2019-05-09 (Thu)

本日のキーワード : 賄賂
賄賂(わいろ)又は賂(まいない)とは、主権者の代理として公権力を執行する為政者や官吏が、権力執行の裁量に情実をさしはさんでもらうことを期待する他者から、法や道徳に反する形で受ける財やサービスのこと。

教科書謝礼問題で会見し頭を下げる、左から東京書籍の千石雅仁社長、川畑慈範会長、渡辺能理夫常務=22日、東京都北区の東京書籍本社(寺河内美奈撮影)

☆【ニッポンの教育】金品受け取った教員らは延べ4000人! 謝礼は賄賂ではないのか? 渋々認めたセンセイらのあきれた言い訳とは…(2/4ページ) - 産経ニュース
本日の書物 : 『満洲国から見た近現代史の真実』 宮脇淳子 徳間書店
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 複雑な近現代史をひも解く前に、【13世紀】にさかのぼって【満洲の歴史】を見ておきましょう。【モンゴル人】の建てた【元朝】は、【清朝にも、今の中国にも大きく影響を与えている】からです。

モンゴル帝国の版図の変遷
いまの中国東方地方は、13世紀にはモンゴル帝国の支配下にありました。かつて【「満蒙(まんもう)」】という言葉が使われていたように、【満洲とモンゴル】は【歴史的に深いつながり】があります。

中国東北部
12世紀後半、モンゴル部族から出た【テムジン】、のちの【チンギス・ハーン】は、はじめ【金の同盟部族】となって、ほかの遊牧部族を征服していきました。【金はのちに満洲族と名前を変える女直(じょちょく/女真(じょしん))が建国した国】です。

オノン川上流、チンギス・ハーンの生誕地と伝えられる場所
そして、1206年、ケンテイ山脈のオノン河の源に【モンゴル高原の全遊牧部族の代表を召集】し、この会議の席上で【盟主に選挙され】、【チンギス・ハーンという称号を採用】しました。これが【モンゴル帝国の建国】です。

オノン川の位置
チンギス・ハーン率いるモンゴル軍は、東方で金を討ち、西方では中央アジアに遠征しました。チンギス・ハーン自身は、南の西夏(せいか)王国を攻撃している1227年に他界しましたが、息子たちや将軍たちはその遺志を受け継いで攻撃と拡大を続け、【東は日本海沿岸から西はロシア草原までがモンゴル帝国の領土】になりました。

チンギス・ハーン在世中の諸遠征とモンゴル帝国の拡大
遊牧民の財産は第一に家畜ですが、チンギス・ハーン一族のような遊牧帝国の支配層にとっては、領民も財産でした。チンギス・ハーンは生前に子供たちと弟たちに、それぞれ遊牧領地を分封しており、彼が死んだときにはチンギス・ハーン自身の軍隊も分配されました。4人の息子たちは、長男【ジョチがロシア方面】、次男【チャガタイが中央アジア】、三男【オゴデイがいまの新疆】、末子【トルイが故郷のモンゴル高原】を所領として与えられ、【東方の大興安嶺山脈方面は3人の弟たちの遊牧領地に割り当て】られました。そういうわけで、【20世紀の満洲国興安省には、チンギス・ハーンの弟の子孫が多くいました】。

玉座のトルイとその家族。トルイの左手に座る婦人は正妃ソルコクタニ・ベキか
しかし、チンギス・ハーンの死後、第三代ハーン選出のときに、すでに【モンゴル帝国には分裂の兆し】がありました。トルイの次男【フビライ】が1260年、【第五代ハーンに即位】したとき、ついに【モンゴル帝国は4つに分かれました】。そのうち【もっとも東】にあって、【モンゴル本土と満洲、シナを支配】した【宗主国】が、【元朝】です。』

