2019-03-28 (Thu)

本日のキーワード : 仏教伝来、物部氏、蘇我氏
仏教公伝(ぶっきょうこうでん)は、国家間の公的な交渉として仏教が伝えられることを指す。上代の日本においては6世紀半ばの欽明天皇期、百済から古代日本(大和朝廷)への仏教公伝のことを指すのが一般的。
本日の書物 : 『「理系」で読み解くすごい日本史』 竹村公太郎 青春出版社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【江戸時代】は、「天下太平」の時代といわれたが、【高度成長の時代】でもあった。
中でも、【日本】が江戸時代以降、【東アジア諸国の中でも独自の発展を遂げた理由の一つ】に、【「数学」が発展していたこと】が考えられる。
その表れの一つが、【「和算」】だ。

和算は、中国の数学の書を土台としながら、それを【日本独特の数学に昇華】させた。そのきっかけとなったのが、1622(元和8)年、【毛利重能(もうりしげよし)】によって刊行された【『割算書(わりざんしょ)』】だった。この当時の「割算」は、掛け算も含めてすべての計算法を包括していた。

☆毛利重能の『割算書』 | 玉川大学教育博物館 館蔵資料(デジタルアーカイブ)
毛利の弟子、【吉田光由(よしだみつよし)】が1627(寛永4)年に出版した、【『塵劫記(じんこうき)』】では、…生活に関係する数学についてわかりやすく書かれ、当時のベストセラーとなった。…

江戸時代以前には、数学(算道)は一種の秘術のように扱われ、一般に公開されるような性格のものではなかった。…
1627年に吉田光由が著した『塵劫記』は、日常生活に必要な算術を、挿し絵を多用して容易に学べるように一冊に網羅し、江戸時代の算術書のベストセラー、かつロングセラーとなったことは前述した。
内容には、そろばんの使用法や室町時代から数学の遊戯として伝わっていた「ままこ立て」や「ねずみ算」など、実用的内容と遊びの要素がちりばめられていた。【一般に算術が広まる大きなきっかけ】となった。

のちの【和算の大家】となる【関孝和(せき たかかず)】や儒学者の【貝原益軒(かいばらえきけん)】などもこの書を独習したという。…

関孝和の銅像(群馬県藤岡市)
【関孝和】(1642?~1708年)は、江戸時代初めの生まれで、江戸または、現在の群馬県生まれという。…
関は【和算を広く発展させる方法】を生み出した。それまでの算術で用いていた算木(さんぎ)を用いず、そろばんも使わずに【方程式を解く「筆算」の方法を考案】したのだ。
紙に、「甲」「乙」といった【文字係数】を書き並べることで【多元方程式の解を導き出す方法】で、これは画期的だった。この【筆算】が、【日本の数学のレベルを飛躍的に向上させ、和算が中国伝来の数学から独自に発展する道筋となった】。

関は、そのほかに【世界に先駆ける高等数学の成果】を数多く残した。

暦の作成に必要とされた【円周率の計算】では、1681年ごろに【少数第11位(途中計算では少数第16日位)まで計算】した。この求め方は【収束の加速法(または補外法)】といい、この方法は【西洋数学より190年以上早かった】ことが、【世界的にも認知】されている。

円に内接する多角形から、円周率を計算

関孝和による行列式の計算法を述べた部分
☆第2章 関孝和 | 江戸の数学 - 国立国会図書館
また、関の没後、スイスの数学者【ヤコブ・ベルヌーイ】が1713年に【「ベルヌーイ数」(数論の基本的係数を与える数列)】を著書で発表するが、【関は生前、すでにベルヌーイ数を発見していた】。


ヤコブ・ベルヌーイ
英国の数学・物理学者アイザック・ニュートンやドイツの数学者ゴットフリート・ライプニッツと同時代の【高レベルの数学研究に比肩する業績】という評価もある。』

東京書籍の教科書が「隠す」、仏教伝来と宗教を巡る争い
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、ド文系の歴史学者には分からない、「理系」の知識を持つ著者によって日本の歴史の素晴らしさについて解説された良書になります。いわゆる「自虐史観」をベースに編集されている東京書籍の歴史教科書などとは比べ物にならないほど価値のある書物で、ぜひ、学校の授業でも使って頂きたいと思います。

さて、本文中に書かれていた「和算(わさん)」や「算木(さんぎ)」につきましては、以前に書かせて頂いておりますので、そちらをご参照頂きたいと思いますが、
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆中華人民共和国は、「話し言葉」と「書き言葉」が別の言語になっている!!

