2019-01-28 (Mon)

本日のキーワード : 歴史教育、知情意
歴史教育(れきしきょういく)とは、自国および世界の歴史に関する教育およびそれに関連する教育活動・内容の総称である。
本日の書物 : 『比較中学歴史教科書 ― 国際派日本人を育てる』 伊勢雅臣 勉誠出版
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 実際の読み比べに入る準備として、まず【歴史教育の目標】から考えてみたい。どのような歴史教育を目指すのか、という目標がまずあって、そのために【どのような教科書が望ましいのか】、が定まってくる。この点については、【現行の学習指導要領】の[歴史的分野]で明快な目標が打ち出されている。

☆中学校学習指導要領(平成27年3月)
筆者は、この二点は歴史教育が目指すべき目標として妥当だと考える。どこの国の国民でも、【自国の「歴史に対する愛情」】、【歴史上の人物や文化遺産を「尊重する態度」】は【「国民としての自覚」の基盤】である。

そして、それがまえがきでも述べたように、【自らの「根っこ 」】として、【異文化理解、異文化コミュニケーションを支えてくれる】のである。

実は【ここに歴史教育と歴史研究の本質的な違いがある】。

【歴史研究】はあくまでも「知」の次元で、【何が史実だったのかを探求】する。

一方、【歴史教育】は「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」ために、【生徒たちが自らの心で感じとれるものでなければならない】。

もちろんそれは史実を歪めたり、創作したものであってはならず、あくまでも事実に基づくものでなければならない。【特定の偏った史観で史実を色づけすべきではない】。と同時に、その語り口は生徒たちの心に訴え、感動や共感を呼び、その結果、彼らの【知情意の3つの次元】での【成長に資する「根っこ」を育てなければならない】。』

「歴史教育」と「歴史研究」の本質的な違い
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、現在、中学校で使用されている社会科の歴史教科書を、その書かれている内容を比較検討することで、問題点を浮き彫りにする良書となります。

さて、本文中に、「知情意」という重要なキーワードが登場していますが、著者はその「知情意の3つの次元」で、子どもたちの成長に役立つ「根っこ」を育てなければならない、と書かれています。なぜならば、そうすることによって、「異文化理解、異文化コミュニケーションを支えてくれる」からとも書かれています。
まさに、仰る通りだと思います。

戦前の私たちの日本でも、そのことは十分に認識されていて、実際に、その様な教育がなされていました。そして、それが基礎となっていたからこそ、優れた日本人が続々と世に輩出されたわけです。ただし、「知情意」には教える順序があります。

『 戦前の日本では、学校教育でも「情」の教育を重んじていた。戦前の教科書を見ていると、「義理人情を兼ね備えた人間をつくろう」という方針だったことがわかる。よく「知情意」といわれるが、当時の人たちは、子供たちには最初に「情」を教え、次に「知」を教え、最後に「意」を教えるようにしていたのである。』
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆文部科学省の官僚が持つ特権 ~ 裏口入学の口利き

さらに申し上げますと、この「知情意」については、プロイセン(ドイツ)の哲学者のイマヌエル・カントが唱えた主張が有名ですが、

イマヌエル・カント
カントが唱えた主張を簡単に表現致しますと、

人間というものは、「知」だけでも、「情」だけでも、「意」だけでもなく、また「知」と「情」と「意」だけを合わせた存在でもなく、「知情意」を備え、かつ、それ以外の何かをも含めた総体である、という考え方です。
で、そのような考え方をも超越しているのが、私たち日本人で、古くは、聖徳太子にまで遡(さかのぼ)ることができます。それを、さきほどと同じように表現すると、次のようになります。

