2018-03-29 (Thu)

スラップ(英: SLAPP、strategic lawsuit against public participation、恫喝訴訟、威圧訴訟、批判的言論威嚇目的訴訟)とは、訴訟の形態の一つで、大企業や政府など優越的地位を占める者(社会的にみて比較強者)が、個人・市民・被害者など、公の場での発言や政府・自治体などの対応を求めて行動を起こした権力を持たない者(社会的にみて比較弱者)を相手取り、恫喝・発言封じなどの威圧的、恫喝的あるいは報復的な目的で起こすものをいう。
平手打ち(英:slapp)にも通じる表現でもある。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 一方、私も、社会的抹殺の危険にさらされながら戦っている。
2017年12月25日、拙著【『徹底検証 「森友・加計事件」--朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)】が名誉毀損に当たるとして、【朝日新聞社】から5000万円の損害賠償と、6つの新聞紙上での謝罪広告の掲載を求める訴訟を提訴されたのである。

この本は、平成29年2月から7月にかけて【朝日新聞が主導】した【森友・加計に関する報道】は、【事件の本質とまったくかけ離れた「安倍疑惑」の捏造だった】ことを実証したドキュメンタリーである。

【「報道犯罪」】という表題や、帯に使った【「捏造」】という言葉はきわめて手厳しいが、私は、売るために煽情的(せんじょうてき)な見出しをつけたわけでも、朝日を悪役に仕立てるためにどぎつい誇張を本文に施したわけでもない。
本書は、あくまでも【膨大な新聞記事】や【議事録】の綿密な読みと、【関係者への取材】に基づいた【ドキュメンタリー】だ。Amazonのレビューがすでに260点以上ついており86%が☆5つの高評価であるが、手放しの礼賛は一部で、拙著がドキュメンタリーとしてどういう性質かを批判的にチェックしたうえでの評価が多くを占めている。

☆【野党と籠池被告の接見】大阪拘置所前デモ隊が酷すぎる「籠池出して昭恵を入れろ!野党は頑張れ!官僚頑張れ!」

☆ほんこん「野党が籠池氏の面会に行ったが、何で被告の意見を聞いてそれが正しいと思うの?だったら…」
実際、私は調べ、熟考した結果、【朝日新聞が半年繰り広げた森友・加計報道】は【「安倍疑惑」の捏造】であり、それが【明らかに政権転覆を狙った虚報】である以上、【国民主権を侵害】する【最大級の国家犯罪】だとの【結論に達した】。だから【「報道犯罪」】と銘打ったのだ。

☆立憲民主党ツイッター「あなたにとって、#まっとうな政治 ってなんですか?お聞かせください」~ネットの反応「お前らがいない政治だよ」「私のこめかみに当てた銃口…この引き金をどうすべきですか? と聞いてるようなもんだな」

☆「前川死ね」→「前川頑張れ」 「籠池死ね」→「籠池頑張れ」 「佐川死ね」→「佐川頑張れ」 野党クズ過ぎだろ…~ネットの反応「まぁ籠池とか前川とか持ち上げれば持ち上げるほど世間は引くんだけどな」「脱官僚というキーワード使って選挙勝った事も忘れてそう」
いずれにせよ、【朝日新聞】が、【「安倍疑惑」の「捏造」】という拙著が打ち出した結論に【不服なら、紙面を浸かって検証、反論し】、あるいはほかの媒体によってでも、朝日を擁護する言論人らによるアンチ小川本キャンペーンを張って、【私の本がデタラメだと証明するのが筋】であろう。ところが、【朝日新聞】は、本書への【真っ当な反論をせずに、巨額の賠償を請求する裁判に打って出た】のである。【アメリカでは禁じられているスラップ訴訟(嫌がらせ訴訟)】であり、【言論機関としての自殺行為】にほかならない。

☆【少しは自分でものを考えろ】平井文夫「自分の子供に前川氏の授業を受けさせたいですか?」
しかも【日本の言論機関】がみなで寄ってたかって【作り出す「空気」自体が封殺的】である。【産経新聞を除く】すべての【大手メディア】は、この歴史的に稀有(けう)な裁判について、【黙殺】し、【まったく報じようとしない】。

☆前川喜平が講演した高校の実行委員の学生「僕は、前川氏のような人間が人の前に立ってよりによって教育について語る資格はないと思っています。」

☆前川喜平氏の講演を聞いた学生が暴露!「1時間のうち半分以上がモリカケ問題に対してと安倍内閣の批判だった」
ネット上で情報を取る人たち以外、【朝日新聞が一言論人に5000万円訴訟を吹っかけた】ことを【ほとんど知らない】。また、民事訴訟であるにもかかわらず、訴訟中の【本書は広告を打てない】。【各社に内規】があるためだ。これでは【大企業が自社に都合の悪いドキュメント作品が刊行されたら、裁判を起こせば、不祥事を世間から隠せることになる】ではないか。

