2018-06-16 (Sat)

根本中堂と回廊
延暦寺(えんりゃくじ、正字: 延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。比叡山、または叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので南都の興福寺と対に北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 これから本格的に宗教の議論に入る前にコメントを一つ挙げておく。それは【宗教】には【啓典宗教】(けいてんしゅうきょう)と【それ以外の宗教】がある、ということだ。

これは、【イスラム教徒による宗教分類】であるが、比較宗教学のために便利な分類であるので、この本においても採用したい。
【「啓典宗教(revealed religion)」】とは、【啓典(正典)を持つ宗教】である。【ユダヤ教】、【キリスト教】、【イスラム教】は啓典宗教である。【仏教、儒教、ヒンドゥー教、道教、法教(中国における法家の思想)などは啓典宗教ではない】。

「啓典」とは、【最高教典】のことである。
「啓典」は、【絶対である】か、【ほとんど絶対である】。

イスラム教における【『コーラン』(クルアーン)】、キリスト教における【『福音書(ふくいんしょ)』】(『新約聖書』の「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の四福音書)、ユダヤ教における【『トーラー』】(モーセ五書。『旧約聖書』の最初の五巻。すなわち、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)は啓典である。
この意味での啓典は仏教にも儒教にも、ヒンドゥー教にも、道教にも法教にもない。ゾロアスター教、マニ教などにもない。

【仏教】が【啓典宗教でないことは明白】である。その理由を理解するためには、【天台智顗】(てんだいちぎ)の【教相判釈】(きょうそうはんじゃく)を思い出しただけで十分であろう。

【教相判釈】とは、【仏教の経典(きょうてん)】の【優劣】と【位置づけ(configuration)】とを行うための方法である。
天台智顗は、経典を釈迦(しゃか)の生涯の時期の前後に【配列して内容の価値判断】をした。そして【法華経(ほけきょう)を最高】として【ここに釈迦の真意がある】とした。そのため、【天台宗】(てんだいしゅう)の【最高経典】は【法華経】(ほけきょう)となっている。

教相判釈は「教判(きょうはん)」とも略称するのだが、智顗(ちぎ)を嚆矢(こうし/始まり)として【仏教の諸宗は教判をするようになった】。例えば、華厳(けごん)宗の教判は五教十宗(ごきょうじっしゅう)であり華厳経(けごんきょう)を最高経典とした。日本真言(しんごん)宗の教判は顕密(けんみつ)二教の鞭(べん)と十住心(じゅうじゅうしん)の判釈であり、最高経典は金剛頂経(こんごうちょうきょう)と大日経(だいにちきょう)である。日蓮(にちれん)宗の教判は法華経を最高とし、そのなかでも本門寿量品(ほんもんじゅりょうぼん)第十六を最高とした。浄土(じょうど)宗の教判は聖浄二門(せいじょうにもん)の教判であり、大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)、阿弥陀経(あみだきょう)の三部経(さんぶきょう)を最高とした。
【仏教の経典】は厖大(ぼうだい)であり、…【釈迦入滅(にゅうめつ)千年以上も後にも続々と作られている】が、

なかに込められた宗教的価値が問題なのであって、方法論的には【誰が作ってもよい】(例。法華経は釈迦入滅後千年以上も後に作られたとの説が有力である)。

【「如是我聞」(にょぜがもん)】すなわち、【「このように私は釈迦から聞いた」】と最初に書けばなんでも【お経(きょう)になる】。だから当然、【範囲も確定したものではない】。このことが、仏教の経典の無限の成長を許したのだ。

この点、【啓典が確定している啓典宗教とは根本的に違う】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、今から18年ほど前に書かれた書物で、私たち日本人のほとんどが知らない「宗教」について、その発展の歴史から、その後どのように、それを信仰する人々に影響を与えたのか、異なった「宗教」どうしの比較を通じて、分かりやすく解説された良書になります。

さて、昨日のところで、日本へと伝わった「仏教」が、その当初から国家統制下にあった、つまり僧尼は国家から免許を交付される「国家公務員」でしかなかく、鑑真が伝えた、本来の仏教が重視する仏教徒の務めである「戒律(かいりつ)」が、やがて無くなってしまい、本来の仏教とはまったく異なった「日本独自の仏教」へと発展していきます、と書かせて頂きました。
聖徳太子が「日出づるところの天子、日没するところの天子に書を致す。つつがなきや」という有名な書簡を送りつけた先が、

