2018-03-28 (Wed)

元号(げんごう)は、特定の年代に年を単位として付けられる称号である。
元号は紀年法の一種であるが、西暦やイスラム紀元、皇紀(神武紀元)などの無限のシステム(紀元)とは異なり、皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも随意に行われる変更(改元)によって再度元年から数え直され(リセット)、名称も改められるという、有限のシステムである。
元号を用いた日本独自の紀年法は、西暦に対して和暦(あるいは邦暦)と呼ばれることがある。
日本国内では今日においても西暦と共に広く使用されており、西暦2018年は平成30年に当たる。

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 『宣戦布告』と題して足立康史氏との対談本を世に問うことになった。
【『宣戦布告』という表題は、誇張や比喩ではない】。
今、【日本】では、本当に保守すべき価値や国益、いや、それ以前の、本当に日本社会が問題にしなければならない論点を自由に議論する【「言論の自由」そのものが脅かされている】。

率直に国会や論壇で【議論しなければならない肝腎なテーマほど】、新聞やテレビをはじめとするマスコミでも、国会でも、【タブー視され】、その【タブーを犯す人間は、へたをすると社会的な生命を抹殺されかねない】。

☆【これは酷い】バイキングの坂上忍、和田政宗議員のことを『元NHKなのこれ?』『こいつ何言ってんの?』と、公共の電波で一議員を『これ』『こいつ』呼ばわり

☆【バイキング】坂上忍、和田政宗議員に関する情報のお詫びと訂正の場面で大笑いしふざける…

☆【バイキング】坂上忍、公共の電波で和田政宗議員のことを『元NHKなのこれ?』『こいつ何言ってんの?』→ 批難殺到
足立氏と私は、国会議員と言論人と立場こそ違え、それぞれに、そうした【危険な闘い】を戦っている--その強い危機感と覚悟とを【『宣戦布告』】という表題に込めたのである。

☆和田政宗議員(自民)の太田理財局長への質問議事録削除問題の本質を考える
足立氏は、先般の衆議院予算委員会の質疑で、懲罰動議を提出されただけではなく、自身の所属する政党「日本維新の会」から、国会議員団幹事長代理と党憲法改正調査会事務局長の役職を2018年2月6日付で解かれ、当面の間、国会質問もさせない方針を決められた。
足立氏が【辻元清美】氏をはじめとする多くの国会議員に、質疑の中で名指しで言及する手法が、氏自身が所属する政党自体も含め、今の国会の風土に馴染まないと、強く窘(たしな)められた格好だ。
しかし【本書を読んでいただければよくわかる】ように、【足立氏の挑発的な発言】は、多くの場合、【明確化意図】を持ち、【事実に裏付け】られた、一定の【正当性がある】。単なる炎上商法的な挑発とは違う。【足立氏の「挑発」】には、【国民の代表者】としての国会議員が、【民意を反映】させて【国会で大胆な問題提起をする】という、【民主主義の根本に関わる正当性がある】と、私は考える。

☆自民党・和田政宗「山梨のある学校法人が格安で国有地払い下げされた。この学校の保護者の会の会長は野党のある国会議員」~ネットの反応「ある議員なんて配慮せず実名出せばよかったのに。野党は昭恵さんを犯罪者呼ばわりしてるんだから」

☆自民党・和田政宗議員が「格安で国有地払い下げされた山梨のある学校法人の保護者会の会長は野党の国会議員」とは、民進党の大島九州男だと判明

【辻元】氏が【国土交通副大臣だったとき】の、大阪府【野田中央公園】の【土地価格の値下げ】に関して、【辻元】氏側に【公にされては困る事情が伏在】してはいなかったのか。足立氏による【この問題提起】が、国会の他の議員やマスコミによる【調査・追及のないまま】、いきなり【懲罰動議や役職解任】につながるのは、【明らかに言論封殺であり、恐怖政治】ではないのか。


☆【財務省の森友文書問題】和田政宗議員が事実を基に 時系列で分かりやすく解説 『とても分かりやすい』など反響(※動画)
安倍総理に対する追及ならば、国会で、【事実無根の誹謗中傷と暴言がいくら繰り返されても許される】。【週刊誌以下のような言いがかり】の国会質疑でも、懲罰動議も役職解任もなしに【まかり通り】、【マスコミが、それをもとに一方的な印象操作】で安倍総理をいくら貶(おとし)めても、【何の咎(とが)めもない】。


☆【森友報道】元官僚・高橋洋一氏「マスコミから取材。そういう答えでは『使えません』と言われた。出来レースですね、と言うと『その通り』との答え」
一方で、【元国交副大臣】が、【朝日新聞をはじめとする左派メディアと近い辻元】氏だということになると、国会が【懲罰動議で、追及する足立氏を封じ込め】ようとする。…