☆元官僚・高橋洋一「マスコミの取材で文書改竄への政治家の関与を否定したら“その答えじゃ使えない”と言われた」

☆佐川前国税庁長官の証人喚問について、立憲民主党・辻元清美「佐川さん、ガンバレ!」
私は【朝日から仕掛けられた裁判を戦う】というだけでなく、【マスコミによる一連の「事件隠し」と、一人ぼっちの闘いを戦っている】始末なのである。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、事実関係に基づいた上で、「タブー」を物ともせず、率直に、本当に議論しなければならない「本質的な問題」に切り込んだことで、その「言論の自由」が脅かされている御両名による対談本で、ご覧頂くことで、現代の日本社会に未だに残ったままとなっている「隠れた利権」について、幅広く理解することができる良書となっています。

さて、昨日の続きになりますが、飛鳥時代(592年~710年)、奴婢(ぬひ)と呼ばれる人々が存在していました。奴婢(ぬひ)というのは、古代の賤民(せんみん)のことです。
賤民(せんみん)というのは、通常の民衆よりも下位に置かれた身分またはその者のことで、農民ではない、定住もしていない芸能人や手工業者などを指す言葉でもあります。また、「生口(せいこう)」という言葉も元来、「捕虜」を意味する語で、奴婢(ぬひ)と同じものを指すのかどうかは不明ですが、これらを単純に「奴隷」などと解釈することが誤解を生じさせてきた元凶になります。
乙巳の変(いっしのへん)(645年)によって、蘇我氏一族を一掃した後、皇極天皇(こうぎょくてんのう)の「譲位」によって、孝徳天皇(こうとくてんのう)が即位(645年)、「大化(たいか)」を日本最初の元号と定め、

皇極天皇・斉明天皇
蘇我氏がもたらした分裂・混乱から、聖徳太子が目指した「天皇を中心とする国家体制」を推し進めていくことになります。それが「大化の改新」です。その中心人物が、孝徳天皇(こうとくてんのう)の皇太子となった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)になります。
この「大化の改新」のときに、古代の賤民(せんみん)の地位も定められていくことになります。

天智天皇 『古今偉傑全身肖像』(1899年ごろ)
ここで、当時の近隣諸国の状況を確認しておきましょう。
まず、600年頃の状況が、こちらになります。

☆The World Historical Atras
国内で「仏教」を巡って二分し、争い合った、丁未の乱(ていびのらん)(587年)で物部氏が敗れ、権力を手にした蘇我馬子は天皇を殺害(592年)し、一時的に女性の推古天皇が即位、一方で、支那では「遊牧騎馬民族」の「鮮卑(せんぴ)族」の「隋」が興り(581年~618年)、大陸は戦乱の時代を迎えます。
聖徳太子が国内をまとめるために十七条憲法の冒頭にある「和を尊ぶとなす」という言葉を置き、天皇の下に体制を整えていき、大陸の情勢を把握するために「遣隋使」を送り込みます。
続いて、620年頃の状況が、こちらになります。

☆The World Historical Atras
この頃の大陸との関係で抜きがたく存在しているのが、「遣隋使」や「遣唐使」に関する誤解です。

『 奈良東大寺大仏殿南西にある正倉院は、高床式校倉(あぜくら)造りの壮大な倉庫で、聖武天皇と光明皇后の御物を納める、文化財の宝庫です。

その御物には唐や西城、さらに遠くペルシャから渡ってきた品々が数多く含まれています。そこから正倉院を「シルクロードの東の終点」といったりします。
この呼び名には間違いはありません。確かに多くの文物が大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て日本に流れ込みました。しかし、それだけなのでしょうか。日本から向こうに渡っていったものはないのでしょうか。

日本のこの時代に対する歴史観には、日本は文化が遅れていて、中国や朝鮮に学び、向こうの文化を取り入れて発展してきたという観念が抜きがたくあります。特に戦後、この見方が浸透しました。

その代表例は遣隋使、遣唐使です。
推古天皇十五(607)年に小野妹子が遣隋使として派遣されました。遣唐使の最初の派遣は舒明(じょめい)天皇二(630)年です。以後、途中で船が難破したりしているので数え方にもよるのですが、いずれにしろ、日本からたびたび唐に出かけて向こうの進んだ文化を学び、それによって日本は発展したという文脈で語られています。
しかし、事実はまったく違うのです。

