2018-07-27 (Fri)

圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。斑鳩の中宮寺、佐保路の法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)。
三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 大学時代に日本文学を勉強していた私は、【三島由紀夫】の【『春の雪』】を読んだのですが(もちろん、英語で)、とてつもない衝撃を受けました。

この作品は、その後に続く【『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』】という全四巻からなる【『豊饒(ほうじょう)の海』】という長編小説の一部です。



この『春の雪』を読んで大きな衝撃を受けた理由は、作品に出てくる主人公の松枝清顕(まつがえきよあき)という人物の考え方や態度が、当時の私にとって想像を絶するものだったからです。…
正直に告白すれば、当時、若い私には、そのような清顕の自由奔放な生き方は、魅力的にも映りました。しかし同時に、「そんな生き方を認めたり、受け入れたりしてはいけない」という思いもこみ上げてきました。…
当時の私が受けた強烈な感覚は、【キリスト教徒ではない多くの日本人】にとっては、むしろ【理解しがたいもの】かもしれません。…

なぜ、このような話をしたかというと、【アメリカにおける「リベラル」】を考える前提として、多くのアメリカ人が元来持っていた【「宗教的な感覚」】をご理解いただきたかったからなんです。

とりわけ、現代のアメリカにおける道徳的な側面での【「リベラル」】を考える場合には、【この前提を押さえておく必要がある】と思います。

ご存じのように【アメリカ】はもともと、【敬虔(けいけん)なプロテスタントの集団が建国した国】です。つまり、あえて、わかりやすく表現するなら、『春の雪』に衝撃を受けた私のように、【キリスト教の戒律を重んじ、「正しい原則」を守ろうとする人々がつくった国】だということです。…
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆アメリカの「リベラル」、という新興宗教

今でも、【アメリカで「保守派(コンサーバティブ)」といわれる人たち】の多くは、【そのような人々】です。そこがしっかり見えていないと、アメリカの社会のことも、歴史も、そして政治のことも、おそらく十分には理解できないでしょう。

【「リベラル」】と呼ばれる人たちは、そのような「宗教的な正しい原則」の合理性や正当性に疑問を持ち、場合によっては【宗教そのものを否定】し、【それに基づく生き方から解放される「自由」を求める人たち】であるように私は思います。つまり、【リベラル派】は、【従来の宗教的な戒律や「正しい原則」に基づく生活を否定】し、それに対するアンチテーゼとして、【自由気ままな生き方を「アピール」】しているわけです。…

1970年代に【「ヒッピー」と呼ばれた人たち】が、【まさにそれ】でした。

あえて乱暴な言葉を使えば、そのような生き方は、【相当無責任な、子供じみた「わがまま」】にすぎないように私には思えてならないのですが…。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、昨今、自称「リベラル」の「パヨク」が、自分たちがこれまで「盲信」してきたアイデンティティに疑問を持ち始め、思想混乱に陥り始めている状況にあり、終には「嫌われ恐怖症」の症状が顕著に現れ始めているわけですが、ここまでに至った理由は、「歴史と宗教の流れ」を理解することでハッキリと分かるようになるのですが、本書は、その理解を手助けしてくださる良書になります。

