2019-05-07 (Tue)

本日のキーワード : 漢民族
漢民族(かんみんぞく)は、中華人民共和国(中国大陸)、中華民国(台湾)、シンガポールで大多数を占める民族で、人類の20%を占める世界最大の民族集団である、との単なる政治上の理由で、仮想の上に創り上げられた、『架空の民族』で、実在はしない。
架空(かくう)とは、実在しない、実存しない、存在しないということ。実在する物、場所などでは設定として都合が悪い、不十分な場合に使用される。例えば、『不思議の国のアリス』の「不思議な国」のように、架空でなければ物語を進められない重要な設定として使用される。

本日の書物 : 『満洲国から見た近現代史の真実』 宮脇淳子 徳間書店
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 いまの【中華人民共和国】では、【「満洲」ということばはタブー】になっています。

【清朝の支配階級】だった【満洲人】の後裔(こうえい)たちはいまも1000万人以上いるのですが、かれらは【満洲人とは呼ばれず、満族と呼ばれます】。

歴史的なことでどうしても満洲ということばを使わなければならないときは、【かならず「偽満洲」と、偽という字を上につけなければなりません】。

それは、日本がかつて傀儡(かいらい)の【満洲国】(建国の2年後には溥儀(ふぎ)が皇帝になりますから【満洲帝国】)をつくった歴史を、【すべて悪いものと考えることにしようという、現代中国の固い決意なのです】。


大東亜共栄圏内における満洲国の位置

大東亜共栄圏加盟国
【現代中国の言う「歴史」】は【すべて政治】ですから、この本ではそんなことは気にせずに、かつてあったことを説明するために【満洲ということばをおおっぴらに使います】。…

さて、【満洲(英語でManchuria マンチュリア)】と呼ばれる土地がどのようなところなのかを最初に説明します。

かつての満洲には、いま、北から黒竜江省、吉林省、遼寧省の中国の東北三省がありますが、【省】は、1912年に中華民国という、【はじめて中国という国家が誕生する前にもシナ内地に置かれていた行政区】でした。

中国東北部
【省という地方行政区の起源】は、【モンゴル人がシナに建てた元朝】時代に、中書省(ちゅうしょしょう)の出先機関という意味で地方に置いた行(こう)中書省を縮めた【行省(こうしょう)】にあります。

モンゴル人の元朝による行中書省の配置図
満洲に清の東三省が置かれたのは、日露戦争のあとの1907年でした。あとで詳しく述べますが、それまでは【満洲】は【シナ内地とは別の土地と考えられていた】のです。

清の最大領域(1820年)。金色の部分は旧明領で漢民族居住地である省と直隷、黄色の部分は旗地(つまり満洲)とモンゴル・東トルキスタン・チベット等の同君連合地域。
この東三省は、合計123万平方キロメートルあります。いまの日本の面積が約38万平方キロメートルですから、およそ3倍です。その真ん中に、むかし【満洲平野】と呼んだ東北平原があります。南北に長くて、面積は35万平方キロメートルです。ちょうど日本の面積くらいです。

☆『満州國の地形區』秋吉武次郎
北は黒竜江(ロシア語ではアムール河)がロシアとの国境になっていますが、黒竜江は、支流の烏蘇里(ウスリー)江が南から流れ込むところで、中ロ国境を離れて北上し、間宮海峡の北端の樺太(サハリン)の対岸で、オホーツク海に注ぎ込んでいます。ウスリー江から東側は、ロシアの沿海州です。

