2018-08-20 (Mon)

岩蔵温泉(いわくらおんせん)は、東京都青梅市(旧国武蔵国)にある温泉。公式サイトでは、都内にある唯一の温泉郷と記されている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 こんにちは、この本を手に取っていただきありがとうございます。著者の堀口菜純です。
早速ですが、あなたは【江戸時代】って、【どんな時代】だったと思いますか?

もしかすると、武士や一部の金持ちが威張っていて、庶民が虐(しいた)げられた暗黒時代だったんでしょ? という【ネガティブなイメージ】を持っていらっしゃるでしょうか。

いやいや、とにかく【エコな循環型社会】だったんでしょ? という【ポジティブなイメージ】でしょうか。時代劇や落語がお好きな方は、よく知らないけど、なんだか【素敵な時代】だったんでしょ? という漠然とした【プラスイメージ】を持っているかもしれませんね。

あるいは、学校で勉強しているけれど、つまらなくて全然頭に入らない…という学生さんもいるかも。きっと十人十色の江戸時代観があることでしょう。
私は、【江戸時代はスゴイ時代だった】、特に江戸という都市は、【同時代の世界を見回してみても、他に類を見ない】、エキサイティングな町だったと思っています。

そう考えるきっかけになった一枚の絵がありますので紹介させてください。

☆『江戸名所図会』巻1 国立国会図書館デジタルコレクション
これは『江戸名所図会』(著:斎藤月岑ほか/絵:長谷川雪旦ほか)という江戸時代の人=江戸人が江戸人のために書いた江戸名所のガイドブックの冒頭に掲載されている絵です。
え? 別に平凡な絵じゃない? むしろなんか物足りない…と思ったあなた。あなたの感性は正しいです。だってこの絵には、江戸時代の江戸の市街地を描いたガイドブックなら絶対に描いてあってほしいはずのモノが描かれていないんですから。

そう、【城】です。【江戸城が描かれていない】んです。

実際に、江戸城には明歴三年(1657)以降、天守がなかったのですが、それにもスゴイ理由が…(詳しくは本文をご参照下さい!)
描かれているのは【庶民が暮らす城下町】。

タイトルに「江戸東南の市街より内海を望む図」とあるように、【日本橋を中心とした下町地区】から【江戸の前海】(いわゆる江戸湾。現在の東京湾)にかけての情景です。

朝日が昇って照らし出された市街地は、実に【賑(にぎ)やか】。びっしりと立ち並んだ屋根の隙間を縫うように走る道筋には、すでにたくさんの人影があり、水路にも、はるか沖の方までも船が出ています。【名もなき庶民の活気あふれる日常】が、目に浮かぶようではありませんか。

私はこの、まるで【“庶民が主役”】といわんばかりの描き方を、とても新鮮に感じると同時に、【自分が無意識に、江戸は“武士が主役”の町だと思い込んでいた】ことに気づかされて、ハッとしました。…

江戸の庶民は、実に【イキイキ】と町を闊歩していました。

東海道五拾三次之内 『日本橋 朝之景』
例えば歌川広重の「東海道五十三次 日本橋朝之景」は日本橋を渡る参勤交代の武士たちの行列が描かれた有名な浮世絵ですが、左下にご注目ください。ちゃんと庶民の姿も描かれているんです。武士たちには目もくれずに行商に出かけようとする彼らは、「朝の忙しい時間に行列で道をふさがれちゃたまんねぇや!」とでもいいたげ(笑)。少なくとも【時代劇などでよく見かける、参勤交代の大名行列を土下座で見送る庶民、というような卑屈な雰囲気ではありんせん】よね。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、妙なイデオロギーが入り込んでいる学校の授業では、決して教えてもらうことができない、正しい江戸時代の姿について、当時の庶民を中心とした日常を様々な角度から解説がなされている良書で、特に昭和世代の方々には、目から鱗のようなお話がギッシリと詰まっていますので、ぜひ、ご一読いただきたい一冊になります。

