2018-02-16 (Fri)

全米桜祭り(ぜんべいさくらまつり、英語: National Cherry Blossom Festival)は、ワシントンD.C.で毎年春に行われるお祭り。

☆全米桜祭り公式ウェブサイト

戦後の日本人は、正しい歴史を学校で教わって来ませんでした。
そして、現代のメディアもまた、嘘の情報を流し続けています。
私たち日本人は、親日的な立場に立ち、正しく認識し直し、
客観的に情勢を判断する必要があります。
それでは、この書物を見ていきましょう!
『 本書で紹介した日本人たちだけでなく、海外で活躍した日本人が学問や研究の分野でノーベル賞級の功績を打ち立てても、【西欧社会において正当に評価されない時代】がありました。…白人がアジア人に恐怖の念を抱いた【「黄禍論(こうかろん)」】が世界中に蔓延していた時代です。…

不幸にしてこの「黄禍」の呪いが吹き荒れた時代に生を受けたことで、生前に正当な評価を受けられなかった日本人は数多く存在しますが、その筆頭として挙げられるのが、…【科学者であり、実業家としても活躍】した【高峰譲吉(たかみねじょうきち)】という人物です。

高峰譲吉
高峰は、ペリーが2度目の来航を果たし、日米和親条約が締結された1854年に、現在の富山県高岡市で加賀藩典医の長男として生まれました。幼少期から英語を学び、明治初期に工部大学校(現・東京大学工学部)に入学し応用化学を、そしてイギリス留学で工業化学と電気化学を学びました。
1890年に渡米後、最初はウイスキーを製造。そして、1894年に【タカジアスターゼ】、1901年には【アドレナリン】という、【2つの画期的な薬をアメリカで開発】します。

なお、タカジアスターゼは【麹(こうじ)に含まれる酵素の分解作用を利用した胃薬の一種】であり、【酵素を使った初めての製薬】でした。

後者のアドレナリンは【ホルモンの一種】であり、止血作用があるため、現在でも外科手術で広く用いられています。興奮や集中力に作用するホルモンでもあるので、スポーツ選手が試合後のインタビューの時に、「あの場面ではアドレナリンが出ました!」と答えるのは一種の定型句となっています。【この世界一有名なホルモンの発見者】であり、【名付け親で、製造にも成功した人物】が、実は【高峰譲吉という日本人】だったのです。

このように、【バイオテクノロジーの基本】でもある【酵素とホルモン】の分野で、【2つの世界初を成し遂げている】ことから、高峰は【「近代バイオテクノロジーの父」として、アメリカなどでは讃えられています】。』

いかがでしょうか?
今回ご紹介させていただく書物は、在日アメリカ人である著者が、歴史上にその功績を残す数々の日本人について、日本のメディアや日本の学校教員に成り変わって、私たち日本人に教えて下さっている書物になります。

さて、本日はまず、今から110年ほど前の長編小説、夏目漱石(なつめそうせき)の『吾輩は猫である』の一部を見てみるところから始めさせて頂きます。

猫である「吾輩」が主人公で、その飼い主が英語教師である珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)、その友人の迷亭(めいてい)という美学者が、あるとき苦沙弥の自宅に訪ねてきたのですが、少し出かけるからと言って苦沙弥が家を出ていくところのシーンになります。
『 「僕あちょっと失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれ給え」
と迷亭の返事も待たず風然と出て行く。
計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想な顔もしていられないから、ニャーニャーと愛嬌を振り蒔(ま)いて膝の上へ這(は)い上って見た。すると迷亭は「イヨー大分肥ったな、どれ」と無作法にも吾輩の襟髪(えりがみ)を攫んで宙へ釣るす。

