2018-07-03 (Tue)

18世紀に描かれたサント=ジュヌヴィエーヴ修道院
サント=ジュヌヴィエーヴ修道院 (Abbaye Sainte-Geneviève de Paris)は、かつてフランス、パリにあったカトリック教会の修道院。フランス革命によりほとんどが破壊され、修道院を形成していた建物の一部は、現在アンリ4世高等学校の校舎となっている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 倉山 : ちなみに【戦前の日本の教育システムはヨーロッパ型】でした。

【中学と高校の差が大きく、両者は別世界】でした。今の日本の大学1~2年生の教養課程のようなことを高校から始めたのです。そのため、【科目構成】が【現代日本とはだいぶ違います】。

フランスのアンリ四世高校にしてもイギリスのイートン校にしても、そこから将来エリートになる人間を育てるということなので、【高校から高等教育】なのです。

クロヴィス塔(アンリ四世高校)
はすみ : 高校って【〈高等〉学校】ですもんね。
倉山 : 本来は(笑)。
ところが、【戦後はアメリカ型の教育システムに移行】しました。【小中高が初等教育】で【大学からが高等教育】。

今の高校は中学の延長であり、かつ、大学入試の準備機関。だから【高校と大学の間に深い溝】があります。小中高大のうち【一番ダメなのが高校】です。大学入試のための【受験勉強をしているだけ】。

【アメリカ】は【人工国家】だから【高校まで愛国心を教え】て【アメリカ国民にします】。それも【「ポリティカル・コレクトネス」で怪しくなっています】けど、一応、そういう建前です。一方、【日本】の場合は、【高校まで初等教育をやっていて、愛国心を育てない】わけですよ。

はすみ : なんのためにというところですね。
倉山 : 理由は簡単で、【白痴化するため】。
はすみ : くわっ。
倉山 : 中高一貫校を増やそうという動きがありますが、【やらなければならない】のは、【むしろ高大一貫】です。ところが、早稲田、慶應、中央、法政、立教、明治、どこも高校と大学がつながっていない。

はすみ : そう言われてみればそうですよね。
倉山 : 全学、【罪が重い】ですよ。【高校と大学がある学校法人は高大一貫に取り組むべき】です。
【帝国大学】は【旧制高校と一体だった】のです。【戦前の大卒】は【今でいう大学院卒業生に相当】します。

卒業時に26~27歳。人生50年時代ですから、【大卒には相当の権威】がありました。一方、一橋大学や神戸大学は、その昔、それぞれ東京商科大学・神戸商業大学といい、専門家養成学校でした。そのほか私立にもそれぞれ特色がありました。慶應は財界人になりたい人。早稲田は政治家かジャーナリストになりたい人が入学しました。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本のためにならないことをやり続けている「パヨク」の個人や企業・組織等を、本気で抹殺するために、それらの連中が本当に嫌がる「disり方」を、抱腹絶倒の対談形式でテンポ良く紹介されている良書となります。ぜひ、数多くの皆さんにも楽しんで頂きたい、お勧めの書物です❤

さて、本文からもご理解頂けます通り、戦後に作られ、現在にまで至っている私たちの日本の教育制度というものは、それを統括している三流官庁と呼ばれる文部科学省を見ても分かりますように、高校から歪な教育へと変質していて、さらに大学は、果たして、その価値があるのかどうかさえ疑わしくなってしまっている状況にあります。特に「文系」については、多くの方々が疑問を持たれているのではないでしょうか?


