2018-04-03 (Tue)

悪代官(あくだいかん)とは、領民を圧制で苦しめたり、不正を働いたりした代官の代名詞的な表現。実際の歴史の中では、「悪代官」と言われるような代官はさほどいなかったとされるが、フィクションの世界(時代劇)においては悪党の総元締め的な「ストックキャラクター」として登場する。特に勧善懲悪型の時代劇においては、大きな威圧感と強面ぶりを示しながらも、最後には必ず主人公(またはその仲間)に成敗される存在として欠かせない役どころであり、そのイメージがステレオタイプ化され、広く浸透し、親しまれるようになった。
なお、現代においても不正を行ったり強引な手法が目立つ首長や官僚、役人等を比喩する場合に使われることがある。
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 「代官」といえば、どうも【「悪代官」のイメージ】が強い。

現代に生きる我々が目にする最も身近な代官といえば、【時代劇に登場する代官】であるが、彼らは、豪華で派手な着物を身に付け、悪徳商人と組んで悪だくみをしては、「越後屋、お前もワルよのう」と不敵な笑みを浮かべたり、支配地の農民から搾取しながら賄賂(わいろ)で私腹を肥やしたりと、【なにかと悪いイメージで描かれることが多い】からだ。

☆はるましんじ@悪代官の悪だくみ
結果的に、ドラマでは水戸のご老公や貧乏旗本の三男坊に扮した将軍様、仕事人たちによって、決め台詞のもとで成敗されるハメになる。
これでは【良いイメージなど生まれるはずがない】。

☆国立国会図書館デジタルコレクション - 水戸黄門漫遊記
【代官=悪者というイメージ】が強くなったのは、【大正時代】の講談本【『水戸黄門漫遊記』(立川文庫)】がきっかけだった。この講談本のなかで、【水戸黄門が悪代官を成敗する話】が語られたのである。この講談本が大ヒットし、さらに【多くの時代小説も誕生】。後には昭和の【テレビ時代劇『水戸黄門』】で、黄門様が次々と悪代官を懲らしめ、喝采を浴びた。こうして、【悪代官のイメージがすっかり確立されてしまった】のだ。

☆BS-TBS 水戸黄門
確かに黄門様が活躍した天和(てんな)から元禄(げんろく)の時代は、世襲代官が多く、五代将軍徳川綱吉によって多くの代官が粛清され、【官僚的な代官】に代えられていった。こうした史実を背景に、そういうストーリーが作られたのだろう。

徳川綱吉(土佐光起筆 徳川美術館蔵)
とはいえ、【代官は本当にそのような悪人ばかりだったのだろうか?】

地方に行くと、【各地に「名代官」と称される者の功績が数多く伝わり、顕彰碑などが全国に散在している】。【代官は、地元民には慕われる存在だった】のである。

本書では、時代劇によってすっかり悪人のイメージが染みついてしまった【代官の実態】に迫り、その真偽のほどを暴いていきたい。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、未だに多くの日本人が「誤解」している「代官」について、最新の歴史分析に基づいて、正しいイメージをアップ・デートできる書物になります。

当ブログにおきまして、本書も含め、出来る限り多くの良書をご紹介させて頂きたいと思っているのですが、それは、現代を生きている私たち日本人は、学校教育や、メディアを通じて、「バイアス」が掛った状態にある、と考えており、そのような状況から脱出するために、可能な限り、新しい知識を基に、古びた常識から新しい常識に、アップ・デートしていただきたい、と願っているからに他なりません。
例えば、「村社会」という言葉を聞いて、否定的なイメージをお持ちであるならば、それは間違ったイメージが刷り込まれているからです。