【元関係閣僚】だった【辻元】氏の【お膝元での、異常な土地値下げ】に国会が切り込むことを、いきなり【懲罰動議で封じ込め】ていい話では決してないだろう。…

この【異様な非対称性】と、【合理性なき発言封じ込めの暴力的懲罰】は、日本社会において、【公正や自由の原則】が、現時点ですでに、【根本から踏みにじられている】ことを示していると、私は考える。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、事実関係に基づいた上で、「タブー」を物ともせず、率直に、本当に議論しなければならない「本質的な問題」に切り込んだことで、その「言論の自由」が脅かされている御両名による対談本で、ご覧頂くことで、現代の日本社会に未だに残ったままとなっている「隠れた利権」について、幅広く理解することができる良書となっています。

さて、一昨日の続きになりますが、飛鳥時代(592年~710年)、奴婢(ぬひ)と呼ばれる人々が存在していました。奴婢(ぬひ)というのは、古代の賤民(せんみん)のことです。
賤民(せんみん)というのは、通常の民衆よりも下位に置かれた身分またはその者のことで、農民ではない、定住もしていない芸能人や手工業者などを指す言葉でもあります。また、「生口(せいこう)」という言葉も元来、「捕虜」を意味する語で、奴婢(ぬひ)と同じものを指すのかどうかは不明ですが、これらを単純に「奴隷」などと解釈することが誤解を生じさせてきた元凶になります。

聖徳太子二王子像 ※向かって右の人物が山背大兄王とされる
622年、聖徳太子が亡くなり、蘇我氏を抑える者がいなくなったことで、その専横が甚だしいものとなり、やがて蘇我入鹿(そがのいるか)によって、聖徳太子の血をひく、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の一族が、一族もろとも「自殺」(643年)にまで追い込まれてしまいます。
そして、蘇我氏に対する反撃が始まります。いわゆる乙巳の変(いっしのへん)です。

多武峯縁起絵巻 蘇我入鹿暗殺場面
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌足(なかとみ の かまたり)らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼした飛鳥時代の政変。
神祇(じんぎ)を職とする一族の中臣鎌足は、蘇我氏の専横を憎み蘇我氏打倒の計画を密に進めた。」
ここで、神祇(じんぎ)というのは、「天神地祇(てんじんちぎ)」の略で、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)のこと、つまり中臣氏は神事・祭祀を司ったということになります。
余談になりますが、天孫降臨(てんそんこうりん)以前から存在していた土着の神(地神)を「国津神」(くにつかみ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)などがいる高天原(たかまがはら)の神を「天津神」(あまつかみ)といいます。
天津神・国津神の子孫が「神別(しんべつ)」と呼ばれる古代日本の氏族の分類のひとつで、その「神別」は「天孫(てんそん)・天神(てんじん)・地祇(ちぎ)」に分類され、天孫は109、天神は268、地祇は30を数えます。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫が天孫(てんそん)、天津神(あまつかみ)の子孫が天神(てんじん)、国津神(くにつかみ)の子孫が地祇(ちぎ)になります。

それでは、乙巳の変(いっしのへん)にお話を戻しまして。。。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 皇極天皇4年(645年)、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日した。三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する。中大兄皇子と鎌足はこれを好機として暗殺の実行を決める。
こちらもご参照❤
↓
☆1400年前に、日本に「朝貢」していた国々

皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)、三国の調の儀式が行われ、皇極天皇が大極殿に出御し、古人大兄皇子が側に侍し、入鹿も入朝した。入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣を外させていた。

皇極天皇・斉明天皇
中大兄皇子は衛門府に命じて宮門を閉じさせた。石川麻呂が上表文を読んだ。中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌足は弓矢を取って潜んだ。海犬養勝麻呂に二振りの剣を運ばせ佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に与えた。

菊池容斎画 藤原鎌足肖像
入鹿を斬る役目を任された2人は恐怖し、飯に水をかけて飲み込むが、たちまち吐き出すありさまだった。鎌足は2人を叱咤したが、石川麻呂が表文を読み進めても子麻呂らは現れない。恐怖のあまり全身汗にまみれ、声が乱れ、手が震えた。不審に思った入鹿が「なぜ震えるのか」と問うと、石川麻呂は「天皇のお近くが畏れ多く、汗が出るのです」と答えた。

天智天皇 『古今偉傑全身肖像』(1899年ごろ)
中大兄皇子は子麻呂らが入鹿の威を恐れて進み出られないのだと判断し、自らおどり出た。子麻呂らも飛び出して入鹿の頭と肩を斬りつけた。入鹿が驚いて起き上がると、子麻呂が片脚を斬った。入鹿は倒れて天皇の御座へ叩頭し「私に何の罪があるのか。お裁き下さい」と言った。天皇は大いに驚き中大兄皇子に問うた。中大兄皇子は「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えると、皇極天皇は直ちに殿中へ退いた。子麻呂と稚犬養網田は入鹿を斬り殺した。この日は大雨が降り、庭は水で溢れていた。入鹿の死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。」

