2018-06-15 (Fri)

唐招提寺 金堂
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 今の代(このよ)にし 楽(たぬ)しくあらば 来む生(こむよ)には
蟲(むし)にも鳥にも 吾(われ)はなりなむ
大伴旅人(おおとものたびと) 〈万葉集〉

大伴旅人(菊池容斎画)
【この歌】をきいて、【外国人】は【みんな吃驚仰天(びっくりぎょうてん)】する。

朝鮮・韓国人も中国人も、南の国々の人々も中近東の人々も、欧米人も、【死生観】は【宗教が決める】。来世に、先鋭(せんえい)な関心をもたない人は、まずいない。

【日本人だけ】が【例外】である。だから、【日本は無宗教国になったのか】。

世界は一つになったといわれるが、【宗教を理解しないと世界の人々と付き合ってはいけない】。宗教によって行いが決まる。【宗教が違えば、当然、行いが違ってくる】。
しかし、【宗教が違っても人間はみんな同じであると思い込んでいる日本人】には、【ここのところがピンとこない】。…

【世界の人々】は、この世がどんなに苦しくとも、【来世でよいところにゆくために努める】。しかし、【日本人】に限って、この世が一番よくて【来世なんかどうでもよい】と独り合点(ひとりがてん)しているのである。

【インド人】は、しばらく【この世の本質】は【苦(く)】であると思っていた。【ユダヤ人】は、【虐殺、追放と迫害の連続】であった。だから、優れた宗教を生んで【世界諸宗教の母体】となった。【仏教伝播】の跡をたどってインドから中国へ来ると、「この世は楽しい」という気持ちが目立つようになってくる。「人生は皆苦(かいく)」だとは思わず、自分たちの【官僚制】がよい制度だと思っている。この世が割合にいいと思って、【来世にあまり関心のない中国】からは、インドやユダヤほどの【宗教は生まれなかった】。

【この世が最高だと思っている日本】は、当然、【無宗教国になった】。…

【資本主義】も【デモクラシー】も【近代法】も、深く【キリスト教に根ざしている】。…

この本は、本格的な宗教原論である。各宗教の蘊奥(うんのう/奥深いところ)から説き起こし、比較歴史的に、どのようにして、これらの蘊奥に達したかについて解明し、現代にどんな影響を及ぼしているのかを論ずる。…
この本に書いてあることは、誰も、考えてもみなかった、予想を絶することであるかもしれない。が、地動説のごとく、精神分析学のごとく、ケインズ理論のごとく、【科学的結論】は、ときに【摩訶不思議に見えることもある】。
これらの考察によって、世にはびこる、【どの宗教が本物か偽物かがわかってくる】であろう。どの宗教があなたをどう救えるかについても考えられるようになることだろう。現在、日本が直面している諸難問にどう対決するかについての示唆を与えることであろう。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、今から18年ほど前に書かれた書物で、私たち日本人のほとんどが知らない「宗教」について、その発展の歴史から、その後どのように、それを信仰する人々に影響を与えたのか、異なった「宗教」どうしの比較を通じて、分かりやすく解説された良書になります。

さて、本文冒頭に書かれていた和歌(やまとうた)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族であった大伴旅人(おおとものたびと)のもので、万葉集には、78首が選出されています。
ちなみに、一族である大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)は、奈良時代末期に初めて「征夷大将軍」に任命されています。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆「幕府」って、どうやったら作れるの?

私たちの日本で、初めて和歌(やまとうた)を詠んだのが建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾
夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 (古事記)
八雲立(やくもた)つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻籠(つまごみ)に 八重垣作(やえがきつく)る その八重垣(やえがき)を

『須佐之男命』歌川国芳作
昨日のところで、「俳句」が、素数である「17」の音から出来ていることについて書かせて頂きましたが、

和歌(やまとうた)の基本的な形式は「5・7・5・7・7」で、これも合計すると素数の「31」になります。
同じく、昨日のところでも書かせて頂きましたが、私たちの日本を創造する神々である、伊耶那岐神(いざなきのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)に至る神々は、まさに「5・7・5」の素数の「17」となっています。

もちろん、聖徳太子の「十七条憲法」も素数の「17」です。
で、その聖徳太子の時代に、丁未の乱(ていびのらん)(587年)という大きな争いが起こります。異国の宗教であった「仏教」が日本へと入り込み、その是非を巡って争いが起こったんです。

600年頃の世界地図
丁未の乱で物部氏が敗れ、権力を手にした蘇我馬子は天皇を殺害(592年)し、一時的に女性の推古天皇が即位、一方、支那では「遊牧騎馬民族」の「鮮卑(せんぴ)族」の「隋」が興り(581年~618年)、大陸は戦乱の時代を迎えてゆく、という頃のお話です。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆スラップ(SLAPP)の朝日新聞 #まっとうな政治 #まっとうな報道 ってなんですか?お聞かせください(笑)

