2018-05-15 (Tue)

1936年発行 100元法幣
法幣(ほうへい;Fa pi)は中華民国蒋介石政権により1935年11月3日の幣制改革によって政府系銀行が発行した銀行券(不換紙幣)を、中国の法定貨幣(Fiat Money)として流通させたものである。蒋介石政権以外の政権からは旧法幣と呼ばれた。法幣の発行により500年に亘る銀本位制が収束したが、大量に発行したことに起因しハイパーインフレを誘発した。1948年8月19日(20日より実施)の幣制改革により、あらたに発行した金円券と交替し、13年にわたる歴史を閉じた。
辛亥革命により中華民国が成立しても、清代まで続いた銀本位制を継承し貨幣を発行していた。清末までは取引は銀両により行なわれていたが、清末には海外から銀円が流入し、民間でも銀円が流通するようになった。民国は銀円通貨を継承し、北洋政府及び国民政府では銀円が鋳造され、1933年には「廃両改元」の通貨改革により銀円を統一された貨幣単位とすることが決定した。民国初期、各地方銀行或いは政府により別個に紙幣が発行されており、それぞれ市場での信用度と価値が異なっていた。中国銀行及び交通銀行が発行した紙幣が当時信用度の高いものとして扱われていた。
国民政府は1927年の北伐により中国を統一した後、宋子文及び孔祥熙の計画により貨幣改革を実施していった。それまで半官半民の中国銀行と交通銀行を完全に国有化し、加えて政府系の中央銀行を加え中国の銀行業務を国民党の指揮下に再編した。1929年、アメリカで始まった世界大恐慌が発生すると、ルーズベルト大統領は1934年に銀の回収を定めた法律(「銀買上法」)を議会で通過させ、財務省による銀の備蓄・退蔵が行なわれた結果銀の国際価格が大幅に上昇した。
このアメリカによる銀の退蔵政策は、当時世界第3位の銀本位制国家だった中華民国に大きな影響を及ぼし、大量の銀が国外に流出・デフレと利息の急速な上昇により銀行が臨時休業を行なう事態となり、ともすれば金融破綻が懸念される事態となった。このため1935年11月4日に国民政府は、銀国有化と紙幣の使用強制を義務化させる『財政部改革幣制令』を布告した。

1円銀貨、孫文像、1933年
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【宋美齢(そうびれい)】の兄、【宋子文(そうしぶん)】は国民政府の金融財政政策の中心的人物となり財政部長も務め、義兄にあたる前述の【孔祥煕(こうしょうき)】と共に【幣制改革】実施に動いています。

「5000年の歴史」を自称する【中国】ですが、この時代まで【共通の通貨】というものが【存在せず、滅茶苦茶だった】のです。【納税用には銀貨】が使われていました。
1935年11月に【蒋介石が「銀本位制改革法令」を発布】します。この貨幣改革によって、【中国の銀は怒濤の勢いで海外に流出】します。

国民政府は輸出銀に対して関税を課し、一挙に二重の利を得ます。1円の銀は海外銀行に預けられることになり、【サッスーン系列】で当時【上海を本拠地】としていた【香港上海銀行(HSBC)】も、ロンドン、ニューヨークの市場に、銀を1円80銭で売り飛ばすことで莫大な利益をあげました。

「満州国を建国」した【日本】が中国各地へ進軍し、【サッスーン家の富が接収される】なか、権力と影響力を失うわけにはいきませんでした。

☆ビクター・サッスーンとチャールズ・チャップリン
1939年2月に渡米した【ビクター・サッスーン】は【反日発言を繰り返し】、「日本の中国大陸での冒険を終わらせるために、【米英仏は日本を事実上ボイコットせよ】」と語っています。そして【浙江財閥と手を携え、蒋介石と宋美齢を、反日プロパガンダのスタートとして活用】します。…


「タイム」誌の表紙を飾った宋美齢と蒋介石(1931年)
【イェール大学の秘密組織、スカル&ボーンズ】を1832年に設立した【創立メンバー】は、大統領や司法長官、陸軍長官などを輩出する【名門タフト家】の【アルフォンソ・タフト】他、

