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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国史 >  パヨク脳の池上彰が知らない、日本の伝説的英雄「ヤマトタケル」

    パヨク脳の池上彰が知らない、日本の伝説的英雄「ヤマトタケル」

    伊吹山頂の日本武尊像
    伊吹山頂の日本武尊像

    ヤマトタケル(生年不詳 - 景行天皇43年)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)

    『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。

    第12代景行天皇皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。










    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 【ヤマトタケル】の生涯は、【古事記】では【中巻(なかつまき)】に収められている。【神武天皇が造った国に綻びが見え始めた時代の話】だ。

     【古事記】【上巻(かみつまき)】【建国神話】を描き、【下巻(しもつまき)】では十六代仁徳天皇から三十三代推古天皇までの治世、つまりは【歴史】を書いている。

     二つの巻にはさまれた【中巻】は、【初代神武天皇から十五代応神天皇まで】を扱っているが、神武天皇の国造り、日向から大和に向かう東征が八咫烏に導かれるような神意に満ちたものであるように、【神代と人代を結ぶ巻】と位置付けられる。

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     ヤマトタケルの活躍も、神秘に満ちたものが残る点で、神話の要素を遺すものだ。一方で、少年の弱さや脆さ、成功を重ねた青年の驕り高ぶりなど、人間味を十二分に感じさせる内容である。

     その意味で、【天照大御神】を皇祖神とする天皇が、【神から人に立場を代えながら日本を治める歴史】を、【象徴的に示す英雄】といえる。

    女性 ポイント ひとつ

     【白鳥となったヤマトタケル】が舞い降りた地、河内国・志幾には【白鳥御陵】がつくられた、と古事記は書く。


     その御陵は、大阪府羽曳野市の【白鳥陵古墳】と宮内庁が治定している。【古市古墳郡】の中にあり、全長は200メートル。孫の応神天皇や曾孫の仁徳天皇には及ばないが、【即位しなかった太子としては、異例の雄大さ】である。


     そのことが、神武天皇が建国した日本の仕上げのような国固め生涯を捧げたヤマトタケルに対する、大和の人たちの評価と感謝の表れのようにおもえる。


     白鳥陵古墳の近くの同市立白鳥小学校では児童らが、ヤマトタケルの伝承を素材にした音楽劇『白鳥伝説』を演じ続けている。オラトリオ(聖譚曲)『ヤマトタケル』を完全上演するために結成された市民合唱団「シグナス混声合唱団」も活動を続けている。


    百舌鳥・古市古墳郡世界文化遺産登録を後押しするため、一万人コンサートの2018年開催をめざす実行委員会も結成されている。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、私たちの日本が誕生する際『古事記』には描かれていない関東から東側の地域を、ヤマトタケルの活躍によって、西側の大和政権の下に統一をしてゆく過程を、その足跡を綿密な取材によって辿ることで、読者に具体的にイメージを描かせる良書となります。

    読書 3-49

    さて、本書の主人公であるヤマトタケルの孫応神天皇となりますが、神武天皇から数えて、第15代の天皇になります。

    ところが、戦後の占領期GHQに重宝された津田左右吉を始めとしたパヨクの歴史学者によって、なんと応神天皇以前の天皇の名前歴史教科書から全て削除されました。

    津田 左右吉 2
    津田 左右吉

    詳しくはこちらをご参照❤

    津田左右吉 占領軍に大変重宝された「歴史学者」

    日本の歴史 本当は何がすごいのか 

    丸メガネは、ペテン師なんでしょ?

