2018-07-20 (Fri)

唯物史観(ゆいぶつしかん)は、「唯物論的歴史観」の略であり、史的唯物論(ドイツ語: Historischer Materialismus)と同義である。19世紀にカール・マルクスの唱えた歴史観である。その内容は、人間社会にも自然と同様に客観的な法則が存在しており、無階級社会から階級社会へ、階級社会から無階級社会へと、生産力の発展に照応して生産関係が移行していくとする歴史発展観である。
第二次世界大戦後の日本の歴史学者に強い影響を及ぼし、多くの歴史教科書等に反映されている。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 平成四(1992)、【三内丸山遺跡】(さんないまるやまいせき/青森県青森市)の発掘調査が本格的に開始され、【十棟以上の大型竪穴(たてあな)住居、約七百八十軒の一般的な竪穴住居】が発見されました。また平成六(1994)年には【祭祀用の大型建築物】の存在を示す直径1メートルの6本の栗の木の柱の跡が見つかり大きなニュースになりました。この発見が一つのきっかけとなり、【旧石器時代・新石器時代】、そして【縄文・弥生時代】を【歴史の時代として考える見方が出てくる】ようになりました。
【進化論の見方】では、【石器時代】は【原始時代と考え】られていました。また【マルクス主義】は、その時代を【原始共産制】という【妙な考え方】によって理想的な平等社会のように捉えました。

しかし、【進化論的な見方】や【イデオロギー的な見方】ではない【新しい歴史の見方】が、いま【考古学の発見によって登場】してきています。【これは戦前にはなかったこと】です。…

これをどのように描画するかというのが今日の問題です。【20世紀までの日本】は、【そういう発見を否定的・批判的】に見ていました。しかし、これからは【事実を肯定的に】見て歴史の中に豊かに【取り入れ】ていかなくてはなりません。

なぜならば、そこに見られる【精神性が重要】になってくるからです。今回、【旧石器時代】の遺跡の発見から【日本国史】について述べるのも、どこにどんな遺跡があったかが重要なのではなく、【なぜ日本という国に旧石器時代の遺跡があるのか】が【問題】だからです。

アフリカで人類が発生したことは考古学的な事実であり、20世紀の重要な発見でした。これは否定できません。そうした事実を踏まえて、【なぜ日本に旧石器時代の遺跡がたくさん残っているのか】を考えてみたいのです。

【日本列島】にある【旧石器時代の遺跡(主に3万~1万年前の後期旧石器時代の遺跡)】は日本旧石器学会による2010年の集計で【1万150遺跡】とされています。

一方、【朝鮮半島】では旧石器時代の遺跡発掘は【50程度】にとどまるといいます。

これは【いかに当時、日本列島に人口が集中していたかを示しています】。
日本の旧石器時代の発掘調査は【岩宿(いわじゅく)遺跡】の発見からはじまっています。岩宿遺跡があるのは【群馬県みどり市】です。【関東で発見されたということが非常に重要な意味】をもっています。…
岩宿遺跡だけではなく【登呂(とろ)遺跡】(静岡県静岡市)や【休場(やすみば)遺跡】(静岡県沼津市)、【野尻湖遺跡】(長野県上水内郡信濃町)、浜北人(はまきたじん)で知られる【根堅(ねがた)遺跡】(静岡県浜松市)のような旧石器時代の遺跡が【関東中部で多数】見つかっています。

このあたりから【日本における関東の歴史的あるいは精神的・宗教的な位置づけ】が見えてきます。つまり、九州をはじめとする【日本の西半分】には【旧石器時代の遺跡は非常に少なく】、【東半分に多い】ということなのです。この傾向は縄文遺跡について見るとさらに明かになります。

ここからわかるのは、【旧石器時代】に【日本にやって来た人たち】は【太陽を求めてやって来た】ということです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、文字記録が今までのところ確認されていない旧石器時代から、世界最古の文明である私たち日本の国史を、「唯物論的歴史観」という西欧独特の誤った歴史観で観るのではなく、本来の正しい日本の国史のあり方を提示されている良書となります。

さて、「唯物論的歴史観」という西欧独特の誤った歴史観で無理矢理に、私たちの日本の国史を語ろうとする連中が未だに多く存在していますが、「唯物論的歴史観」というものは、そもそも「ユダヤ教」と「キリスト教」という「宗教」が無ければ存在しません。「マルクス主義」そのものが「新興宗教」だったと理解されつつあるのが、現在の世界的な流れです。

古代のイスラエルにおいて、文字も読めない貧民であったイエスは、既存の「ユダヤ教」や「ローマ帝国」に対する反抗をしたテロリストです。
『 ローマ人がエルサレムを征服(紀元前63年)してわずか数年で、土地のない小作人はみな、所有財産のすべてを剥奪され、自分も家族も暮らしをたてる手段がなくなった…土地を奪われた農家と土地所有者の一部が鋤を剣にもち替えて、自分たちを苦境に追い込んだと思われる人々に対して戦い始めた…農民戦士たちはユダヤ人貴族と古代ローマ共和国の代理人たちに対して、次々と攻撃を仕掛けた。彼らはあちこちを放浪しながら、自分たちと同じように何もかも失って借金でがんじがらめになって困っている人々を集めた。彼らは…裕福な人々から盗み、折に触れて、貧しい人々に与えた。忠実な信徒(ユダヤ教信徒)には…彼らは英雄だった。ローマ人は彼らを「レーステース」という別の言葉で呼んだ。「レーステース」とは、ローマ人もしくはそのユダヤ人協力者に対して武装抗争を働く反徒、もしくは反乱煽動者の総称だった。…この民衆煽動家たちは、のちにローマの占領に反対する民族主義者の抵抗運動に発展する前の最初の兆しを象徴するものだった。
十字架刑は、当時のローマ帝国が反政府的煽動罪にだけ適用していた処罰法だった…十字架に架けられた罪人はみな、…特定の罪状を表す小板を頭の上に貼られる…ローマ人から見たイエスの罪は…反逆罪で、当時の他のメシア的抱負をもつ者もみな、同罪で処刑された。
死んだのはイエス一人だけではなかったのだ。…イエスの両脇に同じように十字架に架けられた男たちには、ギリシャ語で「レーステース」という小板が掲げられていた。…実際の意味は暴徒のことで、ローマ人の通念では暴動の煽動者もしくは反徒を意味する。』