さて、本文中にあった「江戸名所図会」の冒頭の絵ですが、

よく見ると、「江戸橋」、「深川」、「佃島」といった地名が書かれているのですが、現代の風景と比較してみるのも面白いですね。

また、本文中に明歴三年(1657)の明暦の大火について、少し触れられていましたが、別の書物で少し確認をしておきましょう。
『 日本の災害を考える時に貴重な事例がある。江戸時代の1657年に起きた振袖火事(明歴の大火)である。…この火災被害は…焼死者数10万7046人という膨大なもので、歴史上最悪の焼失面積、死者数となった。当時50万人以下の江戸の人口で火災死者数が10万人以上というのは、いかに凄まじい火災だったか分かる。関東大震災の死者数約6万人、東京大空襲の死者数約10万人と比較しても、史上最大級の災害であった。
振袖火事は史上最大級の災害であったが、それ以上にこの直後の江戸復興事業が特筆される。それは単なる復興ではなく、本格的な都市改造であった。主要道路の6間(けん 10.9m)から10間(18.2m)への拡幅、火除け空き地として上野などで広小路の設置、…芝・浅草の新堀の開削、神田川の拡張、吉原遊郭の浅草への移転…などが行われた。移転する武家屋敷の代替地として、隅田川の川向こうが当てられ…隅田川に初めて橋が架橋されることになった。その橋が両国橋で、この橋が江戸復興事業の頂点となる事業であった。
江戸復興で注目すべき事がある。それは、江戸城の天守閣が再建されなかったことである。人々の目を奪う天守閣は、織田信長の安土城で登場した。それ以降…天守閣は、天下を制した総大将の権力と権威の象徴となった。その天守閣を再建しないというのだ。天守閣を復元するためなどに巨額の資金を費やさない。そのような資金が有ればその資金で広小路を建設し、新堀を開削し、両国橋の架橋を行う。江戸城の天守閣を再建せず、江戸のインフラ整備を優先する。世界の歴史上、自分の権力の象徴である城の再建をしないで、その資金で一般の庶民が住む街のインフラ整備をした権力者などいただろうか?その後、21世紀の現在まで江戸城の天守閣は二度と復元されていない…』
詳しくはこちらをご参照💛
↓

ところで、さきほど「江戸名所図会」の冒頭の絵と書かせて頂きましたが、実際にご確認頂くと分かるのですが、実は、それよりも先に、別の絵が挿絵として描かれていて、それが次の絵になりますが、さて、何が描かれているのでしょうか?


答えにいく前に、もう一つ、ご質問。次の漢字の読み方は、何でしょうか?

音読みでは、「ゾウ」「ソウ」、訓読みでは「くら」「おさ(める)」「かく(れる)」で、小学校6年生で学ぶ漢字です。
それでは、「武蔵」と書いてなんて読むのでしょうか?

恐らく、みなさんは普通に「ムサシ」と読むことができると思います。
それでは、どうして「蔵」を「サシ」と読まれるのでしょうか?

もともと、現在の伊豆諸島を除く東京都、埼玉県、神奈川県北東部(横浜市の大部分と川崎市)の地域を「むざし」と呼んでいました。その中心地が、現在の東京都府中市と推定されています。

武蔵国
文字による記録も残されていて、藤原宮木簡や『古事記』での表記は、「无耶志」。藤原京から遷都した平城宮木簡での表記は、「武蔵」で、読み方は「むざし」になります。
それでは、お話を元に戻しまして、「江戸名所図会」の最初の挿絵が何を描いているのかと申しますと、

私たち日本の英雄、倭建命(日本武尊/やまとたけるのみこと)が、

自身の鎧を「蔵(くら)」に収めたことが、「武蔵國号」の「濫觴(らんしょう)」=物事のはじまりである、ということが描かれているんです。

これで、何故、「武蔵」を「むさし」と読むのかが、ご理解いただけたのではないでしょうか💛
こちらもご参照💛
↓
☆産経新聞取材班 日本人なら知っておきたい英雄 ヤマトタケル

それでは、その場所は、一体どこなのでしょうか?

それは、現代の東京都に「唯一存在」する「温泉郷」にあるのですが、ご存じでいらっしゃいますでしょうか?

それが、東京都青梅市にある「岩蔵温泉」です。


☆岩蔵温泉観光協会HP
続きは次回に♥
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