さて、本文中に書かれていましたように、著者は、三島由紀夫の『春の雪』を読んで、キリスト教徒として衝撃を受けられたわけですが、「啓典宗教」であるキリスト教の最高教典である「啓典」、つまり『福音書』に書かれている「戒律」に、「主人公の松枝清顕(まつがえきよあき)という人物の考え方や態度」が、反していると感じられたからです。
その『春の雪』のあらすじは、こんな感じ(↓)になります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 時代は明治末から1914年(大正3年)早春まで。
勲功華族たる松枝侯爵の令息・松枝清顕(まつがえきよあき)は、出生時から貴族であることが約束され何不自由ない生活を送っていたが、流れるままの生活に何か蟠(わだかま)りを抱えていた。清顕は幼い頃に、堂上(とうしょう)華族の綾倉家に預けられていた。本物の華族の優雅を身につけさせようという父の意向であった。
綾倉家の一人娘・綾倉聡子(あやくらさとこ)は清顕より2歳年上で何をやっても優れた優雅な令嬢である。そんな幼馴染の聡子は初恋のようでもあり、姉弟のように育てられた特別な存在であったが、自尊心の強い繊細な18歳の清顕にとって聡子は、うとましくも感じられる複雑な存在であった。聡子もいつからか清顕を恋い慕うようになっていたが、清顕は些細なことで聡子に子供扱いされたと思い、自尊心を傷つけられ、突き放したような態度をとるようになる。聡子は失望して洞院宮治典王殿下(とういんのみやはるのりおうでんか)と婚約するが、清顕は、父が聡子の縁談話を話題にしても、早く嫁に行った方がよいという冷めた態度であった。しかし聡子は、清顕の想像を超えて清顕のことを深く愛していたのである。
いよいよ、洞院宮治典王殿下との婚姻の勅許が発せられた。清顕の中でにわかに聡子への恋情が高まってくる。皇族の婚約者となったことで聡子との恋が禁断と化したことから、日常生活からの脱却を夢見る清顕は、聡子付きの女中・蓼科(たでしな)を脅迫し、聡子と逢瀬を重ねることを要求し、聡子もこれを受け入れる。親友・本多繁邦(ほんだしげくに)の協力もあり密会は重ねられ、聡子は妊娠してしまう。中絶を聡子から拒否された蓼科が自殺未遂したことにより、清顕と聡子の関係が両家に知れ渡った。聡子は大阪の松枝侯爵の知り合いの医師の元で堕胎をさせられ、そのまま奈良の門跡寺院「月修寺」で自ら髪を下ろし出家する。洞院宮治典王殿下との婚姻は聡子の精神疾患を理由に取り下げを願い出た。
清顕は聡子に一目会おうと春の雪の降る2月26日に月修寺に行くが門前払いで会えない。なおも清顕は聡子との面会を希望するが、聡子は拒絶する。そして、雪中で待ち続けたことが原因で肺炎をこじらせ、20歳の若さで亡くなる直前に、清顕は親友・本多繁邦に、「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言い、転生しての再会を約束する。」
最後のところで「転生」という言葉が出てきていますが、三島由紀夫の最後の長編小説である『豊饒の海』は、「仏教」の「哲学」を下敷きとして描かれている書物になります。