アムール川流域と支流の経路

間宮海峡
満洲平野を流れるもっとも大きな河は【松花江(しょうかこう)】で、北流して黒竜江に注ぎ込みます。

松花江流域図
その次に大きい遼河(りょうが)は、内モンゴルの草原から流れ出して、渤海(ぼっかい)に注ぎ込みます。

遼河流域
北朝鮮との国境は、東は図們江(とめんこう/朝鮮では豆満江と呼びます)が日本海に注ぎ込み、

豆満江流域
西は鴨緑江(おうりょっこう/おうりょくこう)が黄海に注ぎ込んでいます。

鴨緑江流域
【満洲北部】は日本の北海道よりも【緯度が高く】、しかも【内陸性気候で寒暖の差が大きい】です。【黒竜江や松花江は半年間も結氷】し、【鴨緑江や遼河でも冬季3カ月間は氷で閉ざされます】。松花江沿岸にある【ハルビン】は、【年平均気温が3・6度】で、一番寒い1月の平均気温がマイナス25度、一番暑い7月の平均気温は25度です。夏はそこそこ暑くなりますが、冬は日本の北海道のどの都市よりも寒いことがおわかりでしょう。
満洲北部に入植した日本人は冬の寒さに苦労しました。ロシアとの国境警備のために黒竜江に派遣された【関東軍の日本人兵士】は、【まつげもおしっこも凍った、と書いています】。
ところが、【シベリアから南下してきたロシア人】にとっては、【アムール河沿岸は夢のようによいところだった】というのです。【穀物がとれ、家畜も多く、森林には貴重な毛皮獣が住み、河には魚類がまるで河岸に自分からよじ登ってくるほどたくさんいた、と書いてあります】。
出身地が異なると、【同じ土地でもこんなに印象がちがう】ものかと感心するばかりです。』

支那の軍閥
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、「非漢人」、「漢人とは別の異民族」である「満洲人」「モンゴル人」「ウイグル人」「チベット人」などの、延(ひ)いては「支那」の正しい歴史を知るために、「満洲国」というものをキチンと理解するために書かれた良書で、学校の歴史教科書に「書かれていない」、正しい歴史が自ずと理解できるようになり、そうして初めて、アジアの歴史を正しく理解できるようになるお薦めの書物になります。

さて、「満洲平野」周辺の地形を下図で確認してみますと、


☆『満州國の地形區』秋吉武次郎
南を海、その他三方を山々に囲まれた地域が見てとれますが、東側にある洪積台地というのは、かつて平地だったところが隆起してできた台地で、私たちの日本で言えば、静岡県浜松市にある「三方原(みかたはら)」が有名で、武田信玄の軍勢と織田信長&徳川家康連合軍が戦った「三方ヶ原の戦い」(1573年)の合戦場所になります。

「元亀三年十二月味方ヶ原戰争之圖」 歌川芳虎画
「満洲国」の北側のロシアとの国境が、黒竜江(ロシア語ではアムール河)だと書かれていましたが、満州語で「サハリャン・ウラ(ᠰᠠᡥᠠᠯᡳᠶᠠᠨ ᡠᠯᠠ 転写 : Sahaliyan Ula、薩哈連烏拉、「黒い河」の意)」と呼ばれます。
ここで、漢字で「黒竜江」の「江」に御注目下さい。

で、その黒竜江に流れ込む支流の烏蘇里(ウスリー)江を、満州語で「ウスリ・ウラ(ᡠᠰᡠᠷᡞ ᡠᠯᠠ 転写 : usuri ula)」と呼びますが、

烏蘇里江流域
これらの河川を通じて、私たち日本人は古来より交易をしていました。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆中国の皇帝のシンボルとされる「竜」は、日本に生息していた「ワニ」です
☆黄河文明を滅ぼしたのは。。。

