2018-10-01 (Mon)

☆テレビと映像メディアが脳の発達に与える影響
脳(のう、英: brain、独: Gehirn、羅: encephalon、希: ἐγκέφαλος, enkephalos)は、動物の頭部にある、神経系の中枢。狭義には脊椎動物のものを指すが、より広義には無脊椎動物の頭部神経節をも含む。脊髄とともに中枢神経系をなし、感情・思考・生命維持その他神経活動の中心的、指導的な役割を担う。

☆【話題】『こうして #イケガMeToo も知らないテレビ脳の視聴者の頭の中では「五輪目的」が事実になる…』
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 まず、私たちは【脳】の【どこ】を使って【ものを見ている】と思いますか?

人間の目は頭の前側に付いていますから、何となく目の裏側あたりの脳領域が働いている気がしますよね。
皆さんは滑って後ろ向きに転んだ時に、【後頭部】を打って目がチカチカした経験を一度はお持ちではないでしょうか。これは後頭部にある脳領域が物理的な刺激を受けて一時的に麻痺したせいで起こる現象です。

そうなんです、実は、【ものを見ている時に働いているのは皆さんの後頭部にあたる脳領域(後頭葉(こうとうよう)と言います)なのです】。意外ですよね。しかも、【右目】で見たものは【脳の左側】に、【左目】で見たものは【右の脳】に投影されているのです。脳って本当に不思議ですよね。

赤色で示す部分が左半球の後頭葉。
では、【単純にものを見ている時】と【文字を見ている時】は、【活動している脳領域は違うの】でしょうか?

Fujimakiらは面白い工夫によって【文字を見ている時だけ特異的に活動する脳領域】を突き止めました。
彼らは「文字」と比べる「もの」としてこの世に存在しないデタラメな文字である「疑似文字」を作成し、MRIの中で被験者に見せたのです。

解析の結果、【疑似文字を見ている時】は先ほど述べた通り、【後頭部の領域(後頭葉)】が働いていました。そして、【文字を見ている時】には【後頭葉に加えて、頭の横側にある領域(ウェルニッケ野と言います)が活動】していました。

赤色で示す部分が左半球のウェルニッケ野
脳卒中などでこのウェルニッケ野が傷ついてしまった患者は言葉を聞いて理解する能力が著しく低下し、話し言葉も言い間違いや意味のない単語を使うことが多くなってしまいます(感覚性失語と言います)。
このように、単純に文字を見ているだけでも、ものを見ている時より多くの脳領域が働いているのです。
続いて、「アヒル」のように【意味のある単語(名詞)を見ている時】には、【後頭葉、ウェルニッケ野】に加えて、【頭の前方の横側辺りの脳領域(ブローカ野と言います)が活動】していました。

ブローカ野
ブローカ野が損傷されると、言葉が出てきにくくなり、たどたどしい話し方になってしまいます(運動性失語と言います)。そして右利きの人は左側のブローカ野がより活発に活動していました。実は、【言語処理の脳には左右差がある】ことが知られています(言語優位半球と言います)。
ブローカ野が含まれる、ちょうど皆さんの【おでこの裏】にある脳領域を【「前頭前野(ぜんとうぜんや)」】と言います。

【前頭前野】は【人間をはじめとする霊長類で特に大きく進化・発達している脳領域】です。

前頭前野は【言語】の他にも、【論理的な思考】、【短期記憶】、【感情の制御】、【創造・想像力】、【共感や思いやり】などの機能(【高次脳機能】と言います)を司っています。
つまり、【前頭前野は人間を知的・理性的な生物たらしめている、言わば脳の司令塔】のような非常に大切な領域です。そのため、私たちの研究チームは特にこの前頭前野を活性化させることを目標とした「脳トレ」の開発を目指してきました。
逆に、余談になりますが、ゲームや【テレビ】、スマホなどを使用している時には【前頭前野の活動が抑制されてしまう】ことが分かっています。そのため、私たちは「【メディア】機器は【脳を破壊する】からやめましょう」と声高に警鐘を鳴らしているわけです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、科学的な見地から、「読書」と「試験の成績」との関係を、統計的に分かりやすくまとめた良書になります。グラフが多用されていて、文章自体も難解ではございませんので、誰にでも気軽に読める書物だと思います。但し、当ブログにおいて本書から読み取って頂きたい大切なことは、「試験の成績」ではなく、「読み聞かせ」が、子どもたちの感情や情動の脳の働きを促し、また、大人も子どもたちも、お互いにコミュニケーションに良好な影響を与えるということにあります。

さて、本文中にも書かれていましたように、「おでこの裏にある脳領域」である「前頭前野(ぜんとうぜんや)」こそが、「人間を知的・理性的な生物たらしめている」のであって、「共感や思いやり」といった私たち日本人が昔から大切にしてきた、非常に高度な能力、そして誰もが本来保持しているハズの能力が備わっている部分になります。
『 大脳前頭葉の働きは、食物を摂取する場合にたとえると、舌の役割と同じだといえよう。…ものの味がわかるためには口を通さなければならないように、すべての学問や知識の味やおもしろさがわかるためには大脳前頭葉を通さなければならない。それをピアノにたとえると大脳前頭葉は鍵盤にあたる。鍵盤をたたけば音が出るように、大脳前頭葉を通して初めて心の琴線が鳴る。だから大脳前頭葉は人の音曲の中心(情緒の中心がそれに当たるのではないかと思っているのだが)に深く結びついているといってよい。』
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「ミミズ」、「大根」、「ネギ」 この中で本当に「生きている」のはどれ?