嘘の記述が頻繁にみられる「東京書籍」の「中学校歴史教科書」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「非漢人」、「漢人とは別の異民族」である「満洲人」「モンゴル人」「ウイグル人」「チベット人」などの、延(ひ)いては「支那」の正しい歴史を知るために、「満洲国」というものをキチンと理解するために書かれた良書で、学校の歴史教科書に「書かれていない」、正しい歴史が自ずと理解できるようになり、そうして初めて、アジアの歴史を正しく理解できるようになるお薦めの書物になります。

さて、支那や朝鮮半島の歴史のパターンとして、「北が南を支配する」という呪われた運命みたいなものが存在しているのですが、本文中に書かれていた「満蒙」に、まさに一方的に蹂躙されたのが「漢人」や「朝鮮人」の歴史であって、逆にそれによって文明の進歩・発展がなされたという、どこまでも他力本願な民族であるともいえるわけです。

で、モンゴル帝国を興したチンギス・ハーンは、東西に勢力を伸ばし、東隣の女真人(のちの満洲人)の金を征服したため、金の支配下にあった支那北部(華北)をも支配することになります。

チンギス・ハーン在世中の諸遠征とモンゴル帝国の拡大
ところで、最近、『日本国紀』と「東京書籍の中学校歴史教科書」の比較を更新しておりませんが、決してサボっているわけではなく、頃合いを見計らっている状況になるのですが、

読めば読むほど、「東京書籍の中学校歴史教科書」に記載されている内容の、あまりの酷さに、開いた口が塞がらない状態になります。
これが教科書であるはずがない、と思われるのですが、未だに多くの現場の学校教員が使用を続けているところからも、「教員の資質が満たされていない」連中が非常に多く存在することが明らかで、「東京書籍からワイロ(賄賂)をもらっている」のでしょうか?
それほど、「嘘」の記述が頻繁にあり、一体、子供たちに何を教えているのか、と非常に懸念される「デタラメな本」になっています。
そのほんの一例を、次に挙げさせて頂きますと、


そもそも、何処が間違っているのか、お気付きでございますでしょうか? 該当する部分を次に挙げさせて頂きますので、ぜひ、探してみて下さい。
ヒントは、本日ご紹介させて頂いている本文中にある、次の文章です。
「トルイの次男フビライが1260年、第五代ハーンに即位したとき、ついにモンゴル帝国は4つに分かれました。そのうちもっとも東にあって、モンゴル本土と満洲、シナを支配した宗主国が、元朝です。」


東京書籍の教科書の記述では、ユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国(モンゴル帝国)があって、そのモンゴル帝国が4つに分裂したことが「書かれていない」ままに、フビライが皇帝となったことについて触れ、国号を元と改めて、支那を支配したと書かれているのですが、正しく関係を表しますと、

となります。因(ちな)みに、「ウルス」というのはモンゴル語で「国家」「人々」を意味する単語で、遊牧民であるモンゴル人にとっては、国家とはすなわち人々の集合体であったことから同義語となっています。
つまり、モンゴル帝国からしてみれば、「元朝」が支配したのは、広大な植民地の一部でしかなかった、ということになります。そして、その植民地において支配される側でしかなかったのが「漢人」であり「朝鮮人」だったということになります。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「Koreans(コリアンズ)」が生まれたのは、わずか700年ほど前のことです

さて、昨日のところで、1894年(明治27年)7月25日に日清戦争が勃発するに至った歴史上の流れについて書かせて頂きましたが、当時、世界最強の大英帝国と張り合っていた大国ロシア帝国が、1871年にウラジヴォストークに海軍基地の建設を始め、

ウラジヴォストーク
大量の漢人が華北や山東省から満洲へと流入し、満洲の人口と農業生産高が急増していくようになり、
さらには、1891年2月、ロシアはシベリア鉄道の建設を正式に決定し、というように国際情勢が非常に緊張した状況にある、その様な最中に、

