2019-03-27 (Wed)

本日のキーワード : 皇紀、讖緯(しんい)の学、推古天皇
神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)または神武紀元(じんむきげん)は、『日本書紀』の記述をもとに設定された日本の紀年法である。皇紀(こうき)、即位紀元、皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、日紀(にっき)とも。

『神武天皇東征之図』安達吟光
本日の書物 : 『「理系」で読み解くすごい日本史』 竹村公太郎 青春出版社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 『古事記』と『日本書紀』で伝わる神話に、村人を苦しめていたヤマタノオロチに【酒】を飲ませて酔わせ、スサノオノミコトがこれを退治した、という有名な話がある。

日本では、【酒が有史以前からつくられ】ていて、少なくとも【縄文時代から酒が存在】していたようだ。…

そもそも、果実を収穫してしばらく貯蔵しておくと、自然に発酵して酒ができる。例えば、ブドウは、器に入れておけば果汁がしみ出し、そのうち「ブドウ酒」がいつの間にかできてしまう。酒は、恐らく世界中のどの古代文明でも、最初は偶然に得られたものだろう。…
【米を原料として酒をつくる】、つまり、【日本酒づくり】が始まったのは、恐らく、【縄文時代の後期から弥生時代にかけて】、【水稲栽培が始まるのと同時だった】と推測されている。…

【日本酒の原料は米】だが、【米】にはそのままでは【糖分が含まれていない】。ところが、【発酵させるには糖分が必要】となる。

そのため、【日本酒づくり】では、【東アジアでだけ】おこなわれ、【それ以外に例を見ない特殊な方法】を用いている。【「並行複発酵」】というのがその方法だ。
これは、麹(こうじ)の酵素によってでんぷんを糖化(ブドウ糖に変化)させながら、並行して、できたブドウ糖をアルコール発酵させ、醸造する。この2つの段階を1つの容器の中でおこなうという、【珍しい醸造方法】である。

並行複発酵のメカニズムは、今でこそ科学的に説明ができるが、大昔、科学的分析などできなかった古の人々は、経験を積み重ね、知恵を出し合って、その技術を確立し、各地に伝承したのだろう。…
【江戸時代】には、酒づくりで【「酒焚(さけだき)」】という【殺菌方法】がおこなわれるようになった。
酒焚きがおこなわれるようになったのは、【江戸初期】と考えられているので、この方法をワインの殺菌方法としてフランスの細菌学者ルイ・パスツールが考案した1860年ごろより、【200年以上も前】のこととなる。

ルイ・パスツール
微生物を殺菌する「低温殺菌」の方法を英語で「パスチャライゼーション」というが、これはパスツールの名前から来ている。ところが実は、【江戸時代の酒づくりのほうが先駆者だった】というわけだ。』

東京書籍の歴史教科書が日本の歴史を正しく教えようとしていない証拠
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、ド文系の歴史学者には分からない、「理系」の知識を持つ著者によって日本の歴史の素晴らしさについて解説された良書になります。いわゆる「自虐史観」をベースに編集されている東京書籍の歴史教科書などとは比べ物にならないほど価値のある書物で、ぜひ、学校の授業でも使って頂きたいと思います。

さて、本文中に「日本酒」のことが書かれていましたが、その日本酒、つまり「清酒」発祥の地が何処にあるのかにつきまして、以前書かせて頂いたことがあります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「母乳」と日本酒の始まり

そのお米を原料とする清酒(日本酒)よりも遥かに古くから、私たちの日本では「お酒」が造られていたことも明らかになっています。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「お酒を飲んだ?縄文人」
☆縄文時代にお酒があったって本当???
また、現代の日本人の中には、お酒を飲むと顔が赤くなる(英語でオリエンタルフラッシング)方々もいらっしゃいますが、縄文時代の人々は、そもそも「お酒に強く」、突然変異で「お酒に弱く」なった連中が後から入ってきたために、その遺伝的な要素が残されていることによって「顔が赤くなる」わけです。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆そもそも、日本人って、お酒に強いの?弱いの?

