2019-01-13 (Sun)

『ミティリニの庭園のサッフォーとエリンナ』 シメオン・ソロモン(1865年)
本日のキーワード : LGBT、スカトロジー
スカトロジー(英語: Scatology)とは、糞・尿に対する研究・考察を言い、日本語では糞便学(ふんべんがく)とも言う。また、糞尿への興味や、糞尿を愛玩する性癖・性的嗜好、糞尿に関するユーモア、糞尿や糞尿愛好等を主題とした文芸作品等も指す。糞尿趣味を指す場合はスカトロと略されることもある。これらに関係する人間を指してスカトロジストと呼ぶ。
本日の書物 : 『女子の武士道』 石川真理子 致知出版社
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 いま、私たちは【歴史の節目】を生きているのかも知れない。
最初にそう感じたのは、いつのことだったでしょう。思い返せば【昭和天皇が崩御】なされた、【「昭和時代最後の日」】であったような気がします。
それから四半世紀あまり。この10年ほどは【「歴史の大転換期」】にきていることを、ひしひしと感じるようになりました。…

【日本】は世界でも希に見る【2000年以上の歴史を誇る国】です。私たちの祖先は幾多の困難を乗り越えて、祖国を守り抜いてきました。特に幕末明治の大混乱や大東亜戦争においては、多大な犠牲を払いながらも、亡国の危機を乗り越えています。
雄々(おお)しく生き抜いた先人に対して、畏敬の念を禁じ得ません。なんと【高尚で屈強な精神】を持ち合わせていたのでしょう。
このような【日本の美徳】は、歴史に名を残す偉人ばかりではなく、【名も無き人々にも浸透】していました。…
しかし、残念ながら【日本人の美徳は失われつつある】ことを認めざるを得ません。【日本が抱える問題の多く】も、【根はここにある】といっていいでしょう。

【日本人特有】の【不屈の精神】は、【我が国の歴史と伝統を重んじる心】、【この国を愛する心】があったからこそ成り立っていたのではないでしょうか。現在、【日本人の多く】が強く生きていくための【芯を持てずにいる】のは、こうした【規範を失ったため】でしょう。
そして、【本当の危機】は、【このことにこそある】と考えます。…
私たちは、【今こそ先人の生き方に学ぶべき】ではないでしょうか。…

私の曾祖父は安政二年に【米澤藩士の家】に生まれ、多感な少年時代に【幕末維新】を経験しました。【賊軍の汚名】を着せられたことは少年の心に言葉にならない悔しさと、それゆえの闘志をもたらしたのでしょう。明治という新たな文明の世にありながら、曾祖父は【武士道を貫く決意】をしたのです。

上杉鷹山
そんな父のもと、明治二十二年に生まれた【私の祖母】は、【厳格な武家の娘】としての【躾(しつけ)】を受けました。そして、【明治・大正・昭和という激動の時代を生きた】のです。…
その祖母と、私は十二の歳まで共に暮らしました。…
なんともおだやかでやさしい時間であったろうかと懐かしく思い出します。けれど、その中で【教えられたことの数々】は、ともすれば【大変厳しいもの】でした。
祖母が私に教えた【「人としての心得」「女性としてのありかた」】が【まさに武士道】であったこと、【武家の娘の矜持(きょうじ)そのもの】であったことを知ったのは、二十代も半ばになってからのことです。
その時、はっきりとわかりました。
祖母が逆境を生き抜くことができたのは、いかなる艱難辛苦(かんなんしんく)にも平常心で臨(のぞ)むという勇猛果敢な武士道が芯にあったからにほかなりません。
また、【日本】には【女性としての徳を説いた「婦道」】というものがありました。
【英雄を英雄たらしめる】のは【母や妻などの女性の力によるものである】と、【日本では女性が尊ばれました】。それだけに、真に強く優しく賢い女性であるための道、【「婦道」】が教えられていたのです。


祖母が妻として、母として、仕事を持つ女性として規範にしていたのは、まちがいなく【「婦道」】でした。
戦後、【「婦徳」「婦言」「婦功」「婦容」の四つの徳を説いた「婦道」】は、男女平等思想のもと、女性を縛る【過去の因習として蔑(ないがし)ろにされる】ようになりました。【女性】は確かにより多くの自由を得たかも知れませんが、同時に私は【揺るぎない芯をはぐくむものを失ってしまった】ように感じています。結果的に私たち【女性の人生を困難にしてしまった】ような気がしてなりません。…

