2019-04-27 (Sat)

ボリシェヴィキの党章
本日のキーワード : コミンテルン
コミンテルン(ロシア語: Коминтерн、カミンテールン、ラテン文字転写例: Komintern、英語: Comintern)は、1919年から1943年まで存在した国際共産主義運動の指導組織である。
本日の書物 : 『残念すぎる 朝鮮1300年史』 宮脇淳子、倉山満 祥伝社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『倉山 : 超重要な話で言うと、関東大震災(1923年)の時の【「朝鮮人虐殺」】ってありますね。工藤美代子さんが書いているように、【あれは明確にコミンテルン(各国共産主義政党の国際組織)の工作】です。コミンテルンに踊らされた【「不逞鮮人」(ふていせんじん)が暴動を起こす】んです。朝鮮人だから暴動を起こすなんて言っていない。なぜそんなデマが信じられたかという話にもなるし、【実際に暴動を起こしている】んですよね。【暴動というより掠奪】ですが。

宮脇 : 大震災の三カ月後、【皇太子暗殺未遂事件(虎ノ門事件)】というのもありました。世界中で【コミンテルン】は本当にすごかった。【それを抜きにしては歴史を語れない】けれども、【それを抜きにしたのが日本の歴史教科書】です。

【コミンテルンは全然ないことにして、「悪いことは何もしていないのに、朝鮮人だというだけで虐殺された」と書く】から、【めちゃくちゃに変な教科書になっている】。

倉山 : 【コミンテルン】は、大正時代に【東大を乗っ取っています】からね。法学部はまだ乗っ取れていませんでしたが、【経済学部はすでにやられていた】。【森戸事件(1920年)】というのはそれです。

森戸辰男(1956年)
宮脇 : ただ、謀略を説明するのは難しいです。謀略というのは最後まで証拠が出るわけがないから謀略なので、結果から類推したり、状況証拠で判断したり、誰が得をしたのかを指摘する以外方法はありません。それを歴史と言われたら困るけれど、「こういうことが起こって、これは誰の得になりました」ということで説明するしかない。

【日本の朝鮮支配】がいかに悪かったかというのは、【全部戦後の歴史の書き換え】でしょう。その時の世界状況に関係なく、【あとでつくったもの】です。つまり、【歴史学はイデオロギーに乗っ取られて今日ある】ということです。

いまだに、もう面倒臭いからそっちで行こうみたいな多数決で決められてしまっているんです。今の状況を政治的に説明するために、【過去について全然違う見方をして辻褄を合わせ、あとは全部間違っているというやり方で押し通している】から【変なことがいっぱい】出てくる。だから、【変なことはないことにする】。【この思考回路はほとんどイデオロギーと言っていい】と思います。

倉山 : 【関東大震災の「朝鮮人虐殺」】はそういう【コミンテルンの背景があった】からああなったと。別に朝鮮人だけ狙ったわけでも何でもないですからね。…
当時のアメリカの報道記者が、なぜこれだけの大震災で暴動一つ起きないんだと言っている記録フィルムが、NHKの『映像の世紀』にあります。
関東大震災で政府が壊滅しているのに、【法の支配が貫徹している】んです。当時の山本権兵衞首相の偉大さは、語り継ぐべきです。
宮脇 : 今だって、それこそ世界のどこかで何かあった時の掠奪とか、ひどいものです。でも、【当時も日本はそうでなかった】。【朝鮮人が大虐殺された】なんて、【どういう目的で、根拠もなく、火のないところに数字のウソを並べるのか】。

ここからは日本人自身が、そうやってウソを言う人と本当のことを言う人を見分けてもらいたいものです。読者が峻別(しゅんべつ)するところまで来なくちゃいけません。【何であんなにウソを言いたいんだろう】、【何の目的があるんだろう】、【どこから指令が出ているんだろう】って。』

第一次世界大戦でドイツとロシアが滅びて恩恵を受けたのは誰?
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、現在、その活躍が最も期待されている『昭和12年学会』の主要メンバーである著者ら(→昭和12年学会HP)によって、対談形式で解き明かされる「朝鮮史」について書かれた書物で、学校の教科書には「書かれていない史実」や、日本史学界の唱える通説(=珍説)の誤りを分かりやすく丁寧に解説して下さっている良書となります。笑いながら読めちゃう書物になりますが、その中身は非常に内容が濃いものとなっておりますので、ぜひ、皆さまも御一読されてみて下さい。

