2018-12-28 (Fri)

ルイセンコ論争(ルイセンコろんそう)とは、環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するというトロフィム・ルイセンコの学説に関する論争とそれに伴ったソビエト連邦における反遺伝学運動である。
ルイセンコ主義の疑似科学的発想は獲得形質の遺伝性を仮定していた。ルイセンコの理論はメンデル遺伝と「遺伝子」の概念を否定し、自然選択を否定することでダーウィン進化論から逸脱した。支持者らは、他にも多数あるが、ライムギがコムギへと、コムギがオオムギへと転換できる、雑草が穀物へと自発的に変容する、「自然選択」に対立するものとして「自然協力」が観察された、と偽って主張した。ルイセンコ主義は育種や農業において並外れた進歩を約束したが、それらが起こることはなかった。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【日本型リベラルの科学者たち】は、【科学的事実よりも思想を優先させる】。

そのためには【捏造(ねつぞう)、改竄(かいざん)、隠蔽(いんぺい)もいとわない】。【研究妨害】もする。

実を言うと【学界のこのような現実】を知ったことで私は「学者」になることをやめたのである。こういう連中とこの先何十年も付き合っていたら、人生を棒に振ることになると思ったからだ。
ともあれ、なぜ日本には【共産主義、社会主義】が【幻想にすぎない】ことがわかってもなお、【その「理想」と「思想」にしがみつく人々がいる】のだろう。


☆日本共産党公式Twitter 「万国の労働者よ、再び団結せよ」とツイート~ネット「こえええええええ( ゚д゚) しかも固定ツイートにしはったやでぇええええええええ」「遂に『暴力革命』の呼び掛けか?」

さっそくその本題に入りたいところだが、その前に、【理想と思想が科学的事実よりも優先される】と、まるで【魔女狩りのような悲劇が起きる】という例が、他ならぬ【生物学の世界において起きている】のでぜひ知っていただきたい。

トロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコ
【旧ソ連、スターリン時代】のロシア、1935年のことである。生物学者の【トロフィム・ルイセンコ】は、小麦を湿(しめ)らせたうえで低温に何日かさらすと、春蒔(ま)き小麦が秋蒔き小麦に、あるいは秋蒔き小麦が春蒔き小麦に【性質が変わると主張】した。この、【小麦の性質が変わること自体は間違いではない】。ただその際、【遺伝子自体に変化が起きるわけではない】のだ。
ところが、彼はこの現象の説明として低温によって【遺伝子に変異】が起き、なおかつ【その変異が遺伝する】とした。つまり、【獲得された形質が遺伝する】というわけである。

【獲得形質が遺伝する】というのは【大きな間違い】である。それは【既に19世紀に証明されている】。ドイツのアウグスト・ヴァイスマンはマウスの尾を何世代にもわたり切り続け、一説には900匹以上もの個体で切ったが、一匹たりとも生まれながらに尻尾が切れた個体は現れなかった。
つまり、尻尾が切れているという【後から備わった性質(獲得形質)は遺伝に何ら影響を与えない】し、当然のことながら子に【遺伝するものでもない】のである。

アウグスト・ヴァイスマン
人間がいかに体を鍛え、筋肉隆々になったとしても、その人の子は生まれながらに筋肉隆々というわけではない。親と同様になるには、本人も鍛える以外にないのである。

クレムリンで演説するルイセンコ (一番右側の人物がスターリン)
しかしながら【獲得形質が遺伝する】、つまり【努力すれば】、それがそのまま【子に報われるという考え方】は【共産主義、社会主義にとって大変都合よく】、【ルイセンコはスターリンに重用された】。ルイセンコはまた、その農法によって小麦の増収も見込まれるとの期待も抱かせた。