続く第二巻である『奔馬(ほんば)』のあらすじは、こんな感じ(↓)になります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 時代は1932年(昭和7年)5月から1933年(昭和8年)年末まで。
聡子(さとこ)と最後に会うことなく清顕(きよあき)が死んでから18年。彼の親友であった38歳の本多繁邦(ほんだしげくに)は、大阪控訴院(高等裁判所に相当)判事になっていた。6月16日、本多は頼まれて見に行った大神神社(おおみわじんじゃ)の剣道試合で、竹刀の構えに乱れのない一人の若者に目がとまった。彼は飯沼勲(いいぬまいさお)という名で、かつて清顕付きの書生だった飯沼茂之の息子で18歳だった。試合後、本多は宮司の特別な許可を得て、禰宜(ねぎ)の案内で禁足地の三輪山(みわやま)山頂の磐座(いわくら)へ参拝する。摂社の狭井(さい)神社でお祓いを済ませた後,御山の登り口にて野生の笹百合を見て、率川(いさがわ)神社の三枝祭(さいくさのまつり)を想起する。山頂の奥津磐座(おきついわくら)と高宮神社に至る禁足地の山中で三光の滝で勲に出くわし、彼の脇腹に清顕と同じく3つの黒子があるのを発見する。本多は死に際の清顕の言葉を思い出し慄然とする。翌日の三枝祭の巫女の舞と百合を前に「これほど美しい神事は見たことがなかった。」という思いと前日の剣道の試合との混淆を体験するに至る。
本多は勲から、愛読しているという『神風連史話』を渡される。勲はその精神を以て有志達と「純粋な結社」を結成、決死の何事かを成し遂げようとしていた。勲は政界財界華族の腐敗を憤り、仲間と共に剣によってこの国を浄化しようと考えていたのだった。陸軍の堀中尉とも近づき、洞院宮治典王殿下(とういんのみやはるのりおうでんか)にも謁見した。軍の協力に期待がもて仲間も増えるが、勲は、父の主宰する右翼塾「靖献塾」にいる佐和から、財界の黒幕・蔵原武介だけはやめろと忠告される。塾が蔵原絡みの金で経営されているのをほのめかされ、勲は自分の純粋の行為の目的が汚されたと感じる。佐和は、蔵原は自分が退塾して刺すか、もし勲がやるならば自分も同志に入れてくれと言う。自分が加われば塾に傷がつかず上手くやれると言うが、勲は何も計画していないと嘘で切り抜ける。
本多は勲の父・飯沼に誘われ山梨県梁川での錬成会にやって来たが、そこで勲の荒魂を鎮めようとする白衣の男たちを見る。勲は、「お前は荒ぶる神だ。それにちがひない」と父に言われる。そして、その光景は清顕の夢日記に描かれていた光景そのものだった。本多は勲が清顕の生まれ変わりであるという確信を深める。
堀中尉が満州へ転属になり、勲の仲間は減るが、財界要人の刺殺計画は佐和を同志に加え秘密裡に練られていた。ところがどこからか計画は漏れ、勲たちは実行前に逮捕されてしまう。本多は急遽、判事を辞して弁護士となり勲を救う決意をする。本多の弁護により、勲たちは1年近い裁判の末、刑を免除するという判決を受けて釈放される。勲は警察へ密告したのが父だったと知っても驚かないが、父に知らせたのが恋人の鬼頭槇子だと佐和から聞かされて茫然とする。酔った勲が、うわ言で「ずつと南だ。ずつと暑い。……南の国の薔薇の光りの中で。……」と言うのを本多は聞く。
12月15日、蔵原武介は伊勢に遊んで松阪牛を喰べた翌朝、知事と共に伊勢神宮内宮を参拝する。玉串と二脚の床几が用意され別格の扱いを受けるが、玉串を尻に敷く瀆神(とくしん)を犯したことを勲は知る。12月29日、勲は姿をくらまし、短刀を携えて伊豆山に向かう。そして、蔵原の別荘に忍び込み「伊勢神宮で犯した不敬の神罰を受けろ」と言い殺害する。追手を逃れ、勲は夜の海を前にした崖で鮮烈な切腹自決を遂げる。第二巻は「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕(かくやく)と昇った。」と締めくくられる。」
続く第三巻である『暁の寺』のあらすじは、こんな感じ(↓)になります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 第一部 : 時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)まで。
47歳の本多は訴訟の仕事で、かつて清顕(きよあき)と親交のあったシャム(タイ)の王子と、そのいとこの故郷であるバンコクに来ていた。そこで彼は、日本人の生まれ変わりであると主張する7歳の王女・月光姫(ジン・ジャン)と出会う。月光姫は本多を見ると懐かしがり、黙って死んだお詫びがしたいと言った。彼女は勲(いさお)が逮捕された日付も、清顕と松枝(まつがえ)邸の庭園で門跡に会った年月も正確に答え、明らかに生まれ変わりを証明していたが、後日の姫とのピクニックでは、脇腹に黒子はなかった。それから本多はインドへ旅行し、そこで深遠な体験をする。そして、インドの土産を月光姫に献上し、本多にすがって泣く姫との別れを惜しみながら日本へ帰国する。帰国2、3日後、日本とアメリカとの戦争が始まる。
インドの体験と親友の生まれ変わりに触発され、仏教の輪廻転生、唯識(ゆいしき)の世界にも足を踏み入れた本多は、戦争中、様々な宗教書を読みあさり研究に没頭する。ある日、仕事の用件のついでに松枝邸跡に足をのばしてみると、そこは焼跡になっていたが、偶然にも老いさらばえた蓼科(たでしな)に会う。本多は聡子(さとこ)に会いたいと思ったが戦局のきびしさでままならなかった。
第二部 : 時代は終戦後の1952年(昭和27年)と、15年後の1967年(昭和42年)。
58歳の本多は戦後、土地所有権を巡る裁判の弁護の成功報酬で多額の金を得て、富士の見える御殿場に土地を買い別荘を建てた。隣人には久松慶子という50歳前の有閑婦人がいて、本多の友人となる。別荘の客には他に、かつて勲と恋仲であり、勲の計画を父・飯沼へ密告した歌人・鬼頭槙子や、その弟子・椿原夫人、ドイツ文学者・今西康らがいた。しかし、本多が一番待ち望んでいた客は日本に留学して来た18歳のジン・ジャンであった。
5年前の1947年(昭和22年)に本多は、皇族の籍を失った洞院宮治典王(とういんのみやはるのりおう)が開業した骨董屋で、かつて学習院の寮でシャム(タイ)の王子・ジャオ・ピーが紛失した初代・月光姫の形見の指環を発見して買い取り持っていた。これを日本に留学している二代目の月光姫(ジン・ジャン)に渡すため、本多は別荘に彼女を招くが、その日、姫は来ず、十日以上経って漸く東京で会うことができた。幼い時、勲の生まれ変わりだと主張していたことを何も憶えていないとジン・ジャンは言う。美しく官能的に成長した姫に本多は魅了され、年齢不相応の恋心を抱く。そして、ジン・ジャンに執心し翻弄され、別荘のプールに招いた彼女の脇腹に黒子が無いことを確かめた。その夜、本多は別荘の部屋に泊まったジン・ジャンを覗き穴から覗くが、そこに見たものは、慶子と裸で抱き合う同性愛(レズビアン)行為の最中の光景だった。そして、その脇腹には3つの黒子があった。驚いていたのもつかの間、やがて別荘が火事になり、別の部屋に泊まっていた今西と椿原夫人が死亡してしまう。帰国したジン・ジャンもその後、消息を絶ってしまった。
15年後の1967年(昭和42年)、73歳の本多は米国大使館に招かれ、その晩餐会の席上でジン・ジャンにそっくりの夫人に会う。その夫人はジン・ジャンの双生児の姉であり、妹は20歳の時に庭でコブラに腿を噛まれ死んだと本多に告げる。」
ここで再び「仏教」に関係する輪廻転生、唯識(ゆいしき)という言葉が出てきました。