アルフォンソ・タフト
【アヘン売買】で巨万の富を築いた【ラッセル一族】の【ウィリアム・ラッセル】などでした。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセル
ウィリアム・ラッセルのいとこが、【世界最大のアヘン密輸企業ジャーディン・マセソン社】と手を組んでいた【ラッセル・アンド・カンパニー】の経営者でした。

サミュエル・ラッセル
しかも【スカル&ボーンズ】は、【ラッセル家のアヘン取引で儲けた資金で創立】されており、【イェール大学の敷地の大部分も、ラッセル・トラスト・アソシエーションの所有】なのです。

スカル・アンド・ボーンズのエンブレム
【蒋介石】も、【青幇(チンパン/中国マフィアの一組織)】の大ボス、【杜月笙(とげつしょう)】と表裏一体の関係にありました。上海を支配する青幇はアヘン、賭博、売春が主な資金源でしたが、一時は【中国全土のアヘン取引の胴元】になるほど権勢をふるっていました。

杜月笙(と げつしょう)
【浙江財閥、サッスーン、青幇、そしてルースの秘密結社スカル&ボーンズ】。すべて【“アヘンつながり”】だったのです。

日本が中国に進出することは、国際的ヤクザのネットワークに、小さな島の純粋無垢な少年が殴りこみをかけに行くようなものであり、危険すぎる行為だったのです。…
1941年12月8日、【日本の軍部がサッスーン財閥を接収】した際、押収した資料のなかに、「イギリス大使館宛機密情報綴」がありました。
それはサッスーンの個人的軍事情報で、【ビクター・サッスーンがイギリス王室直属のスパイ(キング・サービス)だったことも判明】します。

約8年に及んだ【支那事変】では、【蒋介石軍の戦費の大部分はサッスーンが支援】していましたが、国民政府も銀準備を担保に【大量の武器を買わされていました】。
しかも、宋美齢の兄、宋子文らに【貨幣改革】を勧め、国内をますます混乱に陥れたのは、【シンクタンク太平洋問題調査会(IPR)】の事務局出身で、蒋介石政権の財務大臣秘書官を務めた経済学者の【冀朝鼎(きちょうてい)】でした。彼は【コミンテルン側のスパイ】だったのです。

冀朝鼎(きちょうてい)
米国家安全保障局(NSA)が1995年に公開した【ヴェノナ文書】-第二次世界大戦前後に、アメリカ内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、米陸軍情報部が秘密裏に傍受した記録-によって、【冀朝鼎がスパイだった】ことは暴かれています。彼を蒋介石の元へ送り込んだ“ボス”は【周恩来】です。

中華人民共和国の首脳陣と(左から張聞天・毛沢東・宋慶齢・周恩来・陳毅)
ここで長年、中国社会を見続けてきた私ですが言いたいことがあります。
【世界の表社会と裏社会】の権力者らを巻き込んだ、このような【複雑怪奇な人間相関図】は、何も日中戦争期の【1930年代、1940年代の話だけではありません】。

鄧小平が改革開放政策を打ち出し、江沢民政権、胡錦濤政権、そして習近平政権へと【表看板は「中国共産党一党独裁体制」】の政権がバトンされてきました。しかし【共産党政権は一枚岩などではありません】。それどころか【当時からの延長線】にあり、最高幹部の権力闘争にも【“世界”が関与し、利権が絡んでいる】のです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、普通のメディアでは、なかなか報道されない、中華人民共和国内における派閥抗争・権力争いの構図や、中華人民共和国と癒着するアメリカ側の売国奴などについて、非常に幅広い情報が記載されている良書になります。中華人民共和国、つまり「支那」は歴史的に見ても、決して「一枚岩」になることができなかったのですが、表面的に「一枚岩」であるかのように装っている「中国共産党による一党独裁支配」という統治形態が、世界中に様々なレベルで害悪をもたらすようになってきたため、いよいよ、その解体に向けた動きが世界の潮流として起きている、それが、私たちの目の前で繰り広げられている光景になります。ぜひとも、本書をご参考になさってみて下さい。

