2018-06-01 (Fri)

真福寺収蔵の国宝・『古事記』。
古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。
『古事記』の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わる。成立年代は、写本の序に記された年月日(和銅5年正月28日(ユリウス暦712年3月9日))により、8世紀初めに措定される。内容は、神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)が紀伝体で記載される。また、数多くの歌謡を含む。なお、『古事記』は「高天原」という語が多用される点でも特徴的な文書である。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 神奈川県西部、松田町の【酒匂川】(さかわがわ)。川の近くに、【倭建命】(やまとたけるのみこと)を祭神とする【寒田神社】がある。

寒田神社(さむたじんじゃ)
「ヤマトタケルは、戦いの無事を祈って川に酒を注いだのですが、帰路にも香りが残っていた。それが酒匂川の由来です」
藪田拓司宮司はそう話す。境内には、ヤマトタケルが使ったと伝わる「腰掛石」もある。

同神社からさらに東、相模原市内にある【大沼神社】の石碑は、こう記している。
〈 大沼は遠く日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の砌(みぎ)り火難に相遇されし地 〉

ヤマトタケルが国造の反逆に遭ったのはこの地だという記述である。石碑は、沼の水田化を記念して昭和41年に建立された。氏子会役員の渋谷勇氏は
「あたり一帯はかつて、沼地や原野だったそうです」
と話す。

〈 野の中に大きな沼有り。是(こ)の沼の中に住める神、いたく道速振(ちはやぶ)る神なり 〉
国造が策略で用いた言葉のような光景が広がっていた、と地元では伝承されている。
〈 相武国(さがむのくに)に至ります時 〉
古事記は、ヤマトタケルの危機をそう書き始めている。相武国は後の相模、現在の神奈川県である。
焼遺(やきつ)の出来事を駿河ではなく相模とする記述は、その後も出てくる。荒れる【走水(はしりみず)の海(浦賀水道)】を鎮めるために身を投げたヤマトタケルの后、【弟橘比売命】(おとたちばなひめのみこと)の辞世の歌である。
〈 さねさし 相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
[相模国の小野に燃えて迫る火の中に立って、私の名をお呼び下さったあなたよ] 〉
一方で、火攻めは駿河での事件だと記述しているのは【日本書紀】だ。

〈 賊衆(あたども)を焚(や)きて滅したまふ。故、其の処を号けて【焼津】(やきつ) と曰ふ 〉
静岡県焼津市でヤマトタケルを祭る【焼津神社】は、それは神社がある地だと由緒書きに記す。

焼津神社(やいづじんじゃ)
静岡県清水区の【草薙神社】では、近くにある谷が火攻めにあってヤマトタケルが馬の鞍から下りた場所、茶畑の脇にたたずむ【首塚稲荷神社】は、賊徒の首を埋めた場所と伝わる。

草薙神社(くさなぎじんじゃ)
「これほど多くの伝承があるのだから、記述のようなことがあったと考えて不思議はない」
草薙神社の森明彦宮司はそう話す。
〈 今に焼遺と謂ふ 〉
古事記も、火攻めの記述をそう締めくくっている。焼遺、焼津は果たして、駿河なのか相模なのか。

「当時の都の人々にとって、東国のイメージはあいまいで、相模とか駿河の位置については、あまり気に留めてはいなかったでしょう」
立正大の三浦佑之教授はこう述べたうえで、やや古事記に肩入れする。
「もとになった伝承は【古事記の方が古い】と思われるので、書記は都合のいいように変えた可能性が高いのではないでしょうか」
ともあれ、危機を脱した【ヤマトタケル】は、【相模の三浦半島から房総半島を目指した】。 』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本が誕生する際、『古事記』には描かれていない関東から東側の地域を、ヤマトタケルの活躍によって、西側の大和政権の下に統一をしてゆく過程を、その足跡を綿密な取材によって辿ることで、読者に具体的にイメージを描かせる良書となります。

先日、埼玉県の三峯神社のニュースが流れていましたが、この神社もヤマトタケルゆかりの神社になります。

☆お守り求め渋滞25キロ=市民生活に影響も-神社が頒布休止・埼玉:時事ドットコム
さて、日本の英雄・ヤマトタケルの『三種の神器』の1つである『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』に纏(まつ)わる有名なお話が書かれていましたが、そもそも、この剣は、東征に向かうヤマトタケルが託されたものになります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
『 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)は、三種の神器の一つ。 草薙剣(くさなぎのつるぎ)、草那芸之大刀(くさなぎのたち)とも言われる。 熱田神宮の神体となっている。
三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。 日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である。八岐大蛇退治に至る経緯と、神剣の名称については古事記・日本書紀で複数の異伝がある。 スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を高天原のアマテラスに献上した。 続いて天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた。 崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという。 景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す。ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。これが熱田神宮の起源であり、現在も同宮の御神体として祀られている。』

熱田神宮(あつたじんぐう)
その『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』が、東征のヤマトタケルを火攻めから守ったのですが、その伝承地が、本文にも書かれている通り複数存在しています。
こういう場合に知っておきたいのが、古事記の暗号です。