かつて諸外国の人々は「日本人は礼儀正しく勤勉」だと評していました。
現在でも、日本人は最も信頼される民族であるといわれています。…
しかし一方で、【公共の場での身勝手な振る舞いがまかり通る】ようになりました。【電車の中での飲食や化粧】は、もはや日常茶飯事です。
昨今の【倫理道徳心の欠落】は、【かなり深刻なレベルである】と言わざるを得ません。…
【戦後の個人主義に則った教育】によって、【わがまま】と【自由】は【完全にはき違え】られるようになってしまいました。

【自由】には【自ら責任を負う義務がある】にもかかわらず、【やりたいことはやっても責任はとらない】ということが【まかり通る】ようになってしまったのです。また、【言葉と行動が一致しないこと】も【頻繁に見受けられます】。

【武士道】は【知行合一】、【言動一致】を重んじます。いくら人の道を学んでも、それを【実行しないのであれば学んだことにはなりません】。』

LGBTを「LGBS」と表現すると一発で理解できること!!
いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、武家の娘として育てられ、明治・大正・昭和の激動の時代を生きた著者の祖母の波乱万丈の物語を通じて、現代を生きる私たち日本人が、真剣に学ばなければならない「本当に大切なもの」を知るため数々のエッセンスが書かれた良書となります。ぜひ、お子さまと御一緒に読まれることをお勧めさせて頂きます。

さて、本文中に、現代の日本人の多くが、規範を失ったため芯を持てずにいる、という件(くだり)がございましたが、当ブログと致しましては、そのような日本人は実はまだまだ少数でしかない、しかしながら、目立つようになってきている、と考えております。

規範を失い芯を持てずにいる人間は、その「言動がチグハグ」で、「非常に無責任」であり、自分の不甲斐なさの結果でしかない満足のいかない現状について、他人のせいにしたり、国や社会のせいにしたりする傾向があります。特に、その様な傾向を持った連中が、立憲民主党や日本共産党、社民党、その支持者、あるいは日本の左翼リベラルと呼ばれるマスコミ関係者や学者などに多く観察されるのは、もはや日本国民の常識となっています。

☆自由党・山本太郎議員が恒例のサプライズ炊き出し! → サプライズなのに朝日新聞や赤旗の記者が側にいるという不思議…
本文の最後にも書かれていましたが、「やりたいことはやっても責任はとらない」とか、「言葉と行動が一致しない」という連中が、まさに、それです(笑)

要するに、そういった規範を失い芯を持てずにいる連中が結託し、メディアに露出したりするせいで、あたかも増えているかのように見えるのではないか、と思います。そもそも、当ブログの周辺には、そのような醜悪な連中がいませんし、お目にかかることも、ほとんどありません。

お話を元に戻しまして、さきほどの例に挙がっていた、公共の場である「電車の中での飲食や化粧」ですが、これも見方を変えると、相変わらず日本人の特徴が残っていると考えることができます。すなわち、「百姓の村社会の慣習」です。
なぜ、ガーデニングや家庭菜園といったものが流行るのか。なぜ、場の空気を読むのか。なぜ、集団の和を重視するのか。そういったことも、「百姓の村社会の慣習」から説明することができます。
『 現代の日本は都市化が進み、国民の多くは農業や農村とは縁遠い生活を送っています。その反動でしょうか、自然回帰思考が強まり、庭やベランダで草花を育てたり、家庭菜園で野菜を栽培したりする人も多いようです。しかしいうまでもなく、それらは江戸時代の農業とは大きく異なっています。同様に、農村に旅して里山や棚田の景観にふれても、私たちは旅行者としてその美しさに感嘆することはできるものの、それを維持するための苦労にまでは、なかなか思いいたりません。
そもそも今日の農作業は、江戸時代におけるそれとは大きく変わっています。まず、現代は大幅に機械化されています。次に、近代以降の耕地整理によって、水田や用水路・排水路の形状が大きく改変されています。それにともない、農村における社会関係のありようも大きく変貌しました。今、農村に生まれ育ったからといって、江戸時代の村人の暮らしや気持ちをまるごと理解できるほうが不思議でしょう。
江戸時代の村のすがたを理解するためには、やはり当時の村人たちが書いた古文書(こもんじょ)をひもとく必要があるのです。…

