2019-05-03 (Fri)

本日のキーワード : 中国人
『八仙飯店之人肉饅頭』(はっせんはんてんのじんにくまんじゅう、The untold story)は1993年の香港映画、原題は『八仙飯店之人肉叉焼包』。実際にマカオで起きた事件をモチーフにしている。
作品内容が映倫規定に抵触しているため、日本国内では本作は劇場公開されておらず、2004年の東京国際ファンタスティック映画祭等で限定的に上映され、ビデオ・DVDの日本語版として発売されている。なお、日本での配給元はアルバトロス・フィルムである。
マカオの食堂・八仙飯店の従業員ウォン・チーハン(王志恆)は、店主からイカサマ麻雀で勝った金を取ろうとしたが断られ、店主の一家8人全員(内子供5人)を殺害し遺体を切断、さらにそれを肉饅の具にして客に食べさせていた。こうして、ウォンは店を乗っ取る形で店主となった。
その後ウォンは店を売ろうとするが、殺害した店主の同意書がないため、なかなか売れないままでいた。そんなある日、近隣の海岸で切断された人体の一部が発見された。発見時にはかなり腐敗が進んでいたために身元確認は難航していたが、なんとか指紋を採取し、辛うじて身元を特定できた。遺体の主は、殺害された店主の妻の母親であった。さらに殺害された店主の弟が、地元のマカオ警察に「兄一家が行方不明だから捜索してほしい」と手紙で何度も頼み込んでいた。そして刑事たちは早速八仙飯店に向かい、ウォンに事情を聞くが、ウォンはどうにか上手く切り抜ける。しかし、ウォンに対する刑事たちの疑いは一層強まる。

本日の書物 : 『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた』 石平、矢板明夫 ビジネス社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『石平 : 矢板さんが先にふれた【ノーベル平和賞】の【劉暁波(りゅうぎょうは)】が自伝のようなものを書いています。彼が子供のとき、悪い分子にされた【実父を仲間の少年たちと一緒にいじめた】のだと。

劉暁波の追悼デモ
彼曰く、結局【自分の心のなか】にもそういう【「悪魔」が棲(す)みついている】。【毛沢東】はそうした【人間の心の悪魔を利用】して、さらに【それを助長】して、初めて【文化大革命を仕組んだ】。

逃亡する毛沢東
それでは【文化大革命】とは【どういうものであったか】というと、【毛沢東は人間性のいちばん悪い部分をうまく利用した】といえる。

毛沢東
紅衛兵からすれば自分たちに厳しかった先生を殴りたい。しかし、普段の秩序のなかで先生を殴ることなどできるはずもない。毛沢東は文化大革命で、そうした「先生を殴りたい」という学生たちの欲望を、【革命という名で正当化】して、解放したわけです。
造反派もそうです。造反派は基本的にはならず者、ただのゴロツキです。彼らは社会に対して、憎しみや劣等感など、さまざまな悪感情を抱いていた。特に、地位や富のある人に対しては、それは膨(ふく)れ上がっています。
文化大革命はそうした人々を造反派に仕立て上げた。造反派になったら、高級幹部の家に乱入して掠奪する、殴る。あるいは、多少金を持っている人の家に乱入する。
【毛沢東】は【革命の名を借りて、そういう悪魔を野に放った】のです。

矢板 : 私も小学生のとき、【「公判大会」】と称する【公開処刑によく動員されました】。人民裁判が行われる体育館に、学校の芸術鑑賞みたいな感じで集められて、【反革命分子が死刑判決を宣告される】までの一部始終を眺めていました。

【中国】では【死刑】を言い渡された人間は、【その日のうちに執行、公開で銃殺される】のです。

まず市内をトラックで一周します。受刑者の横に名前と罪状が書かれた看板を立てられ、【処刑を意味する赤いマジックで×】を書かれ、【市民に見せしめ】ます、私たち子供は自転車で追いかけていき、最後までこれを見届けるのです。
政府に反発した人間がどうなるか。やはり恐怖心を植えつけられましたね。』

「中国人」に関する戦前の日本人の常識
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、実際に毛沢東の文化大革命という暗黒の時代を、現地、支那で体験された著者らによる対談本で、その貴重な体験を通して知り得た知見を活かし、現在の私たち日本人への警鐘を鳴らす良書になります。

さて、本文をご覧いただきますと、毛沢東の時代の支那が、いかに悍(おぞ)ましいものであったのかがご理解頂けると思いますが、それでは、毛沢東以前はどうだったのでしょうか?