と、このように「お酒」に纏(まつ)わるお話だけでも、縄文時代から一貫して続く、私たちの日本の悠久の歴史の姿が浮かび上がってくるわけですが、どういう訳なのか、さっぱり理解に苦しむのですが、東京書籍の教科書では、そういった姿を思い描くことが出来ないように編集されています。
現在の日本の中学校の歴史教科書として半分ほどのシェアを持つのが「東京書籍の教科書」なのですが、



天皇の御名が初めて記されているのが、この聖徳太子の記載ページになります。が、初出として記載されているのは、第29代・欽明天皇(きんめいてんのう)からで、それ以前の重要な御歴代天皇については、まったく記載がなされていません。これが、私たちの日本の歴史を正しく教えようとしていない証拠になります。



欽明天皇
初代・神武(じんむ)、第2代・綏靖(すいぜい)、第3代・安寧(あんねい)、第4代・懿徳(いとく)、第5代・孝昭(こうしょう)、第6代・孝安(こうあん)、第7代・孝霊(こうれい)、第8代・孝元(こうげん)、第9代・開化(かいか)、第10代・崇神(すじん)、第11代・垂仁(すいにん)、第12代・景行(けいこう)、第13代・成務(せいむ)、第14代・仲哀(ちゅうあい)、第15代・応神(おうじん)、第16代・仁徳(にんとく)、第17代・履中(りちゅう)、第18代・反正(はんぜい)、第19代・允恭(いんぎょう)、第20代・安康(あんこう)、第21代・雄略(ゆうりゃく)、第22代・清寧(せいねい)、第23代・顕宗(けんぞう)、第24代・仁賢(にんけん)、第25代・武烈(ぶれつ)、第26代・継体(けいたい)、第27代・安閑(あんかん)、第28代・宣化(せんか)、と、ここまでの御歴代天皇が登場せず、そのあと、

第29代・欽明(きんめい)、第30代・敏達(びだつ)、第31代・用明(ようめい)、第32代・崇峻(すしゅん)、第33代・推古(すいこ)、と名前が記述されているだけで、何をなされたのかが、さっぱり分からないように編集されています。

こんな程度の低い本が、中学校の教科書として使用されているというのは、私たちの日本の歴史、つまり「国史」を教えたくない態度の表れということになります。

さて、第33代・推古天皇(すいこてんのう)は、在位が西暦593年~628年の35年間に及ぶ、「男系の女性天皇」(女系ではない)になりますが、その諡(おくりな)である「推古」という文字は、何を意味しているのでしょうか?

推古天皇像(土佐光芳画・部分)
もちろん文字通りで、「古(いにしえ)を推し量る」という意味になります。

それでは、何について、古を推し量るのでしょうか?

