2018-08-28 (Tue)

☆「琴線に触れる」の意味 文化庁HP
「琴線に触れる」の意味
文化部国語課
インターネットで「琴線」という言葉を検索すると,「怒りの琴線に触れる。」という表現が多く見つかります。しかし,これは,本来の「琴線に触れる」の用法とは違っています。
問1 「琴線に触れる」とは,本来どのような意味でしょうか。
答 心の奥に秘められた感じやすい心情を刺激して,感動や共鳴を与えることです。
「琴線(に触れる)」を辞書で調べてみましょう。
「広辞苑 第6版」(平成20年・岩波書店)
きんせん【琴線】 (1)琴の糸 (2)感じやすい心情。心の奥に秘められた,感動し共鳴する微妙な心情。「―に触れる」
「明鏡 第2版」(平成22年・大修館書店)
きんせん【琴線】〔名〕 (1)琴の糸 (2)物事に感動し共鳴する胸奥の心情。「心の―に触れる話」 [注意]「琴線に触れる」を,触れられたくないこと,不快な話題に触れる意で使うのは誤り。「× 私の一言が彼の琴線に触れたのか,急に怒り出した」
辞書が示すように,「琴線」は,もともとは琴の糸のこと。それを,物事に感動する心の奥の心情を表すものとして比喩的に用いる言葉です。「明鏡」が指摘するとおり,相手の怒りを誘うというような意で用いるのは,本来の使い方ではありません。用例を見てみましょう。新渡戸稲造の「自警録」からの引用です。
「片言でいう小児の言葉が,胸中の琴線に触れて,涙の源泉を突くことがある。」 (「自警録」 昭和4年)
子供のたどたどしい言葉であっても,人の胸の奥の心情を揺り動かし,感動の涙を誘うことがある,ということを「琴線に触れる」を使って表現しています。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 近ごろ、【生命とは何か】がようやくわかって来たように思う。

【生命とは何か、生命とはどこにあるか】と人は探しているが、【生命という言葉はあっても、その意味を本当には知らない】。私がそうであった。

生命とは何かを考えるきっかけになったのは、計算機やタイプライターのキーをたたきすぎて病気になったあげく、自殺する人があると聞いたことである。…私なりに自殺の原因を考えた。

赤で示す部分が左半球の前頭葉。右半球は透明にしてある。
初めにこう思った。キーを打ちすぎると、【大脳前頭葉】がだめになって連想力が活発に働かなくなり、何か一つのことを思いつめてくよくよするようになるのだと解釈した。そう思ってみれば、【近ごろの教育】は、タイプライターを打つという、めまぐるしくてしかも【単調な職業】に似てもきたし、【一般の人々の生活もやはりそういう傾向にある】といえる。

次はこう考えた。【大脳前頭葉の働き】は、食物を摂取する場合にたとえると、【舌の役割と同じ】だといえよう。…【ものの味】がわかるためには【口を通さなければならない】ように、【すべての学問や知識の味やおもしろさ】が【わかるため】には【大脳前頭葉を通さなければならない】。

それを【ピアノ】にたとえると【大脳前頭葉は鍵盤】にあたる。鍵盤をたたけば音が出るように、【大脳前頭葉を通して初めて心の琴線が鳴る】。だから【大脳前頭葉】は【人の音曲の中心】(【情緒の中心】がそれに当たるのではないかと思っているのだが)に深く結びついているといってよい。

ところで、【心の琴線の鳴り方】であるが、…たたけばともかく鳴るようになっており、【好きな音だけ鳴らしていやな音を避ける】ことは【ほとんどできない】。

だから、タイプライターを打ち続けるというようなこと、つまり微弱な、きれぎれの意志を働かせ続けるのは、絶えず細かな振動を心の中心に与えていることになる。【きれぎれの音は不調和音であり雑音】である。…

【人の音曲の中心】は【その人固有のメロディー】で、これを【保護するために周りをハーモニーで包んでいる】と思われる。そんなデリケートなものなのだから、たえず不調和音を受け取っていると、【固有のメロディーはこわされてしまう】。そうすれば【人の生きようという意欲はなくなってしまう】のである。