    日本人はなぜ日本のことを知らないのか 

    そんなパヨクの歴史学者らの主張が、その後の新発見で次々と覆されてきたのが、戦後から現在に至るまでの一貫した流れになりますが(笑)

    子供 笑う 女性

    そして、ヤマトタケルの曾孫である仁徳天皇のお墓が、世界最大の墳墓となり、それを私たちは現在でも目にすることができます

    で、パヨクの歴史学者同様に、どうしてもそんなものが存在していては困るというパヨクの考古学者ら否定してがっているのも、その仁徳天皇陵になります。

    女性 ポイント これ

    『 日本最大の墳墓は第十六代天皇の仁徳天皇陵です。この前方後円墳の長辺の底辺部は486メートルもあり、エジプト最大のクフ王のピラミッドや秦の始皇帝の墳墓より大きいのです。

     日本最大どころではありません。世界最大です。濠(ほり)は三重にめぐらされていました。

     この古墳を築くには1日2千人が働いて、16年かかるといわれています。多くの人々が協力していたということから、それだけの人をまとめる力があったことがわかります。さらに、まだ文字の使われていない時代に、これだけの墳墓を計画的につくる技術力があったことにも驚かされます。祖先信仰を伝えるばかりでなく、技術も口承でしっかり伝えられていたのです。

     仁徳天皇については『古事記』に記述があります。この時代、天皇という称号はまだありませんでした。「すめらみこと」とか「おおきみ」とか呼ばれていました。

     その「すめらみこと」である仁徳天皇は、こういわれました。

    「私が高台にのぼって遠くを望み見ると、国の中に立ちのぼる煙が見えない。百姓が非常に貧しくて、家で飯を炊く者がいないのではないか」

     そして、こう命じられました。

    「いまより以後、三年の間、すべての課役をやめ、百姓の苦しみを除け」

     この日より天皇は御衣とお履き物が破れてだめになってしまうまで新調せず、ご飯やお吸い物が酸味を生じて食べられなくなるまで取り替えることはなかったといいます。

     その後三年を経て、仁徳天皇はふたたび高台にお立ちになりました。はるかに遠くを望むと、あちらにもこちらにも飯を炊く煙が立ちのぼり、百姓が豊かになった様子がよくわかりました。天皇を褒め称える声が満ちています。

     それでも、仁徳天皇は中止していた宮殿の建設にすぐには取りかかりませんでした。それからさらに10年を経て、ようやく宮殿建設を再開されたのです。このとき百姓はこぞって進んで働き、期日よりも早く完成させたそうです。

    「そもそも天が君(天皇)を立てるのは、まったく百姓のためです」

    と仁徳天皇はおっしゃっています。天皇という地位は人々に奉仕するものだという原則この時代にすでにできていたことがわかります。「権力は人民を搾取するものだ」などという考えは、近代になってつくられたものなのです。

     実は、日本最大の前方後円墳が仁徳天皇の御陵であることを疑う考古学者が多いのですが、その大きさと、仁徳天皇が人々から非常に慕われていたことがよくわかる『古事記』の記述を見れば、巨大な前方後円墳を仁徳天皇に結びつけることは、大いにうなずけることだろうと思います。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    エジプトのクフ王や秦の始皇帝よりもスゴイ! 「仁徳天皇」

    日本の歴史 本当は何がすごいのか 

    で、このようにパヨク学者が蔓延っているために、おかしな思想に凝り固まった大人が、「奇形」として生み出されているわけです。例えばこんなの(↓)とか(笑)

    これ 女性

    池上彰 民主主義
    池上彰「日本は欠陥のある民主主義国…」→ ネットの反応『言い方悪いですが池上彰氏の解説に洗脳されないように』

    歴史をしっかりと理解できておりさえすれば「日本は欠陥のある民主主義国」などといった戯言(たわごと)を弄することはないかと思いますが。。。

    女性 笑い 笑う

    『 日本アメリカに負けて民主主義を教わったのではない古くからオリジナルな民主主義を持っている。今もそれはみんなの魂の底に脈々と生きて、国と社会に蘇る時を待っている…

