスとロシア

当時のイギリスとロシアとの間で繰り広げられた「グレート・ゲーム」において、大きく3つの衝突エリアがありましたが、それは「バルカン半島」、「中央アジア」、そして「東アジア」であり、私たちの日本も、そこに巻き込まれていくようになります。

1848年頃の世界地図
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング


- 関連記事
-
- 「天安門大虐殺」と、「サタニズム(悪魔崇拝)」に過ぎない「共産主義」 (2019/06/04)
- 「米ソ冷戦」が日本の歴史学界で無視されている理由 ~ 日本の自称・知識人らのルーツとは? (2019/06/03)
- 「イズベスチヤ」の日本語版に過ぎない「朝日新聞」 (2019/06/02)
- 敵国であるドイツに、ロシアの領土を割譲したのがウラジーミル・レーニンです (2019/05/29)
- 三国協商を潰すためのドイツの道具 = レーニン (2019/05/28)
- 大日本帝国とチェコ軍団 (2019/05/27)
- 本当の侵略者が誰なのか? それを知らない日本人 (2019/05/26)
- 「バルフォア宣言」と「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」とアメリカの第一次世界大戦参戦 (2019/05/25)
- あの日露戦争でさえ、キチンと説明できない「東京書籍の歴史教科書」と「東京書籍のやり方」 (2019/05/11)
- モンゴル人が失ったのは、植民地でしかなかった「支那」だけです (2019/05/10)
- 東京書籍のワイロ、ロシアの賄賂 (2019/05/09)
- 狩猟民と遊牧民の違いができる理由 (2019/05/08)
- 「不思議の国のアリス」と「偉大なる漢民族」 (2019/05/07)
- 「オンドル」を知らないで満洲の歴史を語ってしまう「山室信一」の恥ずかしさ (2019/05/06)
- 「満洲国」を無かったものにしておきたい中国共産党 (2019/05/05)