『磔刑図』 アンドレア・マンテーニャ
詳しくはこちらをご参照💛
↓

西欧における歴史というものは、常に「戦争」があって、その結果、「支配する側」と「支配される側」の関係が成立します。
それを学ぶのに最適なのが「イギリス」の歴史です。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「ドイツ語」と「フランス語」が混じってできたのが「英語」なんです

☆イギリスの「大蔵省」と「財務省」

西欧の歴史の中で「支配する側」にいたのが、「王様」、「貴族」、「教会(聖職者)」で、その他大勢は「支配される側」にいて「家畜同然」の状況でした。「ユダヤ教」や「キリスト教」が唱えるところの、「神が与え給うたモノ」でしかなかったわけです。
その後の西欧の歴史も、同じ流れでしかなく、
「宗教改革」は、カトリックの支配に対する抵抗者(=プロテスタント)の暴力であり、
「市民革命」は、王様・貴族の支配に対する中間層(=市民、ブルジョワジー)の暴力であり、
「共産主義革命」は、資本家(=ブルジョワジー)に対する労働者(=プロレタリアート)の暴力、
という構図になっています。
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「宗教改革」、「市民革命」、「共産主義革命」に共通するのが「暴力の容認」です

現代で例えれば、「LGBT」をあたかも弱者のような捉え方をして、「扇動」している「左翼リベラル」なんかも、「ユダヤ教」と「キリスト教」を根幹とする西欧の歴史の単なる延長でしかないわけです。

飽きもせず、同じことを繰り返しているのですが、重要な点は、「扇動」する対象が、どんどん「少数派」となってしまっているため、何ら社会に対して影響力を行使できなくなりつつあり、一方で、そういった「左翼リベラル」なんかの「扇動」に対して、大多数の平和や安定を望む人々が、疑念を持つようになり、現在、世界中で「リベラル」が死滅しつつある、というところです。

で、ここまでに見てきたような「唯物論的歴史観」という西欧独特の誤った歴史観を、私たち日本の国史に無理矢理に当てはめようとすると、例えば、「一揆(いっき)」について、とんでもない誤解をすることになります。

『 一揆という言葉からは、大勢の人間がより集まって共に行動する様を想像しがちである。これは一揆を「階級闘争」として思い入れたっぷりに評価してきた歴史学界の研究姿勢と無縁ではない。革命や暴動のイメージで一揆を捉えようとすると、大規模で派手な武力闘争だけに目が行ってしまう。多くの人間が集まらなければ一揆ではない、ということになる。
だが、実は一揆とは、あの織田信長をさんざんに苦しめた一向一揆のような巨大なものばかりではない。たった二人しかいなくても一揆は結べるのだ。一揆の本質は体制を倒す実力行動ではなく、人と人とをつなぐ紐帯にあると私が主張するゆえんである。…』
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「古代」がある国々、「古代」がない国々

私たち日本の国史を、正しく学び直すためにも、本書をご一読いただければ、と思います。恐らくは、学校の授業で学び、試験のためだけに「暗記」した事柄について、本当の意味を理解できるようになり、数々の驚きを得られるはずですよ💛
続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

- 関連記事
-
- 女性が圧倒的に足りなかった「江戸」で生まれた「イノベーション」 (2018/08/22)
- 教科書に書かれていたウソ ~ 「士農工商」 (2018/08/21)
- 何故、「武蔵」を「むさし」と読むのでしょうか? ~ 都内で唯一存在する「温泉郷」 (2018/08/20)
- 今から1000年ほど前の日本って、どんな感じ? (2018/08/03)
- 『古事記』が語りつぐ恋愛叙事詩 (2018/08/02)
- 「欠史八代」という「文系アタマ」ならではの、どうしようもなく愚かな珍説 (2018/07/22)
- 昔話が語り継ぐ、私たち日本の国史 (2018/07/21)
- 「唯物論的歴史観」という西欧独特の誤った歴史観 (2018/07/20)
- 女性なしで歴史は語れない! ~ ヤマトタケルと浦賀水道 (2018/06/07)
- 東西南北の「東」を「あずま」と呼ぶ理由 (2018/06/06)
- 『古事記』と『日本書紀』の記述が異なっている理由 (2018/06/01)
- パヨク脳の池上彰が知らない、日本の伝説的英雄「ヤマトタケル」 (2018/05/31)
- 百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群と、日本の英雄・ヤマトタケル (2018/05/30)
- 「関東」って、もともとは何処のことだったでしょうか? (2018/04/19)
- 西の出雲を平定した、東の「日高見国」 (2018/04/18)