     この根っこを掘り起こすことが、日本のそしてアジアのたった今と未来のために一番の力仕事です。

     アジアが中国共産党の独裁主義の下にすっぽりと入るのか、それともアジアン・デモクラシーとともに政治も経済も育っていくのか。

     たとえばアメリカもドイツも、それに命運を左右されます…アジアは世界の成長センター、世界経済はアジアを抜きにして生きることができないからです。

     日本には、本来の民主主義があるその証拠の現場誰でも訪ねることができます…「ヒントは京都です」…

     そうです、京都御所。誰でも訪ねられる場所です。…

     御所とは固有名詞ではなく、おんところ、その場所と言うだけです。わたしたちの天皇陛下の本来のお住まいはここにしか無いからです。…

     天皇陛下がいまお住まいの東京の皇居は、周知のとおり、ほんとうは徳川将軍がみずからを守って、守って住んでいた場所です。

     だから深い堀があり、砦として聳え、中はまったく見えません。

     ところが御所はどうでしょうか。お堀もなく砦としての護りもなくそれどころか塀が低すぎて中が見えてしまいます

     なぜか

     天皇陛下の本来のお住まいは民に襲われる心配が無いからです。…

     日本以外のすべての国の王城は、徹底的に守られている…わたしたちの天皇陛下の本来のお住まいだけが、世界の例外だ…

     なぜだろう。やがて自然に気づきました。天皇陛下だけが民に襲われる心配がまったく無い君主だからです。日本の天皇陛下は、御自らよりも民のためわたしたちのためにこそ生きておられるからです。…

     ここに、日本の本来の根っこがあります。共有できる基礎があります。

     民こそが大事民が主それは民主主義そのものです。…自分のことより人のこと、人のために生きるそれを原点にした民主主義です。…

     日本型の民主主義いかに古くから始まっていたか、それがありあり分かる逸話残された天皇陛下がいらっしゃいます。

     それは仁徳天皇です。…

     仁徳天皇には「民のかまど」という、本来は有名すぎるほど有名だったお話があります。ところが現在の教育ではほとんど教えません。…

     敗戦後の学校教育は、現代史を教えることを避けていると、よく指摘されますが、実は古代史などにも重大な欠落が生じているのです。

     さて、「民のかまど」です。

     かまどは竈、今で言えばコンロですね。…夕食時には竈から煙が上がるはずです。

     ところが仁徳天皇が、難波高津宮という都の宮殿から庶民の町並みをご覧になると、夕食時にもその煙が上がらない。

     そこで「税が重すぎて、食事がろくにつくれないのだ」と気づかれ、税を取ることを中止された。そのために、御自らの食事が粗末になり、宮殿の屋根の茅を葺き替えることもなさらずに雨漏りがするようになり、皇后陛下が仁徳天皇に困窮を訴えられるまでになった。

     それでも仁徳天皇は税を徴収されず、やがてやっと、民の竈から煙が再びいつも上がるようになるのをご覧になって初めて、税を元に戻され、御自らの食事も屋根の葺き替えも、次第に元通りにされた。

     これが「民のかまど」です。…

     仁徳天皇は古代の方です。古代に、みずからのお暮らしよりも民衆の生活を最優先にされた王や皇帝は、世界のどこにもなかったはずです。…

     日本の天皇陛下はその治世のあいだはすべて今上陛下です。現在の陛下におかれても同じです。先帝も崩御されてから昭和天皇となられました。

     仁徳天皇の「民のかまど」が、民衆の支持を集めてみずからを有利にされるためではなく、むしろみずからの幸をお捨てになって民に尽くされようとしたから、仁と徳の字が選ばれたのです。…

     仁徳天皇は第16代天皇、西暦ではおそらく五世紀のかた、今上陛下は第125代、今は二十一世紀です。

     気の遠くなるような時空を超えて、生きる志を繋げておられます。その志は、わたしたち日本の民が永い時間をかけて築いてきた高い志です。

     ただの一度の敗戦で、否定されるものでは到底ありません。…

     にんげんの歴史ですから、日本にも困ったこと、間違ったことは沢山あります。

     しかし、それは「民のかまど」を教えない理由には何らなりません。… 

     一度戦いに敗れたからといって国旗を拒み国歌を生徒に歌うなと求める教師がいる国は、この広い世界のどこにも日本以外には存在していません

     さぁ、「民のかまど」を歴史の教科書に入れませんか。子供を持つ親の力と、目覚めた教師の志で、それを日本中の学校で実現しませんか。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    ぼくらの真実 

    池上彰のような「奇形」を生み出さないようにするためにも、キチンとした良書を読んで知的な武装をしてまいりましょう❤

    子ども 笑う


    続きは次回に♥




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