『 江戸時代の村における人間関係は、今日に比べてはるかに濃密でした。プライバシーがないに等しいような関係は煩(わずら)わしく思われがちですが、それも今日的な見方です。当時の人々にとっては好むと好まざるとにかかわらず、そうした関係を受け入れなければ村社会で生きてはいけませんでした。
もっとも当時の村の社会関係には、今日から見て積極的な意味をもつ要素が少なくありません。たとえば農業にとって不可欠な耕地は、江戸時代には、個々の百姓のものであると同時に、村全体の共有物とも考えられていました。村内のすべて耕地は、村全体の共有財産でもあったのです。そのため、誰かが没落して耕地を失うような危機に陥れば、村は積極的に、救いの手を差しのべました。一軒の百姓の没落は、ほどなく他の百姓にも影響し、ひいては村全体の衰退にもつながったからです、村全体のものである耕地を保全するために、村人たちは互いに助け合っていたのです。
他にも、江戸時代の村は、村人のために多様なセイフティネットを用意していました。
このような土地所有のあり方は、今日とは対照的です。現代社会では私有と共有は異なるものとして明確に区別されており、他者の干渉を排除して対象を独占することを「私有」ととらえています。私有地は、自分の思いのままに利用・処分できるものと考えているのです。…
土地――広くいえば自然環境――は共有財であるという江戸時代の考え方に、私たちはもっと学ぶべきではないかと思うのです。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆電車で化粧・・・ができちゃう理由 ~ 日本の素晴らしい「村社会」

他にも、例えば「一揆」というものは、「革命」とは程遠いものでした。

『 しかし、どうしても「一揆」には、革命的イメージがつきまとう。2010年から2011年にかけてアラブ世界において革命が連鎖的に発生した際には(後に「アラブの春」と総称された)、インターネット上で「日本の歴史で言えば一揆のようなもの」とか「世直し一揆」とか、「一揆」にたとえる意見が目に付いた。
反政府の民衆運動を「一揆」と捉える見方は今に始まったことではない。1918年(大正七)、富山県の港町の女性たちが、地主や米問屋による米の買い占め・売り惜しみに反発して米を売るよう強要した事件、すなわち米騒動は、当時の新聞では「越中女一揆」と報道された。
いわゆる60年安保闘争も「一揆」とみなされることがある。ノーベル文学賞作家・大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』(1967年)は、1860年(万延元)の百姓一揆と1960年(昭和三十五)の安保闘争を重ね合わせた作品である。
これは、世間一般がそのようなイメージを持っている、という問題にとどまらない。専門家である日本史研究者も、多かれ少なかれ「一揆」を革命的なものとして捉えているのである。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆史実 : 「一揆」は、革命的なものではなく、「契約」です

「村社会」や「一揆」に関しては、今回ご紹介させて頂いている本書をご覧頂いても理解できることだと思いますが、ぜひ併せてお読み頂くと、より一層理解が進みます。
また、「遊女」と聞くと、なぜか「性奴隷」のようなもとの勘違いされている方々も多いと思いますが、それも間違ったイメージを刷り込まれているからです。
『 性の諸問題は昔の性風俗を例にして語られることがあるのですが、もはや、「事実」と「作り話」の区別もつかずに語られている状態なのです。
作り話をもとに話し合ったって、まとまるわけがありません。
ですから、何が作り話なのかを伝える必要があるのではないかと思った次第です。
特に、これから遊郭(ゆうかく)を題材にお話を創ろうとしている創作者の方たちへ。
といいますのも、これまでの遊郭のイメージを牽引してきたのが映画や小説などの「作り話」だったからです。
フィクションですから作者は何を描いてもよいのですが、実態がよく知られていませんから、読者は「遊郭はそういう場所だったのだ」と刷り込まれてしまうのです。
小説や映画など、巷(ちまた)には遊郭を舞台にした創作作品が数多くありますが、それらは不気味にも、まるで判で押したかのように設定が同じだということに気づいていました?
幼くして売られてきた、逃げられない、意に添わずセックスさせられる、とまぁ、読者の同情を誘うには十分な設定です。
しかし、10人のクリエイターがいれば10の架空設定があってもよさそうなのに、なぜ皆一様な「設定」を描くのでしょうか。
答えは簡単。クリエイターが「遊郭はそのような場所だった」と思って描いていたからです。
クリエイター自身が先人の作品でそのような場所だとイメージを固定させ、その概念で描きます。
参考図書を探すときですら、そういった前提で文献を調べるのです。
これまでの遊郭創作物は仕方ありません。だって、そういう記述の解説本しかなかったのですから。
本書をお読みになって「思っていたのと違った」という感想を持っていただいたり、新たな「設定」を創造していただけたら、「私、性風俗を研究しています」と言った甲斐があるというものです。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆日本人が、本当の江戸時代を知らない理由 ~ 「遊郭」の例

本文中に「遊郭を舞台にした創作作品が数多くありますが、それらは不気味にも、まるで判で押したかのように設定が同じ」と書かれていましたが、今回ご紹介させて頂いている本書のテーマである「代官」も、同じような現象がみられることは、説明するまでもないかと思います。

