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    親子チョコ💗(500冊以上の良質な書籍のご紹介)

    子どもたちの教育のため、また、その親である私たち自身が学ぶための、読まれるべき良質な書籍のみをご紹介させていただきます。

     >  国際 >  軍国主義の日本が救った「欧州ユダヤ難民」、それを見捨てた「支那人とユダヤ人」

    軍国主義の日本が救った「欧州ユダヤ難民」、それを見捨てた「支那人とユダヤ人」

    フグ

    河豚計画(ふぐけいかく)とは、1930年代日本で進められたユダヤ難民の移住計画である。1934年に鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、1938年の五相会議政府の方針として定まった実務面では、陸軍大佐安江仙弘海軍大佐犬塚惟重らが主導した。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ自治区を建設する計画であったが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチ党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独ともに対外戦争を開始したことによって実現性が無くなり頓挫した








    戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。

    そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。

    私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、

    客観的に情勢を判断する必要があります。

    それでは、この書物を見ていきましょう!




    『 1931年9月18日に【満州事変】が勃発し、その翌年【満州国建国】へと動くなか、日本軍の一部には【満州にユダヤ人国家を作るという「河豚(フグ)計画」】がありました。

    女性 ポイント ひとつ

     欧州のユダヤ人ナチス・ドイツのジェノサイドに怯え、脱出先を探していました。リトアニアの杉原千畝在カウナス日本領事館領事代理が、1940年7月から発給した“命のビザ”は、日本でも映画化されるなど広く知られています。

     その杉原領事代理がいた頃のリトアニアで、ユダヤ難民たちのリーダーとしてユダヤ人救出に尽力し、戦後はイスラエルの宗教大臣の立場で1969年にエルサレムで杉原と再開し勲章を授けたワルシャワ生まれ、ワルシャワ大学卒のユダヤ人弁護士【ゾラフ・バルハフティク】は、著書【『日本に来たユダヤ難民ーヒトラーの魔手を逃れて 約束の地への長い旅』】(1992年/原書房)のなかで次のように述べています。…

    ゾラフ・バルハフティク
    ゾラフ・バルハフティク

    「 革命やポグロムが発生するたびに、【ユダヤ人が満州へ流出】し、そこから国際都市【上海へ向かった】上海へは入国ビザの必要がないので、ユダヤ人が続々と流れてきた上海1939年の中頃までユダヤ人を無制限に受け入れた。しかしその後は、居留が厳しく制限されるようになった…。

    上海ゲットー(1943年)
    上海ゲットー(1943年)

     【スファラデイ系】(中東出身で上海港を根拠地に発展した英・米・仏国籍のユダヤ人)と【アシュケナジー系】(ドイツ語圏や東欧に定住していたユダヤ人)で構成される【『上海ユダヤ人委員会』】は、アメリカを本拠地とする【ジョイント】(人道支援団体。正式名称はアメリカユダヤ人合同配分委員会)の資金援助を受けながら【日本租界の虹口(ホンキュー)地区を中心とするホステルへ難民を収容】した」

    上海市中の虹口区の位置
    上海市中の虹口区の位置

    日本に来たユダヤ難民―ヒトラーの魔手を逃れて 約束の地への長い旅 

     上海の共同租界では、海軍きってのユダヤ研究家の【犬塚惟重大佐】が、【日本海軍が警備する虹口地区(通称『日本租界』)】日本人学校校舎をユダヤ難民の宿舎に充てるなど、【ユダヤ人保護に奔走】していました。

    犬塚惟重(いぬづか これしげ)
    犬塚惟重(いぬづか これしげ)

     また、【満州】はロシア革命とそれに続く内線と干渉戦によって、【ハルビン】が反革命派の【白系ロシア人とユダヤ人の新天地】となっており、さらにナチス・ドイツの狂気から逃れるため欧州とロシアのユダヤ人シベリアを経由して、同地へ【洪水のごとく流れ込んでいました】