そして当然のことながら【ルイセンコ派】と、【メンデルを祖とする正統派の遺伝学者たち】との間には激しい論争が勃発するようになったが、何とルイセンコ派は年々論争に勝利するようになった。正統派遺伝学は「ブルジョア理論」として否定されてしまったのである。
これだけでも十分な事件だが、時は【スターリンの独裁と粛清】の真っ只中である。【正統派遺伝学者たちは処刑されたり、投獄され、獄中で死亡】したりし、一説には【70人以上が粛清された】という。正統派遺伝学者を代表する、【ニコライ・ヴァヴィロフ】は処刑は免れたものの、【獄中で死亡】している。

ニコライ・ヴァヴィロフ
その後、1953年に【DNA二重らせん構造】が解明され、続いて怒涛(どとう)のように行われた【遺伝子の機能解明】の研究によって【ルイセンコ派は次第に劣勢となった】。しかし【ルイセンコ】はスターリンが没した1953年の後には、何とスターリンとは敵対関係にあったフルシチョフに取り入り、その庇護(ひご)を受けた。
この間、【ソ連の農業は何ら成果を残さなかった】し、【中国、北朝鮮もその思想からルイセンコの農法を取り入れ、同様の結果に終わった】。

【ルイセンコの学説】は日本へは1947(昭和二十二)年にもたらされ、【左派の学者たちが飛びつく】とともに、正統派遺伝学者たちとの不毛な論争に発展した。
しかし日本では正統派遺伝学者が粛清されることもなく、幸いなことに新しい農業技術の下、ルイセンコの農法が取り入れられることもなかった。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、『動物行動学』の専門家と、元「朝日新聞編集委員」・元「週刊朝日編集長」の経歴を持つ御方による対談形式の書物で、私たちの日本において、非常にちっぽけな空間でしかない「学界」や「マスメディア業界」の実態を隅から隅まで、御自身の経験を通じてご存じである方々が、その「闇」を明らかになされている良書となります。

さて、その非科学的なルイセンコのお話は、現代の日本の電力問題にも通じるお話になっています。

『渡部 : それは、“科学や医学は、政治の僕である” “政治権力は、科学や医学をどうにでも歪曲してよい”とのスターリン型の共産独裁体制の大鉄則が、2011年の日本で、電力問題を悪用して、公然と国家規範となったことになりませんか。それでは、スターリンが処刑の恐怖で全国の生物学者にルイセンコ学説を強要したのと同じだな。「科学が、科学として認められない」日本とは、もう自由社会の国家ではないな。絶句しますよ。「福島第一」の原発事故は、たかだか建屋の水素爆発だけで終息した。このため、微量のセシウムしか放出されず、医学的には避難の必要がまったくない。当然、東電の賠償負担はゼロで済む。原発は従来どおり我が国の基幹発電を担いつづける。しかし、共産主義シンパと言われる菅直人らにとって、これでは、日本経済つぶしの好機を逃してしまう、ということだね。

そこで、巨額の賠償を東電に負わせるには、“真赤な嘘” 「福島県でのセシウム被曝線量は人体に大いに危険!」をでっち上げることにしたというわけだ。

中川教授の快刀乱麻のインテリジェンス(情報分析)を聞いて、今、全貌が掴めた感じがします。
中川 : 要するに、福島セシウムの被曝線量が人間の健康に害を及ぼすという巨大な嘘(非科学)をでっち上げるために、菅直人や文科省は、2つの犯罪を思い付き実行しました。
第一の嘘が、「警戒区域」の設定。これによって、放射線医学関連の専門家が線量計をもって現地に入るのが自動的に禁止されます。嘘がバレナイようにする措置です。このため、「福島の双葉町/大熊町ですら超微量なセシウムしかなく、居住は可能」という科学的な事実がいっさい隠蔽されました。いわゆる「証拠隠滅」です。
渡部 : なるほど。合点がいきます。自宅から強制退去させられた住民が線量計をもって一時帰宅するのすら禁止しましたからね。住民が自分たちがいくら被曝したかをいっさい知らないように、情報統制/科学統制をしたのか。ひどいね。彼らは、「脱原発」革命に動員され、まったくの家畜に扱われたようだしね。』
詳しくはこちらをご参照💛
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そして、その結果として、実際に何が起こったのかと申しますと、何ら実害がなかった人間が大金を手にし、本当に被災した方々には、雀の涙ほどのお金しか行き渡らず、そのまま放置され続けている現実がある、ということです。
詳しくはこちらをご参照💛
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☆福島県いわき市にある「賠償御殿」

