2018-12-16 (Sun)

実証主義(じっしょうしゅぎ、英: positivism、仏: positivisme、独: Positivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したコント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【「天孫降臨」】と聞いて、皆さんは、どのような【イメージ】をお持ちでしょうか。多くの場合、天空から光の道ないし雲の道が地上めがけて垂直にあるいは階段状に伸び、天空におられる神々が従神(みとものかみ)たちをひきつれて、その道に導かれて降り進んで地上に立つ、といった想像をされるのではないでしょうか。

それは恐らくは【一神教のイメージ】で、【天に神がおられるという前提】があります。

【日本の宗教】は【一神教ではありません】。

従って【このイメージ】は、【われわれ日本人の天孫降臨の実像からかけ離れている】と思われます。

【このイメージ】には【多くの誤解がある】と同時に、【最近の考古学・生物学的研究や発見によって改める必要】の出てきた、【日本の歴史そのものを転換すべき重要なテーマ】が潜んでいます。

それをこれから、詳しくお話していきたいと思います。
なぜ、天孫降臨がこのような想像でとらえられているか、天孫降臨が現在、一般的にどのように考えられているか、まず、それを辞書でひもといて書いておくことにしましょう。
「記紀神話で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)・天照大神の命令で、葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治するために、高天原(たかまのはら)から日向国(=宮崎県)高千穂峰に天降(あまくだっ)たこと。」 (大辞林 三省堂)…

戦前から戦後にかけて、記紀(古事記と日本書紀)研究の第一人者として知られた【津田左右吉】という【日本史学者】がいます。

津田左右吉は近代実証主義に基づき、【史料価値という視点から記紀を批判的に分析】し評価しました。簡単に言えば、【記紀には事実が書かれているわけではない、とした】のです。…

戦後になって、【津田左右吉の研究】は、現在もまだあいかわらず続いている【マルキシズムによる歴史観】、つまり【唯物観一色に染まった歴史学者たち】に【大いに活用】されました。

津田の記紀批判を【天皇否定・皇室廃止の根拠として利用した】のです。【その歴史観】は、【「権力者は常に民衆を抑圧する悪であり、抑圧される民衆は常に正義である」】という【政治イデオロギー】のための道具に過ぎず、【記紀を歴史上意味のないものにしようとした】のです。…

本書の目的は、ここ2、30年来、【新発見の続く考古学研究、生物学研究の成果を参考】にしながら、【史料を実証的に分析】し、【「天孫降臨」が歴史的事実の記憶であることを明かす】ことにあります。

【日本の歴史は、大きく開かれることになる】でしょう。そしてそれは、【日本の歴史の根幹をつくり、日本人の祖先たちの営んできた長い歴史をわれわれの中に取り戻す】ということに他なりません。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、一般的に「神話」と考えられている『古事記』や『日本書紀』に記されている物語が、実は、真実を書き記し、それを後世の私たち日本人に遺しているものである可能性が高まってきているという事実について、左翼イデオロギーに囚われる歴史学者とは違い、非常に実証的で客観的な分析をもとに解説がなされている良書となります。

さて、戦後のGHQ支配下の日本において、占領軍にとって大変重宝されたことで歴史に名を遺すのが、左翼の自称・日本史学者だった津田左右吉(つだそうきち)です。

具体的に申し上げますと、津田の主張(欠史十三代)が占領軍にとって都合が良かったために採用され、第十五代・応神天皇以前の天皇の名前が歴史教科書から全て削除されたことがありますが、現在は、どんどん研究が進んでいて、津田の主張(欠史十三代)が完全に否定されていて、崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇(神功皇后)夫妻の存在が確実視されている状況になります。なお、未だに「欠史八代」という根拠のない主張をしている歴史学者が多いのですが、それらの主張も津田の主張(欠史十三代)と同様に、いずれ完全に否定されることでしょう。

詳しくはこちらをご参照💛
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☆「欠史八代」という「文系アタマ」ならではの、どうしようもなく愚かな珍説

津田左右吉や、それと同種類の歴史学者らが、どうして間違っていると考えられるのか、と申し上げますと、本文中に書かれていた「近代実証主義」に依拠しているからです。

「実証主義」を英語で「positivism(ポジティビズム)」と言いますが、これは耳慣れた言葉である「positive(ポジティブ)」から来ているもので、そしてそれは、もともとラテン語の「(神によって)置かれた」という意味の言葉に由来しています。ですので、「positive(ポジティブ)」は「明確な」とか「確信して」とか「積極的な」とか「プラスの」といったような意味になっていて、歴史学における「positivism(ポジティビズム)」は、厳密な史料批判を行い、客観的な事実を確定し、事実のみに基づいた歴史記述を行う、というものになります。
それでは、そのような「実証主義」に依拠して、厳密な史料批判を行い、客観的な事実を確定し、事実のみに基づいた歴史記述を行ったにもかかわらず、どうして、津田の主張(欠史十三代)が完全に否定されてしまったのでしょうか? 著しく矛盾しているようですが(笑)

それは、そもそも前提としている「文字記録として残された史料」に依存し過ぎているから、です。

詳しくはこちらをご参照💛
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☆書いてあること「だけ」が正しいの?


