2019-04-16 (Tue)

本日のキーワード : 征服、異民族
征服王朝(せいふくおうちょう、Conquest Dynasty)とは、支那史における用語であり、漢人以外の異民族によって支配された王朝を総称して、こう呼んでいる。
本日の書物 : 『劉備と諸葛亮 カネ勘定の「三国志」』 柿沼陽平 文藝春秋
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【西羌(せいきょう)】の「羌」は、殷代甲骨文にもみえる集団名で、【後漢初期】には河湟(かこう)地区(現在の青海省付近)に住んでいた。彼らは…、儒教的秩序を重んじる【漢人とは相容れぬ関係】にあった。両者の間には【言葉の壁もあった】。

両者の【生活様式も大きく異なっていた】。西羌は多くの家畜(とくにヒツジ・ウシ・ウマ)を有し、廬落(テント)に住み、季節ごとに移住をした。寒さに強い麦も栽培した。…季節ごとに移住をくりかえすことで、【西羌は牧畜と農耕を両立】させた。これは、【漢人の定住農耕文化とは大きく異なる】。とうぜん両者のあいだには軋轢(あつれき)が生じやすい。

漢人と羌人の生活空間は、もともとはあまり重複していなかった。…ところが近年の研究によると、中国本土の平均気温の変動が両者の関係に影響を与えたことがわかっている。

すなわち、中国古代の平均気温は数百年のスパンで少しずつ変動していた。春秋戦国時代の平均気温は現在よりも高く、前漢末期以降から後漢時代は現在とほぼ同じで、魏晋時代には【寒冷化】が進んだ。これが【漢代西羌のすむ地域に影響を与えた】。…西羌人自身は服を着込めばよいかもしれないが、【家畜の育成に影響】が出る。【西羌は温暖な後漢領内へ移住せざるをえなくなった】。』

支那や朝鮮半島を支配してきたのは「異民族」です
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、日本でも人気が非常に高い「三国志」を扱った諸作品の影響で、実像とはかけ離れた「架空のストーリー」を、さも史実であるかのごとく勘違いなされている方々におすすめの良書で、本書を御覧頂ければ、「三国志」で支那の歴史が学べると思い込むことは、「スターウォーズ」を観て宇宙の歴史を学べると思い込んでいることと同じだと御理解頂けることだと思います。

さて、昨日のところでは、「北方」の「遊牧騎馬民族」である「匈奴」が、前漢王朝の宿敵であったことについて書かせて頂きましたが、

400年間存続した漢帝国が滅亡させられるのは、本文中に書かれているように異民族である西羌(せいきょう)の侵入が引き金となっていて、ほどなく、「三国志」の時代に突入していくのですが、この頃、いわゆる「漢人」の人口が10分の1にまで激減することになります。
もちろん、「漢人」の人口激減のお話や、「西羌(せいきょう)」と漢との戦争についてのお話などは、東京書籍の中学校歴史教科書には「書かれていない」のですが、


上の地図のなかに描かれている「万里の長城」という滑稽な壁は、すべて「北方の遊牧騎馬民族」に恐れをなして造ったもので、その異民族の侵略によって、次々と支配者層が別の民族に置き換わっていく、というのが支那の歴史になります。

「遊牧騎馬民族」あるいは「狩猟民族」というのは、商人であり、お金持ちであり、戦争に強いわけで、そういった連中が支那の歴代支配層となっています。そして、支配されているのは、土地に縛られ、一カ所に定住し、種を植えて一年経ってようやく収穫する、という生活を続ける「農耕民」である「漢人」でした。
「天高く馬肥ゆる秋」ということわざがありますが、このことわざのもともとの意味は、北方の騎馬民族の匈奴が収穫の秋になると大挙して略奪にやってきたので、警戒せよ、という意味です。

これこそ、まさに支那の歴史の本質を的確に表現しているもので、それと全く同じことが朝鮮半島にも言えるのですが、また別の機会に書かせて頂きます。

本日の課題 : 「正接(タンジェント/tangent)」を微分してみましょう!
それでは、ここからは昨日の続きである「微分積分学」を自ら発明する、という無謀なチャレンジの続きに入りたいと思います。
「微分積分学」のエッセンスは、何度も繰り返しますが、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。

さて、昨日のところで、図だけを眺めながら、


大きな三角形の角度(α)がチョコっとだけ変化したときのV(α)の変化は、線分の長さ「ℓ」を「1」として、線分とV(α)との長さの比を考えることと同じで、学校の教科書に書かれている「正弦(サイン/sine)」というのが、線分の長さを「1」とした場合のV(α)との長さの比を表現するだけの単語でしかない、ということを書かせて頂きました。

同様に大きな三角形の角度(α)がチョコっとだけ変化したときのH(α)の変化は、線分の長さ「ℓ」を「1」として、線分とH(α)との長さの比を考えることと同じで、学校の教科書に書かれている「余弦(コサイン/cosine)」というのは、線分の長さを「1」とした場合のH(α)との長さの比を表現するだけの単語でしかない、ということを書かせて頂きました。

で、そんな単語を一生懸命に覚えようとするのではなく、それぞれを微分した場合の関係をアタマの中でイメージできるようになることが、とっても大切です、ということも書かせて頂きました。


そこで、折角ですので、ついでに学校の教科書に書かれている「正接(タンジェント/tangent)」とか、

「正割(セカント/secant)」

についても確認しておきましょう。つまり、それぞれを微分する(導関数を求める)とどうなるのかをチェックしておく、ということになります。
まず、「正接(タンジェント/tangent)」を1つの函数(関数)と見做して「T(α)」として、

それを微分する(導関数を求める)と、

「負のべき」の表現は、次のように変えることができますので(→イギリスの自虐史教育を終わらせた「教育黒書運動(Black Paper Movement)」)、

次のように表現することができます。

さらに、2つの函数(関数)の積からなる場合の導関数は、次のように変えることができますので(→聖徳太子の「イノベーション」)

次のように表現することができます。

そうすると、さきほど、

でしたので、

となるところまでは分かりました。
が、残りの「H(α)-1」´って何なのでしょうか?
ここから、どのように考えれば良いのでしょうか?

続きは次回に♥
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