さて、学校の歴史の教科書では、何故か「書かれていない」のが「コミンテルン」なのですが、本書でも指摘されているように、「それを抜きにしては歴史を語れない」のですが、一体どういう料簡(りょうけん)なのでしょうか(笑)

ということで、ここで少し、もの凄く基本的なことを書かせて頂きたいと思うのですが、本文中にありましたように、「コミンテルン」というのは、各国共産主義政党の国際組織になります。
で、これを積極的かつ有効的に活用したのが、今は亡き「ソ連(ソヴィエト連邦)」なのですが、本名「ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ」、俗に言うところの「ウラジーミル・レーニン」という「ユダヤ系」の男が主導していました。ところが、1918年の暗殺未遂事件の後遺症によって、1924年に亡くなるのですが、要するに「用済み」とされていたわけです。ここで、問題です。
(問) ユダヤ系のレーニンという男は、一体誰から「用済み」とされたのでしょうか?。

1895年のレーニン
で、それを考えるために、第一次世界大戦(1914年~1918年)を確認しておきたいのですが、

1914年時点で2つの陣営に分けられたヨーロッパ。緑は三国協商、茶色は三国同盟。
二陣営に分かれて戦われた結果、当時、大国とされていた国が滅ぼされることになるのですが、それは敗戦陣営側だけではなく、戦勝陣営側にも存在していました。すなわち、上の地図で示している敗戦陣営の「ドイツ帝国」と「オーストリア=ハンガリー帝国」と、戦勝陣営の「ロシア帝国」です。

では、戦勝陣営の「ロシア帝国」が何故、敗戦国となったのでしょうか?

もちろん、第一次世界大戦(1914年~1918年)の最中(さなか)に勃発したユダヤ人によるロシア革命(1917年)が原因です。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆コミンテルン(国際共産党)の下部組織が日本共産党です

「ロシア帝国」は、「二月革命」(1917年)で滅ぼされ、帝政を廃止、臨時政府が樹立され、のちにロシアの政治家で改革派議員の有力者であったアレクサンドル・ケレンスキーがロシア臨時政府を率いるのですが、「ボリシェヴィキ」というロシアの反体制派(少数派)を率いていたテロリストのウラジーミル・レーニンこと、本名・ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフの下で、もと「メンシェヴィキ」(多数派)から「ボリシェヴィキ」に鞍替えしていたレフ・ダヴィードヴィチ・トロツキーこと、レフ・ダヴィードヴィチ・ブロンシュテインは、ボリシェヴィキの革命軍である「赤軍」を創設し、混乱するロシア国内でボリシェヴィキの主張するところの暴力による革命である「十月革命」を起こします。このボリシェヴィキを財政的に支援していたのが、アメリカのバンカー、つまり「ユダヤ人」を中心とする金融資本家たちになるのですが、他方で、メンシェビキを支援する「ユダヤ人」らも存在していましたので、「ユダヤ人が一枚岩ではない」という点、御注意ください。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆レーニンやトロツキーといったマルクス主義者の男どもが戦った「ロシア帝国・死の大隊」

この“2度目の革命”である「十月革命」のあと、ロシア内戦(1917年~1922年/ボリシェビキの赤軍対反赤軍の内戦)を経て、1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立することになります。
で、敗戦陣営の「ドイツ帝国」と「オーストリア=ハンガリー帝国」がどうなったのかを確認しておきますと・・・
「ドイツ帝国」は、「十一月革命」(1918年)で滅ぼされ、帝政の廃止、臨時政府が樹立されます。

キールでの労働者の蜂起(1918年11月4日)
この革命で主導的な立場にあったのが、ユダヤ人であるクルト・アイスナー、

クルト・アイスナー
同じくユダヤ人であるローザ・ルクセンブルク、

ローザ・ルクセンブルク
同じくユダヤ人であるエルンスト・トラー、

エルンスト・トラー
同じくユダヤ人であるオイゲン・レヴィーネなどが挙げられます。

オイゲン・レヴィーネ
余談ですが、ローザ・ルクセンブルクと活動を共にしたフェミニスト・女性解放運動家にクララ・ツェトキンというユダヤ人がいますが、

クララ・ツェトキン
社会主義の立場による女性解放運動を主導し、女性解放運動の母と呼ばれるほどの御仁になりますが、1904年3月8日にアメリカの女性労働者がデモを行ったことに因んで3月8日を「国際女性デー」とするよう提唱なされた張本人で、