昨日も書かせて頂きましたが、私たち人間は、決して単体で隔離されて生きているのではなく、常に「他人」や「全」や「社会あるいは自然」との「相互関係」の下で関わり合いながら生きているのであって、その能力が備わって生まれてきているハズなのに、何故か劣化させるような風潮があることの危険性を、肌身で感じて頂きたいということなんです。
例えば、「自由」だとか、「平等」だとかを声高に言い募る輩が存在していますが、それは「自他を区別」した上で、いわゆる「自分」を強調しすぎる、非常に劣悪な「動物的本能」に基づいた思想であり、およそ「人間的」な考え方ではありません。
そのような危険な「動物的本能」に基づいた思想に走るのは、「前頭前野(ぜんとうぜんや)」の働きが劣化している、あるいは使用していないからです。

『 自分というものは何だろうか。自分は本当に在るのだろうか。在ると思っているだけなのだろうか。・・・
自分というものは、抑止して消すことができるものだといえる。してみると、自分というものが本来あるのではなく、自分というものがあると思っていることがあるだけだというのが正しいように思われる。
赤ん坊を見てみよう。私自身四月生まれだから、自分を例にとって四月生まれとすると、数え年三つまで、つまり生まれて三十二か月の間には、ふつうにいう自己、つまり、「自分を意識しているということ」は見られない。これが童心の時期である。といっても、ひとくちにいえばそうだということで、くわしく見れば、自分という意識は、生まれてから六十日くらいの子の目の中にすでに動いていることがわかる。
四つになれば、理性の原型と時空が出て、同時に運動の主体としての自分を意識するようになる。しかし自他の別はまだ意識できない。敬語の「御」という言葉をつけさせれば、自分につけたり他人につけたりする。五つになれば感情、意欲の主体としての自分を意識するようになる。そうするともう自他の別もはっきりつく。これで自分という意識の根幹ができたわけである。ふつうに人が自分と思っているのは、この自己を根幹として枝葉を添えたものといえる。だからこの後ふつうにしていれば、その人は絶えず自分があると思っているわけである。
ところが、大脳前頭葉の抑止力を適当に働かせると、その自分を消し去ることができる。そんなに簡単に消してしまうことができる自分が、本当の自分であるはずはない。しかも、ふつう自分と思っているような自分を消し去っても、なお自分は残る。これが本当の自分だといえる。この自分を真我(しんが)と呼ぶことにする。
これに対して、ふつう人がそう思っているようの自分を、仏教では小我と呼ぶ。私たちの文化は誰かが最初につけた名前をそのまま残す習慣である。だからそのような自分を小我と呼ぶのが正しいであろう。小我を自分だと思うのは、前にいった無明(むみょう)という本能のためである。
しかし反面、私たちには欧米流の名称が耳慣れているから、欧米流にいい直した方がよく聞いてもらえるかもしれない。この小我は自我、無明は自我本能だといえる。自我本能はいっさいの本能の根源といわれているもので、これを抑止したり、働きの強さを弱めたりすることはできるが、取り除いてしまうことはとてもできない。何しろ、観音菩薩(かんのんぼさつ)にすら根本無明(こんぽんむみょう)は残っているといわれるくらいである。
自我を自分と思っていると、自分は肉体が死ねば死ぬものとしか思えない。また死に対する恐ろしさを必ず感じる。これに対して真我が自分だとわかると、悠久感が伴い、実際の季節の如何(いかん)にかかわらず春の季節感が必ず伴う。この真我が、前にいった生命のことなのである。』
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「小我観」に満ち溢れている「某machiko」 ~ お子様が哀れでなりません(笑)

さて、ここからは一昨日の続きになります。
私たちの日本で、最大の面積を誇る湖と言えば「琵琶湖」(約670㎢)ですが、ヨーロッパ最大の湖と言えば、現在のロシアにある「ラドガ湖」で、琵琶湖の約25倍の面積(16400㎢)を誇ります。

そのラドガ湖の南に、「ロシア最初の都」と言われ、10世紀には東ヨーロッパ有数の交易都市にまで発展したスタラヤ・ラドガという村があります。

ここに、バルト海からやって来た「ヴァリャーグ(ヴァイキング)」の一派である「ルーシ(ルス)人」たちは、753年頃に「クレムリ」を築いたと考えられています。
そのスタラヤ・ラドガからは、ヴォルホフ川を通って、「ハザール・カガン国」や「東ローマ帝国」へと至る交易ルートの起点となっていました。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 バルト海から航行してきたヴァリャーグ(ヴァイキング)たちの船は、ネヴァ川などからラドガ湖を経てノヴゴロドに着き、川伝いに南を目指し黒海やコンスタンティノープルへ、あるいはカスピ海へ至っていた。この交易路が「ヴァリャーグからギリシャへの道」と呼ばれる水陸交易路である。また、ラドガ湖から他の川などを伝ってヴォルガ川水系に出て、河口付近のハザールの首都イティルに至るヴォルガ交易路もあった。イティルからはカスピ海を南下し、最終的にはバグダードへ至っていた。ヨーロッパで発見された中世アラブの硬貨のうち最古のものは、スタラヤ・ラドガで発掘されている。またスウェーデンで見つかったアラブのディルハム銀貨のうち90%から95%はラドガ経由のものとみられる。」

で、ハッキリとした文字記録が無いために、伝説的な扱いとされていますが、862年に、そのラドガ周辺を支配し、「ノヴゴルド」を建設したとされているのが「リューリク」(在位864年~879年)です。

ロシア1000年記念碑のリューリク像(ノヴゴロド)

ラドガに到着するリューリク(アポリナリー・ヴァスネツォフ画)
但し、この時点(862年)で、すでに、ヴァリャーグ(ヴァイキング)たちのやりたい放題であったわけですが。。。
続きは次回に♥
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