『 宗教という言葉は英語のリリジョン(religion)の訳ですが、これはラテン語のreligareからきた言葉で、「結びつける」「縛りつける」といった意味です。結びつける中心には一つ、絶対的なものがなくてはなりません。宗教の根本には一つの神、特定の教祖、経典が想定されているのです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教には確かにそれがあります。仏教は釈迦の存在がその中心です。
このように定義すれば、宗教が排他的にならざるを得ないのは当然ともいえます。古くは反イスラムのキリスト教十字軍、現在では非イスラムに対するイスラム原理主義者たちのテロなどが、その現れといえるでしょう。ほとんどの宗教が平和を説き、愛を説いています。にもかかわらず宗教間の争いが絶えないのは皮肉なことです。
日本に仏教が入ってきたとき、多少の衝突はありましたが、決定的な争いにはなりませんでした。それは八百万(やおよろず)の神の神道の寛容性です。これは宗教の中にあっては特筆すべきものであって、注目しなければなりません。しかし、それだけではありません。そこには聖徳太子という偉大な思想家の存在があったことを忘れてはなりません。

聖徳太子
各宗教に創始者はいます。しかし、宗教の習合を説き、宗教間の壁を乗り越えて人間のあり方を追求した人はほかにいません。
日本には世界的なスケールでの思想家はいないという学者がいます。そんなことはありません。聖徳太子こそ世界史にそびえ立つ一大思想家であり、その神仏習合思想――「和」の思想こそ、人類の金字塔というべきものです。
聖徳太子の思想は十七条憲法にはっきりと表れています。「十七条憲法」第三条までの抜粋を見てみましょう。
「第一条 和をもって貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗(むね)と為せ。人は皆党有れども、亦(また)達(さと)れる者すくなし」
これは普遍的な人倫を説いたものです。ここにある「党」は家族、仲間はもちろん、宗教党派、政治党派も意味しています。宗派間であれ政党間であれ、和を通わすことが大切だと説いているのです。
「第二条 篤(あつ)く三宝を敬え。三宝とは仏、法、僧なり」
ここでは、人々の心の拠りどころ、国の規範として仏の教えを敬うべきことを述べています。
「第三条 詔(みことのり)を承(う)けては必ず慎め。君則ち天にして、臣則ち地なり」
天皇政治を説いていますが、それ以上に神道政治のあり方を示したものだといえます。天と地が順行するように、君も臣も、精神的なものも物質的なものも調和していくという日本の国のあり方を明瞭に語っているといえるでしょう。
この憲法は、民主主義をうたっているといってよいでしょう。民主主義は近代の思想といいますが、それは法律的なことにすぎず、基本には人倫、道徳がなければなりません。制度がいくら出来ても、その基本が重要です。その基本を「和」を尊重する精神におくべしと聖徳太子は述べているのです。この「十七条憲法」は、民主主義の根本を述べたものとして、世界的にも評価されるべきです。』
詳しくはこちらをご参照❤
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☆世界で唯一、宗教間の壁を乗り越えた偉人 ~ 聖徳太子

で、こうして、インドから大陸を経由して流れ込んだものである日本の「仏教」を、諸外国から、わざわざ日本に学びに来る人々が続出します。
中でも、日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた鑑真(がんじん)のお話は有名ですが、

鑑真第六回渡海図
日本に来た鑑真は、一方で、本来の仏教が重視する仏教徒の務めである、釈迦(しゃか)が定めた「戒(かい)」と、出家者たちの共同体である僧伽(サンガ)の「律(りつ)」を守ること、すなわち「戒律(かいりつ)」を伝えます。

タイの僧伽(サンガ)
その戒律を授ける(授戒)ために常に結界が整った場所のことを「戒壇(かいだん)」と呼びますが、

唐招提寺の戒壇(奈良県奈良市)
そこで授戒を受けることで、初めて出家者が正式な僧尼として認められるようになります。つまり、僧になるためには、どこかの戒壇で国家公認の授戒をし、国家機関によって新たに受戒した僧尼に交付される身分証である「戒牒(かいちょう)」を受けることが必須となっていきます。
こうして、日本に伝わった「仏教」は、国家の統制下に入り、国家が僧尼を管理することとなるのですが、天平13年(741年)に聖武天皇(しょうむてんのう)が「国分寺建立の詔」を出され、

『聖武天皇像』
全国に、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる「国分寺(こくぶんじ)」がつくられていきます。

備中国分寺
聖武天皇の皇后は、光明皇后(こうみょうこうごう)で、『古事記』・『日本書紀』を作成させた藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘で、
こちらもご参照❤
↓
☆女性なしで歴史は語れない! ~ ヤマトタケルと浦賀水道

「悲田院」(ひでんいん)や「施薬院」(せやくいん)をつくり、貧困者、孤児、病人の救済など、女性の立場からの社会福祉活動を行った人物で、「正倉院」の創設も彼女によるものでした。
ちなみに、当時出された詔では、老人に対する配慮がなされており、例えば80歳の老人には介護者を一人つけよ、90歳には二人、100歳には五人をつけよ、といった感じです。この当時から、このような先進的な国家運営がなされていたことを知って、どのように感じられますでしょうか?

それでは、本日はここまでとさせて頂きますが、日本へと伝わった「仏教」が、その当初から国家統制下にあった、つまり僧尼は国家から免許を交付される「国家公務員」でしかなかったわけで、この時点で、すでに本来の「仏教」と大幅に乖離してしまっているのですが、鑑真が伝えた、本来の仏教が重視する仏教徒の務めである「戒律(かいりつ)」も、やがて無くなってしまい、本来の仏教とはまったく異なった「日本独自の仏教」へと発展していきます。
続きは次回に♥
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