蘇我入鹿首塚と甘樫丘(2005年9月撮影)
蘇我入鹿の父・蝦夷(えみし)も翌日自害。こうして、蘇我氏を滅ぼした後、皇極天皇(こうぎょくてんのう)は弟に「譲位(じょうい)」を行います。
天皇が存命中に、その地位を後継者に譲り渡す行為が「譲位」で、世襲を原則としています。
ちなみに、「嘘の新聞」である「朝日新聞」がわざと用いている「退位」というのは、「地位の継承先に関わらず君主がその地位を手放すこと」で使用方法としては間違っています。「地位継承の規定や慣例に沿わない者に対して地位を譲ること」は「禅譲(ぜんじょう)」と言います。
皇極天皇(こうぎょくてんのう)の「譲位」によって、即位(645年)したのが孝徳天皇(こうとくてんのう)になります。

皇極天皇・斉明天皇
そして、日本最初の元号である「大化(たいか)」(645年~650年)が定められます。
そして、蘇我氏がもたらした分裂・混乱から、聖徳太子が目指した「天皇を中心とする国家体制」を推し進めていくことになります。それが「大化の改新」です。その中心人物が、孝徳天皇(こうとくてんのう)の皇太子となった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)になります。
この「大化の改新」のときに、古代の賤民(せんみん)の地位も定められていくことになります。
続きは次回に♥
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* by -
大化元年は一般に西暦645年とされていますが、実は西暦695年とも言われています。なぜなら大化五子年と刻まれた土器の出土事例があるからなんですよ。年号がとびとびに存在するというのは異常です。年号の決定権は列島盟主が持つ専権事項ですから、旧主派を追い出した、粛清したとするにはおかしいのではないでしょうか。
Re: タイトルなし * by みっちゃん
名無しの権兵衛さん、こんにちは^^
ご訪問&コメントありがとうございます!
なるほど!
要するに「文字」として記録されている(→大化五子年と刻まれた土器の出土事例がある)ということにおける「矛盾」をご指摘されていらっしゃるのですね?
でも、果たして、過去において、すべての記録が「文字」で残されていたのでしょうか?
もちろん、当ブログでは、それについて否定的です。
ですから、どのように「解釈」するのかが、重要になってくるのですが、そこは意見が分かれるところではないでしょうか?
そういった異なる意見を、色々と擦り合わせつつ、現時点で最も整合性のある解釈を創り上げていくことで、より良いものが生まれるのではないでしょうか?
当ブログは、もちろん、意見や考え方の違いは否定致しませんが、それと同様に、別の意見を「何の根拠もなく」押し付けられるということも、甚だしい憤りを感じるとともに、ぜひとも、「単なる文字記録」だけに寄らず、尤もらしい根拠をご提示願いたい次第ではございますが、いかがでしょうか?
また、「年号の決定権は列島盟主が持つ専権事項ですから」とも書かれていましたが、本当に「列島盟主」として「日本列島全体の統治」がなされていたのでしょうか?
本当に「専権事項」なのでしょうか?
その根拠は、何でしょうか?
ぜひとも、有意義な議論をさせて頂きたいと思いますので、またのご訪問をお待ち致しております💛
ご訪問&コメントありがとうございます!
なるほど!
要するに「文字」として記録されている(→大化五子年と刻まれた土器の出土事例がある)ということにおける「矛盾」をご指摘されていらっしゃるのですね?
でも、果たして、過去において、すべての記録が「文字」で残されていたのでしょうか?
もちろん、当ブログでは、それについて否定的です。
ですから、どのように「解釈」するのかが、重要になってくるのですが、そこは意見が分かれるところではないでしょうか?
そういった異なる意見を、色々と擦り合わせつつ、現時点で最も整合性のある解釈を創り上げていくことで、より良いものが生まれるのではないでしょうか?
当ブログは、もちろん、意見や考え方の違いは否定致しませんが、それと同様に、別の意見を「何の根拠もなく」押し付けられるということも、甚だしい憤りを感じるとともに、ぜひとも、「単なる文字記録」だけに寄らず、尤もらしい根拠をご提示願いたい次第ではございますが、いかがでしょうか?
また、「年号の決定権は列島盟主が持つ専権事項ですから」とも書かれていましたが、本当に「列島盟主」として「日本列島全体の統治」がなされていたのでしょうか?
本当に「専権事項」なのでしょうか?
その根拠は、何でしょうか?
ぜひとも、有意義な議論をさせて頂きたいと思いますので、またのご訪問をお待ち致しております💛