それを紐解くために、敗戦後にGHQが「焚書(ふんしょ)」した書物を参考にしてみたいと思います。5年ほど前にご紹介させて頂いた、次の書物に紹介されているのですが、

リンクが切れていたりしておりますので、再掲させて頂きたいと思います。
『 長野朗(ながのあきら)…戦前を代表する秀れたシナ通、中国通で…GHQに焚書された本は18冊もあり…没収された本の多い著者としては3番目にランクされる人物です。…1975年までご存命でしたから、戦後も中国共産党に関する本を出しておられます。…洞察力も鋭いし、シナという国に愛情を持ちつつも知的に冷徹にこの民族の本性を見抜いています。しかも、扱う事象の幅が広い。』
と、長野朗さんの『支那の真相』(昭和5年著)社会編から本文の紹介がなされているのですが、最近、その復刻版も出ておりますので、そちらも御一読なされてみられることをお勧めさせて頂きます。

『 太公望(周の軍師、釣り好きで有名)は80まで釣りをしていたのが周の武王に見出された。黙って80になるまで時節を待っているなどは日本人には考えられないことである。私がある朝用があって出掛けると、道端に鳥籠を持って立っている支那人が居た。見ると籠の蓋を開けて前の枝に止まっている鳥の這入(はい)って来るのを待って居る。聞くと飼って居たのが逃げ出したらしい。私は方々で時間を取り(用心済ませ)、昼過ぎに通ってみると矢張り朝の先生(その男)が依然として鳥籠を持って立っている呑気さには驚いた。ボーイを使いに出しても、余程早く行って来るように云わないと、途中で何か面白いことがあると一時間でも二時間でも引っかかって帰ってこない。支那人が呑気な気性を有(も)っているのは、其の環境から受けた影響であろう。あの広い国では、如何に個人がすたばたして見た所で、どうにもなるものでなく、結局時の流れを待たなければならない。』
『 最近満洲族に征服された時(17世紀に満洲族が支配する清朝、支那人つまり漢人が支配された時)も、黙って満洲人に統治させながら、其の間に漢人は山東(山東省)から海を渡って満洲に流れ込み、満人の厳重な防御線(漢人は満洲の地に入るべからずという封禁令が敷かれていた)を潜(くぐ)ってだんだん南から北へと拡がり、終に満洲を完全に漢人のものとし、満人は事実上滅び去った。即ち彼等(漢人)は一時武力に負けても、数百年後の勝利を信じて遠大な計画の下に悠々とやって来たのである。日本人のように今やった事は今効果が現れ、然も右か左かはっきりさせなければならなぬ国民とは余程の相違である。日本人のやる事は百年先は愚かな事、十年先のことも考えてやっている人はあるまい。ただ目先のことばかり考えてわいわい騒いでいるようでは、支那人に笑われても仕方がない。支那人は外交をやるにも暢気(のんき)だから、一寸(ちょっと)した懸案の解決にも一年か二年はかかる。日本人は気が短いから根気負けしてしまう。』
と、「満洲人」が支那に「清朝」を打ち立て、「漢人」を支配したという正しい歴史が書かれています。戦前の常識だったわけですね💗
で、のちに満洲人の国である「満洲国」を私たち日本人が復活させてあげて、その満洲国に、今度は朝鮮人が流入し、漢人と軋轢を引き起こし、私たちの日本を戦争へと引き込んでいった、というのが正しい歴史の流れになります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆満洲人の故郷「満洲」で、「漢人」と「朝鮮人」がやったこと

『 支那には「没法子(メイファズ)」と云う言葉があるが、この言葉の持つ本当の意味は支那人でなければ分からない。没法子は字義から云えば「方法が無い」と云うことで「どうも仕方がない」と云う意味となるが、実際この字はメイファズと発音する所に深遠な意味を持つ。百方手段を尽くしていよいよ駄目だとなると没法子(メイファズ)と来る。これで一切を諦めてしまう。戦争して負けても没法子だ。商売で動けなくなっても没法子だ。人事百般没法子で解決がつく、それからは天命に任せてじたばたしない。支那人が死刑になるのを見ても、まだ助かる見込みがある間は凡(あら)ゆる手段を尽くす。いよいよ最後になると母の名を呼ぶ。それで万事窮すと決まれば、今度は天要我的命(テンヤオウオダミン)と来る。即ち天が己の命を取るので、運命脱(のが)れ難きものだとあきらめる。そうなると俎(まないた)の上の鯉見たやうに度胸がすっかり座って却って平気になる。支那人は天命論者であるし、天の信者である。…天というものに対する信仰は絶対的である。皇帝は天子として天の子であるとみなし、天命を奉じて人民に臨むものであるとなす。』