ソクラテスの最期を描いた『ソクラテスの死』(ジャック=ルイ・ダヴィッド画、1787年)
『 「人々がこの文字というものを学ぶと、記憶の練磨がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろう…。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないからである」
これはギリシャの哲学者プラトンの著作『パイドロス』の中でソクラテスが述べていることです。

近代の歴史学の歪みはここにはじまるといえるでしょう。まず、起こった出来事を文字で記録する。分析する。解釈する。それが歴史だということになりました。この考え方こそ、肝心要のものを忘れてしまっているのです。
文字による知恵は外見にすぎないということです。人間の真ん中にある知恵は、魂の知恵なのです。あるいは、忘れているというより、文字に溺れてしまって、魂の知恵があることを知らないのかもしれません。
日本の近代歴史学の代表格である津田左右吉をはじめ歴史学者のほとんどがそうでした。だから、『古事記』や『日本書紀』は天皇の権威を高めるために、権力者の正統性を知らしめるために書かれ、神話もそのためにつくられたというのです。一方、『魏志倭人伝』を文字で書かれているというだけで事実と信じ、卑弥呼はどこにいたか、などと無意味な詮索に熱中することになるのです。文字というものによって、でたらめでいい加減なことが書かれることは重々承知しているはずなのに…。
『古事記』は稗田阿礼(ひえだのあれ)が語ることを太安万侶(おおのやすまろ)が書き留めたものです。つまり『古事記』にある神話は、すべて稗田阿礼が魂に記憶していたことなのです。文字に溺れている者は、まずこのことを疑います。一人の人間があれほどの分量のことを隅々まで正確に記憶しているはずがないと。
しかしそれは、まだ文字がなかった時代のことを想像してみようとはしない人間の考えです。稗田阿礼だけではありません。そのはるか昔から、ほとんどすべての人は魂で記憶したことを口づてに伝えてきたのです。魂で記憶したことを口づてに伝える。それが唯一の方法だったのです。稗田阿礼は文字のない時代に、魂で記憶し、記憶したものをいささかも分析したり解釈したりせずに次代に伝える最後の一人だったのかもしれません。だから、『古事記』で語られている神話の言葉は美しいのです。芸術的なのです。
世界には数多くの神話があります。ギリシャ神話、エジプト神話、旧約聖書で語られるユダヤ神話、すべてが文字のない世界で口承されてきたものです。
ギリシャ神話はこの世を統治するゼウス以来の神々を物語ります。ユダヤ神話は一つの絶対的な神がダビデの世界を、ユダヤ民族をしっかりと守ることを物語ります。いずれも尊い統治者の存在があって、その統治者をあがめ、敬うことで人間の世界が必要不可欠であることを示しています。『古事記』の神話も例外ではありません。尊い天皇がいることは、私たちの祖先にとってもきわめて自然なことだったのです。
世界の神話の多くが非常に断片的であるのに対し、日本の神話は、神の世界と人間の世界の間にある国津神(くにつかみ、日本の国土に土着する神)の物語を大変具体的に記しています。これは日本の神話の特徴で、物語に整合性と連続性が見られるのです。著名な文化人類学者であるレヴィ=ストロースは、このような神話は世界に類例がないと高く評価しています。
これに対して『日本書紀』は、文字を知った人間が歴史として編纂したものです。しかし、近代歴史学のように分析したり解釈したりはしません。このことは一つの事柄についていくつもの話があることを併記する態度に表れています。余計な分析や解釈を加えていないのは、当時の人々が、神話から続く歴史が魂の記憶であることを十分に理解していたからです。
『万葉集』を代表する柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)も山上憶良(やまのうえのおくら)も、きわめて個人的な心情や生活事情を詠う歌人でした。しかし同時に、天皇を敬い、寿(ことほ)ぐ歌を素直に詠む歌人でもありました。天皇とは、民族の魂が記憶したものを目の前に現出する尊い存在であるということを知っていたというより感じていたからです。私たち民族の魂の記憶である神話を、自分の魂で感じ、受け止めるようにしたいものです。』
詳しくはこちらをご参照💛
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さて、ここまでを御覧頂くと、日本の多くの自称・歴史学者の怠慢ぶりがご理解頂けたのではないかと思いますが、それらが依存しているのが「実証主義 / positivism(ポジティビズム)」であるということもご理解頂けたのではないでしょうか?

で、本当にご理解頂きたいのは、そこではありません。

もう、お気づきではないでしょうか?

重要なので、繰り返し書かせて頂きますが、
歴史学における「positivism(ポジティビズム)」は、
① 厳密な史料批判を行い
② 客観的な事実を確定し
③ 事実のみに基づいた歴史記述を行う
というものでしたが、それでは、それの反対はどうなるのでしょうか?

歴史学における「●●●●」は、
① 曖昧な史料批判 or 忖度を行い
② 主観的な虚構を確定 or 客観的な事実を無視(放置)し
③ 虚構のみに基づいた歴史記述を行う or 事実に基づいた歴史記述は行わない
というものが、それになるのですが、歴史学における「●●●●」の「●●●●」には、何という言葉を入れるのが適切でございますでしょうか?

とても簡単ですよね💛
歴史学における「Negativism(ネガティビズム)」、つまり、「否定主義」、「消極主義」、そして心理学でいうところの「反抗癖」「反対癖」です。
それを、私たち日本人は「自虐史観」と呼んでいます💛

つまり、津田左右吉や、それと同種類の歴史学者らがやってきたことは、「実証主義 / positivism(ポジティビズム)」と自称するだけの「自虐史観 / Negativism(ネガティビズム)」に過ぎないということです(笑)

続きは次回に♥
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