2018-09-22 (Sat)

隠蔽(いんぺい) : 人の所在、事の真相などを故意に覆い隠すこと。「証拠を隠蔽する」「隠蔽工作」
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 農村にはもはや何も残されていなかった。農村は、ただ、飢えて死ぬのを待つしかないという状況に追いやられた。こうした状況を熟知しながらも【スターリン】は【ウクライナで飢餓が勃発していることを否定】し、そうした話は、【共産主義国家ソヴィエトに反対する勢力が捏造した虚構の物語に過ぎないと言ってのけた】のである。スターリンは、【飢えて死にかけている農民たちは、ソ連の信用失墜のための諜報活動に加担していると断定した】のである。

ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン
飢饉を捏造と否定したスターリンはいかなる国際社会からの援助も受け容れようとはしなかった。…実際にソ連に穀物は存在した。だが、ソ連の工業化を急ぐスターリンは、こうした穀物を飢え、餓死しかけている国民のために配布するのではなく、当初の予定通り【外国へ輸出】していたのだ。…

人々は飢え、食べられるものは全て食べようと試みた。草、木、ネズミ、ミミズ…。何を食べようとも彼らが飢餓状態から抜け出すことはできなかった。救いのない飢餓に陥った【ウクライナ】では【恐るべき行為が横行する】ことになった。【人肉食(カニバリズム)】が横行したのである。

街で子供が誘拐され、捌(さば)かれたのだ。人肉を扱う市場も存在したという。悲惨なのは、家族同士が飢餓のために殺しあう状況まで追いやられた場合だ。親が子供を殺して、食べ、また、子供が親を食べることもあった。…阿鼻叫喚の地獄絵図としか表現のできないような飢餓地獄であった。

こうした【ウクライナの状況】を【西側諸国はどのように受け止めていたのだろうか】。

繰り返すが、【スターリンは飢餓による大量虐殺を隠蔽した】。情報が漏れないように組織的に情報を隠蔽した。そして、西側諸国の人々は「農村の集団化」という言葉を耳にしたとき、人々の進むべき道が見出だされたかのような感慨に浸っていたのである。…

【スターリンの謀略に嵌められた滑稽な道化師】として歴史に名を残すことになったのが、フランスで首相まで務めた【エリオ】だった。

エドゥアール・エリオ
彼は【急進社会党の指導者】だったが、一貫して仏ソ間の外交的距離を縮めようと主張していた政治家だった。彼は、【数百万人が餓死によって死んでいる最中、ウクライナを訪問】し、スターリンがでっち上げた人々が幸せそうに暮らす村の生活を見せつけられ、次のように語った。

「 私はウクライナを旅してきた。ところで私には断言できる。私が目にしたウクライナは収穫真っ盛りの楽園のようであった、と」(フュレ『幻想の過去』バジリコ出版、229頁)

エリオが見せ付けられた村の人々の生活とは、【スターリンが事前に捏造した村の生活】に他ならなかった。エリオが到着する前日、住民は道路の清掃、家の飾り付けを命じられた。また、いつも行われていたような街で行列を作って食料品の配給を待つことも禁じられ、浮浪者、乞食、飢えた人々は姿を消した。全てが【人工的に捏造された村の生活をエリオは共産主義国家の現実だと思い込み、礼賛した】のである。

【フェビアン協会】で活躍した【ウェッブ夫妻】も【スターリンの捏造に喜んで騙された二人だった】。

シドニー・ウェッブ

ビアトリス・ポッター・ウェッブ
彼らは【ソ連の公式な発表を真実であると鵜呑み】にし、ウクライナの飢饉について
「実際の飢饉をもたらすほど深刻なものではなかった」
と指摘し、さらに、飢饉が勃発したという情報は
「飢餓で苦しむ地域などほとんど行ったことがない人々」が書いたことだ
とまで述べている。現在となれば【真実は明らか】である。【彼らは自分のイデオロギー的選好から、現実を直視できなかったのである】。

【共産主義者スターリン】によって【殺戮された被害者】は、【このウクライナ飢饉だけで700万人】、その内の300万人が子供であったと歴史家のコンクエストは指摘している。彼は、飢餓を引き起こす契機となった【富農撲滅運動による死者は650万】に上ると計算しているので、【この数年間だけでスターリン圧制下のロシアでは1000万人以上の罪なき人々が殺されていたのである】。 』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、現代の日本において「リベラル」を自称する“奇妙な人々”の「奇怪な言説」を取り上げ、それらを徹底的に批判するところから始まる書物で、「東京新聞」や「朝日新聞」はもちろんのこと、「池上彰」、

池上彰
「加藤典洋」、

加藤典洋
「内田樹」、

内田樹
「白井聡」といった面々が、

白井聡
そのやり玉にあがっていて、非常に楽しく拝見できる良書になります。そして、後半3分の1にあたる部分から、今回ご紹介させて頂く本文となるのですが、非常に中身が濃く読みごたえがあってお勧めです。

さて、本文中に「フェビアン協会」(Fabian Society)なるものが登場してきましたが、これはユダヤ教(Judaism)に由来する共産主義(Communism)が、その形を変えて、ドイツで発生しアメリカを主として繁殖したフランクフルト学派(Frankfurter Schule)と双璧をなすもので、イギリスの左翼の労働党の母体になります。

詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆ユダヤ人のイエスから連なるもの

かつてのイギリスの左翼政権にトニー・ブレア政権がありましたが、彼も「フェビアン協会」所属で「真っ赤っか」でしたが、その盟友はアメリカの「ネオコン」のジョージ・W・ブッシュでした。

トニー・ブレア

詳しくはこちらをご参照💛
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☆日本の安倍、そして世界の安倍へ ~ スコットランド独立問題のポイント

また、「フェビアン協会」は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスという「社会主義をお勉強させてくれる大学」の母体でもありますが、わざわざ、そんな所へ学びに行こうとする「阿呆」もいるようで。。。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆元財務官僚のピンからキリまで

さて、昨日までのところで、8世紀半ば頃の世界の大雑把な様子を俯瞰してきました。

744年頃の世界地図
学校の授業では、何故か、ほとんど教えられることがない、「隠された歴史」の一端になる地域が、ユーラシア大陸の大草原なのですが、

支那の始皇帝で有名な「秦」(紀元前778年~紀元前206年)が、「中国を統一(紀元前221年)」などと意味のない歴史を覚えさせられるわけですが、ちっぽけな「秦」よりも、遥かに大国であったのが「テュルク(チュルク)語」系であるとの見方が最も有力な遊牧民族の国である「匈奴(きょうど)」(紀元前4世紀~93年)で、

その「匈奴」が西方へと勢力を広げた結果、「フン族」(※匈奴と同じとする説もありますが未確定)が西方へと侵略を始め、玉突きのようにして、「ゲルマン系」民族のローマ帝国への侵略が生じ、ローマ帝国は分裂し、西ローマが実質的に放棄され、東ローマ帝国が生き残ったという流れになります。

紀元400年頃の世界地図
詳しくはこちらをご参照💛
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☆古代ローマと北朝鮮の共通点は「レイプ」です

モンゴル系の可能性が高い「柔然(じゅうぜん)」(402~555年)も、モンゴル系あるいはテュルク(チュルク)系と考えられている「支那」を支配した鮮卑族の「北魏」(386年~534年)も、テュルク(チュルク)系の「高車」(4世紀から6世紀)も遊牧民族の国家であり、

500年頃の世界地図
支那の「隋」(581年~618年)も、鮮卑族が支配していたのであり、巨大な「突厥(とっけつ)」もテュルク(チュルク)系遊牧国家でした。

600年頃の世界地図
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆昔から「遊牧民」に支配されていたのが「中国」です

ここまでは、ユーラシア大陸を東から西へと覇権を広げていく遊牧民族の流れがありますが、7世紀になりますと、新興の「イスラム教」勢力が、ユーラシア大陸の西側を南方から勢力を広げる形で脅かします。

744年頃の世界地図
そして、その「イスラム教」勢力を食い止めたのが、「フランク王国」であり、「ハザール・カガン国」だったわけです。

「イスラム教」勢力から「東ローマ帝国」を守った「ハザール・カガン国」は、恐らく740年頃、「ユダヤ教へ改宗」しますが、その「東ローマ帝国」との関係が良く分かるのが、皇帝であったコンスタンティノス5世(718年~775年)とハザールの君主(カガン)であるビハールの娘の「チチャク(トルコ語で花の意)」が同盟のために結婚(730年代半ば)していたのですが、775年、その息子の「レオーン4世」(“ハザールのレオン”)が東ローマ帝国皇帝となります。

レオーン4世(左)と息子コンスタンティノス6世(右)
ちなみに、弱冠30歳という若さで亡くなった「レオーン4世」(“ハザールのレオン”)のあとを継いで皇帝となったのが、嫁である「エイレーネー」との間に儲けた息子コンスタンティノス6世でしたが、即位時に11歳という若さであったため、母である「エイレーネー」が「摂政」となって切り盛りします。

エイレーネーを描いた『黄金の祭壇画』
ところが、この母子は次第に険悪となってしまい、終(しま)いには母親が軍隊を動かして、実の息子を捕らえ、目をくりぬいたうえで追放するという有様でした。

797年、「エイレーネー」は、「ローマ帝国」史上初の“女帝”として君臨(在位797年~802年)しますが、彼女の名誉のためにも念のために弁護しておきますと、当時のある意味文化的な「ローマ帝国」の傾向では、刑罰を“人間的”に行っていこうという考え方が主流で、つまり、「死刑」ではなく、“人間的”に「手の切断(窃盗罪)」とか、“人間的”に「鼻の切断(姦通罪等)」とか、平然とやっていたわけですが、特に政敵に対しては「盲目にした上で追放」という“人間的”なやり方が好まれていたようなんです💛

ちなみに、「エイレーネー」は古代ギリシャの首都アテネの出身であったとされ、その名前は中世ギリシャ語で「イリニ」、すなわち「平和」という意味でした(笑)

このような状況の中で、「フランク王国」はどうしていたのでしょうか?
また、新たに生じる「北方からの南方への侵略」は、どのような影響を与えたのでしょうか?

世界史を理解するうえで、覚えていても何の意味もない「秦の始皇帝の統一」などよりも、学校の教科書には書かれていない、世界史を理解するために非常に重要なことが、他にももっとたくさんあるのですが、その辺りに関しまして、当ブログで「ちょこっと」ずつ、これからも書かせて頂きたいと思います。
続きは次回に♥
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