2019-05-11 (Sat)

本日のキーワード : 日露戦争
日露戦争(にちろせんそう)は、1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争である。

『遼陽会戦』 尾形月三画

遼陽会戦、1904年

奉天会戦後に点呼をとる日本軍一師団
本日の書物 : 『満洲国から見た近現代史の真実』 宮脇淳子 徳間書店
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 「1840年のアヘン戦争でイギリスに負けて、中国の半植民地化と屈指の近代が始まる」という中国近代史は、1937年に始まる【支那事変の最中に毛沢東がつくり出した】ということを、私は『真実の中国史』(ビジネス社、のちPHP文庫)で書きました。

![真実の中国史[1840-1949]](https://blog-imgs-111.fc2.com/o/y/a/oyakochoco/20190505184839f4a.jpg)
【昭和12年学会】を一緒に立ち上げた藤岡信勝先生が、雑誌『正論』に書評を書いてくださるとき
「宮脇さん、毛沢東はどこでそれを書いているんですか」
と聞いてこられました。
「毛沢東の本なんか読んでません。前後関係から判断した結論です。だれが命令したかといえば毛沢東しかいないでしょう」
と私は答えました。

毛沢東
こちらもご参照💗
↓
☆宮脇 淳子、倉山 満、藤岡 信勝 昭和12年とは何か

すると藤岡先生は、【毛沢東が直々の書いたもの】であることが明らかな【『中国革命と中国共産党』】という本の中に、確かに「中国人民の民国革命闘争は1840年にアヘン戦争から数えて既に丸100年の歴史を持ち」と書いてあるということを探し出されて、
「宮脇さんは読まなくてもわかるのはすごい」
と言われました。

逃亡する毛沢東
ジャーナリストの宮崎正弘先生にその話をしたら、
【「中国人が証拠を残すというのは普通はない。だいたいは状況証拠というか、だれが一番得をしたかといった結果から判断するんだけどね」】
と笑ってくださいました。

とにかく、【「アヘン戦争から近代が始まったことにしろ」という命令】を【毛沢東】が延安で【出している】ことは間違いありません。この文脈でいくから、【太平天国の乱(1851年~1864年)こそが歴史的に共産主義運動の始まりだという位置づけになる】わけです。

ところが、【日本の歴史教科書】には「アヘン戦争でイギリスにたくさん借金ができた清朝が、税金を増やしたせいで農民が反乱を起こして太平天国の乱に発展した」と、【毛沢東の歴史観そのまま】の因果関係で書かれています。

【これは、まったくの嘘】と言わざるを得ません。

【このとき中国は国民国家ではなかった】からです。【まだ中国人と呼ばれるような人はいません】から、【民族運動が起こるわけがない】のです。

私がなぜ【「中国共産党が、太平天国の乱を共産主義運動の始まりとした」】というのか、理由を説明しましょう。
【太平天国の乱】を【最初に利用】したのは、【辛亥革命(しんがいかくめい)】でした。1911年の辛亥革命で、【革命家たち】は、太平天国にならって【辮髪(べんぱつ)を切り落とし、「滅満興漢」という言葉で大衆を扇動】しました。

ちなみに、【太平天国の乱について、日本の教科書は「滅満興漢を叫んで」などと書いていますが、もちろんこれも嘘です】。【「滅満興漢」は辛亥革命で始めて使われた言葉】です。

そして、のちに【中国共産党指導部も、太平天国を自分たちの先駆者として位置づける】ようになりました。太平天国が取り入れた「天朝田畝(てんちょうでんぽ)制度」は、「田んぼがあればみんなで耕し、食べ物があればみんなで食う。どこの人もみな均等にし、一人残らず暖かな服と腹いっぱいの飯を得られるようにする」という一種の【ユートピア思想】で、これを「封建的な土地所有制度を否定した革命的な綱領である」と高く評価して、【これが共産主義運動の原点だと言い出した】のです。

じつは【これはシナ大陸に昔から存在する「大同(だいどう)」ユートピアの言い換え】であり、【歴史の中に何回も出てくる農民ユートピアの思想】に過ぎません。

しかし【共産党】は【このユートピア社会を自分たちの理想の原点としました】。…【歴史の中から都合のいい事例を拾ってきた】のです。』

「毛沢東のやり方」と「東京書籍のやり方」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「非漢人」、「漢人とは別の異民族」である「満洲人」「モンゴル人」「ウイグル人」「チベット人」などの、延(ひ)いては「支那」の正しい歴史を知るために、「満洲国」というものをキチンと理解するために書かれた良書で、学校の歴史教科書に「書かれていない」、正しい歴史が自ずと理解できるようになり、そうして初めて、アジアの歴史を正しく理解できるようになるお薦めの書物になります。

さて、昨日のところで、1900年の義和団の乱に始まる「北清事変」について書かせて頂きましたが、同じころ、満洲でも義和団が無謀な行動を起こし、ロシア軍に侵略の口実を与えたため、夥しい数の漢人居留民が虐殺されることになりました。つくづく「憲法9条があったならば・・・」と思う限りですが(笑)