☆かつて日本列島に存在した大国 ~ 「日高見国」


松花江流域図
また、黒竜江に流れ込む松花江(しょうかこう)を満州語で「スンガリ・ウラ(ᠰᡠᠩᡤᠠᠷᠢ ᡠᠯᠠ 転写:sunggari ula、松阿里烏喇)」と呼びますが、「天の川」の意味になります。
図們江(とめんこう)、朝鮮で豆満江(とうまんこう)は、満州語では「トゥメン・ウラ(ᡨᡠᠮᡝᠨ ᡠᠯᠠ 転写:tumen ula)」と呼ばれ、「万」を意味する満州語「トゥメン」が語源となっています。
鴨緑江(おうりょくこう)も遼河(りょうが)も、満洲語で表現できるのですが、上記の4つの川すべてが「ウラ」と呼ばれているのに対して、別の言葉が用いられている点が異なっています。
また、遼河(りょうが)以外には漢字の「江」が当てられていますが、これは支那南方の言葉で、支那北方では「河」が当てられます。ここでのポイントは、南北でも言葉が違うということです。
漢人の後漢が滅亡(220年)し、三国志の時代を経て、異民族の鮮卑による北魏が支那北方(華北)を統一(439年)するまでの時代を「五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)」と呼びますが、五胡とは異民族である匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の5つのことで、最終的に漢人を支配したのが異民族の鮮卑だったということになります。その異民族である鮮卑が何処からやって来たのかと言いますと、満洲の北方の大興安嶺山脈からやって来たんです。
で、何が起こったのかと申しますと、「漢字」を使う「漢人」が入れ替わった、新しくやって来た異民族が「漢人」となった、というわけです。
ですので、世界一無能な指導者として著名な習近平(しゅうきんぺい)が言うところの「偉大なる漢民族」って、一体何のことを言っているのか、サッパリ分からないのですが、


昨日と同様に次の書物を参考して、その「偉大なる漢民族」の実態を確認してみたいと思います。

『 長野朗(ながのあきら)…戦前を代表する秀れたシナ通、中国通で…GHQに焚書された本は18冊もあり…没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。…1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。…洞察力も鋭いし、シナという国に愛情を持ちつつも知的に冷徹にこの民族の本性を見抜いています。しかも、扱う事象の幅が広い。』

『 支那軍閥の近代的の最良搾取手段は貨幣を利用することである。これは労すること最も少なく、効を収むること最も多いのである。…軍閥は各々自分の銀行を設けた。中央軍閥は中央銀行を、地方軍閥は地方銀行を設けた。…各省軍閥の紙幣発行には人民は相当に悩まされた。一つの軍閥が来て数百万元の不換紙幣(金や銀の裏打ちのない紙幣)を発行する。初め人民は中々受取らない。そこで兵隊の給料を渡す。すると兵隊は十銭くらいの買物に十圓札を出す。商人の方では品物をただで取られるくらいは構わないが、九圓九十銭のお釣りは本当の金(軍閥発行ではない)で払わねばならぬ。品物を取られた上に金を取られる。こうしてようやく省内にこの不換紙幣が流通した頃には、その軍閥は戦争に負けて没落し、その紙幣は零(=紙くず)になり、新しい軍閥が来て叉同様に不換紙幣を発行する。…これでは人民はいくら稼いでも堪らない。革命軍が江西に入った頃、人民の多年の鬱憤(うっぷん)で、江西省銀行の頭取のたった一粒種の愛息子が人民に殺された。これが支那式の深酷な敵討ちである。親爺を殺さずに息子を殺ったのは、…その方がより効果的だからである。同じような例は、黄河の治水は古来支那の最も大きな国家的事業である。それだけにこの工事の監督者は儲かるのである。すると次に何十年か経って黄河に洪水があった時には、必ず工事監督で儲けた男の村の堤防が決壊するといわれる。即ちそこの堤防を弱くして置くので何十年後に敵を討つのである。』
ここは、私たち日本人の多くが学ばなければならないと思われる部分なのですが、「おカネ」というものの本質が良く分かるところになります。つまり、「おカネ」=「借金」ということです。これを理解できない人が、「国の借金1000兆円」と喧(やかま)しく騒ぎ立てるのですが(笑) 相当アタマが悪い方々になります。

『 支那の軍閥の地盤拡張は、資本主義国の販路拡張と同じで、武力で切り拓いた地盤には、自分の銀行の支店を設け、紙幣を道具にして、自分の誅求(ちゅうきゅう/租税などを厳しく取り立てること)範囲を拡げて行くのである。
軍閥の金儲けのもう一つの妙手は阿片(アヘン)である。支那における阿片の消費は年二十億元といはれ、時価では四十億元くらいになるだろう。産地は主として(支那大陸の)西北、西南の奥地である。それに一部ペルシャ阿片等の輸入がある。軍閥の軍資金の多くは阿片から出たもので…蒋介石も阿片の商売は盛んにやり、奥地の阿片を上海でさばいて、大いに儲けていた。