そもそも日本は、現在でも、初等教育のところは、上手くいっているんです。それがおかしなことになってくるのが、中学生以降になります。

『 なぜ日本人は、一瞬でおつりの計算ができるのか。この疑問に一言で答えるなら、初等教育が優れているからだと言える。
日本の初等教育は素晴らしい。これは自信を持って言える。すでに最初の1年間で、あんな小さな子供たちの頭の中に、50の平仮名と、50の片仮名と、80の漢字を、あとで取り出して使用することが可能なように整然と、しかも無理なく詰め込んでしまうのだから、こんなすごいことはない。
ドイツの小学1年生は、たった30足らずのアルファベットに1年を費やし、それでもまだ読めない子がいる。ちなみに日本の子供が小学校6年のあいだに習う漢字は1006字。ドイツ人が聞けば腰を抜かす。
一方、算数も、日本の1年生は100まで習うが、ドイツでは20までだ。7歳の子供の能力に、それほどの違いがあるとは思えない。この差を生み出すものは何だろう?義務教育を終えた時点での日本人の学力は、おそらく世界で1、2を争うレベルに違いない。
ただ、日本の教育は良いところばかりでもない。確かに高性能のエンジンを搭載したはずの日本の子供なのに、成長してから他の国々の人たちとスタートラインに並ぶと、なぜか見劣りしてしまうことが多い。・・・
つまり、日本では、素晴らしい初等教育の、そのあとがうまく続いていない場合が多い。どうも成長戦略に不備があるのではないかと、私が懸念する所以である。…』
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆ヒトラーのナチスとスタバ ~ 「中独合作」って何?

『 教育は社会の鏡だ。男女平等が機能している社会では、教育も男女平等で、そこから男女平等の理想がさらに確実に広がっていく。また、貧富や階級差のない社会ほど、すべての子供が一緒に受ける初等教育の期間が長く、その内容も充実している。貧富の差は、学力に正比例する。
幸運なことに日本では、遥か昔の江戸時代から、多くの子供たちが手習指南書(関西では寺子屋)で“読み、書き、そろばん”を習っていた。学力と貧富の差格差が、伝統的にとても小さい。つまり、教育という分野においてとてもラッキーな立ち位置にいる。
江戸時代、日本には士農工商という身分の差があった。しかし、そんなものは、ヨーロッパの王侯貴族と民衆の隔絶に比べれば、ほとんど無きに等しい。日本では、高貴な人々は皇室だけで、あとは武士であっても、商人であっても、また、僧侶であっても、お百姓であっても、基本的にはそれほど変わらなかった。
将軍が、ヨーロッパ野王侯貴族のように、キンキラの宝石に包まれて、贅(ぜい)の限りを尽くしていたということもなく、各藩の殿様もまた、毎日豪勢な物を食していたわけではない。
それどころか、武士も農民も、それぞれの分野で、それなりに精進し、頭を使い、自分たちに与えられた課題の実現のために努力してきた。そして、ここが大切なのだが、皆が“読み、書き、そろばん”の大切さを知っていて、しかも、それが特権階級だけのものではなかった。そのうえ、少なくとも国民皆が身分の差を超えて、互いにちゃんと人間として認識し合っていたのである。
ところが、ヨーロッパでは違う。王侯貴族と民衆の間には、途轍もない隔たりがあった。王侯貴族と民衆が接する機会はなく、もちろん心のつながりもなく、民を思う貴族はいなかった。民衆は貴族にとって、税金を搾り取る対象ではあったが、彼らが人間として認識されていたかどうかはつとに怪しい。
ヨーロッパの僧侶はさらに悪辣(あくらつ)で、民衆の搾取に関しては、貴族に決して劣らなかった。特に高位聖職者になると、王侯貴族並みの贅沢をし、王侯貴族並みの数の愛人を囲っていた。貴族と聖職者には、納税の義務はなかった。
18世紀の後半、フランス革命の前夜、貴族と聖職者という特権階級の人間を養い、さらに教会に掛かる莫大な経費を支えていたのが民衆だった。民衆の8割は農民で、彼らは重い年貢だけではなく、地代、塩税、人頭税、賦役(ふえき)労働を課せられ、そのうえ、水車や竈(かまど)の使用料まで請求された。貴族は、裁判権や狩猟権をすべて独占しており、何があっても安泰だったが、農民は、翌年蒔(ま)く種を残すと、自分たちが食べる物にも事欠いた。フランス革命は、起きるべくして起きたものである。それに比べて幕末の日本では、階級闘争は起こらなかった。
農民が苦しんだのはもちろんフランスだけではなく、ドイツなどアルプスの北でも同様だ。日本と違い、北の国々の冬は厳しい。東欧やロシアはもっと厳しい。地面が凍(い)てつき、何の作物も採れない期間が延々と続く。農民の子供たちが学校に行くなどということは、長いあいだアイデアさえなかった。イギリスでも、労働者の子供には学校教育は不要とされ、19世紀中頃のイギリス最盛期ヴィクトリア朝時代でさえ、自分の名前も書けない人が男性で3割以上、女性で5割ほどいた。読み書きができない人はそれ以上いたであろうことは想像に難くない。つまり、教育は長いあいだ、特権階級の子供のためのものだったのだ。』
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆イケマキ・・・が負けたワケ ~ 西穂波と義務教育

