2019-04-05 (Fri)

本日のキーワード : 女性活躍、神功皇后
女性活躍推進(じょせいかつやくすいしん)とは、働く場面で活躍したいという希望を持つすべての女性が、その個性と能力を十分に発揮できる社会を実現するための一連の施策のことである。第2次安倍政権下における最重要施策の一であり、安倍晋三首相は「すべての女性が輝く社会づくり」を唱える。その基本法は、2015年(平成27年)9月4日公布・同日施行の女性の職業生活における活躍の推進に関する法律(女性活躍推進法)である。
本日の書物 : 『物語日本史(上)』 平泉澄 講談社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本武尊(やまとたけるのみこと)】は、不幸にして早くおかくれになりましたが、やがてその御子(みこ)、即位せられました。すなわち【仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)】であります。

仲哀天皇
その御代(みよ)に、九州が乱れたので、天皇は御后(おきさき)【神功皇后(じんぐうこうごう)】とともに、兵をひきいてこれを征伐せられましたが、勝利を得ないで、急病でおかくれになりました。

「御誂座敷幟ノ内 神功皇后と武内大臣」 歌川国貞
皇后は、民心の動揺を防ぐために、【崩御のことを秘匿(ひとく)】して発表せず、【九州動乱の原因(もと)は朝鮮半島にある】と判断し、その【朝鮮を平らげる】ことによって、【九州は自然に治まる】に違いないと御考えになって、【男装して三軍をひきい、海を渡って朝鮮に攻め入られました】。

「日本史略図会 第十五代神功皇后」 月岡芳年筆
堅く軍令を守って、一糸乱れないようにせよ。財物をむさぼり、私欲をほしいままにしてはならない。少敵といえども侮(あなど)らず、強敵といえども恐れてはならぬ。暴虐の者は赦(ゆる)さず、降服する者は殺さないようにせよ。進んで戦う者は、必ず賞を与えられ、恐れて逃げる者は、必ず罰せられるであろう。
というのが、その軍令でありました。

鴨緑江
そのころの【朝鮮半島の状況】、どうであったかといえば、【鴨緑江(おうりょっこう)】の北、【満洲】(今の中国の東北地方)の東南部に、【高句麗(こうくり)】という国があって、それがすこぶる強勢であって、【四方を侵略】したので、シナ本土よりたびたび征伐されていました。
さすがの高句麗も、シナ本土の大軍にはかなわないので、西方への発展を思い切って、今度は【南へ】下ろうとしました。鴨緑江を渡って南へ下れば、すなわち朝鮮半島でありますが、その西側には【百済(くだら)】、東側には【新羅(しらぎ)】という国がありました。

【新羅は高句麗の勢力を恐れてこれに付いた】ばかりでなく、これと【共同して我が九州に手をかけ、これをかき乱しました】。

一方の【百済】は、敢然(かんぜん)として高句麗の侵略を食い止めて独立を守りたいと思いましたが、【国の力が弱く、独力ではどうにもならない】ので、【我が国に助けを求めました】。

このような情勢のもとに、神功皇后が、新羅を討って九州動乱の元を断ち、自国の防衛を全うするとともに、さらに進んで高句麗と戦い、その半島侵略の野望を砕いて百済を救い、隣国の危急を救おうとせられたのは、当然のことであると同時に、まことにめざましい壮挙といわねばなりません。

「賢女八景 筑紫帰帆」 歌川国芳
皇軍海を越えて新羅に入ると、【新羅はたちまち力屈して降参】しました。そして【新羅王は、今後日本に服属して、年々貢物(みつぎもの)をたてまつることを約束】し、そしてこの約束は、東より出づる日、西より出ないかぎり、アリナレ河の水、逆に流れないかぎり、また河の石が天に昇って星とならないかぎり、決して変わることはございません、と誓いを立てました。【皇后はその降服を許し、捕虜を解放】せられたので、【新羅王は王族を人質として我が国へ送り、年々貢物(みつぎもの)をたてまつった】と、日本書紀に見えています。』