してみれば、【人の生命】というものも【その人固有のメロディーである】といえるのではないか。…

【生命】というのは、ひっきょう【メロディーにほかならない】。日本ふうにいえば【“しらべ”】なのである。そう思って車窓から外を見ていると、冬枯れの野のところどころに【大根やネギの濃い緑がいきいきとしている】。【本当にいきているものとは、この大根やネギをいう】のではないだろうか。

医者に、【生命とは何か】、【何をもって生きているとするのか】と聞いても、医者はわからないと答える。これは聞くのが無理なので、【医学】は【物質科学】であって、【決して生命のことを扱っているのではない】。…私たちは【物質現象にすぎないもの】を間違って【生命と思って来た】ようである。

【「生きている」という言葉】を【学校で教える】ときに【“ミミズが生きている”などという例をあげるのが間違い】なので、【あれは物質の運動にすぎない】。
冬枯れの野の【大根やネギが生きているというのが本当なのである】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、今から50年ほど前の昭和45年(1970)に初版が出されたもので、世界にその名を馳せた、天才日本人数学者によるエッセイで、現在の私たちが読んでも、まったく色褪(あ)せない、非常に内容の濃い作品となっています。とくに、当ブログで定義させて頂いている「文系アタマ」の方々には、自分自身のアタマで物事が考えられるようになるための必須の書物ともいえる良書ですので、どうぞ御覧下さいませ。

さて、昨日のところで、トランスジェンダー主義者らの主張する「妄想」、
「自分は男である」と認識する「女」は、「男」である。
「自分は女である」と認識する「男」は、「女」である。
この主張に含まれる「自分」という言葉の意味を考えてみますと、「自分」というものを3つに分けて観察した場合、「① 主宰者」としての「自分」でも「② 不変のもの」としての「自分」でもなく、「③ 自己本位のセンス」の「自分」であり、これこそが、すべての混乱の根本原因になっている、ということを書かせて頂きました。
① 主宰者 ⇒ 最初から、在る。
② 不変のもの ⇒ 初期に形成され、その後不変。
③ 自己本位のセンス ⇒ 「本能」から絶えず生じる。

そのような「ある種の精神障害」であるトランスジェンダー主義者らの混乱に対して、毅然とした答えを出すことができるのが、私たち日本人で、少なくとも「聖徳太子」の時代に、すでに解決してしまっていることなのですが、それを未だに解決できないでいるから、その様な状況に陥っているわけです。

聖徳太子
そして、それを理解するためには、聖徳太子が受け入れた「仏教」を知る必要があり、聖徳太子が受け入れた「仏教」を知るには、本来の仏教が唱える「空(くう)」という論理を知る必要があるのですが、そのための根本的な質問が、これ(↓)になります。

(問) 「自分」というものは何か、また、「自分」というものが存在するのか、答えよ。

詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆三島由紀夫の『豊饒の海』を敬虔なキリスト教徒が読むと。。。

そして、繰り返しになりますが、その問いの前半部分について、「自分」を3つに分けると、さきほどの
① 主宰者 ⇒ 最初から、在る。
② 不変のもの ⇒ 初期に形成され、その後不変。
③ 自己本位のセンス ⇒ 「本能」から絶えず生じる。
になります。まだまだ、一体何のことを言っているのか、なかなか御理解されにくい方もいらっしゃると思いますが、ここで挙げている「仮定のお話」を、まず押さえておいてください。

ところで、本文中に「生命とは何か、生命とはどこにあるか」という一文が書かれていましたが、これを、さきほどの問いと同じように置き換えてみますと、
(問) 「生命」というものは何か、また、「生命」というものが存在するのか、答えよ。
となります。ですので、まったく同様に、この問いの前半部分について、「生命」を3つに分けてみますと、
① その人固有のメロディー
② 保護するために周りを包むハーモニー
③ 物質現象にすぎないもの
となり、著者が言わんとしている「生命=メロディー、しらべ」というものは、①と②であって、③ではない、ということになります。

同様に、答えを先に書かせて頂きますと、「自分」というものは①と②であって、③ではないということになります。

① 主宰者 ⇒ 最初から、在る。
② 不変のもの ⇒ 初期に形成され、その後不変。

さて、ここまでを踏まえた上で、著者が本文で書かれている次の文章の意味を考えてみましょう。
「生きている」という言葉を学校で教えるときに“ミミズが生きている”などという例をあげるのが間違いなので、あれは物質の運動にすぎない。