蒋介石
それを知らずに上海の公安局長が検挙したので、その局長はクビになった事件がある。蒋の中央軍が阿片持ち出しの要所に配置されていた。阿片は非常に高価なものだから、之を栽培するとうんと税金が取れる。植え付けの時、収穫期、販売、製造、売り出し、吸飲といろいろ名目をつけて六、七回も税金が取れるので、大いにこれを奨励し、軍隊の保護の下に行われるから世話はない。或る所では余りケシの栽培をやり過ぎて大事な食糧が足りなくなった。叉福建省の蒲田県では、軍隊が阿片の栽培を命じた所、百姓が言うことを聞かないので軍隊が怒り出し、男女二十一名を殺したということである。阿片を運搬の途中で税局に押さえられないように、軍用品と銘打って軍隊が輸送していく。』
イギリスと支那のアヘン戦争という言葉を学校の授業で覚えさせられると思いますが、その本当の中身のところは、ちっとも教えてもらっていない、のが現代の子どもたちで、それにつきましては、これまでにも何度か書かせて頂いておりますので、ご参考になさってみて下さい。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆支那伝統の秘密結社「幇(ぱん)」

☆英ロスチャイルド家の東アジア代理人とその子分

☆アヘンの世界最大の産地ってどこ?

『 (支那の)兵隊が安い月給で志願するのは役得があるからである。掠奪と強姦とである。私が漢口にいた時も、毎晩のやうに付近の村で銃声がしていた。これは兵卒が掠奪に出掛けて射っているのである。軍費は頭株(軍隊の指揮官以下の上級者)がだんだんはねていく(ピンハネ)ので、兵卒に行く時は無くなっている。そこで兵卒は掠奪をやるが上官は文句が言ヘない。時には村の土豪劣紳(どごうれっしん、その地のタチの悪い有力者)と組んで人民をゆすったり、夜土匪に化けて人質狩りをやったりする。支那の民衆が一番嫌ふのは婦女に対する凌辱である。これは支那兵の常習的なもので、駐(とどま)っている時も行軍中にもやるので、軍隊が来ると女は皆逃げたり隠れたりする。殊に退軍の時(負け戦で、前線から逃げだしているとき)には甚だしく、軍隊の過ぐる所老婆といえどものがるるものなしと支那紙は報じている。或る軍隊が女学校を包囲して女学生を蹂躙し尽くしたことがあり、同じ女学校が二度も襲はれたことがあるが、一向(兵士たちが)処罰されたこともない。或る町では若い女を一つの廟(びょう、祖先を祭るお堂のようなものの)に集め、兵隊の自由に任せたことがある。民衆は掠奪よりも殺されるよりも之(レイプ)を嫌ふのである。』
『 こういうことがいかに常態化していたかについては数多くの記録が残っています。当時の多くの日本人も知っていました。シナで起こった残虐事件やメチャクチャな出来事というのは…あれは日本兵がやったことではない、シナ兵が日本軍に敗れて逃げて行く途中にやったことだと、そういうことはみなわかっていました。当時は、真相がきちんと書かれていたのです。ところが、真相を語っていた本…がGHQに没収され、多くの日本人が読めなくなってしまった。それをいいことに…デタラメ話が横行し、それを喧伝する悪質な日本人学者まで飛び出すようになった…
そもそも、「日中戦争」という言葉自体ありませんでした。シナには国家を表す意味において「中国」という言葉がなかったわけですから当然です。シナなんです。「支那」と書き「シナ」と発音するのが正しいのです。
シナというのは「秦」という言葉から出ています。それが、「チン」になり「チャイナ」になった。…中国人は、英語で「チャイナ」といわれても文句はいわないのに、日本語で「支那」といわれると怒り出す。…「チャイナ」も「シナ」も同じ言葉に由来しているわけですから、片方だけを嫌うのは筋が通りません。』

続きは次回に♥
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