☆日本の左翼リベラルの男って、「ナニ」が小さいのでしょうか?

室町時代からの数学の遊びである「ままこ立て」につきましては、下記のブログが参考になると思われますので、ご参照くださいませ。

☆イムジイのページ 和算のと算法とゲーム
ここで、再度、みなさまのご注意を促すために書かせて頂きますが、以前にも、ググって頂くと、いくつもの問題点が指摘されている「数学的に間違った思考回路」をお持ちの御仁について触れさせて頂きましたが、その御仁が書かれている本がこちらになります(笑)



詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「マルクスの理論」が理解できない人&「掛け算」の意味が理解できない人

昨日のところで、現在の日本の中学校の歴史教科書として半分ほどのシェアを持つ「東京書籍の教科書」が、



初代・神武(じんむ)、第2代・綏靖(すいぜい)、第3代・安寧(あんねい)、第4代・懿徳(いとく)、第5代・孝昭(こうしょう)、第6代・孝安(こうあん)、第7代・孝霊(こうれい)、第8代・孝元(こうげん)、第9代・開化(かいか)、第10代・崇神(すじん)、第11代・垂仁(すいにん)、第12代・景行(けいこう)、第13代・成務(せいむ)、第14代・仲哀(ちゅうあい)、第15代・応神(おうじん)、第16代・仁徳(にんとく)、第17代・履中(りちゅう)、第18代・反正(はんぜい)、第19代・允恭(いんぎょう)、第20代・安康(あんこう)、第21代・雄略(ゆうりゃく)、第22代・清寧(せいねい)、第23代・顕宗(けんぞう)、第24代・仁賢(にんけん)、第25代・武烈(ぶれつ)、第26代・継体(けいたい)、第27代・安閑(あんかん)、第28代・宣化(せんか)、と、ここまでの御歴代天皇についてその御名を記述すらせず、そのあと、

第29代・欽明(きんめい)、第30代・敏達(びだつ)、第31代・用明(ようめい)、第32代・崇峻(すしゅん)、第33代・推古(すいこ)、と名前が記述されているだけで、何をなされたのかが、さっぱり分からないように編集されている、ということについて、「推古天皇」を例として書かせて頂きました。

で、その第33代・推古天皇(すいこてんのう)は、在位が西暦593年~628年の35年間に及ぶ、「男系の女性天皇」(女系ではない)ですが、

推古天皇像(土佐光芳画・部分)
東京書籍の歴史教科書には、即位された理由を次のように説明しています。


もはや、笑うしかない記述内容で、まったくの「デタラメ」が教科書に書かれていることが、ここで確認できます。

「この争いを和らげるために女性の推古天皇が即位する」
と、ハッキリと書かれていることがご理解頂けると思いますが、それでは、
Q : 何故、争いがあったの? それは何を巡る争いだったの?
⇒ A: なぜならば・・・
Q : 何故、「女性」の「推古天皇」の即位が、その争いを和らげるためになるの?
⇒ A:なぜならば・・・
という問いに対して、答えられなければなりませんが、

その「答え」に相当する部分が、何一つ無い、というのも東京書籍の歴史教科書の大きな特徴になっています(笑)

第29代・欽明(きんめい)天皇、第31代・用明(ようめい)天皇、第32代・崇峻(すしゅん)天皇、第33代・推古(すいこ)天皇の系図をまとめると次のようになるのですが、ここでは第30代・敏達(びだつ)天皇を省略しておきます。