ここで「ミミズ」が登場していますが、もちろん、これは『手のひらを太陽に』の歌のことを指しているわけですが、ちなみに、この歌の作詞は、「アンパンマン」の生みの親である、やなせたかしによるものです。

歌に登場する「生きているもの」は、「ミミズ」「オケラ」「アメンボ」「トンボ」「カエル」「ミツバチ」「スズメ」「イナゴ」「カゲロウ」、そして「歌ったり」「悲しんだり」「笑ったり」「嬉しがったり」「踊ったり」「愛したり」する血液が流れる「ぼくら(人間)」になりますが、これらいずれも「③ 物質現象にすぎないもの」を、ただそれだけをもって「生きている」と思うのは、間違っている、と著者は伝えたいんです。

我が家の柴犬も、もちろん「生きている」わけですが、それは決して、走ったり、飛び跳ねたり、動き回っていることだけをもって「生きている」わけではありません。

私たち家族全員の「心の琴線」に触れる、何とも言い表しようのないものを与えてくれるからこそ、我が家の柴犬が「生きている」と言えるんです。

おかげで、すっかり柴犬に対する感謝しかない、といった有様なのですが(笑)

さて、本日はここまでとさせて頂きますが、トランスジェンダー主義者らの危険性を理解して頂くためにも、参考となる書籍を最後に少しご紹介させて頂きます
「 1967年、カナダ。
生後8か月の男の子が包茎手術の失敗からペニスを焼き焦がされてしまう。人工性器を形成するしか手立てがないと診断された両親は、バルチモアの名だたるジョンズ・ホプキンス病院を訪れ、性科学の権威、ジョン・マネー博士のアドバイスにしたがい、息子に性転換手術を受けさせることに同意する。しかし実情は、「性は生物学的に決まるものではなく、環境によって作られるものである」というマネーの理論を裏付けるための格好のモルモットとして、利用されたにすぎなかった。
本書は社会の偏見や持論に憑かれた性科学者の肉体的、精神的拷問に打ち勝ち、14歳で生まれながらにしてもった性を取り戻した青年の魂の記録である。著者のジョン・コラピントは数々の雑誌に寄稿するジャーナリストであるが、医学畑の家族に囲まれていることもあり、このケースに関する調査は徹底していて、性科学の読み物としても参考になる。だが、特筆すべきは、著者が序文で述べているように、この青年の物語に流れる「奇妙なまでに詩的な響き」だ。青年やその家族への100時間以上におよぶインタビューを通して、著者は鋭い洞察力で2つの性を生きた青年の心の叫びを静かに、しかし、力強く描ききっている。読み終えた後、ルソーの告白から引用された原書のタイトル『As Nature Made Him』(自然がつくったままの姿で)が心に残る。
本書の原作となったローリング・ストーン誌掲載の著者によるコラムは、全米雑誌賞を受賞している。ドリームワークスによる映画化も検討されていて、本書がどのように映像化されるのかとても興味深い。(野澤敦子」

「 1967年、カナダで性器の包皮切除手術に失敗した8か月の双子の男の子のひとりが、性科学の権威、ジョン・マネーの勧めによって、性転換手術を受け、ブレンダという名前で女の子として育てられた。性転換をすれば、女性の生殖機能を持つことはできないものの、正常な性生活を送れるとマネーは説得したが、実は、ブレンダは「性別の自己認識は環境的要因によって決まる」というマネーの理論を裏付けるための格好のモルモットとして利用されたにすぎなかった。マネーはこの症例を医学ジャーナルに発表し、自説の正当性を主張し、キンゼー・レポート以来の偉大な発見としてセンセーションを呼ぶ。だが、少女となった男の子の心と体は、成長するにつれ重大な危機を迎える。結局、ブレンダは男性であるとカミングアウトし、ディヴィッドと改名、結婚し養子をもらうが、昨年夏自殺――双子の弟もその前に自殺――という悲劇を迎えた。マネーの壮大な実験は失敗に終わったのである。」

続きは次回に♥
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