ほどなくロシア軍は東三省を軍事占領するのですが、このことは、私たちの日本だけではなく、ロシアと覇権を争っていたイギリスにとっても脅威となりました。

そして、1902年1月30日、「日英同盟」が締結されます。それを受けて、1902年4月には、「満州還付に関する露清条約」が結ばれ、東三省からの三段階の撤退が取り決められましたが、ロシアは第二期以降の撤退に応じませんでした。
何故ならば、東三省を占領した時点で、ロシアは清と「第二次露清密約」(1900年11月)を結んでいて、満州への軍隊駐留権や要塞設置、ロシア人の保護、地方政府に対する監督権の行使など、鉄道沿線のみならず満州全域の軍事や行政も支配下に置いていたからです。

そして、1903年5月、龍岩浦事件 (りゅうがんぽじけん) が起こります。ロシア軍が朝鮮の鴨緑江の森林伐採権を悪用して、鴨緑江河口の龍岩浦(現在の朝鮮民主主義人民共和国平安北道龍川郡)に駐屯、軍事基地を設置しようとした事件になります。

さて、いよいよロシアは、満洲だけに飽き足らず、ついに朝鮮半島に拠点を築こうとしているのですが、ここで、素朴な質問と致しまして、果たして侵略者は一体誰で、侵略されようとしているのは誰でしょうか?

当時の状況を理解するのに最適な題材、それが「日韓議定書」(1904年2月23日)なのですが、このような状況にあって、日露開戦の直前に、なんと大韓帝国は「日露交戦の折には戦時局外中立をすると宣言」しちゃいます(笑)

つまり、「交戦国のどちらとも関係をもたず、戦争に影響を与える行動をしない立場」を宣言し、ことここに至っても、「当事者であることを理解していない」という惨状なわけです💗

日露戦争の経過
仕方がないので、私たちの日本は、「日韓議定書」(1904年2月23日)によって、大韓帝国の王族らを守ってやるから、戦争の邪魔をするなと約束させたわけです。

朝鮮半島を進軍中の日本軍歩兵(1904年撮影)
つまり、朝鮮人(コリアンズ)は何もしていないわけですwww

「旅順港外大海戦真図其弐 露国艦隊の敗戦」
さて、ここまでの流れをご理解頂いた上で、私たちの日本の学校で、歴史教科書として使用されている東京書籍の教科書の記載内容を確認してみましょう。




まずは、こちら(↓)の記述になりますが、「列強の利害関係は複雑で、アジアで対立していても、ヨーロッパでは協力関係にありました」と書かれていますが、日英同盟の規定で日本が1国を相手に戦争をする場合、つまり、ロシア側について他国が参戦しない場合、イギリスは中立の立場となるわけですが、この規定によって、どの国も大英帝国を敵に回してまでロシア側について参戦することが出来なくなったわけで、牽制・抑止の効果があることは誰の目からも明らかですが、いったいどこで「ヨーロッパは協力関係にありました」のでしょうか?

続いて、こちら(↓)の記述ですが、ロシアがいかなる理由で満洲に進撃し、そしていかなる理由で軍隊を駐留させたのか、教科書には何ら説明が書かれていませんし、しかも、まるで日本とイギリスは「権益確保だけが目的」だったかのように描かれていますが、これまでに書かせて頂いた経緯を御覧頂ければ納得ができると思います。

さらに、次の記述(↓)になりますが、1904年1月の御前会議においても、明治天皇は和平の意思を持っておられ、それまでにも何度も相互の権益を認め合うようにロシアに伝えるものの、一向に妥協しないロシアは、終始不誠実な態度をとり続けていたのですが、再度ロシア側へ口上書を送付し、回答を促しましたが、ロシアはこれを無視し、極東の軍備増強を始めました。シベリア鉄道も、間もなくウラジヴォストークまで開通しようとしています。だからこそ、開戦に踏み切ったわけで、教科書の記述内容は無茶苦茶です(笑)

また、「革命運動」云々と書かれ、あたかもそれが戦争の継続を困難にしたかのような記述も見られますが、どうして、即時鎮圧されたデモ(「血の日曜日事件」1905年1月22日)が、大国ロシアの戦争継続を困難にするほどの事件と言えるのか、サッパリ理解できません。

日露戦争の天王山は、何と言っても、1905年5月27日から5月28日の二日間に渡る「日本海海戦(Naval Battle of the Sea of Japan)」であって、この海戦での完全勝利こそが、ロシアに大打撃を与え、その後の和平へと繋がるわけで、私たちの日本は戦争を勝ち抜くことで平和と安定を自らの力で獲得したんです。

で、ついでに、こちら(↓)の記述ですが、与謝野晶子が日露戦争の最中に、召集された弟の身を案じた家族愛としての歌が「君死にたまふことなかれ」で、これをパヨク(左翼)は「非戦・反戦の歌」と勘違いしているのですが、この教科書でもそのように記述がなされていて困ったものです。

「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」
というのは、与謝野晶子の詠んだ歌ですが、自らの腹を痛めて産んだ我が子が出征する際にも、
「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」
と詠んでいらっしゃいます。

イデオローギーという色眼鏡を掛けて観ているから、パヨク(左翼)は勘違いしてしまうわけです(笑)
「都合のいい事例を拾ってくる」という、毛沢東の中国共産党のやり方と全く同じですね💗

続きは次回に♥
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