「あと足をこうぶら下げては、鼠は取れそうもない、……どうです奥さんこの猫は鼠を捕りますかね」
と吾輩ばかりでは不足だと見えて、隣りの室の妻君に話しかける。
「鼠どころじゃございません。御雑煮(おぞう)にを食べて踊りをおどるんですもの」
と妻君は飛んだところで旧悪を暴あばく。吾輩は宙乗りをしながらも少々極りが悪かった。迷亭はまだ吾輩を卸(おろ)してくれない。
「なるほど踊りでもおどりそうな顔だ。奥さんこの猫は油断のならない相好(そうごう)ですぜ。昔むかしの草双紙(くさぞうし)にある猫又(ねこまた)に似ていますよ」
と勝手な事を言いながら、しきりに細君(さいくん)に話しかける。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。

佐脇嵩之『百怪図巻』より「猫また」
「どうも御退屈様、もう帰りましょう」
と茶を注(つ)ぎ易(か)えて迷亭の前へ出す。
「どこへ行ったんですかね」
「どこへ参るにも断わって行った事の無い男ですから分りかねますが、大方御医者へでも行ったんでしょう」
「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人に捕つらまっちゃ災難ですな」
「へえ」
と細君は挨拶のしようもないと見えて簡単な答えをする。迷亭は一向(いっこう)頓着しない。
「近頃はどうです、少しは胃の加減が能(い)いんですか」
「能(い)いか悪いか頓(とん)と分りません、いくら甘木さんにかかったって、あんなにジャムばかり甞(な)めては胃病の直る訳がないと思います」
と細君は先刻(せんこく)の不平を暗に迷亭に洩もらす。
「そんなにジャムを甞めるんですかまるで小供のようですね」
「ジャムばかりじゃないんで、この頃は胃病の薬だとか云って大根卸(だいこおろし)を無暗に甞めますので……」

「驚ろいたな」
と迷亭は感嘆する。
「何でも大根卸の中にはジヤスターゼが有るとか云う話しを新聞で読んでからです」

「なるほどそれでジャムの損害を償おうと云う趣向ですな。なかなか考えていらあハハハハ」
と迷亭は細君の訴うったえを聞いて大おおいに愉快な気色(けしき)である。
「この間などは赤ん坊にまで甞(な)めさせまして……」
「ジャムをですか」
「いいえ大根卸を……あなた。坊や御父様がうまいものをやるからおいでてって、――たまに小供を可愛がってくれるかと思うとそんな馬鹿な事ばかりするんです。二三日前には中の娘を抱いて箪笥(たんす)の上へあげましてね……」
「どう云う趣向がありました」
と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈する。
「なに趣向も何も有りゃしません、ただその上から飛び下りて見ろと云うんですわ、三つや四つの女の子ですもの、そんな御転婆(おてんば)な事が出来るはずがないです」
「なるほどこりゃ趣向が無さ過ぎましたね。しかしあれで腹の中は毒のない善人ですよ」
「あの上腹の中に毒があっちゃ、辛防(しんぼう)は出来ませんわ」と細君は大(おおい)に気焔(きえん)を揚げる。・・・』
ご覧頂きました通り、「ジヤスターゼ」という言葉が登場しましたが、これが別名「アミラーゼ」と呼ばれる「消化酵素」になります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 アミラーゼ (amylase)とはジ(ヂ)アスターゼとも称される、膵液や唾液に含まれる消化酵素。グリコシド結合を加水分解することでデンプン(ラテン語"amylum")中のアミロースやアミロペクチンを、単糖類であるブドウ糖や二糖類であるマルトースおよびオリゴ糖に変換する酵素群である。
アミラーゼは1833年、フランスの生化学者、アンセルム・ペイアン (Anselme Payen) とジャン・ペルソー (Jean F. Persoz) が大麦の芽から取り出し、「切り離す」を意味するギリシア語の “διαστασις” より「ジ(ヂ)アスターゼ」と命名された。これが酵素の初めての単離である。
アミラーゼは消化酵素であり、デンプンやグリコーゲンを分解する。体内では主に、膵臓、耳下腺(唾液腺)から分泌され、またダイコンやカブ、ヤマイモにも多く含まれている。胃腸薬、消化剤として市販もされ、胃もたれや胸焼けの治療、防止に服用されている。
日本の製薬会社三共の事実上の創業者である高峰譲吉は、麹(こうじ)菌からジアスターゼを抽出し、自身の名の「タカ」を冠してタカジアスターゼと命名して1894年(明治27年)に特許を申請した。高峰のジアスターゼ(アミラーゼ)の抽出成功は古くから餅を食べるとき大根おろしをつけて食べると胃がもたれないと言う事が大きなヒントとなったとも伝えられる。」