    ハルビン キタイスカヤ通り
    ハルビン キタイスカヤ通り

    キタイスカヤ通りを歩く3民族
    キタイスカヤ通りを歩く3民族

     これらの内容については拙著『世界はこれほど日本が好き--No.1親日国・ポーランドが教えてくれた「美しい日本人」』(2015年/祥伝社)をご笑覧いただきたく。

    世界はこれほど日本が好き 

     【重要な補足】となりますが、【蒋介石政権も中国共産党も、サッスーン財閥など在中国ユダヤ系も】、第二次世界大戦の歴史に深く刻み込まれた【悲劇のユダヤ難民を、積極的に助けるつもりなど毛頭ありません】でした。

    女性 ポイント これ

     そもそも日中戦争で自身の危険を感じた【サッスーンは、アメリカへ逃げてしまいます】

    ビクター・サッスーン(1931年)
    ビクター・サッスーン(1931年)

    女性 笑い 笑う

    海外の政策に眼を向けてみると、【ユダヤ人がめざしていたアメリカ、中南米、パレスチナ】などはその時代、【入国査証の発給を非情なまでに制限】し、ほとんど【シャットアウト状態】でした。【イギリスの統治領パレスチナ】では、海岸に着いた【ユダヤ難民船に陸上から英軍が機関銃の一斉射撃を加えるという非人道的行為】まであったのです。…

    当初のイギリス委任統治領パレスチナ
    当初のイギリス委任統治領パレスチナ

     さらに他国の領事館、一例では在ハンブルクに構える【中南米その他の国々の領事や総領事】のなかには、ビザ発給の際【避難民に手数料以外に高額な代金を要求】し、しかも発給したビザのなかに【“空ビザ”も多く】、つまり入国が認められず通過国でその扱いに困る例も多々あったとされます。

    ポイント 女性

     【日本】の場合、入国に「NO」を突きつけ、船が彷徨(さまよ)った例もあったとはいえ、【基本政策】として一時、【船を入国させていた】のです。そういった【日本政府と日本社会のユダヤ難民に対する寛容な政策と態度】に、【ナチス・ドイツは少なからず不快感】を示していました。

    ポイント

     1941年末、ドイツ大使館日本政府に対して「外国に居住するすべてのユダヤ人は無国籍とされ、今後いかなる保護も与えられない」と通告し、在日ユダヤ人を解職するよう要求しましたが、【日本はそれすら無視した】のです。

    ポイント 22

     【日本がいかに人道的だったか】が、よくわかります。』

    日の丸

    いかがでしょうか?

    今回ご紹介させていただく書物は、普通のメディアでは、なかなか報道されない中華人民共和国内における派閥抗争・権力争いの構図や、中華人民共和国と癒着するアメリカ側の売国奴などについて、非常に幅広い情報が記載されている良書になります。中華人民共和国、つまり「支那」歴史的に見ても、決して「一枚岩」になることができなかったのですが、表面的に「一枚岩」であるかのように装っている「中国共産党による一党独裁支配」という統治形態が、世界中に様々なレベルで害悪をもたらすようになってきたため、いよいよその解体に向けた動き世界の潮流として起きている、それが、私たちの目の前で繰り広げられている光景になります。ぜひとも、本書をご参考になさってみて下さい。

    読書 女性 3-14

    さて、まずは杉原千畝についてですが、本国の命令に逆らって「ユダヤ人」にビザを発給した、というのは「法螺(ほら)話」になります。なぜならば、仮に杉原が命令に背いて発給したとしても本国が認めていなければ必ず本国は入国を認めません。ですので、通過ビザは、日本政府が認めたからこそ発給されたんです。ビザ発給によるユダヤ人保護日本政府の意思ということになります。

    杉原千畝
    杉原千畝

    で、この杉原千畝も入会していた公益財団法人早稲田奉仕園公益財団法人 早稲田奉仕園 HP)というのがあって、

    公益財団法人 早稲田奉仕園

    その周辺には、キリスト教系を中心とする「反日団体」の巣が存在(西早稲田2-3-18)していることは、すでに明らかになっています。

    西早稲田2-3-18

    詳しくはこちらをご参照❤

    「キリスト教」と「お金」と「左翼(パヨク)」 ~ すべては、「お金が欲しいから」(笑)