たとえば小野妹子の遣隋使のときです。こちらから行っただけでなく、随からも裴世清(はいせいせい)をはじめ位の高い役人などが32艘もの船を連ねてやってきています。いわば「遣日使」です。
唐の時代になると、さらに頻繁に日本にやってきています。その人数がまたすごいのです。
たとえば、天智天皇八(669)年には2千余人が来ています。天智天皇十(671)年にも2千人来日、という具合です。
ほかにも、当時新羅は日本に高い関心を抱いていたようで、三十数回も来ています。
いまの中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海という国がありましたが、ここからも33回来ているのです。遣隋使、遣唐使よりも遣日使のほうがはるかに多かったのです。

では彼らは何のために日本にやってきたのでしょうか。
ほかでもありません。日本の文化を摂取するために来たのです。経済的には日本の産出する銀、絹などの高い需要がありました。八世紀後半になると日本は金も産出するようになり、日本への関心はさらに高くなりました。文化的には日本の仏教、それに聖徳太子の思想を学ぶということもありました。

鑑真(がんじん)が日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた話は有名てすが、鑑真がなぜこれほど日本に執着したのか。
聖徳太子の思想をはじめ、日本に定着している仏教を高く評価していたということが根底にあるのです。鑑真だけではありません。インド人、ヴェトナム人、ソグド人の僧も日本の仏教を学びに来ています。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆遣隋使や遣唐使よりも、はるかに多かった「遣日使」

ところで、日本の思想や仏教を学びに来たと書かれていましたが、日本の思想は兎も角、なぜ、インドから大陸を経由して流れ込んだものである日本の「仏教」を、どうして、わざわざ学びに来る必要があったのでしょうか?

それは、日本の「仏教」が、他の「仏教」と異なっているからです。

例えば、「成仏(じょうぶつ)」という言葉がありますが、日本人にはどういう意味で理解されているでしょう?
そして、それは本来の「仏教」の「成仏」と同じ意味でしょうか?

実は、全然違っているんです(笑)

以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 仏教の開祖釈迦(しゃか)は、仏陀すなわち「覚(さと)れる者」となった。このことを指して、悟りをさまたげる煩悩を断って輪廻の苦から解き放たれる意味で解脱(げだつ)といい、仏陀(覚れる者)に成るという意味で成仏という。」
このように、悟りを開いて、輪廻(繰り返し生まれ変わるという考え方)から解き放たれることを「仏陀(ぶっだ)」、すなわち仏になるという意味で、「成仏」というのですから、生きていても「成仏」は可能になります。
で、私たち日本人は、それを、あろうことか、「死後に極楽といった安楽な世界に生まれ変わること」と、解釈の変更をして今日に至っています。ですから、死なないと「成仏」ができない、けど、死んだからと言って「成仏」できるわけではない、ということになっています。後ろの部分は、まるで「キリスト教」の思想のようでもあるのですが(笑)

それではお話を元に戻しまして、「大化の改新」(646年)当時の状況が、こちらになります。

☆The World Historical Atras
『 聖徳太子の死後、ふたたび強大な勢力となった蘇我氏が、山背大兄王(やましろのおおえのおう)など、太子の一族を攻め滅ぼしました。それに対して中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は藤原鎌足(ふじわらのかまたり)らと謀って、蘇我氏を倒しました。そして太子の理想を受け継ぎ、天皇を中心にした国づくりをはじめました。大化の改新を行ったのです。それまで皇族や豪族が支配していた土地や人民を、国家が直接統治する公地公民の原則をつくったのです。…

唐が朝鮮半島に進出し、新羅と組んで百済を攻めました。その百済からの救援の依頼があり、日本は白村江(はくすきのえ)の戦い(天智天皇二年・663年)に大軍を送りましたが、唐、新羅の連合軍に敗れました。

九州に大宰府(だざいふ)を設け、防人(さきもり)を置き、彼らの攻撃に備えました。しかし、この戦争も、決して日本が朝鮮半島に進出するために行われたものではなかったことを知るべきです。百済から多くの人々が日本にやってきました。』
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆聖徳太子の死 その時、世界は。。。

さて、本日はここまでとさせて頂きますが、「大化の改新」(646年)によって、天皇を中心とする国家体制づくりを、もし、やっていなかったら、「唐」が攻め込んできた場合、果たして対処できていたのかどうか分かりませんね。
同じように、アホな野党やマスコミと、危機管理能力が問われる政府と、党内の勢力争いに必死な与党と、いつまでも国益の邪魔をし続ける公明党、といった連中が遊んでいる状況なのですが、私たち民間の日本国民が、日夜必死に働いて、税金を支払っているのは、天皇を中心とする国家の安泰のためであって、そのような遊びに付き合っている暇はないのですが。。。
とっとと、これ(↓)を公にしちゃえば、それで終了じゃないですか(笑)



☆夕刊フジが野田中央公園や大阪航空局提案を報道!八代英輝「真相が分かってもマスコミは報じない」
続きは次回に♥
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