さて、近年になって、今回ご紹介させて頂いているような内容の書物が、続々と出版されていますが、このような事実を「戦前の日本人は知っていた」んです。

例えば、今から約80年ほど前の新聞記事をご覧ください。


『世界経済を侵蝕する猶太財閥 猶太財閥の魔手は遠からず日本にも』日本工業新聞(昭和16年・1941年4月13日付)
☆神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 人種問題(3-043)
詳しくは、上記のリンク先でご確認頂きたいのですが、以下に一部抜粋してみます。
『 日本工業新聞 1941.4.13 (昭和16)
世界経済を侵蝕する猶太財閥
猶太財閥の魔手は遠からず日本にも
私が猶太問題について特に研究というよりも注意を払うようになったのは恰度昭和十二年八月十三日の第二次上海事変勃発直後上海にずっと駐在した時からであって今上海における猶太財閥の王座を占める一番の利け者はサア・ビクター・サッスーンであります、このサッスーンというものについて物奸きに実は私は色々彼の系図を調べてみると今のサッスーンの四代前の先代は「バグダットの盗賊」で有名なイラク国バグダットの出身でダウド・サッスーンといい志を求めて英国に渡り巨万の富を遣り財界重に政界外交界に非常に強力な根を張ってサッスーン家の基礎を築いた・・・
一昨年亡くなった本家はそうなっているが一方分家の長男たるエドワード・デビットサッスーンはフランスのロスチャイルド家に重く用いられた、ロスチャイルド家はフランスの富の殆ど大半を占める大財閥で現在はフランス国籍を放逐されているが、これに非常に重用され次いでロシアのアレキサンドル大帝(ニコラス二世の父君)に用いられたがロシアでの猶太人の陰謀事件が崇って次第に圧迫が強くなり彼は居耐らなくなって再びロスチャイルドの下に帰り、ロスチャイルドの南阿(※南ア)における事業の監督をやった後纏まった金を拵えて英領インドへ行って東印度会社に入り、二、三年の中に一億弗ともいわれる非常な富を作って香港から上海にかけて根城を構えたのが今の上海サッスーンのはじまりらしい、そのE・D・サッスーンに男の子が四人あって・・・四男のD・E・サッンスーンという男は一番勝気であって昭和十二年五月に死んだが、之が極東における猶太財閥の中心人物となった、ニックネームを上海アンクル(上海の小父さん)といい一九二五年所謂昭和十年十一月三日の支那の幣制改革に参画した大立物である、このD・E・サッスーンの死後はエドワード・サッスーンの子であるサア・ビクター・サッスーンが現に上海に健在してユダヤ財閥の総帥となっている
このD・E・サッスーンがまだ生きている時、例のスコットランドのユダヤ人で英国の経済最高顧問をしておったサー・リース・ロスが日本に来て時の蔵相高橋さんに会い日本も支那の幣制改革に一つ片捧担がんかということを話しかけた

フレデリック・リース・ロス
その時日本の上海方面の銀行は一致団結してああいう銀に対する愛着の深い漢民族から銀を取上げて紙の法幣を渡すということは幾らも経たぬ中に幣制は根底から引っくり返ってしまうから、片棒担いだら大変だという決議をした、リース・ロスはそれは百も承知で英国から支那へ来る時、桑港(※サンフランシスコ)で悠々自適していた問題のD・E・サッスーンとチャンと十分協議をとげて来たと伝えられている、これで極東における猶太財閥活躍の一端が判る訳ですがそしてリース・ロスは日本に一寸立寄り挨拶して上海に行き、幣制改革をやったのです、また後に英国から支那に駐在していたヒューゲッセン大使—事変がはじまってから南京より上海へ来る途中機関銃で掃射されたとかで後にバタビヤで静養したがこれが立派に猶太人です