    沖縄を本当に愛してくれるのなら県民にエサを与えないでください 

    で、1938年に日本政府が決定した方針が、日本で進められたユダヤ難民の移住計画である「河豚計画」です。

    この計画を主導した人物の1人安江仙弘(やすえのりひろ)陸軍大佐でした。

    安江仙弘(やすえ のりひろ)
    安江仙弘(やすえのりひろ)

    『 多くの日本人も世界の人々も知らないことがある。それは日本人がユダヤ人を救った話だ。…まず樋口中将安江大佐である。二人の名前「ゴールデン・ブック」に掲載され、顕彰されている

    樋口季一郎(ひぐちきいちろう)
    樋口季一郎(ひぐちきいちろう)

    ゴールデン・ブックは、ユダヤ民族に貢献した外国人の名記されている。…だが本当に「ゴールデン・ブック」に記載されるべき人物東條英機であったことを、知る人は少なかろう

    東條英機 50
    東條英機

     1930年代末に、2万人ものユダヤ人難民ナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で満州国境へやってきていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口少将が、新京に司令部を置く関東軍参謀長に、ユダヤ人難民の入国の許可を求めた当時の参謀長が、東條英機中将だった。入国を許可しなければ、ソ連がドイツに送り返すところだった。東條「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、2万人のユダヤ人の入国に許可を与えたドイツ外務省が日本政府に対して、強硬な抗議を行ったが東條「当然な人道上の配慮」だとして一蹴した。…東條東京裁判「A級戦犯」として、処刑された。ヒトラーと同列であるかのようにして、言われ無き不当な扱いを受けた。』

    詳しくはこちらをご参照❤

    英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄 

    以下は、Wikipediaからの抜粋になります。

    「 安江が手がけた最後の仕事は、中国国民党政府への和平工作であり、敗戦の日の8月15日、国民党政府高官から「話合いに応じる」旨返書があった。安江は、長男・弘夫を書斎に呼び、「おれがこれだけの事をやったということをお前だけでも覚えておいてくれ」と述べ、それが遺言となった。戦後樋口季一郎とともにイスラエルの「ゴールデン・ブック」に「偉大なる人道主義者」として名前が刻印され、それが安江が生前受けた唯一の名誉であった。

     1945年8月23日大連でソ連軍に逮捕され1950年ハバロフスク収容所で病死した。安江は、「日本をこのようにしてしまったのは、我々年配の者達の責任だ。俺はその責任を取る。ソ連が入って来たら拘引されるだろう俺は逃げも隠れもしない」と言い残した。


    ミハエル・コーガン
    ミハエル・コーガン

     戦前満州に在住していたロシア系ユダヤ人ミハエル・コーガンは、戦後、日本でゲームのソフトや機器の会社「タイトー」を創立する。在満時代ユダヤ人保護のために奔走した安江に深い恩義を感じていたコーガンは安江がハバロフスクの捕虜収容所で亡くなった後葬儀が挙げられていないことを心配し、1954年、「在日ユダヤ協会で一切の費用を持つから好きなようにやって下さい」 と申し出ている

    アブラハム・カウフマン
    アブラハム・カウフマン

     安江の葬儀には、イスラエル公使やユダヤ人協会会長も出席し、在満時代のユダヤ人保護の尽力に謝意を示した。満州ユダヤ人社会の指導者であったアブラハム・カウフマン博士は、安江に信頼を寄せ、その回想録『キャンプの医師』(Camp Doctor, 1973)には、敗戦後同じくシベリアの強制収容所に捕らわれていた日本の軍民に同情の念はあっても日本人への怨嗟の言葉一つなかった。そのため、カウフマンは、ユダヤ人社会から「対日協力者」のレッテルが貼られ疎外されたが、それも意に介さなかった。」

    250px-Taito_logo.gif

    ちなみに、ミハエル・コーガンが創設した「タイトー」は、「スペースインベーダー」という大ヒットゲームを生み出しましたが、その社名「太東」、すなわち「極東の猶太(ユダヤ)人会社」を指す名称です。


