2018-02-17 (Sat)

乾電池(かんでんち)は、電解液を固体に染み込ませて担持させ、扱いやすくした一次電池である。(一回限りの使用で使い捨てるものが一次電池、充電して繰り返し使うものが二次電池)
戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 【乾電池】は日常生活に必要不可欠です。

当たり前のように使い過ぎていて、そもそも【これを誰が作ったのか】については、考えもしないかもしれません。

しかし実は、この【乾電池を世界で初めて開発したのは、日本人】なのです。おそらく多くの人は知らないのではないでしょうか。

日本で最初の電池を作ったのは、幕末期の思想家である【佐久間象山(さくましょうざん)】だといわれていますが、それは【「ダニエル電池」という液体式の電池】だったと考えられています。

佐久間象山
当時の液体式の電池は、頻繁にメンテナンスをせねばならず、冬に、中に入っている液体が凍ると使えなくなるという難点がありました。これを克服したのが、【乾電池を発明した屋井先蔵(やいさきぞう)】という人物でした。

屋井先蔵
ちなみに中身が乾いているから「乾電池」なのであって、缶に入った「缶電池」ではありません。カン違いしていませんでしたか?
屋井は、1864年に長岡藩士の子どもとして生まれ、13歳の時に東京の時計店で丁稚奉公をします。大学には通いませんでしたが、独学に励み、1885年、23歳の時に、電池で動く【「連続電気時計」を発明】しました。屋井は1891年にこの特許を取得しており、日本では電気関係の最初の特許だそうです。ただし、この時の電池は液体式で、先ほど述べたように欠点がありました。そこで屋井は液体式でない、まったく新しい電池の開発に着手します。

この頃、東京理科大学の前身である東京物理学校で、付属職工として働いていた屋井は、仕事と電池の開発を並行して進め、1887年、ついに【「乾電池」が誕生】しました。もっとも、乾電池でなければ動かすことのできない製品は当時まだなく、爆発的に売れることはなかったそうです。それでも、屋井の乾電池は「すべての人にとっての生活必需品」の地位を徐々に獲得していったのです。
なお、屋井による乾電池の発明は、【明治期の日本の国際社会における大躍進の一助】にもなりした。1894年の【日清戦争】と、1904年の【日露戦争】の2つの戦争で【日本は勝利】しましたが、小型で持ち運びしやすく、【極寒の土地でも電池の中の液体が凍結しない屋井乾電池】は、無線機が欠かせない戦地で、【大いに重宝】されました。中国やロシアが使用していた液体式の電池は、寒い土地では中の液体が凍結してしまい、前線で無線が打てなかったためです。
戦争は「情報戦」としての側面もあります。乾電池のおかげで、無線を用いた情報戦において、【日本は中国・ロシアなどの強国に決定的に差をつけることができた】のです。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、在日アメリカ人である著者が、歴史上にその功績を残す数々の日本人について、日本のメディアや日本の学校教員に成り変わって、私たち日本人に教えて下さっている書物になります。

まず、佐久間象山ですが、1842年(天保13年)に、松代藩の藩主である真田幸貫(さなだ ゆきつら)が老中兼任で海岸防禦御用掛(かいがんぼうぎょごようがかり)に任命された際に抜擢され、イギリスによる支那侵略の「アヘン戦争(1840~1842年)」を受けて海外情勢を研究します。

真田幸貫
その時にまとめたものが『海防八策』で、その内容は次のようなものでした。
①沿岸の要所に砲台を設置すること
②オランダへの銅の輸出を停止し、その銅で良質の大砲を作ること
③欧米に劣らぬ大船を作り海上を安全ならしむること
④海運に携わる役人を厳選して取り締まりを強化すること
⑤海外の造船技術を学び水軍(=海軍)の養成につとめること
⑥全国津々浦々に学校を設け、国民全てが学ぶこと
⑦信賞必罰をもって国家への民の信頼を高めること
⑧身分にとらわれない人材登用の道を開くこと