農村部も含めた今日の社会が、江戸時代の村社会と大きく変わったとしたら、今に生きる私たちが江戸時代の村を調べる意義は、どこにあるのでしょうか。…
一つは、私たちは江戸時代の社会の特質を深いところで受け継いでいる、という認識です。現代社会のある部分は、やはり江戸時代の社会の延長線上に生まれています。
たとえば現代の日本人の代表的な行動特性に、狭い人間関係のなかでの評価には非常に敏感であり、過剰なほどまわりに気を遣うという点があげられます。会社や学校などの小さな社会のなかで、自分の本心を隠してでも周囲から浮かないことを心がけ、場の空気を読んで行動し、集団の和を重視するのです。
ところがその世間を一歩出ると、とたんに周囲には無頓着となってしまいます。タバコのポイ捨てや電車内での携帯電話、人前での化粧など、何とも思わなくなってしまうのです。こうした日本人の行動パターンは、狭い村が世間そのものであり、そこから排除されることが即生活基盤の崩壊につながった、江戸時代の村人たちの暮らしから生まれてきたという側面があるのではないでしょうか。…
大企業の組織形態を含む現代人のライフスタイルにも、まったく無縁に見える江戸時代の村の原理が、実は密かに、あるいは色濃く、息づいているに違いありません。…
江戸時代の村を調べる二つめの意義は、かつて存在し、現代では失われてしまったもののなかから価値あるものを救い出し、未来において再生させるということです。
江戸時代の村における人間関係は、今日に比べてはるかに濃密でした。プライバシーがないに等しいような関係は煩(わずら)わしく思われがちですが、それも今日的な見方です。当時の人々にとっては好むと好まざるとにかかわらず、そうした関係を受け入れなければ村社会で生きてはいけませんでした。
もっとも当時の村の社会関係には、今日から見て積極的な意味をもつ要素が少なくありません。たとえば農業にとって不可欠な耕地は、江戸時代には、個々の百姓のものであると同時に、村全体の共有物とも考えられていました。村内のすべて耕地は、村全体の共有財産でもあったのです。そのため、誰かが没落して耕地を失うような危機に陥れば、村は積極的に、救いの手を差しのべました。一軒の百姓の没落は、ほどなく他の百姓にも影響し、ひいては村全体の衰退にもつながったからです、村全体のものである耕地を保全するために、村人たちは互いに助け合っていたのです。
他にも、江戸時代の村は、村人のために多様なセイフティネットを用意していました。
このような土地所有のあり方は、今日とは対照的です。現代社会では私有と共有は異なるものとして明確に区別されており、他者の干渉を排除して対象を独占することを「私有」ととらえています。私有地は、自分の思いのままに利用・処分できるものと考えているのです。…
土地――広くいえば自然環境――は共有財であるという江戸時代の考え方に、私たちはもっと学ぶべきではないかと思うのです。』
詳しくはこちらをご参照💛
↓

さて、戦後、「男女平等思想」という非科学的な思想のもと、「婦道」というものが蔑(ないがし)ろにされていった、とも書かれていました。この「婦道」につきましては、また、別の機会に書かせて頂きますが、現在も、甚だしい勘違いによって、おかしな言説を巻き散らかしているのが、さきほど挙げた規範を失い芯を持てずにいる連中になります。


それが、「男女同一思想」というか「性差皆無思想」というか、トンデモ非科学的思想である「LGBTキャンペーン」になります💗


☆モデル・鈴木奈々、杉田水脈議員の“LGBTは生産性がない” に「あり得ない!今年一番イラついた」

☆自民・平沢勝栄氏「LGBTばかりになったら国はつぶれる」→ 小池晃氏「こんな議員ばかりになったら国はつぶれる」

☆【稲田氏法案準備「LGBT権利拡大」の是非】松浦大悟氏「手術しなくても性別移行できるのが世界の潮流。そうなると…」
「LGBTキャンペーン」に単なる感情的な理由(=何となく、そうかしら、みたいなw)、もしくは、典型的文系アタマゆえ(=そう書いてあったから、みたいなw)、それを妄信する(=騙される)といった方が、ほんの少数いらっしゃるようですが、それはアタマがオカシイとしか言いようが無いほどの、「救いようのないバカ」です(笑)