ちなみに、製薬会社三共は合併して、現在の「第一三共」になっているのですが、ここ数年の株価がこんな感じです。

これとは別に、日産化学工業という会社も、 高峰譲吉が、イギリス留学中に化学肥料製造工場を見学した内容を日本に紹介し、これを受けて、当時の財界の首脳が発起人となって設立された東京人造肥料会社が前身になります。
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 1886年、東京人造肥料会社(後の日産化学)を設立。会社が軌道に乗り始めた折、かねてより米国で特許出願中であった「高峰式元麹改良法」(ウイスキーの醸造に日本の麹を使用しようというもので、従来の麦芽から作ったモルトよりも強力なでんぷんの分解力を持っていた)を採用したいというアメリカの酒造会社より連絡があり、1890年に渡米する。東京人造肥料会社の株主であった渋沢栄一に渡米を止めるように言われ、譲吉は当初渡米を渋っていたが、益田孝の強い勧めもあって、渡米を決意する。渡米後、木造の研究所をこしらえ研究を続けるが、麹を利用した醸造法が採用されたことでモルト職人が儲からなくなり怒りを買うが、新しい醸造工場にモルト職人を従来より高い賃金で雇うことで和解した。しかし、モルト工場に巨額の費用をつぎ込んでいた醸造所の所有者達が、譲吉の新しい醸造法を止めようと、夜間に譲吉、キャロライン夫妻の家に武装して侵入し、譲吉の暗殺を試みた。その時譲吉は隠れていたので見つからず、そのまま醸造所の所有者たちは譲吉の研究所に侵入、結局譲吉を発見できなかった所有者たちは、研究所に火を放って研究所を全焼させた。」
ここ数年の株価がこんな感じです。

続きまして、「アドレナリン」のお話になりますが、最近のペンス副大統領の「アドレナリン」の血中放出も半端じゃなかったかと思われますが・・・


☆ペンス米副大統領、北朝鮮関係者と鉢合わせしないよう韓国政府に求める⇒文大統領、レセプションで北朝鮮No2の金永南氏と1つのテーブルに就かせ一緒に食事をさせようとする⇒ペンス副大統領5分で退席~ネットの反応「マジで米激おこだろうな」

☆【中央日報/社説】わずか5分で退席したペンス米副大統領の警告 韓国政府に不満と不快感~ネットの反応「なんで韓国は毎回こういうだまし討ちみたいな事すんの?」「だまし討ちで北の人間と会わせたならキレて当然」
以下は、Wikipediaからの抜粋です。
↓
「 譲吉が最初に居住したシカゴは当時アメリカでも有数の肉製品の産地で多数の食肉処理場が存在していた。この時廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究をはじめ、1900年に結晶抽出に成功。世界ではじめてホルモンを抽出した例となった。アドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ、医学の発展に大きく貢献した。
1922年7月22日、腎臓炎のためニューヨークにて死去。日本人は帰化不能とされていたため、当時の移民法により生涯アメリカの市民権は得られなかった。」
そんな高峰譲吉が、アメリカ合衆国と日本国の間の友好関係を育て強めようとしてやったことが、1912年3月27日の、日本からワシントンへの「桜」の寄贈でした。

2010年の全米桜祭り中のジェファーソン記念館。
そして、それを記念して毎年行われているのが「全米桜祭り」ということになります。

ナショナル・モールの桜並木の中の観光客2009年4月5日
続きは次回に♥
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