    日本語で、「ホロコースト記念館」とか「ホロコースト博物館」と訳されることもある「ヤド・ヴァシェム」という名のイスラエルの国立記念館があります。

    ヤド・ヴァシェム
    ヤド・ヴァシェム

    そこでは、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)の犠牲者達への追悼が行われていますが、実はそこに遺品が永久展示されている人物「河豚計画」を主導した、もう一人である犬塚惟重(いぬづかこれしげ)です。

    犬塚惟重(いぬづか これしげ)
    犬塚惟重(いぬづかこれしげ)

    さて、本日はここまでとさせて頂きますが、「ユダヤ人」が一枚岩ではない、ということはお気付きになられたことだと思います。それを意識しておくことで、現在の世界の状況より良く理解することができるようになると思います。

    安倍 ネタニヤフ
    動画:安倍首相がエルサレム訪問、イスラエルのネタニヤフ首相と会談

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    ネタニヤフ トランプ

    トランプ 安倍 0416

    『 外交問題のへそといえば、結局ユダヤ人問題となることは、アメリカをとってもイギリスをとっても、ましてや社会主義国をとっても同じである。…韓国や中国をとっても、的外れではない…西洋の歴史を見ると、ユダヤ人問題が常に顔を出している。歴史的に日本人がユダヤ人に危害を加えたことはないから、そのことを述べても罪悪感はないはずである。キリスト教徒やイスラム教徒のようなユダヤ人に対する特別な感情もないし、すぐれたユダヤ人に対しては敬愛の念も惜しまない。…

     左翼ユダヤ人の社会主義思想戦後憲法から戦後レジームをつくった…一般にはGHQのアメリカ民主主義がつくったようにいわれているが、GHQやCIAの前の情報組織、まさに陰謀組織であるOSSの「日本計画」に引きずられていた…アメリカの政府がしたように見えるのがそこに入り込んだユダヤ人のグループが画策したものであるといってよい

     アメリカは移民の国だから、決して一枚岩ではないアメリカという名詞で彼らの外交や経済や歴史を語ってはならないそれはアメリカに対する素人の言い草である

    女性 ポイント ひとつ

     アメリカは基本的に、ワスプ(白人アングロサクソン・プロテスタント)ユダヤ人せめぎあいの国家で、どちらの主張かを見極める必要があるアメリカ政府は、金融を握っているユダヤ人たち国家を形成しているワスプたちとの野合ともとれる。しかしそれぞれのグループも分裂があり、その力関係と時勢の趨勢で優劣を競うことになる。しかし、傾向としてはワスプは国益を考えユダヤ人はグローバリゼーションを主張する。

    トランプ アメリカファースト

     現在、韓国がユダヤ資本に支配されていることは知られている。十大財閥の株式のほとんどがユダヤ資本に握られているのだ。サムスンも現代自動車の稼ぎも、多くの韓国人の利益になってはいない。韓国の朴(ぼく)大統領が一つの外交問題として、「従軍慰安婦」問題をもち出していることとも無関係ではない。彼女がアメリカを訪問している最中にその問題が語られたということが示唆的である。…一方、「慰安婦」の碑建立の動きがあった。…これを囃たてたのが「ニューヨーク・タイムズ」である。…

     この新聞もともと左翼ユダヤ系である。メディアや学界を握ることが、戦後のユダヤ人にとって大きな課題となったことは、彼らの重要な戦術であった。ドイツのナチスが、あらゆる新聞やラジオなどの宣伝を使ってホロコーストを行ったことに対する強い被害意識があったからである。左翼ユダヤ人で構成される米国に亡命したフランクフルト学派は、そのことを深く研究し、逆転させようとしたのである。

     つまりユダヤ人批判を許さず、パレスチナを植民地化したイスラエルに対する非難もできるだけ抑えようとするためにも、メディア支配が必要なのである。ユダヤ人を少しでも批判すると日本においてさえも遮二無二非難するような言論攻勢が行われることになる。』


    詳しくはこちらをご参照❤

    戦後日本を狂わせた左翼思想の正体―戦後レジーム「OSS空間」からの脱却 


    続きは次回に♥




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