東京書籍の教科書には書かれていない「朝鮮半島の暗黒史」
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、優れた歴史学者でありながら、占領期に、GHQから公職追放された著者によって描かれた、私たち日本の素晴らしい「国史」について書かれた良書で、東京書籍に代表される中学校歴史教科書と比べてみると、私たち日本人が何を教えられていないのかが、ありありと分かる良書になります。

さて、昨日から、東京書籍の歴史教科書に「書かれていない」ことを確認するために、第25代・武烈(ぶれつ)天皇、第26代・継体(けいたい)天皇、第27代・安閑(あんかん)天皇、第28代・宣化(せんか)天皇の頃のお話を書かせて頂いております。西暦で言うと、500年頃から550年頃までの時代になります。

上の図に示している系譜は、明確に分かりやすくするために、途中を飛ばして簡略化させて頂いておりますが、第26代・継体(けいたい)天皇のあと、その御子である、第27代・安閑(あんかん)天皇、第28代・宣化(せんか)天皇、第29代・欽明(きんめい)天皇の三天皇が次々に御即位になります。
また、本文中に書かれていましたように第14代・仲哀(ちゅうあい)天皇は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の御子であり、その御后(おきさき)が神功皇后(じんぐうこうごう)という由緒正しき御血統であります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆産経新聞取材班 日本人なら知っておきたい英雄 ヤマトタケル

それでは、第25代・武烈(ぶれつ)天皇から第28代・宣化(せんか)天皇の頃のお話、西暦で500年頃から550年頃までの時代の朝鮮半島の情勢を確認してまいりたいと思いますが、実は、本文中に書かれていました神功皇后(じんぐうこうごう)による、いわゆる「三韓征伐(さんかんせいばつ)」のお話と繋がってくることになります。

神功皇后(じんぐうこうごう)による「三韓征伐(さんかんせいばつ)」は、妊娠した状態で、海を渡って朝鮮半島の平定に向かったのですが、その時、お腹の中の御子が、のちの第15代・応神(おうじん)天皇になります。
その「三韓征伐(さんかんせいばつ)」の結果、高句麗も新羅も百済も、私たちの日本に降伏し、朝貢を約束します。
で、このことは度々書かせて頂いているのですが、その新羅の王様として途中から支配し続けるのが日本人で、

簡単にご説明しておきますと、第4代新羅王・脱解は日本人で、その脱解以降、日本人である脱解の子孫が王位を継承していく(計36代の新羅王を独占)ということになります。
ちなみに、「脱解」は、「脱解尼師今(だっかい にしきん)」のことで、その「脱解」が金の箱を見つけ、その中に入っていた男の子に「金 閼智(きん あっち)」と名付け、その7世孫が第13代新羅王・味鄒尼師今(みすう にしきん)となります。
要するに、「金 閼智(きん あっち)」は、日本人である「脱解尼師今(だっかい にしきん)」の隠し子で、その血筋がのちに新羅の王位を独占していくわけですが、

となると、朝鮮に多く見られる「金」という名前は、私たち日本人の子孫であると言えますが、それでも「反日」という自己否定をやれるのでしょうか?


詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆1400年前に、日本に「朝貢」していた国々


さて、日本武尊(やまとたけるのみこと)は、第21代・雄略(ゆうりゃく)天皇の祖父様(おじいさま)の曽祖父様(ひいおじいさま)ですが、

猪狩りをする雄略天皇(安達吟光画)
その雄略天皇の御代、西暦461年、第21代・百済王である蓋鹵王(がいろおう)は、次男である昆支(こんき)を人質として私たちの日本に献上します。
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蓋鹵王(がいろおう)は、南支那の勢力(南朝の宋)や新羅、そして私たちの日本に平身低頭の体でバックアップを請い、高句麗に対抗するという「百済伝統の政策」を採っていました。
ところが、次男である昆支(こんき)とともに、蓋鹵王(がいろおう)は嫁の一人もセットとして私たちの日本への貢物として送っていたのですが、その道中で、蓋鹵王(がいろおう)の嫁が男の子を生んでしまい、母子ともに百済に送り返されます。
西暦475年、百済の首都・漢城(ソウル)が高句麗に攻め込まれ、蓋鹵王(がいろおう)の長男である文周は、なんと他国である新羅に救援を求め、その兵隊を借りて、都である漢城(ソウル)へと戻るのですが、すでに漢城(ソウル)は陥落、蓋鹵王(がいろおう)は処刑されていたという有様でした(笑)