その答えは、私たち日本の歴史、つまり「国史」です。実は、あとの時代に創られた『古事記』や『日本書紀』よりも古い歴史書が、620年に聖徳太子と蘇我馬子(そがのうまこ)によって編纂されていましたが、それを命じたのが第33代・推古天皇(すいこてんのう)で、『天皇記(すめらみことのふみ)』と『国記(くにつふみ)』になります。
残念ながら、これらの書物は現存していないのですが、恐らく、その編纂の過程で、私たち日本の暦である「皇紀」が成立し、のちに編纂される歴史書である『日本書紀』に受け継がれ、次のように記述されているのではないかと考えられます。
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」
≪辛酉(かのととり)の年の春正月(はるむつき)、庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)。天皇(すめらみこと)、橿原宮(かしはらのみや)に於いて即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇元年(すめらみことのはじめとし)と為す≫
支那において、「讖緯(しんい)の学」というものがあり、運命を予言する学問があったのですが、この学問は、漢人の後漢が滅亡すると、異民族である遊牧民族が支那へと雪崩れ込んだ三国志の三国時代の終焉で起こった晋(しん)は禁止し、推古天皇の御代における支那の遊牧民族が支配する隋(581~618年)においても、厳しく取り締まりが行われていました。
国を滅ぼされた漢人は、その大半が殺されたり餓死をしたりでこの世から消えてなくなりましたが、辛うじて、支那南部や朝鮮半島に逃げることができた連中もいました。
そんな流民であった漢人の学者などを、日本は数多く受け入れて帰化させました。例えば、漢の高祖の末裔である「王仁(わに)」は、朝鮮半島の百済(くだら)を経て日本へと渡り帰化し、「西文氏(かわちのふみうじ)」の先祖となりました。現在の日本で、その末裔とされるのが「河内」や「勝」といった姓の方々になります。また、後漢の霊帝の子孫も、「阿知使主(あちのおみ)」の代に日本へと渡り帰化し、「東文氏(やまとのふみうじ)」の祖先となりました。現在の日本で、その末裔とされるのが「坂上」、「平田」、「内蔵」、「大蔵」、「丹波」、「調」、「文部」や「谷」、「佐太」、「井上」といった姓の方々になります。
で、そのような帰化人が、当然、『天皇記(すめらみことのふみ)』と『国記(くにつふみ)』の編纂に関わっていたと考えられ、支那にあった「讖緯(しんい)の学」の影響を受けることになります。
「讖緯(しんい)の学」では、干支が一周する60年を1元とし、21元となる1260年に一度、辛酉(かのととり)の年に大きな歴史の転換を迎える、という考え方があります。
そして、その考え方に基づいて、推古天皇9年(西暦601年)の辛酉(かのととり)の年に日本が新しい時代の出発点に立った、としているわけです。そうすると、初代・神武天皇の即位が、一つ前の時代の始まりとなるはずですから、推古天皇8年(西暦600年)から1260年前となる紀元前660年が皇紀元年となるわけです。

で、私たち現在を生きる日本人は、推古天皇の御代に始まる時代のさらに次の時代にいることになるのですが、西暦601年を起点として1260年を加えますと、1861年となりますが、この年、ロシアに対馬を占領されて何もできなかったのが江戸幕府で、やがて明治維新を迎えることとなります。アメリカの南北戦争も、1861年になります。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「たった一人の権利を、国家の総力をあげて守る」ということ

本日の課題 : 自分が分かっていることを応用せよ。
それでは、ここからは、前回の続き、「微分積分学」のお話に入ってみたいと思います。「微分積分学」のエッセンスは、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。

本日は、少し長くなってしまっていますが、昨日の宿題はとても簡単なので、サクッと片付けてみたいと思います。

まず、2つの函数(関数)の「引き算」からなる函数(関数)を微分する(導関数を求める)場合、どのように考えれば良いのでしょうか?ということでしたが、

すでに、2つの函数(関数)の和からなる函数(関数)を微分する(導関数を求める)方法を知っていますので、


ほんのチョコっと発想を変えるだけで、

という風に、サクッと解くことができます(公式なんか知らなくてもw)💗
続いて、2つの函数(関数)の「割り算」からなる函数(関数)を微分する(導関数を求める)場合、どのように考えれば良いのでしょうか?というのも、

すでに2つの函数(関数)の積からなる函数(関数)を微分する(導関数を求める)方法を知っています。

別の表現では、

となりますので、まず、もともとの式を変形させて、

自分で理解できる形に改めます。そして、まず、これを微分(導関数を求める)致しますと、

ほら! ちゃんと求めたいモノが紛れ込んでいますね💗
ここで、少し整理して、

その求めたいモノを隔離します。

それでは参ります。

ここで、上の式に

を代入致しますと、

さらに、「数学を騙す」ために「g(x)分のg(x)」を掛けてみますと、



と、御覧のように解くことが出来ました。
ということで、次回以降はさらに奥へと進んでいきたいと思います。

続きは次回に♥
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