2018-06-17 (Sun)

論理学(ろんりがく、英: logic)とは、「論理」を成り立たせる論証の構成やその体系を研究する学問である。
論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである。
論理学は、伝統的には哲学の一分野である。数学的演算の導入により、数理論理学(記号論理学)という分野ができた。現在では、数理論理学は数学と論理学のどちらであるとも(時にどちらでないとも)される。現在の論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学に分化している。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【啓典宗教】(けいてんしゅうきょう)は、【存在論】、すなわち【オントロジー(ontology)】に貫かれている。

【啓典宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教】においては、【神の存在】が【最大の問題】なのである。

啓典宗教においてはどの宗教においても、例えば【神が存在しない】といったらこれはキリスト教徒ではない、イスラム教徒ではない、ユダヤ教徒ではない。そのため、キリスト教の神学テキストなどを読んでみても、【神の存在の証明】にそれはもう厖大(ぼうだい)なページが割かれている。
そもそも【オントロジー】というのは【ギリシャ哲学】が作った。

【ギリシャの影響】を【啓典宗教】がどういうふうに受けたのかということを、いくつか例を挙げてみよう。

【バイブル】のテキストは【ギリシャ語で書かれている】。【旧約、新約とも同様】である。…
【ユダヤ教】は、【ギリシャの影響】を本来受けないものであったはずなのだが、【いつの間にか受けてしまっていた】。それは、【ユダヤ社会】に【ギリシャの論理】が入ってきたところ、それがあまりにも優れていたので、その【論理学をとり入れた】、という次第である。
もう一つ重要なことは、【キリスト教】が【ローマ帝国】のなかにおいては例外的に【ギリシャの影響を受けない】ことでも特徴的だったことが挙げられている。イエス・キリストがガラリヤ湖の湖畔において説教したときなどは、少なくともギリシャ哲学などは意識していなかったであろう。ところが【キリスト教】が、その後【ヘレニズム世界を往来】しているうちに、【ギリシャ思想の影響を大きく受ける】ようになった。
そのため、【キリスト教】も【神学】としてみるとき、【ギリシャの論理を用いて発達する】こととなった。

また、【勘違いしている人が多い】ので断っておくが、【ローマ帝国】の【公用語】というのは【ギリシャ語】であった。

【ラテン語】というのはいわば【日用語にすぎない】。

だから【バイブル】にもパウロの言葉として書かれているのは【ギリシャ語】である。この【福音】(ふくいん)というのは【すべての人のため】に書かれたとされている。【すべての人】という意味は、身分の高い低いというのは一切関係ないということだが、その表現として、【「ギリシャ人にも野蛮人にも」】と書いてある。
【ローマ帝国】においては【ギリシャ人は文化を持っている人】、【野蛮人というのはギリシャ人以外の人】。これはみんな無学だと思っている。つまり、人種的にいえば私たちも無学でございます、とパウロが認めているのに等しい。

したがって、【ヘレニズム世界】においては【論理学】は【ギリシャ論理学】一辺倒となった。

となれば、ヘレニズム世界の地に生まれた【キリスト教】が、【ギリシャ論理学の影響を受けるのは当然】だということは明らかだ。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、今から18年ほど前に書かれた書物で、私たち日本人のほとんどが知らない「宗教」について、その発展の歴史から、その後どのように、それを信仰する人々に影響を与えたのか、異なった「宗教」どうしの比較を通じて、分かりやすく解説された良書になります。

さて、本文の冒頭に、「啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontology)に貫かれている。」と書かれていました。ふと思わず、軽く読み流してしまいがち、な部分ですが、実はここが非常に重要な部分になりますので、少し確認をしておきましょう。

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 オントロジー(英: ontology)は、哲学用語で存在論のこと。ものの存在自身に関する探究、あるいはシステムや理論の背後にある存在に関する仮定という意味である。」
「 存在論(そんざいろん、英: ontology、独: Ontologie)は、哲学の一部門。さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論と並ぶ哲学の主要分野でもある。」
「 「存在論」の原語は、ドイツ語でOntologie、ラテン語でontologiaであるが、この表現はギリシア語でeinaiという動詞の現在分詞にして「存在するもの」(存在者)を意味する「オン」(on)と、「理論」を意味する「ロゴス」(logos)を結んで、17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ルドルフ・ゴクレニウス によって作られたものである。その後、ヨハン・クラウベルクを経て、クリスティアン・ヴォルフに至り用語として定着した。」
「 存在論の歴史は古代ギリシアに遡る。ことにアリストテレスの第一哲学は存在への問いを明確に立てたものであり、以後の西洋哲学の中心は近代に至るまで存在論が占めてきた。」

アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス
アリストテレスは、紀元前4世紀の古代ギリシャの偉大な哲学者です。私たちの日本では、紀元前10世紀頃に始まったとされている、水稲農耕を主とした生産経済の時代である弥生時代(紀元前10世紀~紀元後3世紀半ば)の中頃に実在したと考えられる人物です。
この古代ギリシャから始まり、以後、近代に至るまで西洋哲学の中心となった「存在論(オントロジー)」は、簡単に言いますと、その対象が「在るのか無いのか」という問いに対して、「在る」のであれば、その普遍的な根本となる原理を頭を使って考え認識していくという学問になります。
で、本文中に書かれていた「啓典宗教は、存在論、すなわちオントロジー(ontology)に貫かれている。」という部分は、「啓典宗教」においては、まさしく「神が存在するのかしないのか」というところから出発し、「神は存在する」とした上で、そこから世界の普遍的な根本となる原理を考えていこう、という流れになっていて、その際に、矛盾が生じないように論理的に考えていく作業が行われます。
つまり、「啓典宗教」というのは、非常に論理的に構築されているものということになります。

そして、その「論理的」というのが、まさに「数学的」であるわけなのですが、例えば、有名なアリストテレスの「三段論法」というものがあります。
( A ) は ( B )である。
( C ) は ( A )である。
よって( C ) は ( B )である。
AとかBとかCには、何を入れても良いのですが、この「三段論法」で、その文章の意味が通じない場合、それは「論理的ではない」と言える、つまり「間違っている」ということになります。

アリストテレスは、「A=人間」、「B=死すべきもの」、「C=ソクラテス」として、次のように論じました。
( 人間 ) は ( 死すべきもの )である。
( ソクラテス ) は ( 人間 )である。
よって( ソクラテス ) は ( 死すべきもの )である。
非常に簡潔で論理的ですね❤
これを応用していくと、誰でも簡単に「論理的」に考える基本がマスターできます。

例えば、次の問題を即答してみて下さい。
(問題) 次の計算式の答えが大きい方を選べ。
① 112,534 ÷ 299
② 110,543 ÷ 300

この問いを見て、電卓で計算してみたり、あるいは、「何となく勘で!」という発想であるならば、残念ながら「文系アタマ」になります(笑)

それでは、「論理的」な考え方で、確認してみましょう。
まず、一つのケーキを何人かで分けることを想像してみて下さい。

この場合、ケーキのサイズそのものが大きければ大きいほど、その「分け前」は多くなります(⇒ケース1)ね❤
それからもう一つ、ケーキを何人で分けるのかによっても、「分け前」は違ってきます。多くの人数で分けるよりも、より少人数で分ける方が、「分け前」が多くなる(⇒ケース2)ということは誰でも御存知のはずです。

式で表してみますと、次のようになります。
(ケーキ) ÷ (人数)
この場合、ケーキが「被除数」で、人数が「除数」となります。
(ケーキ[被除数]) ÷ (人数[除数])
ここで整理致しますと、
○ 「除数」が等しければ、「被除数」が大きいほど、割り算の答えは大きくなる。(ケース1)
○ 「被除数」が等しければ、「除数」が小さいほど、割り算の答えは大きくなる。(ケース2)
以上の定義が、まず成り立っていることが理解できると思います。

そこで、もう一度、さきほどの問題を確認してみましょう。
(問題) 次の計算式の答えが大きい方を選べ。
① 112,534 ÷ 299
② 110,543 ÷ 300
でも、このままではイメージし難いので、1つだけ仮置きの形で「式」を挿入(⇒式③)してみます。
① 112,534 ÷ 299
③ 112,534 ÷ 300
② 110,543 ÷ 300
ここで、さきほど登場した以下の定義、
○ 「除数」が等しければ、「被除数」が大きいほど、割り算の答えは大きくなる。(ケース1)
○ 「被除数」が等しければ、「除数」が小さいほど、割り算の答えは大きくなる。(ケース2)
これが正しい定義であるとした場合、それぞれの式の答え(=商)は、
( 式③の商 ) は ( 式②の商より「大」 )である。
( 式①の商 ) は ( 式③の商より「大」 )である。
よって( 式①の商 ) は ( 式②の商より「大」 )である。
と、このように論理的に導くことができます。

実際に計算してみますと、
① 112,534 ÷ 299 = 376.367・・・
③ 112,534 ÷ 300 = 375.113…
② 110,543 ÷ 300 = 368.476…
以上のようになり、電卓で計算してみたり、あるいは、「何となく勘で!」ということが全く必要が無いということが確認できますが、御理解頂けましたでしょうか❤

続きは次回に♥
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