1914年の国際女性デーのためのドイツ語のポスター
当ブログでこれまでに取り上げさせて頂いております、「ユダヤ教徒」らによる、「マルクス主義」を発展させるべくして創り出された「批判理論」を展開した、あの悪名高い「フランクフルト学派」の創設メンバーの一人となります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆自我の形成不全という「人格障害」、「性格障害」の人々

そのクララ・ツェトキンの伴侶は、同じくユダヤ人のオシップ・ツェトキンで、ロシアの革命家でした(笑)

オシップ・ツェトキン
また、クララ・ツェトキンは「第二インターナショナル」の活動に従事していて、他にも、ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトとともに、1916年に、あの「スパルタクス団」を結成したりします💗

クララ・ツェトキン(左)とローザ・ルクセンブルク(右) 1910年
そして、その「スパルタクス団」という名の「共産主義テロリスト」らが、敗戦後のドイツにおいて、1919年1月に“2度目の革命”を起こします。これが、「1月蜂起(スパルタクス団蜂起)」と呼ばれ、ロシア革命の再現を狙ったワイマール共和国政府への暴力蜂起になります。

ベルリン市内で武装したスパルタクス団員(1919年)
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆赤いユダヤとスパルタクス団

この武装蜂起は鎮圧され、失敗に終わります。
また、「オーストリア=ハンガリー帝国」の最後はあっけないもので、帝国内の諸民族が次々と独立を宣言し、皇帝が国外へ逃亡し、ハプスブルク帝国が崩壊します(1918年)。
さて、ウラジーミル・レーニンは、ドイツが敵国であるロシアに送り込んだテロリストでしたが、その甲斐あって、ロシア帝国が滅亡し、“2度目の革命”である「十月革命」(1917年)のあと、ロシア臨時政府を倒した「ボリシェヴィキ」とドイツ帝国は「ブレスト=リトフスク条約」(1918年3月)を結び、ロシアが第一次世界大戦から離脱します。このとき、レーニンのボリシェビキは、ロシアの領土をドイツに割譲しています。

条約によってロシアがドイツに割譲した地域。
その結果、ドイツ帝国は西部戦線に兵力を集中できるようになったのですが、同年5月に、総兵力210万人のアメリカ外征軍が参戦し、西部戦線のパワーバランスが崩れ、1918年11月にドイツが降伏します。
と、このような流れなのですが、ここでもう一度、次の問題を考えてみて下さい。
(問) ユダヤ系のレーニンという男は、一体誰から「用済み」とされたのでしょうか?。
ちなみに、レーニン暗殺未遂事件は1918年8月のことになります。
ドイツとロシアという2大国が滅びることで、その恩恵を最大に受けたのは誰でしょうか?

続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング


- 関連記事
-
- 「特定非営利活動法人 21 世紀自主フォーラム」 という “北朝鮮の利権団体” ~ 一体誰がこんなの認めたの??? (2022/07/21)
- アイヌ先住民族運動と反日石碑建立のスポンサー (2022/07/20)
- 明治時代に入ると消えた 「日本文化 (アイヌ文化も含む) 」 ~ アイヌ利権団体の背後にいる中国共産党&北朝鮮&公明党 (2022/07/19)
- 嘘だらけのアイヌ副読本 『アイヌ民族 : 歴史と現在』 ~ 公明党と北朝鮮 (2022/07/17)
- 朝鮮のネズミ小僧と「自由朝鮮(Free Joseon)」 (2019/04/30)
- 満洲人の故郷「満洲」で、「漢人」と「朝鮮人」がやったこと (2019/04/29)
- メキシコの共産党、アメリカの共産党、そして日本人 (2019/04/28)
- ドイツ帝国もロシア帝国も、“2度目の革命”で滅亡しました (2019/04/27)
- 「朝鮮問題」なんてものは、本当に最後の最後、後回しなんです (2019/04/26)
- 日本は朝鮮半島全部を、たったの2万人で治安維持しました (2019/04/25)
- 「Koreans(コリアンズ)」が生まれたのは、わずか700年ほど前のことです (2019/04/24)
- モンゴルを蹴散らした日本人、モンゴルに征服された高麗人 (2019/04/23)
- ユーラ(夕羅)=ユーリイ・イルセノヴィチ・キム ⇒ この意味わかる? (2019/04/22)
- 強姦未遂・致傷の犯人が、捕まっても、その日のうちに帰宅できるという国家 (2017/09/28)
- 朝鮮人は、なぜ、ノーベル賞がとれないのか・・・ (2017/09/27)