上図から、欽明天皇と蘇我堅塩媛 (そが の きたしひめ)との子が用明天皇と推古天皇であり、欽明天皇と蘇我小姉君(そがの おあねのきみ)との子が崇峻天皇、そして穴穂部皇子(あなほべのみこ)、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)であることが分かります。で、母親にあたる蘇我堅塩媛も蘇我小姉君も、蘇我稲目(そが の いなめ)の娘になります。
蘇我稲目の父親は蘇我高麗(そが の こま)、祖父は蘇我韓子(そがの からこ)といい、その名前からも朝鮮半島と関係があることが容易に推測されると思います。
その蘇我稲目の子が蘇我馬子(そが の うまこ)で、大臣(おおおみ)の地位にありました。「臣(おみ)」というのは「姓(かばね)」の一つで、天皇の血筋を引く継ぐ皇族の子孫に与えられ、「姓」の中で最も重視されていて、天皇との関係・地位を示す称号のようなもので、「大臣」は「臣」の中でも有力者であったものが就き、天皇の補佐として執政を行っていました。
ここで、少し補足しておきますと、私たちの古来の日本語で「から」という言葉がありますが、原義は「芽を出してまっすぐにのびたもの」で、草の茎(くき)や木の幹(みき)、転じて道具の柄(え)などを意味しています。
そして、その「から(幹・柄)」と同根(=原義が同じ)となる「から(族・柄)」という言葉もありますが、「血縁関係のある一族であること」を意味し、「うがら(親族)」、「はらから(同胞)」、「から(族)」など複合名詞として使われることが多く、さらに、「ひとがら(人柄)」や「くにがら(国柄)」などのように、一族のものに本来共通に備わっている性質、つまり素性や性格を意味するようになります。
そして、そのような「から(族・柄)」という血縁関係のある一族で、朝廷内において一定の政治的な地位や職務を世襲していた親族集団のことを「うぢ(氏)」といい、共通の祖神(氏神)をもつ氏人を構成員とし、その有力者が氏上(うぢのかみ)として氏神を祭り、氏人を率いていました。これらの「うぢ(氏)」は一定の土地を領有し、そこには民(たみ)もいて、村落を形成し、自給的な生活を営んでいました。
これらの「うぢ(氏)」は大別して2つに分けられ、①もともと古くから天皇に仕えていた一族、つまり「あまつかみ(天津神)」の流れを汲むもので、主に朝廷内での職掌に由来する名前がついているものと、②天皇の血筋を引く継ぐ皇族の子孫であり、天皇家と並ぶ勢力を有する一族で、地名に由来する名前がついているものになります。
前者(①)の代表的なものには、
大伴氏(氏祖:天忍日命(あめのおしひのみこと)=天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴。高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の血筋。)
物部氏(氏祖:邇芸速日命(にぎはやひのみこと)=神武天皇よりも前にヤマト入りをした「あまつかみ(天津神)」)
中臣氏(氏祖:天児屋命(あめのこやねのみこと)=天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に随伴。のちの藤原氏。)
土師氏(氏祖:野見宿禰(のみのすくね)=天之菩卑能命(あめのほひのみこと)の子孫。)
などがあり、「姓(かばね)」として、「連(むらじ)」という称号をもっていて、特に、軍事を司る伴造(とものみやつこ)出身の有力氏族であった大伴氏や物部氏(もののべうじ)などは「連」の中でも有力者であったものが就く「大連(おおむらじ)」として、天皇の補佐として執政を行っていました。
そして、後者(②)の代表的なものが、
蘇我氏(氏祖:武内宿禰(たけうちのすくね))
巨勢氏(氏祖:許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)=武内宿禰(たけうちのすくね)の子)
紀氏(氏祖:木角宿禰(きのつののすくね)=武内宿禰(たけうちのすくね)の子)
平群氏(氏祖:武内宿禰(たけうちのすくね))
葛城氏(氏祖:葛城襲津彦(かずらき の そつひこ)=武内宿禰(たけうちのすくね)の子)
波多氏(氏祖:波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)=武内宿禰(たけうちのすくね)の子)
阿部氏(氏祖:大彦命(おおひこのみこと)=第8代・孝元天皇の第1皇子で四道将軍の1人で、北陸に派遣された。)
になり、「姓(かばね)」として「臣(おみ)」という称号をもっていたのですが、それぞれの氏祖に見られる武内宿禰(たけうちのすくね)は第8代・孝元天皇の皇子である彦太忍信命(ひこふつおしのまことのみこと)の血筋になりますので、もとを辿(たど)ると第8代・孝元天皇となっていることが分かると思います。そして、その中でも特に有力者であった「臣(おみ)」として、蘇我氏が、大臣(おおおみ)の地位にあったということは、さきほど書かせて頂きました通りです。

ここで、お話を元に戻しますと、当時、「大連(おおむらじ)」の物部守屋(もののべ の もりや)と「大臣(おおおみ)」の蘇我馬子(そが の うまこ)との対立があったわけです(その件につきましては東京書籍の教科書にも書かれています)が、

その対立の原因こそが、
Q : 何故、争いがあったの? それは何を巡る争いだったの?
⇒ A: なぜならば・・・
という問いに対する答えになる(その原因については東京書籍の教科書には「書かれていません」)のですが、それが理解できると、
Q : 何故、「女性」の「推古天皇」の即位が、その争いを和らげるためになるの?
⇒ A:なぜならば・・・
という問いについても考えることができるようになり、同時に東京書籍の記述内容がデタラメであるということも理解できるようになります。

本日はここまでとさせて頂きますが、答えを先に申し上げますと、「仏教」を巡っての争いがあったから、です。
続きは次回に♥
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