ナッチブル・ヒューゲッセン
このD・E・サッスーン、リース・ロス、ヒューゲッセン之が一つのグループとなって幣制改革をやった、斯う色々と考えてみると極東における猶太人の活躍というものは実に何んという微に入り細を穿って実に科学的、理智的にああした銀を捲上げるにまず銀の国有令を出させて置いて虎の子の銀を渡すと紙の法幣を渡す、その法幣は中央、中国、交通、中国□民の四銀行の発行する紙幣で、これは紙だけれども対外為替の一志二片二分一(※1元=1シリング2ペンス半)で何時でも磅(※ポンド)、弗(※米ドル)、ギルダー或は日本の円にも代わるという風に猶太財閥所謂英米の政治家のグループが為替水準維持に努めたのは御記憶だろうと思いますそこで立派にこの幣制改革が出来て十億弗程の銀塊をロンドンに運び態よく紙を渡して銀をさらった、支那の富は彼等が殆んどさらった
これがためサッスーンの富は幾十億かになったことは御想像に難くない、斯ういう幣制改革をするに彼等は一番宜い立場にあるのはサッスーンは直属の金融機関たる奮上銀行、支那名で海富銀行を有っている、またサッスーンが主なる支持者となっているチャータード銀行(麦加利)今一つはアメリカ系のナショナル・シチー・バンクがある、そしてリース・ロスがリーダーとなりヒューゲッセン大使が政治工作をして支那の富を得ようという東洋の幣制史はじまって以来の一大幣制改革をした、これらの一切合財の舞台監督をしたのがドナルドです

ウィリアム・ヘンリー・ドナルド
蒋介石の最高顧問をして宋美齢に影の形の如く添うている、彼がこのプランを樹てたといわれていますがこの幣制改革を企てた理由は世界に巣喰っている猶太一派が支那をして日本に立ち打ち向はしめるためにああいう方法をとったという彼等でなければ出来ない理智的な巧妙な深謀術策というか、そういう建前からして支那事変を起さしめるためによったものとさえ結論しているものがある
それからして翌年の昭和十一年十一月には西安事件というのが起った、これは蒋介石がどうしても起たないので国民党と共産党を合作せしめるためドナルドが仕組んだ事件で、蒋を救援のため宋美齢と共に飛行機で西安に飛んだのがこのドナルドです

宋美麗とウィリアム・ヘンリー・ドナルド
斯う段々と考えると彼等の連絡網陰謀網というものは実に測り知るべからざるものがあって、西安事件によって支那はやむを得ず日本に楯突くようになったといわれている、そして翌十二年七月七日に逐に蘆溝橋で事変が起り戦線は段々に拡大して八月十二日に上海事変が起った』

このあと、「フリーメイソン」のお話が出てくるのですが、「フリーメイソン」という組織そのものは何ら問題はなく、組織として考えるのではなく、あくまでも個人的な繋がり、人脈として見ていかなければならない点に注意してください。ソ連の「コミンテルン」との違いが、そこにあります。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆パヨクが大好きwww 「フリーメイソン陰謀論」

さて、記事の中に最も重要な部分が書かれていましたが、それが次の部分です。
『銀を捲上げるにまず銀の国有令を出させて置いて虎の子の銀を渡すと紙の法幣を渡す、その法幣は中央、中国、交通、中国□民の四銀行の発行する紙幣・・・』

つまり、支那の国民に「銀」と「ただの紙切れ」を交換させ、集めた「銀」を外国との交易の決済に使用する「外貨=紙切れ」と交換したわけです。
これは、現在も同じで、「香港ドル」は「米ドル」を担保にして発行される「ただの紙切れ」に過ぎません。しかも、純粋に民間銀行が発行している「紙切れ」です(笑)
そして、「人民元」というのは、中国共産党の下部組織が発行する「ただの紙切れ」でしかなく、基軸通貨である「米ドル」を担保にして、「米ドル」に見合った分だけ、「人民元」という「紙切れ」を印刷しているんです❤

詳しくはこちらをご覧ください❤
↓
☆イギリスとアメリカが戦争をした理由 ~ 基軸通貨を独占して発給する銀行

さて、本日はここまでとさせて頂きますが、本文中に書かれていました「スカル&ボーンズ」や、「宗家の三姉妹」につきましては、以前に書かせて頂いておりますので、そちらをご参照くださいませ❤
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆トランプ大統領が「孤立主義」だと、何がダメなの?

☆映画 『宗家の三姉妹』 ~ 「中国人」を簡単に理解するための「パロディ映画」

続きは次回に♥
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