イギリス海軍軍艦に吹き飛ばされる清軍のジャンク船を描いた絵
ちなみに、「アヘン戦争」はペリーの来航よりも前の出来事になります。つまり、ペリーが来てから、日本は色々と対処し始めたわけではなく、イギリス等の列強が、支那を次々と食い物にしている、そして為す術のない支那の哀れな様を見て、備え始めていたわけです。
余談になりますが、幼少期の西郷隆盛が喧嘩の仲裁に入って、右腕内側の神経を切ってしまうのが1839年の出来事で、元服するのが1841年でした。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ペリーの黒船来航(1853年)の13年前の、とある出来事

ペリーの来航は1853年ですので、屋井先蔵が生まれる10年ほど前のことでしたが、イギリス軍による薩摩攻撃、いわゆる「薩英戦争」が1863年の出来事となります。
で、ちょうど、この頃にアメリカで起きていた出来事が「南北戦争」(1861~1865年)です。
詳しくはこちらをご参照❤
↓
☆ペリーの黒船来航(1853年)の8年後の、とある出来事

で、実際の南北戦争の写真が、こんな感じで残っています。


南北戦争 アンティータムの戦い(1862年)
1868年、私たちの日本は、明治時代へ入ります。今から、ちょうど150年前になります。屋井先蔵による「乾電池の発明」は、新しい明治時代に入ってから19年後のことになります
それでは、本日の最後に、私たち日本の安倍総理の本年の年頭所感をご紹介させて頂きますので、ぜひ、御一読くださいませ。

あけましておめでとうございます。
本年は、明治維新から、150年の節目の年です。
「高い志と熱意を持ち、
より多くの人たちの心を動かすことができれば、
どんなに弱い立場にある者でも、成し遂げることができる。」
明治初期、わずか6歳で岩倉使節団に加わった津田梅子の言葉です。性別に関係なく個人の能力が活かされる米国社会に学び、帰国後、女子高等教育機関を立ち上げました。そして、その生涯を、日本人女性の可能性を開花させることに捧げました。
150年前、明治日本の新たな国創りは、植民地支配の波がアジアに押し寄せる、その大きな危機感と共に、スタートしました。
国難とも呼ぶべき危機を克服するため、近代化を一気に推し進める。その原動力となったのは、一人ひとりの日本人です。これまでの身分制を廃し、すべての日本人を従来の制度や慣習から解き放つ。あらゆる日本人の力を結集することで、日本は独立を守り抜きました。
今また、日本は、「少子高齢化」という国難とも呼ぶべき危機に直面しています。
「人口が減少する日本は、もう成長できない。」
6年前、日本には、未来への悲観論ばかりがあふれていました。
しかし、この5年間のアベノミクスによって、名目GDPは11%以上成長し過去最高を更新しました。生産年齢人口が390万人減る中でも、雇用は185万人増えました。いまや、女性の就業率は、25歳以上の全ての世代で、米国を上回っています。
有効求人倍率は、47全ての都道府県で1倍を超え、景気回復の温かい風は地方にも広がりつつあります。あの高度成長期にも為しえなかったことが、実現しています。
未来は、変えることができる。
女性も男性も、お年寄りも若者も、障害や難病のある方も、一度失敗を経験した人も、誰もが、その能力を最大限に発揮できる「一億総活躍」社会を創り上げることができれば、日本は、まだまだ力強く成長できる。私は、そう確信しています。
未来は、私たちの手で、変えることができるのです。
すべては、私たち日本人の志と熱意にかかっている。150年前の先人たちと同じように、未来は変えられると信じ、行動を起こすことができるかどうかにかかっています。
子供たちの未来に大胆に投資する。子育てや介護の不安に向き合い、社会保障制度を「全世代型」へと大きく改革する。いくつになっても、誰にでも、学び直しとチャレンジの機会がある社会を創る。
毅然とした外交を展開するとともに、いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを守り抜く。
未来を見据えた新たな国創りに向かって、昨年、国民の皆様から総選挙でお力を頂いて、大きな一歩を踏み出すことができました。
本年は、「実行の一年」であります。昨年の総選挙でお約束した政策を一つひとつ実行に移してまいります。2020年、さらにその先を見据えながら、自由民主党は、新たな国創りに向けて、国民の皆様と手を携え、改革を力強く進めていく決意です。
最後に、国民の皆様の一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が、皆様一人ひとりにとって、実り多き素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
平成30年1月1日 自由民主党総裁

☆自由民主党 安倍信三総裁 年頭所感
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