当ブログでは、何度も、この危険な「LGBTキャンペーン」に対して書かせて頂いておりますが、ここで「L」「G」「B」「T」の言葉の定義を確認しておきたいと思います。
〇 L = lesbian = 女性の同性愛のこと。
〇 G = gay = 本義 : 不品行、享楽と放蕩に明け暮れる(「ゲイ女」は売春婦、「ゲイ男」は女ったらし、ゲイ・ハウスは売春宿)
≒ queer(クィア) = 男性同性愛者

〇 B = bisexuality = 両性愛者のこと。

と、ここまで(LGB)は、哺乳類の動物にも観られることになります。

オス同士のキリン(=つまり、ゲイのキリン)
〇 T = transgender = 性同一性障害(Gender Identity Disorder)
つまり、「LGB」は遺伝に関係する単なる「性癖」であり、これは人間と同じ哺乳類である他の動物にも少数ですが観察されるものです。一方、「T(トランスジェンダー)」は深刻な「病気」であり、本来するべき方向とは逆の治療を施され、非常に高額な医療費を支払わされている「カモ」になります。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆日本の左翼リベラルの男って、「ナニ」が小さいのでしょうか?

☆「左翼リベラル教」の大淫婦バビロン ~ その広告塔に過ぎない単なる芸人「テイラー・スウィフト」

ですから、それらをごちゃ混ぜにして「LGBT」と表現するところからして、すでに間違っていて、「LGB」は単なる性癖でしかないわけですから、例えば、「スカトロジー(scatology)」でも混ぜて、「LGBS」という「特殊な性癖集団」と誰にでもハッキリ認識できる表現に改めるべきなんです。
そうすれば、そのような「LGBS」という「特殊な性癖集団」に対して、国民の税金を投入することには、「生産性がない」と理解できるわけで、「公共の場での身勝手な振る舞い」は止めて頂きたいと誰もが分かるようになると思います。

本日の課題 : (問) すべての人々にとって、「時間」は「同一(等しい)」と言うことができるか答えよ。
さて、昨日のところで、自動車を例に、私たちが一般的に理解している現象を示し、それが「光」の場合には、私たちの一般的な理解とは異なった現象が起こる、ということについて書かせて頂きました。
そこで、そのことについて「数学」で考えてみようと思います。
まず、次の関係は誰でもご理解頂いていることだと思いますが、
距離(distance) = 速さ(speed) × 時間(time)
それを次のように表記することにします。

ここで、2枚の上下の鏡に挟まれた空間を、「光」が反射を繰り返しながら上下に行ったり来たりしている装置があるとします。

鏡と鏡の距離(高さ:height)を「h」、「光」の速さ(迅速性:celeritas)の「c」とすると、次のように表すことができます。

また、別の表し方をすると、次のようになります。

さきほどの装置を積んだロケットが、速さ「s」で、地上の観察者の横を水平に通り過ぎるとします。その時の、地上の観察者から見たロケットに積まれた装置の「光」の動きを、次のように簡易に示します。

で、「光」の場合には、私たちの一般的な理解とは異なった現象が起こるということが、どういうことなのかと申しますと、

地上の観察者から見ても、ロケットの中の人物が見ても、「光」は一定の速度「c」で動いているように見え、そして、「光」が進んだ距離は、前者には「ct」に、後者には「h(=ct)」になっています。つまり、地上の観察者から見た対角方向の速さが、ロケットの中の人物が見た垂直方向の速さよりも、速くなるはず、という私たちの一般的な理解とは異なった現象が起こっている(「ct=h(=ct)」)ことになります。

私たちの一般的な理解では、
距離(distance) = 速さ(speed) × 時間(time)
とした時に、「時間」が同一であれば、「速さ」が異なるため、「距離」が異なってくるはずなのですが、「光」の場合は、あくまでも「速さ」が一定であり、「距離」が違ってくるのは・・・そう、残りの「時間」が異なっているから、となってしまうんです。地上の観察者にとっても、ロケットの中の人物にとっても、観察している「時間」は同じなのに。私たちの一般的な理解では、すべての人々にとって、「時間」は「同一(等しい)」はずなのに。。。

このことに気付き、真剣に考えたのが、あのアインシュタインです。

アルベルト・アインシュタイン
ということで、本日はここまでとさせて頂きます。
続きは次回に♥
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