『 手始めに、『古事記』の暗号がどんなところに、どのような形で入っているのか。いくつかご紹介しましょう。
まずはタイトル、書物の名前からです。書物の名前である『古事記』は今では「こじき」と発音されますが、口伝では「ふることふみ」と呼んでいました。「ふることふみ」です。「ふることぶみ」とは濁りません。…
次に、『古事記』がどのようなものであるかを知るために、いろいろな点で比較されるの『日本書紀』との関係を見てみましょう。『古事記』が出されてから8年後の、720年に、『日本書紀』ができあがりました。『日本書紀』は今に伝わる「最古の日本の正史」だと言われます。あとから出された『日本書紀』が正史ならば、『古事記』はどのような歴史書なのか。
同時とも言えるぐらいの短い間に、2つもの歴史書がなぜ、相次いで編まれたのか。なぜ、そうしたことが必要だったのか。なぜ、両書の記す内容や記述が異なっていたり、記述の量に差があったりするのか。なぜ、同じ神名を表記するのに異なる漢字が用いられているのか。
なぜ、なぜ、なぜ、と次から次へと疑問が出てきます。
中身を見ても、同じ時代を扱っているはずなのに、両書の構成にもずいぶん違いが見られます。たとえば、神話です。
『古事記』では神話が三分の一を占めるのに対して、『日本書紀』では八分の一にしかすぎません。これだけでも、両書はまったく別のコンセプトで作られたことがわかります。すでにここにひとつ、『古事記』の暗号があるのです。
『古事記』は日本国内向けに書かれました。それゆえ、基本にあるのはあくまでも『古事記』です。日本人に伝えるものを書くわけですから大事なこと、確実に残したいことを本気で書いています。
それに対して、全編漢文で書かれた『日本書紀』は対外用、すなわち中国向けに書かれたものです。
もっと、はっきり言いましょう。『日本書紀』は中国向けに嘘を書いています。中国に対して本当のことを言う必要は、まったくといっていいほどありません。…
なぜ、そんな手の込んだことになっているのでしょうか。それは、中国に本当のことを知られたくないから、知られてはマズいからです。本当のことを隠すために、ものすごく労力をかけて、強引に字を全部変えて、嘘を書いているのです。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆和語(やまとことば)と漢語(もろこしのことば)

さらに。。。

『 そこで、さらに疑問が浮かびます。
同じ時代を描きながら、その内容、描き方、文字の表記までがここまで異なる本が、なぜほぼ同時にできのかという疑問です。『古事記』と『日本書紀』は、それぞれに異なる目的をもって、明らかに書き分けられています。
実は、作者が同じなのです。『古事記』と『日本書紀』の実際の作者は同じ人たちでした。中臣大嶋(なかとみのおおしま)と平群子首(へぐりのこびと)。この二人が両書を実際に書きました。書いた人が同じだっただけではありません。両書のコンセプトをグランドデザインし、どちらの編纂(へんさん)にも関わったのが、当時の最高権力者・藤原不比等(ふじわらのふひと。本名は史(ふひと)。)です。両書が藤原史の事績とされることからも、藤原史が最終的な監修者であったと考えられます。
つまり、同じライターが、同じ編纂者のもとで、同じ時代を、異なる目的のために、別々の本として書いたのが『古事記』と『日本書紀』なのです。』

『藤原不比等』菊池容斎
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆何て読む? → 「子子子子子子子子子子子子」

つまり、藤原不比等は、何らかの目的を持って、書き分けていたわけです。

それは一体、どういう理由だったのでしょうか?

これが『古事記のミステリー』です。

考えると、もう、眠れなくなってしまいます❤

詳しくは、また別の機会に書かせて頂きたいと思いますが、藤原不比等のお父さんが、

『藤原不比等』菊池容斎
私たちの日本の「国史」において、最大の氏族である「藤原氏」の始祖にして、『大化の改新』の中心人物である、中臣鎌足(なかとみ の かまたり)のち藤原鎌足(ふじわら の かまたり)です。

菊池容斎画 藤原鎌足肖像
ここで、「藤原氏」だの「中臣氏」だのが登場してしまいましたが、この続きは、明日以降に書かせて頂きたいと思います。
で、本日の最後に、「大沼神社」にお参りした際の写真をアップさせて頂きたいと思います❤


実は、この大沼神社は、少し変わったところがあります。




周りがグルっと、水濠に囲まれているんです。ただし、まったく足りていない状態ではありましたが(笑)


でも、拝殿から本殿の方に移動してみますと・・・


しかも。。。

お参りした甲斐がありました❤
続きは次回に♥
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Re: タイトルなし * by みっちゃん
omachiさん、こんばんは^^
ご訪問&コメントありがとうございます。
「北円堂の秘密」ですか!面白そうですね💛 ちなみに、ミステリーや推理物は「大好物」ですw
それもあって、「教科書」を疑ったというのが、そもそもの始まりなのですが。。。
参考になるものがございましたら、どうぞご遠慮なく、コメントで教えてください。
これからも、何卒、宜しくお願い致しま~す☆彡
ご訪問&コメントありがとうございます。
「北円堂の秘密」ですか!面白そうですね💛 ちなみに、ミステリーや推理物は「大好物」ですw
それもあって、「教科書」を疑ったというのが、そもそもの始まりなのですが。。。
参考になるものがございましたら、どうぞご遠慮なく、コメントで教えてください。
これからも、何卒、宜しくお願い致しま~す☆彡
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。