もう少し違った観点から例示してみますと、例えば、明治から昭和初期までは「石器時代」として一括されていたのに、なぜか、日本独特の時代区分である「縄文時代」・「弥生時代」という言葉が作り出され、特に戦後において、マルクス主義史観が入り込んだまま、学校教育が行われ、その刷り込まれた間違ったイメージを抱いたまま、多くの方々が大人になっている状況にあります。
『 多くの人々が読むという一般向け書籍の性格を考慮すると、縄文時代や弥生時代という語の普及に大きな影響を与えたのは、おそらく先の『岩波講座 日本歴史』シリーズと並んで、河出書房から刊行された『日本の考古学』シリーズであったと思われる。本シリーズの特徴は、考古学的な時代区分としと、先土器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・歴史時代という日本独自の時代区分を前面に押し出したという点にある。このうち第二巻の縄文時代は1965年に、第三巻の弥生時代は1966年に刊行されている。第三巻の編者でもある和島誠一は、弥生時代の定義を「弥生時代は、ながく停滞的な採集経済の段階にあった縄文時代の日本民族が、大陸の農耕文化の促進的な影響をうけて稲作を中心とする生産経済にうつり、米を主食とする日本人のその後をきりひらいた時代である」と述べ、弥生時代は縄文時代より発展した時代であり、弥生時代こそ日本人の日本人たる文化が始まった時代であることを主張した。ただ、和島の主張だけのせいではないが、このような言説が、意識するしないにかかわらず、縄文時代を劣位、弥生時代を優位と考えるような、ある種「上から目線のモノの見方」を育んでしまったことはまちがいなかろう。
現在でも考古学を志す学生の間では、縄文時代以前のテーマで卒論を書こうとすると、「コメを喰っていないサルの時代か」と揶揄されることがあるそうだ。実際、私の学んだ大学でもそうであった。今はどうか知らない。また、現在私が勤務している国立歴史民族博物館(博物館といっても、研究施設に付属する博物館なので、一般の博物館とはちょっと性格が違うが)は、小中学校を中心とする児童・生徒達の社会科学習の場としても利用されるのだが、引率の先生の口からも、先のような発言が生徒に向かってなされることがある。さらには、「縄文時代の人と弥生時代の人、どちらが幸せだったでしょう」といった小学生用の教材までインターネット上に公開されている。思わず、天を仰ぐことも少なくない。
このような視線の背景には、単なる戯れ言では済まない、「食糧を生産する社会の方がより高い文化を持ち、優れている」というドグマが見え隠れしているといってよい。このドグマそのものは、歴史を発展段階的に捉える唯物史観によって立つ研究者たちの様々な忖度(そんたく)の末に生じたものだが、このドグマこそが、後の弥生時代の地域性を語る際に大きな問題となり、また弥生時代を優位と考えるということと同根である。自分たちがより高いレベルの文化・文明に属しているという錯覚が、いわゆる発展途上国などの人々に対する「上から目線」を生み出す根源とさえなっている。これについては、多くの民族誌的研究から批判がなされているのだが(たとえばクラストル1987など)、その批判が私たちの社会に届いているとは、ちょっと思えない部分がある。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆縄文時代を劣位、弥生時代を優位と考えるような「危険思想」

つまり、間違ったイメージを刷り込んでいるのが「共産主義者」ども、ということになります。


☆共産党・不破前議長「政教分離の原則に反する。国民主権でも全くない」「元号制度やめた方がいい」~ネットの反応「西暦も宗教色強くないか?」「日本の敵と再確認」

☆共産党・志位委員長「三種の神器の承継など 国事行為にすべきでない」

☆共産党・志位委員長がフェイクニュース!籠池被告の証言を大幅に改変する捏造と妄想を披露

☆赤旗が自爆記事「近畿財務局内で安倍事案と呼ばれていた」野党のマッチポンプで仕込んだフェイクニュース

☆【森友】共産党・志位和夫「安倍首相は改ざんを知ってても知らなくてもアウト!総辞職しろ!」





☆【ワロタw】志位「新宿です!大通りを埋めるギッシリの人垣!国民の怒りで政権打倒!」→ 買い物で通りかかった人がスカスカ写真を公開wwwwww

続きは次回に♥
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