そして最終巻、その入稿日に三島由紀夫は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、壮絶な割腹自殺をしたわけですが、『天人五衰(てんにんのごすい)』のあらすじは、こんな感じ(↓)になります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 時代は1970年(昭和45年)から1975年(昭和50年)夏まで。
76歳となった本多はすでに妻を亡くし、67歳の久松慶子と気ままな旅をしたりして暮していた。本多は、天人伝説の伝わる三保の松原に行った折、ふと立ち寄った清水港の帝国信号通信所で、そこで働く聡明な16歳の少年・安永透に出会う。彼の左の脇腹には3つの黒子があった。本多は透を清顕(きよあき)の生まれ変わりでないかと考え、養子にする。そして英才教育や世間一般の実務マナーを施し、清顕や勲(いさお)のような夭折(ようせつ)者にならないように教育する。しかし本多は、透の自意識の構造が自分とそっくりなのを感じ、本物の転生者ではないような気もした。透は次第に悪魔的になっていき、養父・本多が決めた婚約者の百子を陥れて婚約破棄にする。東大に入学してからは80歳の本多にも危害を加えるようになった。
透に虐待されるストレスから本多は、20年以上やっていなかった公園でのアベック覗き見を再びしてしまい、警察に取り押さえられ、その醜聞が週刊誌沙汰になる。これを機に透は、本多を準禁治産者にしようと追い込み、自分が本多家の新しい当主として君臨しようと企む。見かねた久松慶子が透を呼び出した。そして、本多が透を養子にした根拠の3つの黒子にまつわる転生の話をし、あなたは真っ赤な贋物だとなじる。慶子は、あなたがなれるのは陰気な相続人だけと透を喝破する。自尊心を激しく傷つけられた透は、本多から清顕の夢日記を借りて読んだ後、12月28日に夢日記を焼いて服毒自殺を図り、未遂に終わったものの失明してしまう。21歳の誕生日の数か月前のことだった。事情を知った本多は慶子と絶交した。
翌年の3月20日の21歳の誕生日を過ぎたが、透は大学をやめ、点字を学んで穏やかに暮らしていた。性格は一変し、狂女・絹江と結婚して彼女のなすがままに、頭に花を飾って天人五衰(てんにんのごすい)のようになっていた。やがて、絹江に妊娠の兆候が現れた。一方、本多は自分の死期を悟り、60年ぶりに奈良の月修寺へ、尼僧門跡となった聡子(さとこ)を訪ねるのであった。だが、門跡になった聡子は、清顕という人は知らないと言う。門跡と御附弟は本多を縁先に導く。夏の日ざかりのしんとした庭を前にし、本多は何もないところへ来てしまったと感じる。」
さて、さきほど、三島由紀夫の最後の長編小説である『豊饒の海』は、「仏教」の「哲学」を下敷きとして描かれている書物だと書かせて頂きましたが、ここまでのあらすじをご覧頂くと、実は、それだけでも「仏教」の「哲学」を下敷きとして描かれている書物であることが理解できるはず、なのですが、みなさんは、如何でございましたでしょうか?