『 日本は今どんな有様だろう。
前にいったように、私たちは自然はあると思っている。この肉体はその自然の一部であって、自分とはこの肉体とその機能とのことだ、だから自分もあると思っている。すでに自然もあり自分もある。だから物質によって、やがてはすべて説明がつくと思っている。これが物質観である。
ところが、これも前にいったように、その「自分」をよく観察すると、次の三つの要素から成り立っていることがわかってくる。
一、主宰者。二、不変のもの。三、自己本位のセンス(感じ。広く知情意および感覚にわたる)。…
この三が主人公になっている自分が小我(しょうが)である。この三を取り去った自分が真我(しんが)である。小我を自分だと思ってしまっているのが小我観である。
小我観のよい例は日本国憲法の前文である。小我が個人であることが万代不易(ばんだいふえき)の真理だと明記している。そしてその上に永遠の理想を、しかも法律的にであろうと思うが、建てることができるといっている。何という荒唐無稽な主張であろう。
こんな前文を見せられては、新法律体系はとうてい見る気になれない。しかし見なくても大抵想像がつく。
しかるに、このくにの社会は、次第にこの迷える新法律体系に同調して来ているように見える。何よりも一番恐ろしいことは、教育が直ちにこの「前文」に同調して、小我は君だから、これに基本人権を与えて大切にせよ、と教え始めたことであって、各人は無明(むみょう)という限りなく恐ろしい爆弾を抱いているのだという事実を全く無視してしまったのである。その結果は誰の目にもすでにしるきものがあると思う。』
詳しくはこちらをご参照💗
↓
☆「小我」に囚われているのが左翼リベラルです

カントの主張と、聖徳太子由来の私たち日本人の主張と、どこが違っているのか、御理解頂けましたでしょうか?

西洋の思想であるカントの主張は、「小我」に拘(こだわ)っています。
でも、聖徳太子由来の私たち日本人の主張は、「小我」を捨ててこそ、「真我」を認識できる、というものになります。
全然違っていますね(笑)

ですが、だからといって、「知情意」が不必要なのではありませんので、その点、誤解の無きよう御願い致します。

聖徳太子
ところで、著者がご指摘されているように、「歴史教育」と「歴史研究」の本質的な違いがあります。

歴史研究 = 「知」の次元
歴史教育 = 「知」と「情」と「意」の次元

その違いを理解できない連中がいるようですが、当ブログが重視したいのは、もちろん、
歴史教育 = 「知」と「情」と「意」の次元
の方になります。
で、いま、何故か手元に、こういうの(↓)があります(笑)

これらを、読み比べしてみると、とっても面白いのではないでしょうか?

そうすることで、どちらが「歴史教育」に相応しいと言えるのか、を浮き彫りにしてみたいと思うのですが、その予習と致しまして、本書を御覧になられることをお勧めさせて頂きます。

本日の課題 : 「極小」を利用して、「曲がっている線」と「曲がっていない線」を同じ様に考えてみる!
それでは、ここからは、先日の続き、「微分積分学」のお話に入ってみたいと思います。「微分積分学」のエッセンスは、
『「曲がった」ものも、どんどん拡大すると、「まっすぐ」に見えてくる』
ということになります。
ですので、曲線上のある1点「x」の「傾き」を考えるために、「水平(horizontal)方向」の位置の差を、「x」からほんのチョット移動した「x+極小」とし、「垂直(vertical)方向」の位置の差を、「M(x)」からほんのチョット移動した「M(x+極小)」と考えます。

「極小」を「minimal」の「m」で表記するとして、曲線上の点「x」の「傾き」は、次の式で表せます。

それでは、本当にこの考え方が正しいのかどうか、確かめてみたい、というのが昨日までのお話でした。

例えば、「x」にどんな値を入れても常に「M(x)=3」となるようなとき、それは水平であるということになりますので、

点「x」の「傾き」はゼロとなるはずです。

ですので、

点「x」における「M」の「傾き」は、

となります。(※もしイメージしにくいのであれば、極小の「m」を無限に小さいと想像して頂ければ良いと思います)
つまり、もっとも単純な「水平」を考える場合に、次の式は、

適応が可能である、ということが分かったことになります。
で、それを今度は「M(x)= ax + b」という「直線」についても、同じ様な結果になるかを確認してみましょう。

と、点「x」における「M」の「傾き」が「a」であるという結果が示されましたので、この場合も使えそうです。
それでは、明日以降は、もう少し別の場合にでも使えそうか確かめてみたいと思います。
続きは次回に♥
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