で、その歴史的な事実を、『日本書紀』では、雄略天皇20年(476年)に高句麗が百済を滅ぼした、同21年(477年)3月に雄略天皇が久麻那利(こむなり)を百済の文周王に下賜して国の復興をさせた、と記録されています。
つまり、一度滅亡させられた百済を、私たちの日本が「復興」させたということになります。

このように、朝鮮半島の情勢は永らく混沌としていて、半島に平和をもたらすために、私たちの日本は度々出兵をしたり、支援をしていたわけです。で、第25代・武烈(ぶれつ)天皇から第28代・宣化(せんか)天皇の頃のお話、西暦で500年頃から550年頃までの時代の朝鮮半島の情勢はと申しますと、
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雄略天皇が滅ぼされた百済を復興させて、第22代百済王として文周王を立てたわけですが、477年9月に暗殺され、その子三斤王(さんきんおう)が第23代百済王となりますが、わずか3年で死去します。
そして、さきほど日本に人質として送られてきた昆支(こんき)の子東城王(とうじょうおう)が第24代百済王が王位に就きますが、それについて、『日本書紀』には次のような記述が残されています。
≪ 百済文斤王(三斤王)が急死したため、当時人質として日本に滞在していた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だったので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。 ≫

その東城王も501年に暗殺されます。書いていて思うのですが、まさに、朝鮮半島の歴史というのは「呪われた歴史」であり、「血塗られた歴史」であるとホトホト感じます。で、この続きは、次回以降に書かせて頂きます。

本日の課題 : 円の面積と円周の秘密の関係を探れ!
ということで、ここからは昨日の続きである「微分積分学」を自ら発明する、という無謀なチャレンジの続きに入りたいと思います。
「微分積分学」のエッセンスは、何度も繰り返しますが、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。

いま何を考えているのかを確認しておきますと、それは2つあって、まず、私たちが普段、日常的な感覚で、自然に理解できるところから始めて、次のような正方形に内接する円の面積が、正方形の面積のどのくらいを占めているのか、ということにになります。

大きな正方形の面積を「S」とし、小さな正方形の面積を「s」とし、円の面積を「C」とし、円の面積「C」が、小さな正方形の面積「s」の「x」倍であると仮定致しますと、

となるところまでは分かったのですが、「x」が何のかが分かりません。
さらに、もう一つが、円の直径を「d」として、円周「D」が直径「d」の何倍になるのか、ということになります。

しかし、これも、円周「D」が直径「d」の「X」倍であるして、

となるところまでは分かったのですが、「X」が何のかが分かりません。

そこで、発想を変えて、円を2つ考えてみて、

内側の円の半径は「r」で、外側の円の半径はほんの少し(「t」)だけ長い「r+t」とし、また、内側の円の面積を「C(r)」、外側の円の面積を「C(r+t)」とし、このとき、2つの円に挟まれた部分の面積(→「A」とします)は、

となるところまでは分かりました。ここから、どのように考えれば良いのか、ということになるのですが、昨日の最後のところでヒントとして書かせて頂いておりますが、、2つの円に挟まれた部分の面積(「A」)は、それらの円を、ある任意の場所で切断し、引き伸ばした長方形の面積として考えることができる(「t」はとてもとても小さな数だと想像して。。。)のではないでしょうか?

そうすると、不思議なことに、面積(「A」)のことを考えているのに、円周の「D」が登場しました。

つまり、この2つの問題には何らかの関係があると推測されることになります。
それでは参ります! まず、さきほどの細長い長方形の面積は、

と表現することができますが、とすると、

だったわけですから、次のように表現することができます。

でも、2つの円に挟まれた部分の面積が次のように表現できることが分かっていますので、

この2つは同じことを異なった表現で表していることになりますので、両者は等しいと考えて良いのですから、

ということになります。ここで、円の直径「d」と円の半径「r」との関係は、

ですので、さきほどの式に代入致しますと、

となります。さて、ここから、どのように考えれば良いのでしょうか?

続きは次回に♥
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