2019-02-05 (Tue)

マルクスの肖像画(北朝鮮・平壌・外国貿易省)
本日のキーワード : 進歩史観、唯物史観
進歩史観(しんぽしかん、英: progressive view of history)は、歴史を人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程と見なす歴史観。
唯物史観(ゆいぶつしかん)では未来に最終形態である共産制を設置し、現在の社会をそこに向かう途中の一時的な段階であると解釈する。西欧ではキリスト教の終末思想に端を発し、18、19世紀の啓蒙時代に広く唱えられた。 オーギュスト・コント、ヘーゲル、マルクスらが代表的である。
本日の書物 : 『縄文時代の不思議と謎』 山田康弘 実業之日本社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 縄文時代、狩猟は1年中行われていたなかで、【冬場】は【狩りが活発に行われる季節】でもあった。冬の狩猟では、ノウサギやタヌキ、クマ、シカ、【イノシシ】が捕獲された。縄文人にとって、イノシシやシカなどの【動物性タンパク質】は、【とても重要】なものだった。

冬になると、【東日本】や西日本の【山間部】では、樹木の葉が落ち、森の中でも見通しがきくようになる。また、【積雪のある地方】では、雪上に残された足跡によって動物の動きを知ることができる。とくにイノシシやシカは冬を越すために、【晩秋までに脂肪を体に蓄える】ので、【味も良くなる】。【冬】はまさに【狩猟には絶好のシーズン】だった。

【春から夏】にかけて、【海】では【魚類】が【産卵】のために岸近くに寄ってくるなど、【豊富に獲れる】ようになる。これは、海沿いに暮らす人たちにとっては有益だ。一方で、この時期は、【山間部や森】に【デンプン質を含むような植物はほとんどみられなくなる時期】でもある。

したがって、海や川から離れた場所で暮らす人にとって、【夏の到来は森にさしたるカロリー源がなくなる、食料不足の時期】が来ることを指していた。これをカバーするために、冬の狩猟で獲物を多く捕獲して、【春から夏の食料不足に備える必要】があったのだ。
狩猟で捕獲された獲物の肉は、燻製(くんせい)や干し肉に加工して、【夏の時期を越すための保存食】としていた。なかでも【イノシシ】とシカは、【高タンパクでビタミン豊富】という、【とても優秀な食料】だった。

縄文時代の遺跡、とくに貝塚からは、さまざまな種類の動物の骨が出土している。なかでも、シカと【イノシシの骨】はどの遺跡からも数多く見つかっており、【動物質食料の80%近く】が、シカと【イノシシ】でまかなわれていたという研究者もいる。
興味深いのは【北海道】の状況である。【イノシシ】は、【縄文時代の北海道には生息していなかった】とされる。しかし、【北海道の遺跡からは、相当数のイノシシの骨が出土】する。そればかりでなく、イノシシの骨と牙でつくった装飾品も数多く発掘されている。

ここからわかるのは、【どうやら縄文人がイノシシを連れて津軽海峡を渡った】、ということだ。』

進歩史観が明らかに間違っている理由
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、これまでの考古学研究によって得られた、最新の知見をもとに、多くの画像資料とともに縄文時代の正しい捉え方について、非常に分かりやすく解説がなされている良書になります。

さて、本文を御覧頂くと、縄文文明が相当高度な航海術を保持していたであろうことが、容易に理解できると思います。むしろ、現代の日本人のほうが、人力で海峡を渡る能力がない、のではないでしょうか?
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆すでに2万年前に、津軽海峡を行き来していた日本人

現代の私たち日本人が海を渡ることができるのは、船があり、海底トンネルで繋がれた鉄道があり、橋を渡る自動車があり、飛行機があるからなのは言うまでもありません。
ですから、歴史を「進歩史観」と呼ばれる非常に危険な偏った見方、つまり、人間社会は最終形態に向けて進歩を続けている、だとか、古代から現代へ向けて社会が良くなっていく、と考える立場でモノゴトを思考する非論理的な連中にとっては、どうしても、縄文文明には、船もなかった、鉄道もなかった、自動車もなかった、飛行機もなかった、だから、現代よりも劣っている時代である、と「非常に短絡的」に考えてしまいます。要するに「おバカ」だということになるのですが。。。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆世界の見方に合わせただけ ~ 「チーナ」と「支那」


さて、現在、『日本国紀』と東京書籍の教科書を読み比べし始めたところなのですが、

「1万年ほど前」、「土器」、「新石器時代」という言葉が書かれているのですが、その「1万年ほど前」は、「四大文明」などというものは、この世には存在してもいなかったのですが、

その一方で、縄文時代はすでに6500年も経っているわけなのですが、ここでは、そのことについての「記述がありません」(※全然別のところで、別個のものとしての記述となります)。何故なのでしょうか?