600年頃の世界地図
当時の支那を支配していた「遊牧騎馬民族」の「鮮卑(せんぴ)族」の「隋」(581年~618年)の第2代皇帝であった煬帝(ようだい)です。

煬帝
その煬帝から深く尊敬され「智者」の名を送られたのが、「天台宗」の開祖であった僧の「智顗(ちぎ)」です。

智顗
当時の支那では、伝えられた経典があまりにも多く、仏教の教えが多様化しすぎ、果たして、どれが釈迦の真実の教えかということが問題になっていました。そこで、経典の内容が種々異なるのは、釈迦が教えを説いた時期や内容が異なるためだと考えて、教えを説いた時期を分類、その中でどれが最高の教えであるか、と判別するようになります。これが、本文中に書かれていた教相判釈(きょうそうはんじゃく)です。
しかし、どれが最高の教えであるのかは、各宗派ごとにバラバラであり、しかも、そもそも仏教の経典は、誰かが勝手に作っても良い状況にあったわけですから、本当に釈迦の教えなのかどうかは、誰にもわからない有様です。

本文中にも書かれていましたが、「仏教」が、「啓典が確定している啓典宗教とは根本的に違う」という理由が、まさにここにあります。

で、その智顗は、経典を説法した期間・会座(えざ=説法の場所)で5つに分け、説法形式によって8つに分類します。これが、五時八教の教判、または五時八教説(ごじはっきょうせつ)と呼ばれるものになります。
そして、それを学んで日本へと持ち帰ったのが「最澄(さいちょう)」(766年~822年)で、日本における天台宗の開祖になります。

最澄像(国宝)、平安時代(11世紀)、一乗寺蔵
最澄が開創したのが、あの有名な「比叡山延暦寺」です。

根本中堂(国宝)と回廊(重文)
その天台宗の最高経典は法華経です。そして、「根本法華」として重視される「般若心経(はんにゃしんぎょう)」という経典がありますが、僅か300字足らずの本文に「大乗仏教」の心髄が説かれているとされ、複数の宗派で読誦(どくじゅ)経典の一つとして広く用いられています。

☆檀信徒のお勤めの作法と心得 天台宗HP
ちなみに、この般若心経の正式名称が「般若波羅蜜多心経」(はんにゃはらみったしんぎょう)で、インドの修行から支那へと持ち帰ったのが、あの玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)になります。

玄奘三蔵像
それでは、ここで、折角ですので、その般若心経には、どういったことが説かれているのかを確認しておきましょう。
以下は、Wikipediaからの抜粋ですが、ところどころ解説を入れておきます。
↓
「 観音菩薩が、深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
※智慧は知恵、波羅蜜、波羅蜜多は修行。
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊はすべて〔いかなる本質、実体をも〕欠いていると明らかに見て、
※五蘊(ごうん)とは人間のさまざまな感覚。それが皆、「空(くう)」であることを発見した、という意味。
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。
※一切の苦しみを超越した、という意味。
「シャーリプトラよ、
※シャーリプトラ=舍利子という名の弟子で、観音菩薩がその弟子に語りかけている。
色(肉体)と〔実体を〕欠く〔というあり方〕とは異ならない。〔また、実体を〕欠く〔というあり方〕と色とは異ならない。
※「色不異空、空不異色」とは、物質は「空(くう)」に他ならない、「空(くう)」は物質に他ならない、の意。
色は〔実体を〕欠いている。〔また、実体を〕欠いている〔ものこそ〕が色である。
※「色即是空、空即是色」とは、物質は「空(くう)」であり、「空(くう)」は物質である、の意。さきほどと同様のことを、別の言い方をしているのですが、本来の仏教における非常に重要な部分になります。