非科学的な屁理屈によって、人々を扇動し、自分たちの欲望を満たしてきたのが、日本共産党や立憲民主党や社民党に繋がる面々たちで、まさに私たちの日本にとっての「国賊」といって間違いありません。
ちなみに、後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説(つまり、努力すれば必ず報われるという共産主義国家には都合のよい理論)による「ミチューリン主義農法」を基礎とした「ヤロビ農法」が、あたかも先進的な農法であるとして日本に持ち込まれた際に、それを推進していたのが日本共産党や旧社会党でした。

で、本書の女性著者が指摘されているように、現代の日本の動物行動学、進化生物学の分野においても、その手の非科学的な輩が跋扈しているわけですが、その代表格が昨日書かせて頂きました「筋金入りの左翼」であった伊藤嘉昭(いとう よしあき)で、

伊藤嘉昭(いとう よしあき)

☆元沖大教授の伊藤嘉昭さん死去 ウリミバエ根絶を指揮 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
1950年代に日本共産党に接近し、民主主義科学者協会(民科)の雑誌などに寄稿をしていた人物になります。
ここで、その民主主義科学者協会(民科)についても確認をしておきますと(以下、Wikipediaからの抜粋です)、
『 民主主義科学者協会(みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい)は、日本の進歩的な自然科学者・社会科学者・人文学者の左派系協会。略称は民科(みんか)。
1946年1月12日創立。初代会長は数学者の小倉金之助、事務局長はホグベン著「百万人の数学」などを翻訳した数学者、科学史家の今野武雄。

小倉金之助(おぐら きんのすけ)
創立当時の会員は180名。進歩的文化人や一般市民・学生なども加入し、1950年前後の最盛時に、114の地方支部、1772名の専門会員、8243名の普通会員がおり、米軍占領期の学会・言論界に大きな影響力をもった。
民科の指導部は実質的に日本共産党の影響下にあったが、発足当時の民科では共産党の政治的指導はゆるやかであった。1950年代に入ると日本共産党(所感派)の手で、民科内部に政治的課題が持ち込まれた。1952年に民科書記局員だった石母田正は「国民的科学の創造」を提唱し、民科の路線も「国民的科学の創造と普及」を目的としたものに変化する。政治と科学の結合をめざした運動中心の考え方は、共産党と無縁な学者や学生の離反をもたらした。1955年、共産党が六全協で路線転換を行うと、民科指導部も混乱して求心力をうしなった。1956年、ソビエトでのスターリン批判にともない、民科が支持していたミチューリン農法の正当性が否定されたことも大きな打撃となった。科学者・研究者からの支持を失い指導部も混乱した結果、機関誌「国民の科学」は停刊し、1950年代末から1960年代前半頃にかけて大部分の部会は実質的に解体した。1956年の第11回全国大会開催を最後に民科本部としての正常な運営体制が崩壊し、翌1957年に本部事務所を閉鎖、事務局を解散した。その後一部の部会は独立した研究団体となり、活動を続けた。
各部会のなかで、現在、「民主主義科学協会」または「民科」の名前を残して活動を継続しているのは、「法律部会」、「歴史部会」のみ。』

さて、以上を踏まえて頂いた上で、当ブログがロック・オンしている、あの佐倉統(さくらおさむ)をチェックしてみますと。。。

佐倉統(さくらおさむ)

おや? 何やら「香ばしい」感じがしませんでしょうか(笑)

さらに。。。



あるいは。。。

で、トドメに。。。

佐倉統(さくらおさむ)の脳ミソの中身がスカスカであるということが、ここからも良く分かるのではないでしょうか?

果たして、佐倉統(さくらおさむ)は、本当に科学者であると言えるのでしょうか?

続きは次回に♥
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