『 かの利害打算に明らかな支那人も、時に非常に熱して来る性質を有って居る。支那人の民衆運動で屋外の演説等やって居るのを見ると、演説して居る間にすっかり興奮し、自分の言って居ることに自分が熱して来る。その状態はとても日本人等には見られない所である。彼等は何かで興奮してくると、血書をしたり果ては河に飛び込んだりするのがある。交渉をやって居ても、話しが順調に進んだかと思って居る時に、何か一寸(ちょっと)した言葉で興奮して、折角纏まりかけたのが駄目になることがある。支那人の熱情は高まり易いが叉冷め易いから、支那人は之を五分間の熱情と呼び、排日運動等の時には、五分間熱情ではいけない、之の熱情を持続せよと云ったようなことを盛んに激励したものである。』

『 支那にだけしかないだろうと思われる一つの言葉は気死(チースー)と云うことである。三国志等を読んでも良く出てくるが、両軍が相対し双方から主将が正面に現れて悪口を云う。…それでも言い負けた男は憤慨の極、気死してしまうのがある。日本人は憤って夢中になるくらいの事はあるが、死にはしない。これは実際には見たことはないから、果たして気死したのかどうか知らないが、支那人の興奮性から見れば、或いは其の極、心臓麻痺ぐらい起こして死んだのかもしれない。とにかく「気死」という言葉が存在しているのを見ても、支那人の熱情性の半面は窺われる。何か日本と一寸(ちょっと)した外交問題でも起こると、支那全国騒ぎ立って、新聞は挙(こぞ)って激越な言葉を弄し、今にも戦争でも始めそうなことを云うので、日本の外交官等は吃驚(びっくり)して腰を抜かすが、これは支那人の興奮性から来たもので、そう驚くほどの事でもあるまい。』

『 支那には面子(メンツ)と云う言葉がある。日本で云へば「男の顔にかかはる」と云う顔のことであるが、それが更に広く且つ複雑に行き亘(わた)って凡(すべ)てを支配して居るやうである。支那人の面子と日本の顔とは同じかと云ふに、一致した点もあるが、多少の相違もあるやうだし、面子にも種々あるやうにも思はれる。日本人は支那人は金さへあればどうでも動くやうに思うがさうは行かない。支那人は利害の外(ほか)に面子があって、面子を潰したら決して動くものではない。之れを知らずに日本人は往々失敗することがある。ボーイでも人の居る前で殴り付けたりすると、面子が無くなったと云ふのですぐに暇を取って出て行く。工場等でも些細な一職工の面子問題が原因となって、大罷業(だいひぎょう、大ストライキ)が勃発した例は幾らもあるから、日本人としては余程気をつけねばならぬ。かつて日本の或る有力者が武昌(漢陽)に張之洞(ちょうしどう、清の政治家)を訪ねたことがある。張は大いに歓待の宴を張り、其の席上で某氏(日本の有力者)に何百万元かの借款を申し込んだ。ところが某氏は借款の担保を要求したので、張之洞は大いに怒って、僅か数百万元の金が自分の顔で借れなかったため、公衆の面前で面子が潰れたと云ふので、即時に申し込みを撤回してしまった。』
『 支那は専制者(独裁者)の力の非常に強い所である。首領の専制の前にはただ服従あるのみである。労働運動をやっても、リーダーの命のままに、労働者は或いは右し或いは左するので、彼等(労働組合員)がそれに賛成であると不賛成であるとは問う所ではない。支那の専制者の力が強いのは、違反者に対する厳刻なる処罰を加ふるからである。従って彼等は恐怖心から服従せざるを得ない。排日のやうな場合にも、排日団(急進的学生による排日組織)の前には商人は小さくなって、其の命のままに動く、聴かなければあらゆる私刑(リンチ)を加へる。秘密結社の如きは首領の専制力の最も強いものであるが、裏切り者は何処までも追っかける。捕まったら首と手足を別々に切り離す。支那では殺すにしても五体を全うしないのは最も残酷な方で、刑も極く優遇した場合には絞殺(優遇された処刑が絞殺)し、普通のものは身首(しんしゅ、首と体)所を異にせしむる(首を切る)。次に之をアンペラ(ゴザ)か何かで巻いて河に投げ込む。支那人は死して葬るの地なしと云ふのは、最も忌む所で(支那人は死後、墓に入れないことを嫌う)、柩桶(きゅうよう、棺桶)を買ふ金の無いものに之を恵んでやると云ふことは最も大なる慈善である。従って河に投ずるのは最も残酷な刑に処するのである。この支那人の専制癖は何時の間にか国民党の党治をも蒋介石の専制に変じせしめ、彼れは専制維持のため、数万人の共産党員を死刑にし、最近では自己に反対する者は片っ端から捕へて殺し、言論を極端に圧迫して一言半句の批判をも許さない。労働組合も首領の専制力が強いため、会員は名ばかりで何ら団体的意識はなく、ただ数人の指導者だけで動くから、この数人の指導者が共産党員であった場合には共産系となり、国民党員に変われば国民党系となるので、会員には何らの関係も有(も)たない。』