受(感覚を感じる働き)、想(概念)、行(意志)、識(認識する働き)もまた同様である。
シャーリプトラよ、
すべての現象(一切法)は〔実体を〕欠いていることを特徴とするものであるから、
生じることなく、滅することなく、汚れることなく、汚れがなくなることなく
増えることなく、減ることもない。
ゆえに「(実体を)欠くということ」の中には、
色は無く、受、想、行、識も無い
眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、
色、声、香、味、触、法も無い
眼で見られた世界(眼界)も無く、意識で想われた世界(意識界)も無い
無明も無く、無明の滅尽も無い
“老いと死”も無く、“老いと死”の滅尽も無い
「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い
「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い
「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い
「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い
知ることも無く、得ることも無い
もともと得られるべきものは何も無いからである
菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに
心にこだわりが無い
こだわりが無いゆえに、恐れも無く
転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。
過去、現在、未来(三世)の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに
完全なる悟りを得るのだ。
それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは
偉大なる呪文であり、
偉大なる明智の呪文であり、
超えるものなき呪文であり、
並ぶものなき呪文であり、
すべての苦しみを除く。
〔なぜなら〕真実であり、偽りなきものだからである。
〔さて、〕「智慧の波羅蜜」という呪文を説こう、
すなわち呪文に説いて言う:
“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 菩提よ、ささげ物を受け取り給え)
〔以上が〕般若心経〔である〕。」
さて、如何でございましたでしょうか?
この般若心経が説いていることを御理解いただけましたでしょうか?

簡単に申し上げますと、この世のすべては「空(くう)」である。「空(くう)」は「無(む)」と同義ではなく(⇒勘違いしてしまっている日本人が多いのも事実ですが。。。)、「有(ゆう)」でもあり「無(む)」でもあるという概念です。言い換えますと、「有(ゆう)」でもない「無(む)」でもない、それらを超越したところにあるのが「空(くう)」です。
何となく、わかったような、わからないような感じがされるかと思いますが、そのご説明は明日以降にさせて頂きますとして、この「空(くう)」こそが本来の「仏教」で最も重要な考え方であり、それはもう、大変な修業をし、厳しい「戒律」を守り、その境地に達することで、「輪廻転生」という未来永劫グルグルと廻り続ける、「生まれ変わる」というスパイラルから「解脱(げだつ)」し、輪廻転生しない状態、すなわち「永遠の死」とも言える状態になることを目指すのが、本来の「仏教」の教えです。
ですから究極のところ、「仏教」が教えていることは、実在論の否定であり、「仏(ほとけ)さえもいない」とも言えるんです❤

ところが、その「仏教」本来の教えが、支那へと伝わるところで変質し、さらに支那から日本へと持ち込まれると、もっと変質してしまいます。
その典型が、仏教の総本山とも言える比叡山延暦寺を開山した最澄以降の日本の高僧たちが、ことごとく修行に必須である「戒律」を撤廃していき、さきほどの般若心経にも見られるように、修行なしでも、単に呪文(=念仏)を唱えれば成仏できるという「日本オリジナルの仏教」へと変えてしまったことです。

続きは次回に♥
ランキング参加中で~す^^ ポチっとお願いします♥
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

- 関連記事
-
- その「反ユダヤ主義」「ユダヤ陰謀論」は、“右派のもの?” それとも “左派のもの?” (2020/08/26)
- マルクスという落ち零れの思想を崇拝する“トコトン無能”な国家主席 (2020/08/25)
- 人類は爬虫類人によって支配されている!? ~ 「おパヨク」は陰謀論がお好き💗 (2020/08/23)
- 貧しい人間が妄想した結果、どうなるでしょうか? (2018/06/25)
- 文系パヨクの「詭弁」の見抜き方 (2018/06/21)
- 黄金律を勘違いしてしまうのが「文系アタマ」のパヨクです (2018/06/18)
- 「文系アタマ」では、理解することさえ出来ないのが「宗教」です (2018/06/17)
- 本来の仏教からは、完全に逸脱している「般若心経」 (2018/06/16)
- 日本の仏教は、日本オリジナルの仏教です (2018/06/15)
- パスカルとデカルトと「クオリア」 (2017/11/06)
- パスカルと「クレオパトラの鼻」 (2017/10/26)
- 国の最大の災いは内乱 ~ 「カルト集団」の日本共産党や立憲民主党の正体 (2017/10/25)
- ハーバードで教えている、リベラルの「宗教」 ユダヤのノア・フェルドマン先生 (2017/09/15)
- 命が大切なのか、権利が大切なのか。。。 (2017/09/14)
- アメリカの「リベラル」、という新興宗教 (2017/09/13)