現代の私たち日本人の多くが、そうであると思われるのですが、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」に代表されるような単なる呪文(=念仏)を唱えれば成仏できる、といった解釈は、本来の仏教ではありません。

本来の仏教を知るためには、まず、理解しなければならない大前提が、「色不異空、空不異色」であり、「色即是空、空即是色」です。
つまり「空(くう)」を理解することが、何よりもの近道になります。

本来の仏教が唱える「空(くう)」という論理は、すべては「仮説」に過ぎません、すべては「関係」に過ぎません、ですから、実在するものなんて何もありません、というのがその核心で、だからこそ、「仏(ほとけ)さえもいない」という結論に至るのが、本来の仏教の「凄いところ」です。

詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆本来の仏教からは、完全に逸脱している「般若心経」

で、そんな外来の「仏教」を、私たちの日本に取り込んだ「偉大なる思想家」が、「聖徳太子」です。

聖徳太子
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆実は、「仲間ハズレ」だった日本国憲法

と、ここまで好き勝手に書かせて頂きましたが、一体何が言いたいのか?という疑問を抱かれる方々も多いのではないかとも思いますので、そこで、本来の仏教が唱える「空(くう)」という論理を知るための問題を、ここで一つ、挙げさせて頂きたいと思います。
(問) 「自分」というものは何か、また、「自分」というものが存在するのか、答えよ。

続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキング

- 関連記事
-
- アメリカで奴隷解放を含む「人種差別撤廃に熱心だった」のが「共和党」です!! アメリカ民主党の「ナチス・アメリカ」と「ナチス・ドイツ」との共通点 (2019/01/23)
- 歴史を修正しても困らない人、歴史を修正されると困ってしまう人 (2019/01/22)
- フリアン・カストロと「チカーノ(Chicano)」と共産主義 ~ 2020年米大統領選挙の予備知識 (2019/01/21)
- 「ゴミはゴミ箱へ」 ~ 社会主義もゴミ箱へ捨てましょう (2018/11/01)
- スティーブン・バノンの失脚、その背後で蠢く「ユダヤ人」 (2018/10/31)
- アリさんもハチさんも知っているのが『多数決』 ~ それを知らない「左翼リベラル」 (2018/10/30)
- アメリカの「本物のリベラル」と「偽物のリベラル」の違い (2018/07/28)
- 三島由紀夫の『豊饒の海』を敬虔なキリスト教徒が読むと。。。 (2018/07/27)
- リベラルって何? どういう意味? ~ 日本における「リベラル」という言葉の定義 (2018/07/26)
- 左翼リベラルの連中が、積極的に実践している「多形倒錯(“polymorphous perverse”)」って何? (2018/03/21)
- なぜか似ている。。。香山リカとBAMNのイヴェット・フェラルカ (2018/03/20)
- ダイバーシティ(Diversity)の意味を、勘違いしてしまう日本人 (2018/03/19)
- 日本のサイレント・マジョリティ 『安倍ちゃん、頑張れ! 朝日は嫌い! 関西生コン・連帯ユニオン、怖い、怖い(笑)』 (2018/03/18)
- 現代アメリカの「タブー」 (2017/10/04)
- モボ・モガは、アメリカの単なる模倣です (2017/10/03)