『 支那人は群衆の力を利用することをよく知っている国民である。支那を旅行する日本人で、一寸した車賃のこと位で、たちまち周囲に黒山を築かれて困ることがある。支那人と喧嘩でもしようものなら、すぐ相手は数百人位になる。そして当の相手よりも、取り巻き連が殴れとかぶっ殺せ等と怒鳴る。すると後ろの方に居る奴が石を投げつけたりする。…支那人は一人で敢然として進むものは少ないが、大勢の陰に隠れて動くことはうまい。自己の正当と信ずる意見を堂々と述べるものは、政治家にしても殆ど見当たらない。排外運動でも起これば学者政治家新聞を通じて皆之に迎合し、四億人(当時の人口)の中に一人の例外もない。日本人もそうした傾向はあるが未だ個性を発揮して自己の意見を堂々と述べるものは少なくない。』
『 序に(ついでに)支那人の冷酷な性質を少し紹介して見よう。昔或る皇后が嫉妬の余り女の手足を切り、眼球をゑぐり、灰を呑まして声が出ないやうにして厠(かわや)に置いたと云ふのがあるし(司馬遷の「史記」、呂太后の話)、叉銅柱(どうちゅう)の下に火を燃し、銅柱に罪人を登らせ、火の中に落ち込むのを見て喜んだと云ふことがある(殷の紂王の話)。とにかく日本人等には考へられない惨酷なことをする。秦の始皇が儒(儒者)を穴にしたり(焚書坑儒の坑儒)、或いは戦争で相手の軍隊十万を穴にすと云ふやうなことがある。叉現在の刑罰を見てもかなり惨酷である。肚(はら)を割(さ)くとか、云ふに忍びない惨虐をやることは、済南における邦人の虐殺事件を見ても明らかであるし…』
『 土匪(どひ、土着の盗賊団)が人質を捕へた場合には、身代金を取るために種々の刑罰を加へる。その刑罰の種類は百数十種に達するが、其の主なるものを挙げて見れば左の如くである。眼鏡掛けと云って、膏薬(こうやく)を眼球になすり付けて山の中を駆けさせる。洋氈床(ようたんしょう)と云ふのは小さい刺(とげ)があって之れに触れると堪へられない強烈な痛みを感ずる植物で床を造って裸で寝せる。荷洋火(かようか)と云ふのは石油の空き缶を人質に背負わせ、缶の中に炭火を入れて烙(い)る。鴨の泳ぎは四本の縄で両手両足の親指を縛し、腹を下方に身體(からだ)を棚のやうに吊り上げ、その背の上に重いものを載せる。乳房掛けと云ふのは婦人の人質を乳房を縛り梁に吊す。花針呑みと云ふのは極く小さい針を呑ませる。それで金を持って来なければ惨殺する。かうした例は幾らもあるが、これ以上書く必要もないだらう。人の梟首(きゅうしゅ、晒し首)を平然として女小供も眺めて居るし、人間の血は長生きの薬になると云って、人が斬罪(ざんざい、首切り)に処せらるると、皆んなで饅頭に血を付けに来て食ふやふな国民は確かに惨忍性を帯びて居て、情において忍びない日本人とは全く正反対である。』
ほら!
御覧の通り、支那人の性質は、毛沢東の時代以前からも、すでに存在していたことがご理解頂けましたでしょうか?
これが、戦前の日本人の常識になります💗

続きは次回に♥
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