広義のシベリア鉄道の路線(赤)と、バイカル・アムール鉄道(バム鉄道、緑)
阿呆な朝鮮人(コリアンズ)は、周囲の状況が理解できないために、国内で農民反乱を起こします。
圧政に苦しめられた農民たちが、あちらこちらで反乱を起こしたのが甲午農民戦争の実態であって、その混乱によって被害を受けたりしないように、現地在住の日本国民を保護するために、私たち日本は、当然、軍隊を派遣しました。そもそも朝鮮人(コリアンズ)に治安維持能力があれば、そんな必要などなかったわけですが(笑)
で、その日清戦争(1894年7月~1895年3月)の結果はと申しますと、日本軍の圧勝で、1895年4月に日清講和条約(下関条約)が締結されます。
新興国に過ぎない私たちの日本が、当時、世界から「大国」と勘違いされていた「支那」を木っ端微塵に粉砕したわけです(笑)。
その結果、朝鮮は支那から独立し、日本と対等な国家となり、台湾の領有権が日本に移管されます。
で、私たち日本のおかげで、支配者の清朝が居なくなって、朝鮮人(コリアンズ)はどうしたのでしょうか?

なんと、ロシアのペットになろうとしたわけです(笑)
この「露館播遷(ろかんはせん)」(1896年~1897年)が原因の一つとなり、その後の日露戦争(1904年~1905年)へと繋がっていきます。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆保護犬とペットと「Koreans(コリアンズ)」
☆「Koreans(コリアンズ)」が生まれたのは、わずか700年ほど前のことです

さらに困ったことに、日露戦争の原因の一つとなったのが、日清戦争の講和条約である下関条約で、清側の全権大使となった李鴻章(りこうしょう)がロシア側から賄賂をもらって、ロシアとの間に「露清密約」(1896年6月3日)を交わしたことで、満洲におけるロシアの権益が拡大され、アムール川沿いの路線ではなく、チタから満洲北部を横断しウラジオストクに至る鉄道の敷設権を与えてしまったことです。

東清鉄道周辺の路線図
その結果、密約であるため、一般人が何も知らない状況で、突如として、東清鉄道の施設が始まると、土地の強制収奪に反対する「漢人農民」とロシアのの間で軋轢(あつれき)が生じ、山東半島から満洲へと渡ってきた「漢人農民」を中心とする自衛組織ができ、鉄道施設によって不利益を被る運送業者らと結託し、ロシアに対するゲリラ戦が展開されるようになります。
これが、のちに、「扶清滅洋」を叫ぶ宗教的秘密結社、義和拳教による排外主義の運動、すなわち、「反キリスト教」の運動でもある「義和団の乱」(1900年)へと発展していくことになります。
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング


- 関連記事
-
- 敵国であるドイツに、ロシアの領土を割譲したのがウラジーミル・レーニンです (2019/05/29)
- 三国協商を潰すためのドイツの道具 = レーニン (2019/05/28)
- 大日本帝国とチェコ軍団 (2019/05/27)
- 本当の侵略者が誰なのか? それを知らない日本人 (2019/05/26)
- 「バルフォア宣言」と「ユダヤ革命(Jewish Revolution)」とアメリカの第一次世界大戦参戦 (2019/05/25)
- あの日露戦争でさえ、キチンと説明できない「東京書籍の歴史教科書」と「東京書籍のやり方」 (2019/05/11)
- モンゴル人が失ったのは、植民地でしかなかった「支那」だけです (2019/05/10)
- 東京書籍のワイロ、ロシアの賄賂 (2019/05/09)
- 狩猟民と遊牧民の違いができる理由 (2019/05/08)
- 「不思議の国のアリス」と「偉大なる漢民族」 (2019/05/07)
- 「オンドル」を知らないで満洲の歴史を語ってしまう「山室信一」の恥ずかしさ (2019/05/06)
- 「満洲国」を無かったものにしておきたい中国共産党 (2019/05/05)
- 共産主義者は暴力がお好き (2019/02/28)
- 共産党の本職は、「サボる」ことなんですw (2019/02/27)
- コミンテルン(国際共産党)の下部組織が日本共産党です (2019/02/26)