その理由については、これから順に追ってみていけば、明白となりますので、ここでは省略させて頂きますが、そもそも「土器」という道具が得られたことで、縄文文明の人々は、「調理」のバリュエーションが格段に増えたはずなんです。
「鍋料理」って、まさに、それですよね?

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「寄せ鍋」は、16000年前からの日本の伝統です

「記述がない」、「書かれていない」ということの重要性が、もし分からないようであれば、下記の記事をご参照くださいませ。


☆「日本史と世界史」自虐的なのはどっち? 教科書で隠されている"大事なこと":PRESIDENT Online - プレジデント
本日の課題 : 縄文人が3と5と7という数字を特別視していた理由を考えよ
それでは、ここからは、昨日の続き、「微分積分学」のお話に入ってみたいと思います。「微分積分学」のエッセンスは、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。
ところで、いま何をやっているのか、ということを忘れてしまわないために、ここまでやってきたことを確認してきたいと思います。
いま、やっていることは、「微分積分学」を自分自身の手で「発明」するということになります。
私たち人間は誰もが、社会生活を営む上で、様々な問題に直面せざるを得ないわけですが、その際の解決方法は2つあります。
① まったくのゼロから始めて解いていく方法。
② 問題の中の一部を解き、残る部分について、既知の何らかの問題に類似していると気付き、すでに分かっているやり方で解いていく方法。
そして、私たち誰もが、それらの問題を「難しい(困難)」と感じるのは、どうしたら良いのかが分からない場合になります。どうしたら良いのかさえ分かってしまえば、問題は解決することができるわけです。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆覚えようとする(丸暗記する)人は、その内容について理解ができないから、そうするんです

例えば、「直線(曲がっていない)」の「傾き」というものを、私たちは日常的な感覚から、簡単に理解することができます。

その「直線(曲がっていない)」の「傾き」というものを表現するルールを、次のように自分自身で勝手に決めました。「傾き(→険しさ(Steepness))」を「S」、「水平(horizontal)方向」の位置の差を「h」、「垂直(vertical)方向」の位置の差を「v」とするとき、
S(h,v)
と表現することにしたわけです。さらに、「傾き」のある直線は、その直線上のどこにいたとしても「傾きは一定」であるということにして、
S(h,v) = S(2h,2v)
さらに、水平な線の「傾き(S)」はゼロであると、勝手に決めてしまって、彼是(あれこれ)と悩んだ挙句、「直線(曲がっていない)」の「傾き」を、

と表現することにしました。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆歴史を修正しても困らない人、歴史を修正されると困ってしまう人

ここまでは、それほど難しくはないと思いのですが、そこに「曲線」という未知の問題が生じることになったとすれば、どのよう解決していけば良いのか、それを「考える」ことが必要となってきます。

そこで、「微分積分学」の発明が必要となるわけですが、さきほども書かせて頂いておりますように、『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』と考えれば、その曲線上のある1点の「傾き」も、既に理解している「直線(曲がっていない)」の「傾き」と同じように考えることができます。

「水平(horizontal)方向」の位置の差を、「x」からほんのチョット移動した「x+極小」、「垂直(vertical)方向」の位置の差を、「M(x)」からほんのチョット移動した「M(x+極小)」と考え、「極小」を「minimal」の「m」で表記するとして、曲線上の点「x」の「傾き」は、

と表現することができるのではないかと推測しました。
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆世界に災いをもたらすのは。。。

で、それを確かめているところなのですが、これまでに、「水平(傾きゼロの直線)」と「直線(傾きのある直線)」、そして次の式で表される「曲線」については、どうやら使えそうだということが分かりました。

詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆北朝鮮の「おまけ」でしかない韓国は、すでに滅亡してしまった国家、ということです

で、ここからさらに先へと進もうとしているのですが、本日の最後に、昨日ご紹介させて頂きました本文の中に、縄文人は3と5と7という数字を特別視していたと書かれていました。また、縄文時代には35センチが長さの基準となる単位だったという説がある、とも書かれていましたが、当ブログとしては、35ではなく36であるのではないか(→単に、そうであればうまく説明がつきそうだという理由からですがw)と考えているのですが、さて、その理由は何でしょうか?
続きは次回に♥
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