御覧のように、上手くいっている初等教育を受けた子供たちを、次第に劣化させる役割を担っているのが、いわゆる「デモシカ」と呼ばれる教職員どもで、

詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆「デモシカ」って、なぁ~んだ?

特に「数学の論理」をまるで理解できない「文系アタマ」の「パヨク教職員」になります。

そして、本文中にも書かれていましたように、義務教育を終えた後の現在の「高校」が、単なる受験準備のためだけの「受験生養成場」と化してしまったということが非常に危惧される問題点になります。
それも、「数学の論理」をまるで理解できない「文系アタマ」の大量生産になってしまっています(笑)

『 我が国では、第二次大戦前、科学の振興のために特に数学が重視されるようになり、理科、特に「数学が教育の中枢」となった。
この傾向は戦後も残り、この事が敗戦の痛手を乗り越えて、高度成長を可能とし、死灰(しかい)の中から見事に復興をとげ、日本は経済大国となった。
しかし、戦後の「お受験教育」に依る「面白くない数学」が長く続き、こんどは一転して逆に「ゆとり教育」指向に因(よ)って、歪曲(わいきょく)され、終(つい)に日本の青少年の数学力が、みるみる低下する傾向に拍車をかけることとなった。
日本人が数学力を失ったらどうなるか?
経済成長は停滞し、国防すら危うくなる事は間違いない。
「数学には馴染みが薄い」「なんとかやろうとしたが、出来なかった」と言う人が多く、「数学とは何か」という本質(論理)を知らない人が急増している。
やがては表面化する、戦後教育の弊害を見越して、約四半世紀前に「数学」を使わないで、数学の講義をしてみたのが、この本である。
「数学を使わない」とは、計算だとか、補助線を引くなどの「技巧」を使わないということである。
技巧を駆使しなくても、数学の本質(論理)を理解することによって「数学的発想」を持つ事が出来る。何よりも、この事が大切なのだ。
緑陰の読書で、のんびりと楽しみながら、なーるほど! そうだったのか! と納得されたら幸いです。』
詳しくはこちらをご参照💛
↓
☆朝日新聞は「数学の論理が理解できていない人々」の「集合」です

さて、本日はここまでとさせていただきますが、最後に「文系アタマ」では理解が困難だと思われる問題を一つ例示させていただきますので、皆さんも、ぜひ、チャレンジしてみてください。

【アキレスと亀】
あるところにアキレスと亀がいて、2人は徒競走をすることとなった。しかしアキレスの方が足が速いのは明らかなので亀がハンディキャップをもらって、いくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートすることとなった。
スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる(地点B)。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先へ進む(地点C)。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけないことになるが。。。
以上は、「走ることの最も遅いものですら最も速いものによって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである」、という有名な「アキレスと亀」と呼ばれる議論であるが、その答えを述べよ。
こちらもご参照💛
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☆教条主義という危険-アキレスと亀の話を論破できますか?

続きは次回に♥
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